「旅の坊主」の道中記:常葉大学社会環境学部・小村隆史の防災・危機管理ブログ

日本唯一の防災学部はなくなっても、DIGと防災・危機管理を伝える旅は今日も続いています。

雨の成田へ 5ヶ月ぶりの帰国

2011-02-28 23:28:34 | 中米防災協力(プロジェクトBOSAI)
2月28日(月)

幸か不幸か、今回の移動では機中ではあまり眠れず。
結果的にせよ、「いつの間にか日付の変わった長い1日」となった。
まぁ、この日1日がんばれば、時差解消も楽かな?

15時過ぎ、ほぼ予定通りに雨の成田空港に着陸。
本当に、意外なほど感慨がない帰国。

ただ、この種の活動にそんな感慨を求めている、ということ自体が、
そもそも間違っているのかもしれない、とは思ったりもした。
(単なる自意識過剰、なのかも……。)

さすがに日本の航空行政&航空会社、空港会社。
中米に慣れた身には、手際の良さが抜きんでてみえる。
ほとんど待つこともなく、イミグレ、荷物ピックアップ、通関と過ぎる。

出口で母と会う。ハワイ以来ゆえ2ヶ月弱ぶりの再会。
うまいタイミングで総武線快速があり、そのまま稲毛へ。
さすがに日本の2月末、特に今日は寒い。みぞれまじり?
ともあれ、実家(自宅)へ。

着いたころから、強烈な眠気に襲われる。そりゃまぁそうだ。
もともと「旅の坊主」の体内時計は、かなりの不規則には慣れさせられたが、
徹夜での夜遊びが明け、朝の陽ざしに照らされているタイミング、
なのだからなぁ……。

というので、夕食と風呂の後はほとんど何もせず(出来ず)、
布団に入って爆睡となってしまった。



                           (3月1日朝 アップ)

日本へ、成田へ

2011-02-27 23:08:47 | 中米防災協力(プロジェクトBOSAI)
2月27日(日)

ちょっとだけ朝寝をして、8時過ぎに動き出す。
シャワー&朝食(めずらしい!)の後、ホテルのシャトルで空港へ。

かの名高きジョン・フォスター・ダレス国務長官の名を取った空港。
人生最初のワシントン体験が、半日にも満たないトランジットとは、
何とももったいないようなものではあるが……。

サンサルバドル⇒ヒューストン⇒ワシントン⇒成田。
この3区間、運行する会社は異なるものの、コードはコンチ。
とはいえ、太平洋横断は、日本の航空会社のほうが何かと有り難い。
ありがたいことに、ワシントン⇒成田はNH001便のコードシェア。
ANAのビジネスクラスを初めて使わせてもらう。

ラウンジはルフトハンザのもの。
小ぶりながら、機能美という言葉が相応しい空間。
メールチェック&ブログ更新など。

結局のところ、免税店をひやかすこともなく、11時過ぎに機内へ。
成田までは13時間半という、長い飛行時間。
おかげで、たまってしまったブログ原稿だったが、
何とか追い付かせることが出来た。

(機中での活動の後半は2月28日分をご参照下さいませ。)



                           (2月28日アップ)

奇妙なまでに感慨のないまま、一時帰国の途に

2011-02-26 23:06:48 | 中米防災協力(プロジェクトBOSAI)
2月26日(土)

私費での旅行では、当然のことながら空港まではタクシー移動。
10時過ぎにタクシーを呼び、スーツケース×2、ビジネストロリー×1、
PC用デイパック×1のいでたちで、コマラパ空港へ。

チェックインの後、いつものように中米版KFC「ポジョカンペーロ」に行くも、
タイミングが悪く、席が空くまでかなり待たざるを得ない状況。
不本意ながらあきらめ、機中で何か出るだろうとの期待の下、
75セントでポップコーン1袋を買ってゲートへ。

この日はヒューストン経由でワシントンまで。
なぜワシントン経由かって?何といっても安かったから!
また、同じ価格で複数コースがあったのだが、遠回りのほうがマイルを稼げるから。
目指せ、ANAの上級会員さん、である(笑)。

ヒューストンのコンチネンタルのラウンジ「プレジデント・クラブ」は、
FFP会員の評価ではトップ10に入るそうだが、
旅客への情報提供面ではボロボロ。ほとんど激怒モノ!

