「旅の坊主」の道中記:常葉大学社会環境学部・小村隆史の防災・危機管理ブログ

日本唯一の防災学部はなくなっても、DIGと防災・危機管理を伝える旅は今日も続いています。

【10月26日】静岡ボラ協図上訓練打ち合わせ+講義1コマ+学生と90分

2009-10-26 23:57:20 | 地域防災
小雨の中、東名高速を富士から静岡へ。

10時から、静岡県ボランティア協会で、
来年2月の静岡図上訓練プロジェクトの拡大実行委員会。

今回の委員会からは、県ボラ協や県社協、市社協といったメンバーに加え、
それぞれの地域でご活躍して下さっているボランティアの雄にもご参加いただき、
訓練企画を練り上げることになる。

説明資料は何とか間に合う。
初日午後イチから2日目の15時過ぎまでを5部に分け
被害様相の確認に始まり、それぞれの市町ボランティア本部の体制確認、
被災1週間後の状況の描き出しと共有、そして連携の課題の検討、
最後にふりかえり、という流れを案として提示する。

それなりの案は示すことが出来たかな、とは思う。
いろいろと注文のうるさいお客様にも満足してもらえるよう、
8時間ほどの密度の高い議論を演出しなくてはならない。
ともあれ、大きな方向性は見えたかな、と思う。

11月には、それに向けたファシリテーター・セミナーも行うことになった。
次世代への引き継ぎも考えておかなくては、という話。
こちらは4時間ほどのプログラムになる見込み。
資料作成は大変で、かつ金にはならないが、こういう仕事は本当にやりがいがある。
記録に残すことを意識しつつ、もう少し頑張らねば。

2時間の会議の後、濃いぃメンバー5人で昼食。
さらに追加の意見や要望を聞かせてもらう。こういう時間を持てることがありがたい。

仮寓から、福祉バザーに出品するものを少し車に積んできた。
それを下ろした後、富士に戻り大学へ。

講義は5限に「組織の災害対応」の1コマ。
災害救助法に規定されている、災害応急対応について説明したのち、
大規模交通事故を想定した、関係機関の初動対応について、話を始める。
組織の持ち味はなにか、連携にあたっての留意点はなにか。
しっかり議論させたいと思う。

終了後、3年生2名が研究室を訪問。就活についていろいろと話をする。
この時期、企業研究が佳境に入っていないようでは、やはりちょっと困る。
ともかく、年内の2か月余は、人生の40年を左右する極めて重要な時期。
それぞれに迷いもあろうが、悩めるのは特権と思い、大いに悩んでもらいたもの。

20時過ぎ、富士IC近くの定食屋まで行き、夕食。戻って引き続き、仕事。
学生レポートの採点とコメントつけ、メールへの返信、原稿書き、等々。

相変わらず、仕事の残り量は山のよう。
今宵もメドがつくのは深夜2時か3時か、か。

「個人商店」はなかなか辛いが、それを選んだのも自分。
40代後半、まだまだこれから!
と、自分に言い聞かせる。

【10月25日】沼津で津波防災を語る

2009-10-25 23:15:32 | 地域防災

飲みの興奮覚めやらず、でもないのだろうが、なぜか夜更かし。
床についたのは5時近くであった。

10時過ぎに動きだし、シャワー&朝食。
11時前の総武線快速で稲毛を発ち、品川経由で新富士へ。
車中は睡眠不足解消のため、ひたすら眠る。
駅近くに借りている駐車場からプラドを引っ張りだし、そのまま沼津へ。

今日は、沼津市の南部、静浦の地区センターで津波防災のワークショップ、
「東海地震による津波被害と対策を考える」

過日、8月11日の地震の時には無被害だったが、
沼津市の南部、奥駿河湾と呼ばれる地域は、
東海地震発生時には甚大な津波被害が想定される地域。

特に、三浦(さんうら、静浦、内浦、西浦の3地域)は、
10mを超える津波被害が想定されている。
1854年の安政東海地震では、文字通り、村が消えたという。
そういう記憶も、150年も経てば消えてなくなってしまう、という実例なのだろうが、
ともかく、そういう場所に集落がある。

大きな揺れと津波という、二段攻撃を受ける場所であるが、
幸いにも地盤がしっかりしているようで、川沿いの軟弱地盤でなければ、
想定震度は6弱程度で済む。逆に言えば、軟弱地盤では震度7を喰らう、と。

