「旅の坊主」の道中記:常葉大学社会環境学部・小村隆史の防災・危機管理ブログ

日本唯一の防災学部はなくなっても、DIGと防災・危機管理を伝える旅は今日も続いています。

東京・静岡1往復半

2008-06-20 23:05:55 | 地域防災
 帰国翌日は少し朝寝をさせてもらいました。8時半に母に起こされ、朝風呂と
朝食の後、9時半ごろ稲毛を出発。秋葉原の事務所は模様替えの最中との
ことなので、いつものようにデスカット東京・日本ビル店で1時間半ほど仕事を
した後、新幹線で静岡へ。

 14時から1時間ほど、県立静岡高校1年生に地震防災の話をさせてもらい
ました。何せ県のトップ校ですから、チャンチャンバラバラの議論を期待したの
ですが、ちょっと肩すかしを喰らった感あり。でも、先生方からは「有意義でした」
と言われ、役は果たせたかな、というところでした。静高は文系も理系も、地学
と地理の両方を履修させているとのこと。であればこそ、本気で防災を学ぶ
環境が整っている訳ですから、10年先20年先、僕らの後を継いでくれるような
人材が出てくることを期待しましょう。

 終了後、とんぼ返りで東京へ。往復の新幹線の車中で7000字の原稿を書く
はずが、どうにも指が動かず。締切はとっくに過ぎているというのに、我ながら
情けない話(冷汗タラタラ……)

 消防科学総合センターの図上型防災訓練についての研究会も、今年で5年目
になります。学識経験者は、東京経済大の吉井座長以下、気心の知れた防災
研究者の皆さん。「遅れてもいいから顔を出すように」とのことで、かなりの遅刻
ですが永田町の町村会館へ。今年のテーマは風水害を想定した図上訓練
プログラムの構築ということで、大変楽しみです。それにしても、世にはステップを
踏まない図上訓練ノウハウの多いこと多いこと!仄聞するに、洞爺湖サミット
対策の訓練も、相当ひどいとか。まぁ、そうだろうなぁ、とは思います。被害様相と
役割分担のイメージがなければ、まともな図上訓練など、できる訳もないのに、ね。

 研究会の後、渋谷経由で久しぶりの恵比寿へ。東口に降りるのはひょっとして
8年ぶり?(駅構内に讃岐うどんの店も出来ていたんだ……)。災害看護支援
機構の山崎達枝さんから、四川大地震の現地報告を聞きました。山崎、黒田、
酒井という、災害看護学界のビッグネームのお三方が、連れ立っての現地調査
とのことで、期待もしていましたが、さすがよく見てきて下さいました。ただ、今後
日中両国間で災害看護分野の協力を行うことは、いろいろと事情もあるようで、
一筋縄ではいかないのでは、とのこと。事情の中身が想像つかない訳では
ありませんが、つまらないメンツを張りあうよりも、善意を活かせばよいのにと、
単純に思っているところです。

 何とか新幹線の最終静岡行に間に合い、富士市内の仮寓へ。仮寓とはいえ、
三週間ぶりに帰ってきた我が家ですが、(当たり前ですが)やはり散らかりっ
ぱなしでした……。

                                    (6月23日記す)


幕間の1日

2008-06-19 23:40:58 | 国際防災協力
 ドバイまで2時間、関空まで9時間、さらに羽田まで1時間余。今日は
テヘランでの生活から日本の生活への、幕間の1日でした。正しくは、
(特にドバイ=関空間では)ほとんど寝ていただけの話ですが……。
余談ですが、寝酒代わりにもらったグレン・フィディック、懐かしい味でした。
仕事を始めた約20年前、この「とんがった味」にはまった時期があり
ました。あのころの志は今も生きているだろうか……。

 積み残しの仕事も山ほどありますが、今日だけは多めに見てね、と
言わせて下さい(ごめんなさい野口@三菱総研さん)。明日は朝から
活動ができるよう、今晩は千葉・稲毛の実家で泊まります。なぜかって?
富士の仮寓に戻ったら、午前中一杯寝ている可能性が大なので……。