ヒューストン到着時点で、ワシントンへの接続便が2時間遅れる、
ということはわかった。カウンターでも確認をした。

で、それに合わせてメール書きなどをしていて、
ぼつぼつ準備をしようかな、と思って、最新情報を確認に行ったら、
「アンタの聞き違いでしょ?」と言わんばかりに、
「エイト・フィフティではない、エイト・フィフティーンだ!」と。
おい……。

いくら何でも、その程度を聞き間違えるほど、英語力は低くはないよ、と言いたかったが、
ともかく「早く行け!」というので、ゲートに向かってひた走る。

ところが……。

2015ギリギリにゲートについたら、そこにはまだ人がいる。
というよりも、搭乗機がようやく着いたとか着かなかったとか、という段階。
表示板には、あるものは2150、またあるものは2130。
おい……。コンチのラウンジで聞いた2015って何???

例によって?まともな説明はない。ともかく良く分からないまま、待つことになる。
結果的には2130前、予定より2時間半遅れでの離陸となった。

ワシントンまではCRJ。
小ぶりの機体だが、雰囲気はなかなか。
国内線ということもあり、また深夜のフライトでもあり、
スナック菓子程度のサービスであったが、それで十分。

日付が変わっていたが、ワシントン時間の午前1時前に到着、
そのまま今宵の宿のマリオット・ダラスAPへ。
何と言ってもマリオット。施設は充実。バスタブもあるしTVではNHKワールドも!
それでいて、件のタマリンドの宿よりも10ドル安い!あそこは異常だ……。

ともあれ、ゆっくりとバスタブにつかり、
TVで英語版の「甲殻機動隊(!)」を見つつ、就寝。

5ヶ月ぶりの帰国というのに、奇妙なまでに感慨がない。
これって、何なのだろうか。
成田に着いたら何か感じるのだろうか。



                              (2月28日アップ)

TV会議、予防接種、報告書書き、そして2時間のスペイン語講座

2011-02-25 23:03:40 | 中米防災協力(プロジェクトBOSAI)
2月25日(金)

いつものように7時にモンテアルトを出て、
(ただしこの日はタクシーで)内務省ビルへ。

2週間ぶりの職場。ただし、この日は閑散としている。
SリーダーとドライバーMさんは早朝からホンジュラス。
Kさん、秘書Tさん、ドライバーAさんの3人は日曜午後からグアテマラ。
エルサルバドル担当Mさんは、翌週のワークショップ用資機材を買い出し中。
しばらくは、スペイン語の先生でもある経理担当Yさんと2人で過ごす。

9時15分を過ぎてJICAオフィスへ。
10時からホンジュラス事務所とつないでのTV会議。
接続トラブルで若干のムダが生じてしまったが、
1時間半、有意義な意見交換が出来たと思う。

ともかく、ホンジュラスの国家防災機関COPECOは、
明らかに、はるかに、他5ヶ国よりも遅れたレベルにある。

「みえる化からカイゼンへの流れ」「3B」「3現」「参加型」等々、
言うべきことは言っているもりだが、暖簾に腕押しの感は否めず。
それでもMさん、多少のカイゼンの余地はありそう。

そのまま、インフルエンザの予防接種へ。
当地では5月とか6月とかインフルエンザのシーズンとのこと。
翌日からの一時帰国にはもちろん間に合わないが、
(何せ、日本は冬=インフルエンザの季節、ですからねぇ……。)
今回の派遣では、予防接種の必要性を改めて感じている。

直訳すれば「診断病院」という、妙な名前の病院だが、
当地ではかなりのレベルにある救急病院と見た。

(どうでも良い話だが「旅の坊主」、
日本救急医学会と日本臨床救急医学会の会員でもあるのだ。)

担当ナースさん、残念ながら英語が話せず。
注射1本だけなので、特段の問題はないが、
やはり、病院に行って自分の症状を説明できるくらいまでは、
会話力をつけておきたい、とは思った。