家がつぶれるか、家がつぶれなくても家具にひっかかるかした場合、
10分以内に襲い掛かってくるとされる津波に、どう対処すればよいのか。
そこが大問題。
で、そのことを参加者と、旧耐震かつ軟弱地盤にある家にシールを貼り、
想定津波浸水域を塗りつぶしながら議論する。

無論、一朝一夕に答えが出る話ではない。
防潮堤を作ればいい、というような、簡単な話のはずもなく
高地移転をしたくとも、経費の工面も制度上の障害の回避も、なかなか難しい。

ともかく、この種の話は、繰り返し、繰り返しやるしかない。
「旅の坊主」が話した回数だけでも3回目。継続は力なり、と信じるしかない。

沼津消防の親しい方々と、近いうちの反省会(という名の飲み会)を約し、
途中買い物などしつつ、富士に戻る。

いつの間にか、また一歳、年をとってしまった。
夜、妹から電話あり。妹は30分ほどの散歩をしてきたところとか。
「運動しましょうね」という話で落ち着く、ン?


【10月24日】充実した土曜日

2009-10-24 23:42:00 | 地域防災
さすがに半日以上寝れば、調子が悪いはずもない。
土曜日であるが、朝は8時過ぎにはしっかり目が覚める。
シャワーを浴びて大学へ。今日はAO入試の面接という「本業」が待っていた。

担当は、いずれも消防士志望の高校生4名。
嬉しいことに、いずれも、将来の可能性を感じさせてくれた。ホッ。
一度、仮寓に戻り、着替えて東京へ。

内閣官房のO先生とS参事官に、一昨日に引き続きSの姐御と「旅の坊主」という、
事情に詳しい人からすれば、「何とまぁ……」という取り合わせの飲み会。
月島のもんじゃ焼から、銀座7丁目のパンの美味しいバーへという、
こちらもなかなかのコース。

あちらこちらと話題が飛ぶも、さすが皆さま、ただ者ではない。
大変刺激に満ちた時間であった。詳細を記せないのが何とも残念。

あっという間の4時間半であった。
大満足で自宅へ。

実に充実した土曜日であった。

【10月23日】さすがに……

2009-10-23 23:44:26 | 地域防災
タフな1日の反動、というほどではないにせよ、朝が多少遅かった。
稲毛を9時半過ぎに発って新富士へ。

今日のメインは、
沼津市の私学・加藤学園高校の全校生徒対象の防災講演会。

タイトルは、いささか大風呂敷を拡げさせてもらった。

「被害が先読みできるなら打つ手はある!
 ‐東海地震で人生を狂わされないために、今、何を学べばよいか‐」

理学や工学の専門家からすれば、被害の先読みなどまだまだ出来ない、と
言いたいところなのだろうが、
少なくとも「目安」になるレベルまでは、確実に先読みできる!
というのが「旅の坊主」の理解。

痩せても枯れても防災先進県の静岡県。
第三次被害想定がある。
町丁目・大字単位で、想定震度はネット上で公開されている。

そして、全壊率テーブルと合わせて読むならば、
自宅の倒壊リスクの大小は、ある程度は先読みできよう、と。

「旅の坊主」にとっては、いつものような主旨の講演だったのだが
1000人を超える生徒諸君を相手に90分間、
集中力を切らさないような話をするのは、さすがに難しい。
この日の出来は45点、四捨五入してようやく半分、というところか。

前日までの疲れが出た、と、言いたくはないが、
講演が終わったらヘトヘトであった。

このまま車で帰っては事故を起こすと思い、
東名沼津IC-富士IC(わずか20km、15分)の途中、愛鷹PAで仮眠。
さらに仮寓に戻っても、夕食も取らずに爆睡モードとなってしまった。

【10月22日】自分を見つめ直す一日

2009-10-22 23:34:55 | 日常の一コマ

結局、布団に入ったのは5時過ぎ。

7時半に目ざましをかけたが、2日連続の仮眠ではその程度ではどうにもならず。
ようやく8時半になって、何とか体が動き出す。
シャワー、朝食の後、ビッグサイトへ。

来年11月に横浜で開催予定のAPEC首脳会議。
オバマ政権の誕生で変化の機運が生まれ、
暴力的な行為で何かを訴えるより、注目して(期待しつつ)見守るというのが、
現実的なところではないかと思う。