 ともあれ、日本の生活へと戻っていく訳ですが、テヘラン滞在中のペース
でブログの更新ができるかどうか、我ながら甚だ疑問です。ただ、それ
くらいの(時間的にも精神的にも)余裕のある生活がないと、良い仕事は
出来ないのでしょう。仕事をためてしまっている人間が言うべきセリフでは
ないということを百も承知で、オンはオン、オフはオフ、にしたいところです。

 明日から本格始動です。

また来る日まで

2008-06-18 23:44:29 | 国際防災協力
 終わってみれば、あっという間の3週間でした。一石を投じたほどの効果が
あったかもわかりませんが、ともあれ、テヘランでの活動を終え、日本への
旅路に着きます。イマム・ホメイニ空港のラウンジで少し感傷に浸りつつ
(残念ながらウィスキーもブランデーもありませんが)、ブログを書き記して
います。BGMは中島みゆき「二隻の船」(久し振りに聞く『EAST ASIA』です。)

 シャワーを浴びて8時にアパートを出発、いつものように2区のベースへ。
今日も予定通りの?20分遅れスタートです。前日の続きということで、ワーク
ショップ形式で、区のDisaster Managerとしての対応のあり方を議論して
もらいました。ノースリッジ地震の時のロス市長ブライダン・リオダンの対応
から何を学ぶか、限られたテヘランの通信・広報手段の中で市民へのメッセージ
をどう伝えるか、平時の数人しかいないDisaster Baseの人員ではなく、本気の
Operationには最低限何人の動員が必要か、等々。少しはキャッチボールが
出来たように思いましたが、さて、どのくらい印象に残ってくれたでしょうか……。

 力不足&時間不足は否めませんが、少しは役に立ったのかな、というある
手応えはありました。という訳でもありませんが、TDMMOの誰かの反対で実現
しなかった修了証を渡す代わりと、ありがとうの意味と、これからこれを使って
防災教育をしっかりやって下さいねとの思いを込めて、前日作っておいたCD-ROM
を皆さんに渡し、最後の最後は集合写真を撮って終わりました。何人かの男性
とは、イラン式の抱擁が自然に出来たのは、嬉しかったなぁ。本気の人はわかり
ますから。

 テヘラン市の広報課の方からのインタビューを受け、Baseで昼食(羊肉を軟らかく
焼いたものと、当地で「草メシ」と俗に言われている香草を炊きこんだ米)をいた
だいた後、オフィスへ。荷物をまとめ、これまた部屋の仲間全員で記念写真を
撮り、Dr. Hosseiniにお別れの挨拶をして、オフィスを後にしました。その足で
JICAのイラン事務所に向かい、当地4年目の涌井さんに活動終了の報告と意見
交換をしました。イランという手ごわい相手を前に、しかし、極めて大きな地震
リスクは見逃すこともできず、何ができるのか。今回のわずか3週間では答えの
出しようのない課題です。ようやく雰囲気がわかっただけの話なのですから。
でも、何かはしておかなないと後で悔やむことになる、とは強く思いました。これ
だけTDMMOの某お目付け役クンの意向に反し続けた訳だから、またJICAで
という訳にはいかないかもしれないけれど……。

 シャワーを浴び、荷物をまとめ、簡単に掃除して、3週間お世話になった部屋の
写真を撮りました。また来ることもあるでしょう。ひょっとしたら意外と近い時期に?
それこそ「インシャラー」ですが……。

 お世話になったショウさん、川崎さんともしばらくのお別れです。でも、川崎さん
とは7月4日に東京で会う約束をしましたし、ショウさんも7月半ばには帰国です。
その時にはまた、カトマンズでお世話になった皆さんにも声をかけ、どこかで
飲もうと思います。

 そんなこんなのイラン・テヘラン滞在記でした。また来る日まで、しばらくの
お別れです。

一日訪問者100名突破のお礼&テヘラン滞在もラス前に

2008-06-17 23:28:12 | 国際防災協力
 まずはこのブログをお読みになっている皆さんにお礼を。

 おかげさまで昨日(08年6月16日)、防災・危機管理ブログ「旅の坊主」の
道中記が、ブログ立ち上げ後初めて、1日100名の方にご覧いただけました。
地味なテーマで、かつ、今回のような海外出張でもなければ何か月も更新
されないようなブログですが、それでも、読んで下さる方がいるということは、
大きな励ましです。皆さんのご期待を裏切ることのないよう、日本帰国後も
せめて週イチくらいの更新はできるよう努力しますので、引き続き、よろしく
お願いします。