この日4区間目のタクシーでオフィスへ。
近くの食堂で昼食の後、仕事に戻る。

Yさんのお嬢さんは、昨年11月、
米海軍横須賀基地勤務の海軍大尉さんとハワイでご結婚。
数日前、妊娠がわかったとのこと。

お母さんとしては、娘の妊娠は当然気になる訳で、
で、妊娠&出産についてのスペイン語の本を買ったので、
日本に着いたら送ってくれないか、と、頼まれる。

また、エルサルバドル担当Mさんは向学心旺盛で、今は何と日本語を勉強中!
日本語の初学者向けの辞書を買って来てくれないかと、日本語で!頼まれる。

こういう思いやりや向学心にあふれた仲間達と仕事が出来ていることを、
嬉しく思うし、誇りにも思う。

この日の最後は、Y先生とのスペイン語講座。
この日も、妙なもので教育談義となる。

内戦で教育がボロボロとなり、悲しいくらい、人の質が下がった、と。
内務省の職員でありながら、職場で、職務時間中に、アダルトサイトを見ている者がいて、
その様が、Yさんの執務机から見えるという。
言葉遣いも荒く、あまりに品のない言葉が使われているため、
Yさんとしては、オフィスでは耳をふさいでいるようなもの、と。

しっかりとした教育、大変な苦労をされた上での今があるYさん。
カタコトのスペイン語で、ではあるが、
こういう会話が出来ることも、本当に嬉しい話であった。

夕食は、冷凍餃子+コンソメのスープにご飯。
冷蔵庫の残り物は、毎週金曜日に来てくれる掃除のおばさまに差し上げた。
スーツケースを2つ用意して(=もちろん日本食の買い出し用!)、
明日からの一時帰国のパッキング。



                             (2月28日アップ)

5ヶ月余で16回68日の国外出張、か……

2011-02-24 23:01:01 | 中米防災協力(プロジェクトBOSAI)
2月24日(木)

めずらしく、この日も朝食をしっかりとる。
要するに、中途半端な夜食をとらず、夜更かしもしなければ、
朝はしっかり起きられるし、普通にお腹もすく、ということ、らしい。
(今さら当たり前の話を言うなって?そりゃそうだ……。)

8時半過ぎにプロジェクトの車が迎えに来てくれて、JICA事務所へ。
ネット環境を拝借して、急ぎの仕事を数件片づける。
特に急ぎの課題が、プロジェクトBOSAIコスタリカの来年度活動計画。

何せ、ローカル・コーディネーター・ミーティングの際、
こちらで預かって案にまとめて提示する、と、言ったはよいものの、
出張続きの中で、どうにも意識を集中させられる時間がとれず、
ギリギリまで待たせてしまうことになってしまった。

ケンカ別れ状態のD氏に連絡をつけたかったのだが、
ともかく、氏は電話に出ない。

14時からのCNE関係者との打ち合わせには資料は間に合ったものの、
その場に彼はおらず、やむなく、彼以外のCNE関係者と活動計画を検討する。
(この後、さらなるトラブルにならなければよいのだが……。)

ともあれ、1時間余の限られた時間ではあったが、
プロジェクトBOSAIコスタリカの2010年の活動状況を共有、
次年度に向けての共通認識を作ることが出来たのは何より。
その場に、肝心要のD氏がいないことのみ、気になった……。

15時を過ぎてCNEを失礼し、空港まで送ってもらう。
空港にて、DさんLドライバー氏とお別れ。
再会は4月、かな?

いつものように、夕方便でサンサルバドルへ。
空港では往路同様、ドライバーMさんが待っていてくれた。

Sリーダーは翌日早朝からホンジュラス出張のため、
諸々の打ち合わせは夕食を取りながら、ということになった。
久しぶりに、ニカラグア牛の「ロス・ランチョス」へ。
「タコンアルト」の質感も良いが、今宵は12オンスのシュラスコ。
赤身の肉のやわらかさは、さすが絶品であった。

何日ぶりか、拙宅の湯船にゆっくりつかる。
洗い場がないのは、何ともならない。
それだけが玉にきず。



                           (2月28日アップ)