「旅の坊主」の道中記:常葉大学社会環境学部・小村隆史の防災・危機管理ブログ

日本唯一の防災学部はなくなっても、DIGと防災・危機管理を伝える旅は今日も続いています。

防災の常識・非常識(その3):災害時、医者&病院に助けてもらいたかったなら……

2014-11-21 23:20:34 | シリーズ「防災の常識・非常識」
東日本大震災についての写真には、何枚もの印象深いものがありますが、
「石巻赤十字病院と思われる病院の前で撮影されたあの写真」と言って
ピンとくる人、読者のみなさんにいるでしょうか。

ジャンパーを着込んでサージカルマスクをした看護師さんと思われる女性が、
ボール紙に「ボランティア募集!」と書いて、胸の前に掲げている写真です。

医療人たるもの、病んだ者また傷ついた者の求めに応じないことはあり得ません。
法律でも規定されていますが、その前に、プロとして絶対に譲れない一線があるはず。
しかし、どんなに熱きハートの持ち主であっても、責任感旺盛の医療人であっても、
物理的に出来ないことは出来ない、それが災害時の現実です。

先月、被災から10年を迎えた新潟県中越地震ですが、
その発災翌朝、小千谷市にある小千谷総合病院の中を撮影した映像が残っています。
嵐のような一晩が過ぎてようやく一段落がつき、
病院内の被災状況を確認に回る横森院長の姿を、
たまたま被災地に入った建築系の小グループが撮影したものです。

それを見ると、医療人がどんなにがんばりたくても「物理的に出来ないこと」、
その様子を見てとることが出来ると思います。

ビデオでは、横森院長は以下のように物語っていますが、
参考までに、それらの発言を「旅の坊主」がどう受け止めたか、
それについてのコメントも、矢印以下で示したいと思っています。

「水の元を止めた。水が復活したらまたここは水浸しになる。」
⇒配管類は震度6強の揺れに耐えられるか否か、確認しておくべき。だが……。

「(臨床)検査はもうダメだね」
⇒ME類の固定状況は?技術的に(あるいは日常運用を考えた時に)固定が難しいものは
機能喪失を覚悟&代替手段の検討をしておくべき。だが……。

「建物は崩壊しなかったからね。」
⇒耐震構造ならば震度6強では致命傷なし、のはず。ただし、水回りは……。

「人工呼吸器をつけていた患者は、みんな長岡へ送ったんだ。」
⇒局所災害ならそれはできる。だが、広域災害、いわんや「スーパー広域災害」の場合は?

中でも注目してもらいたいのが次の発言です。

「すぐ自家発電に切り替わった。でも燃料が40分しか持たなくて、補充が間に合わなくて……。
補充したんだが、冷却水がなくてはダメで。で、信濃川からバケツリレーで水を運んだんだ。
男の職員が……。」

⇒病院の機能維持のためとはいえ、なぜ、専門職である病院職員が、
(バケツリレーのような)単純作業に従事しなくてはならなかったのでしょうか?

一般人の感覚であれば、病院であれ診療所・クリニックであれ、
担ぎ込みさえすれば、お医者様が何とかしてくれる、という期待があります。
災害時であってもその期待は同じ。否、平常時以上の過剰な期待があると思います。

しかし、物理的に破壊されてしまえば、どんなに医療人ががんばっても、
やれることには限りがある、否、やれることはほとんどないのかもしれません……。

「ボランティア募集!」

この写真を見るたびに、病院は、地域住民との間に、どのような関係を持っていたのだろうか、
また、どのような関係性を築くべきなのか、と、考えずにはいられません。

まかりまちがって、「災害時であれ何であれ、皆さんを必ず受け入れます」などという
空手形を乱発していなければよいのですが……。

災害時に院内で覚悟しておくべき被害を、先に示した小千谷総合病院のビデオを見せつつ、
「災害時であれ我々はベストを尽くしますが、どうしても限界があります。」と、
率直に言っているのでしょうか。

「皆さんにお願いがあります。何かあったら病院を助けて下さい。
水汲み、炊き出し、傷病者の整理、倒れたロッカーを立て直して、落ちたカルテを番号順に並べ直すこと等々、
仕事は山ほどあるのです。ぜひ、ボランティアで来てくれませんか?」

「災害時、医者&病院に助けてもらいたかったら、
災害時には病院を助けに行かなくてはならない。」

今まで、そういう医療機関との地域との関係性樹立に向けた動き、
あったんですけれど、日本標準には遠く及ばず、なのでしょうかねぇ……。

防災の常識・非常識(その3):避難所に行かないことが防災!