その意味で、目的のみならず、方法の実行可能性もしっかり検討するなら、
各国首脳というハード・ターゲットを対象とする爆発物テロの可能性は
かなり下がったと思う。

ではあるが……。
昨年のリーマンショックを直接的な契機としつつ、
数年来の「格差社会」「下流社会」論議で明らかになりつつある、
「暗い情念」「鬱屈した承認要求」「俺たちの苦しみを思い知らせてやる、という思い」等々。
これに、インターネット上の情報が結びついた時、
自らの存在を社会にアピールするために、爆発物テロという方法を取るかもしれない。
彼らが、外に攻撃的に出るのか、自らに攻撃的に出るのか、そこに議論はあろうが、
ともあれ、今回の犯人グループのプロファイリングを、このようなものとした。

で、横浜市内とその周辺7か所が同時多発で爆発物テロを受けたとして
それへの対応を問うてみた。

午前中は会場設営と資料作成。
ありがたいことに、レスナウのOさん、IVUSAのMさんSさんの3名が
地図づくりやら小道具セットやら、ずっと手伝って下さる。
坂出のKさん、パシコンのAさんら、さらに仲間が到着し、
参加者も含めて約40名というところか。
1230~1500まで、休憩をはさみつつ、DIGの手法による検討。

時間の関係で、大きな論点は2つしか扱えなかったが、
個人的にも大変勉強になったDIGであった。
いつの間にか、自分の発想が、
救急・救助系や医療系の者の発想に近づいていたことに、改めて気付かされる。
警備系の人間がどういうモノの考え方をするのか、そのことをおぼろげながらでも
意識できたことは収穫であった。

ただ、ここでも、複数の現場の連携を訓練プログラムとして検証することは
大変難しいものであった。この部分は明らかに不十分だった。
まぁ、そこまで行かない訓練プログラムが山ではあろうが。

皆に手伝ってもらい、撤収はものの20分で済む。
しっかりとした反省会?は後日ということで、流れ解散。

20時過ぎからの夕食会まで、少し時間が出来る。
で、睡眠不足の解消を車中でと思い、東海道線下り電車に目的地も定めず乗る。
目が覚めたら藤沢。「犬も歩けば……」ではないが、これはラッキーであった。
駅舎と空中デッキでつながっているビルの7、8階が「ジュンク堂」。
さすがに70万冊の在庫を誇る本格書店、品揃えが違う。
湘南地区のリアル書店の筆頭格として、しっかり記憶しておきたいと思う。
質の良い本屋の中を歩くことは、創造エネルギーの吸収のようなもの。
疲れた身には何よりであった。文庫・新書を中心に少し買い物。
東京まで戻り、それでも少し時間があったので、日本橋口のスタバでメールなど。

20時過ぎ、敬愛すべき姐御こと、20年近い付き合いとなる同僚S先生と
八重洲北口で待ち合わせ。そのまま、大丸レストラン街の天ぷら「つな八」へ。
夕食を共にしながら、いろいろと相談に乗ってもらう。
迷いがふり切れた、とまでは言えないが、大きな方向性は見えたかな、と。

姐御と別れ、22時近くにはなっていたが、坂出のKさんに電話し、渋谷へ。
今日のワークショップを手伝ってくれた何人かに加え、
フジテレビのキャスターから大学教員へと転身を遂げたKさんを交えたメンバー。
宇田川町の「ダイブツゴロゴロ」なる、なかなか面白いレストラン。
日本の救急救命士制度発足に、なくてはならない役割を果たしたKさん。
直接お会いするのは2回目だが、大学教員という場を得、いろいろ思いはある模様。
11月、金沢で開催される救急隊員シンポジウム、やはり行くことになるのかなぁ……。

久し振りに総武線各駅停車の終電か、と思ったが、1本前に間に合う。
車中で、先ほど買ったばかりの、リチャード・バック『フェレット物語5
名探偵の大発見』を読み始め、結局、寝るまでの間に読み終える。

10月22日は、年に何日かある、自分を見つめ直す一日。

ワークショップにエネルギーを絞り出し、
車中で睡眠不足を補い、
本屋でエネルギーをもらい、
先輩に道を示してもらい、
仲間と将来を語り、
最後にリチャード・バックの寓話で眠る。

今日はこんな日だった。