 さて、テヘラン滞在も残り2日となりました。予定通り?30分遅れで5日目
のワークショップが始まりましたが、これまた予定通り?開始前にひと悶着が
ありました。TDMMOの中にはどうしても私に話をさせたくない人(より正しくは
職員との自由な意見交換をさせたくない人)がいるようです。昨日で話がついた
と思いきや、再度、「内部で緊急事態が発生し、多くの人が参加できなくなり
そうなので、明日の話は取りやめにくれないか」との申し入れ。もちろん「内部
の緊急事態」についての具体的な説明はなく(できる訳もなく)、事情はわから
ない、の一点張り。何か事があれば全予定をキャンセルして対応するのがこの
業界ですが、そうでなければ理不尽な話に従う必要はありません。一人の思い
込みを満足させること以外には何らの意味もない訳ですから、当然、そういう話
はけっ飛ばし、何事もなかったかのように?ワークショップが始まりました。

 面白くなかった人はいたでしょうけれど、ね(苦笑)。

 自宅で被災したとして、区の防災センターに行くまでの間に何をすべきか、が
今日のテーマです。20名ほどの参加者を2チームに分け、ポストイットを用いつつ、
いろいろとアイディアを整理させました。今まで決して食い付きが良いとは言え
なかった参加者ですが、抽象的な話ではなく、彼らでも理解可能な具体的な話
をすれば、そこそこ議論になることはわかりました。「センターに行こうとしたら
家族に引き留められた。どうする?」「センターに行く途中、助けてくれとすがり
つかれた。どうする?」「センターに着き自分の席についた。最初にやるべき
ことは?」といった、事情通からすれば他愛もないテーマですが、結構乗って
くれました。ありがたい話です。おかげで明日最終日も何とかなりそうなメドが
ついたというものでした。

 オフィスに戻り、明日の準備をしながら、他のスタッフにも手伝ってもらい、
参加者に渡すCD-ROMをせっせと焼きました。なにせ、TDMMOに情報を提供
しても、まず間違いなく区には渡らないのですから、「旅の坊主からの贈り物」
として直接担当者に渡すのが一番です。これまたへそを曲げる人は出るでしょう
が、気にしない気にしない。

 定時より30分ほど「残業?をして」アパートへ。シャワーを浴びた後、車で
少し北に行った高級住宅地の中のメキシコ料理店で、ショウさんと川崎さんが
送別会を開いてくれました。ショウさんのおかげで、大きなトラブルもなく、無事、
滞在を終えることが出来そうです。また一緒に仕事が出来て嬉しかったです。
次の機会があれば、その時もよろしくお願いしますね。

 店ではテヘランに来て初めてステーキを食べました。以前は、海外に出ると
必ずというほど食べていたのですが、イスラム圏というよりイランでは、ステーキ
というのは、やはりちょっと特別な料理だったのかも。期待していたものとは
ちょっと異なったけれど、やはりステーキはステーキでした。店の中には、ちょいと
怪しい(妖しい?)女性もいて、「人類最古の職業かねぇ」などという話題もあり
ましたが、まぁたっぷりいただきました。腹ごなしに30分ほど歩いてアパートに
戻りました。

荷造りをしつつ明日の準備です。最後の3時間、楽しく終わらせたいものです
が、さてどうなりますことやら。


晴れのち雨のち曇り?