2014-11-09 18:28:55 | シリーズ「防災の常識・非常識」
祖母が存命中のことだから10年以上前の話ですが……。

祖母の介護にあたっていた母から、「何かあったら避難所に行かなくてはならないの?」と
問われたことがありました。その質問の背景には、災害時には避難所に行くよう言われているが、
避難所の環境は知ればしるほど劣悪で、その中でまともな介護が出来るとは思えないのだが、
という現実的な判断があったから、と思っています。

「旅の坊主」の答えは明確で、もちろん即答しました。
「行く必要はありません。行かないのが防災です。」と。

何も好き好んで劣悪な環境に行って命を危険にさらす必要はないのです。
幸いにも実家は地盤も良く、建物も旭化成のへーベルハウスゆえ、震度7の揺れを受けても全半壊するリスクはゼロ。
「安心して自宅で生活を続けて下さい。」と自信を持って言えた訳ですが……。

日本の防災はどこで間違えてしまったのでしょう。

避難所に行くことを訓練するに、どのような意味があるというのでしょう。
静岡県下では、12月の第一日曜日が県民防災の日であり、今年も県内各地で、
様々に工夫された防災訓練が展開される予定になっています。
ではありますが、その少なからぬものが、「隊列を組んで避難所に行く」ことを訓練メニューとしているであろうことを考えると、
「他にやることがあるはず。」「もっと優先順位の高い訓練メニューはある!」
「避難所に行って何とかなると本気で思っているの?」と言わざるを得ない、
というのが偽らざるところです。

我が身を振り返るならば……。
防災・危機管理のプロを自認する者として、他の訓練メニューを提示しているつもりですが、
それが普及していない現状に、己の力不足を痛感する以外にありません。

今のための防災と将来のための防災。

昨土曜日の四日市市でのワークショップでも改めて感じたことですが、
私達は、今のための防災と20年後のための防災、この二兎を追うことを求められています。

「家が潰れてしまっては生活が出来ない」ので避難所に行く、というのは、もちろん、
わからないではありませんが、ちょっと待って下さい。
震度6強の揺れに耐えられない家に住んでいるということは、いざという時には、
避難所ではなく病院に担ぎ込まれている、あるいは遺体安置所にいるかもしれません。

その可能性が相当高いということは頭の外に追いやった上で、またそのことに手を打たずに、
「隊列を組んで避難所に行く」というのは、申し訳ないですが、「訓練ごっこ」だなぁ、と、
言わざるを得ないと思っています。

20年という時間があれば、「安全な場所に住もう」「安全な土地に住もう」という目標も、
少なくても原理的には十二分に可能です。
何せ人口が減っている&800万棟近い空家のある日本なのですから。

これらをスクラップ&ビルドすれば場所の確保は出来るし、現行基準で建て替えれば
震度7でも実質無傷の家屋耐震性は確保できます。
ということは避難する必要はありません。

避難しなくても済む社会を作ろう、という大目標を掲げることが、
防災・危機管理の世界には求められているはず、なのですが……。

拙ブログの読者のみなさまへ。
相変わらず、皆さんがお住まいの自治体で、避難所に行くことを防災訓練のメニューに掲げているとすれば、
残念ながらあなたの自治体の防災担当者は不勉強です。
でも安心して下さい。
不勉強な防災担当者に「しっかりしろ!」「これくらいのことはやってもらわなくては困る!」と言える制度が
この春から動き出しています。ただし、みなさん地震が知恵を絞ってモデルを作る必要がありますが……。

というのでぜひ、「避難所に行かないことが防災」という地域防災のモデル、
一緒に作っていきませんか?

防災の常識・非常識(その2):自助とは「自分の命は自分で守る」の先にある

2014-10-26 23:08:58 | シリーズ「防災の常識・非常識」
いささか挑発的なタイトルを付けました。

「自分の命は自分で守る」の先とは、一体何を言おうというのでしょうか。

実はこのタイトル、耳目を集めるためのひっかけタイトルです。
自分の命は自分で守る、に、引用を意味するかぎかっこ(「」)がついていることに気付いて下されば、
「旅の坊主」の意図も想像してもらえると思うのですが……。

とある保育園での実例です。
保育士の方が「自分の命は?」と幼子に問うと、
園児たちが「自分で守る!」と答えるのです。

皆さんはこれを微笑ましく感じますか?
それとも、痛々しいと感じますか?

