「旅の坊主」の道中記:常葉大学社会環境学部・小村隆史の防災・危機管理ブログ

日本唯一の防災学部はなくなっても、DIGと防災・危機管理を伝える旅は今日も続いています。

【長文注意】【熊本地震】発災20日目の益城町を歩いて

2016-05-06 17:18:23 | 現地調査
去る5月2日、遅ればせながらの熊本地震現地調査入り。同4日、益城の町を5時間近く歩く。
甚大な被害が出ている地域は小学校区ほどと局所的であるが、その烈度はかなり激しく、
層破壊(いわゆる「2階が1階になる」潰れ方)の棟数(発生率)が意外なほど多い(高い)ように思われた。

それに比べると、死者数が少ないのではないか?その意味は何なのか、ずっと考えている。

この日の現地調査後、同行3名と飲んでいて「地震に無知だったからではないの?」と言われ、ハッとさせられた。
「体験したことがなかった。」「怖かった。」「怖いから外にいた。」
そのような本能的なものが、被害を減らしたのではないか、と。

以下、この発言に触発されて考えてみたことを整理してみる。

私の災害図上訓練DIGセミナーに参加した方であればご記憶のことと思うが、
「地震による建物被害の見積もり(震度6強を想定)」と題されたA4×1枚の地震被害見積もり様式がある。
例えば静岡県富士市の冊子型「防災マップ」では4ページにわたってDIGが取り上げられており、その中でも言及されている。
http://www.city.fuji.shizuoka.jp/safety/c0101/fmervo000000n4wn-att/fmervo000000n70y.pdf

日本の防災学会に相当する地域安全学会の事務局長を長く勤められた宮本英治氏原案のものに私が手を加えて使っているが、
この様式を元に今回の地震被害の「相場観」を確認してみると……。
(ちなみに日本には防災学会ないし日本防災学会は存在していない。)

地震防災のイロハのイは建物の耐震性確保。逆に言えば建物被害と人的被害は密接不可分な関係にある。
特に人の生死に直接関わるのが倒壊棟数。家屋の2階が1階になるような潰れ方(これが倒壊)をした時、
その時その1階にいたとすれば無傷では済むまい、という話。

震度6強の揺れであれば倒壊は全壊の10%ほど、震度7の揺れであれば20%ほど、というのが経験値。
(ただし東日本大震災での建物被害は震度と建物被害の関係性がおかしいので除外しているand/or除外せざるを得ないのだが。)

1:政府の非常災害対策本部による「被害状況等(5月4日11時30分現在)」によれば、熊本県内での全壊家屋棟数は2452棟。

2:益城町での全壊家屋棟数についての内数はないが、熊本地震による死者49名のうち20名が益城町で生じていることに鑑みて、
全壊家屋棟数の40%が益城町と仮定すると約1000棟。

3:全壊棟数を1000棟とすれば、倒壊棟数は10%として100棟、15%として150棟。20%として200棟。

4:宮本フォーマットでは、①地震発生の瞬間に倒壊家屋の1階にいた者の半数が生き埋め閉じ込め、
②その1/3が重傷、③重傷者の半数が死亡、となる。倒壊家屋の1階に2人いた(本震の発生時刻に鑑みて2人が就寝中だった)として、
全壊・倒壊比率を10%とすれば、100棟×2×1/3×1/2=約33人。15%として約50人、20%として約66人、となる。
確率論的には、今回の熊本地震、前震なしの本震ドン!であれば、益城町だけで、これくらいの死者数が出たとしてもおかしくない、となる。

5:もちろんこれらの数値は試算値&概算値であるが、被害量の概数を見積もるには十分であり、現場を踏んでいる身としても「肌の感覚」に合う。

頭を絞るべきはここから先。

この計算式で出た数字は、いずれも、実際に出た数字よりもかなり大きい。
ということは、倒壊した家屋(の1階)にいる人が少なかった、ということを意味する。
なぜ、人々は家の中にいなかったのか。
もちろん、前震があり、余震がこわかったから外にいた、というのが答えなのだが、その背後には何があるのか。
「地震に無知だったから助かったのかも」という発想の鋭さは、この点に関係する。

「怖いから外にいた。」「体験したことがなかったから外にいた。」

これらは知識ベースの話ではなく、本能的な何物かに係る話であろう。

中途半端な知識に基づく部分最適解の追求が「屋外避難はやめさせよう」と言わせたのだと思う。
それが現場まで徹底されていたならば、今回の犠牲者は一桁多くなってしまったかもしれない。
地震後も自宅で過ごせるならばそれに越したことはないのは百も承知。
一般論としては「屋外避難はやめよう(=自宅避難をしよう)」は正しい。
しかし前提条件を無視した話をしてはならず、部分最適解ではなく全体を見ての判断こそ目指すべき、と思う。

細かく言えば以下のようなところ、か?

1:自宅避難が望ましいことは間違いない。しかしそれも「今後起きうる最大規模の余震でも大丈夫か」
という確認を済ませてから自宅に戻すべき。応急危険度判定の意味はまさにこの点にある。
政治的リーダーが発するべきは、「応急危険度判定を速やかに実施させます。その結果、
緑判定となった家であれば、自宅に戻っても大丈夫ですから、自宅で休んで下さい。」というメッセージであったはず。

2:したがって、応急危険判定の実施前に(熊本地震の場合、当初予定は第一撃翌々日の4月16日から本格実施と聞いている)、
野外避難はやめよう=自宅避難をしよう、としてしまったことは、
今回のように一撃目の後により大きな二撃目が来るという話でなかったとしても無謀。
応急危険度判定の意味がわかっておらず、また、余震をあまりに甘く見ていた、との批判(非難)は免れ得ない。

3:体験したことがない揺れ=怖い=外にいよう、という本能に従った行動をとった人が多かったからこそ、
(1発目より大きい2発目が来ても)層破壊棟数の多さに比べて犠牲者が少なかった、と言えるのではないか。

小利口な者の浅知恵が多くの犠牲者を生みかねないところだったが、
現場の人間の本能がそれを救った、と言えば、これは言い過ぎということになるのか?

それはそれとして。

特定の狭い範囲に集中とはいえ、層破壊が多数発生していることに、「社会の仕組みに起因する」何らかの「構造的原因」はあるのだろうか。
例えば建築労働者の技能の問題、給与水準の問題。あるいは(毎度のことながら)少しでも建築費を安く抑えようという関係者の思惑。
答えを出すには早いのかもしれないが、建築基準法にいう地域係数(地震係数)がどの程度影響しているのか。
(最低限の基準×0.9とはどういう意味、なのだろう……。っ
て、これでピンと来てくれる人が少ないのが、今の日本の防災の現実、なのかもしれないが……。