2008-06-16 23:42:54 | 国際防災協力
 テヘラン滞在も残り3日となりました。その割にはまったく感慨もなく、
仕事の時間はセミナーとその準備で終わり、アフター5はまぁそこそこに、
という一日でした。何もなかった訳ではないですが……。

 8時にアパートを出て、そのままテヘラン2区の防災センターへ。先週
に引き続き、今日から3日連続のセミナー&ワークショップも、この防災
センターの会議室で行われます。ここは、いわゆる「紙芝居を見せる場所」、
つまり馬蹄形に机が並んでいる「いかにも」の災対本部ですが、事情通に
は当たり前の話ですが、こんなもの、「本当の」作戦会議には使えません。
金だけはかかっているようですが、一体誰が考えたんでしょうねぇ……。

 ま、それはさておき。

 今日のお題は避難と避難所運営について。日本や他の国の事例も含めて
プレゼンをしました。過去3回に比べれば食いつきもよく、でも、「バムの
地震の時はどうでしたか?」と聞くと、「そんな質問には答えなくていい」
と、「お目付け役」クンから指示が飛んでいるとか。えらいさんからすれば
「日本の経験を聞き出せさえすれば良いんだ」ということなのでしょうが……。

 情報を得るための最善の方法は、情報を発信することなんですけれど、ね。
面白い話です。それでも、とんちんかんな長演説をする人もなく、無事今日
のセミナーは終わりました。予定通り?スタートが30分遅れた分、20分
くらい延長しましたが……。

 事務所に戻り、明日のDIGの準備をしていたら、なにやらきな臭い話が
聞こえてきました。「18日のワークショップはナシにする」「重要な会議が
ありみんなそっちに出ることになったから、ということにするからな」「先生
には絶対に言うなよ」とのこと。頭をかかえるよりも、「ほぉ、そこまでやるか」
という感じでしたねぇ。6回だったはずのセミナーやワークショップがいつの
間にか9回になっていましたが、「いいですよ」「知っている限りは日本の
経験を伝えましょう」と請けていました。でも良く聞いてみれば、TDMMO
内部の勢力争いとかメンツ問題とかに巻き込まれ、好きに使われていた
ようです。詰まるところ、「お目付け役」クンのお気には召さなかった模様。
で、「18日はナシにする」という話になったようなのですが……。

 売られたケンカは買うのが信条です。何も知らない顔をして、その「お目
付け役」クンに、「18日に避難訓練について説明するよう頼まれたのだが、
テヘランの人が何をイメージして避難訓練と言っているかがわからん。説明
してくれないか」と、切り返しました。今まで赤新月社の影に隠れ、まともに
応急対策なんぞ考えたこともないTDMMOのスタッフですから、当然のこと
ながらイメージがある訳がない。「それは防災教育の話!」「行列作って歩く
ことが訓練なの?」「(避難所リストなんぞ)目立つ所に貼っておいてくれれば
いいだけでしょ?」「参加人数も場所も長さも決めていないで何が訓練なの?」
等々、好き勝手並べさせてもらいました。さすがに彼も、自分に避難訓練の
イメージが全くないことに気づいたのか、あわててキャンセルのキャンセルに
走り出したみたい。明日が楽しみです。ちょっと「遊んで」しまいましたが、
プロジェクトの「諸悪の根源クン」でもありますから、これくらい楽しませて
もらっても罰は当たらないでしょう。

 夕食は、川崎さんと二人、散歩を兼ねて三度目のAlighapooへ。お目当て
はニジマスのフリッターと骨なしケバブにサラダバーでしたが、出された
メニューを見て「おかしい!値段が倍になっている!!」。メニューを良く
見て納得、「生演奏がある分値段は倍。でもサラダバーはサービスする」
ということなのですね。実際、この方針は当たりのようで、過去2回とは
異なり、店は本当に客で一杯でした。値段を倍にしても生バンド付きの
ほうがお客の入りが良いとは知らなかった。でも、演奏は「旅の坊主」と
してはいま一つ。タジュリーシュ広場近くのモスクで聞いたアザーンの
ほうがよほどよかったなぁ……。

 日本からメールの中に、嬉しいのが何通かありました。昔お世話に
なった人がNHKの静岡放送局においでになったこと、静岡県社会福祉
協議会からワークショップの依頼があったこと、この春卒業したゼミ生から
の近況報告、等々。みなみな、帰国したら会いにいきたい人ばかりです。

 ちょっと日本が恋しくなった、かな?