「自分の命は自分で守る」は、
防災の世界で一二を争う有名なコピーです。
しかし、私はこのコピーは大嫌いです。
私が問いたいのはその先、つまり、
「自分の命を守る方法論を一緒に教えていますか?」ということです。

幼稚園児・保育園児にとっての「自分の命は自分で守る」とは、
(幼稚園保育園の先生方が的確な行動を取ってくれることが大前提ですが)、
その先生方(つまり大人)の指示に従う、ということでしょう。
それが、幼子たちにとって、
自分の命を守るためにほぼ唯一実行可能な方法論だと私は思っています。

発達段階や社会的立場の差により、
自助すなわち自分の命を守るための方法論は変わってきます。
問われるべきは、キーワードを(馬鹿の一つ覚えのように)覚えることではなく、
その先に、段階や立場に応じた具体的な方法論を持つことである。

この挑発的なタイトルで私が言いたかったことは、そういうこと、なのです。

コピーの先にある自助の基本は、やはり2つでしょう。
「旅の坊主」流防災論議に慣れ親しんだ方々には毎度の話ですが、
「安全な家に住もう」と「安全な場所に住もう」、
やはりこの2つだと、私は考えています。

自助とは「安全な家に住もう」+「安全な場所に住もう」である、と、
具体的な形で示されたならば、
それを実現するための方法について、考え始めてくれるのではないでしょうか。

私はそのことを期待しています。

目利きになれるか+経済力を確保できるか。

身もふたもないと言われるかもしれませんが、
やはりそこが出発点とならないならば、
それはニセモノ(少なくてもホンモノではない)と言わなくてはならないでしょう。

防災のコピーを覚えることの意味がゼロだとは言いません。
しかし、「毎度おなじみ」のフレーズとなってしまうと、
右の耳から左の耳へと流れていき、モノを考えることにつながらないと思います。

さて、このように書くと、必ず問われることがあります。
すなわち、安全な家でも安全な場所でもない家・場所に住んでいる人は
どうすればよいのか、と。

まさにこれが防災の一大テーマ、
この不定期連載のトップ3に入る重要テーマでもあります。
それへの方法論は数百字で済むような単純な話ではありませんが、
もちろん、追々に応えていくつもりです。期待してお待ち下さい。

シリーズ「防災の常識・非常識」始めました:第1回は「ベストの危機管理とは何か」

2014-10-12 18:59:48 | シリーズ「防災の常識・非常識」
思うところあって、「防災の常識・非常識」について、
「旅の坊主」なりに整理して提示する連続企画を始めてみたいと思う。
時間があったらの話ゆえ、アップは不定期になろうし、何項目書けるかもまだわからない。
間違いや勘違いがないともないとは言えないが、ともあれ、批判を恐れず、まずは書くことを始めたい。
このブログを読んで下さっている方々、コメントなどいただければ大変嬉しく思います。
よろしくお願いします。
(なお、シリーズ「防災の常識・非常識」は、語りかけ口調で書くことにします。)

*****

第1回のテーマには、「ベストの危機管理とは何か」を選びました。
さて、読者の皆さんの「腑に落ちる」語りが出来ましたならばご喝采、ということで。

この言葉、英語のCrisis Managementの直訳ですが、
元々は軍事・国際関係の世界で使われていたとのこと。
危機とは、キューバ危機のような、国と国との間のもめ事を意味します。
(注:米ソが核戦争一歩手前まで行ったと言われる1962年10月の事件)

国益追求は国家の本性ですから、お互いの国益追求が時に衝突を生むのはある意味では必然ともいえます。
しかし、相手の意図の読み間違えや相手からのサインの見落としなどから、
双方ともが望まない結果(甚だしくは核戦争)に陥っては困る訳です。
危機管理とは、そうならないよう、もめ事をうまく処理していくための知恵の集大成、
と考えればよいと思います。

軍事・国際関係上の危機において、双方ともが望まないエスカレーションを避ける、
というのが元々の意味だとして、
日本でこの言葉が防災と絡む形で使われるようになったのは、
やはり1995年の阪神淡路大震災以降のことでしょう。

ただ、そこに、不幸な誤解、あるいは理解の浅さがあったように思えてなりません。

危機管理という知恵の集大成においても、基本は予防、
すなわち危機に陥らないことの重要性が謳われています。
ではなぜ、日本において、防災・危機管理と2つの言葉が並んで使われるようになっても、
予防の重要性が強調されず、危機(災害)へどう対応するかが重要なのだ、
というような間違った解釈がされるようになってしまったのでしょう。
その理由は、私にもわかりません。

「予防に勝る防災なし」「災害対応に防災の本質なし」と、
私は「馬鹿の一つ覚え」のように言い続けていますが、まだまだ理解されていません。

相変わらず、学校の防災訓練は避難訓練です。

「防災行動力を身に付けよう!」という議論はあっても、
「災害危険度の低い場所に住もう!」という主張はほとんど聞きません。

津波に遭い土砂災害の被害を受け、避難やそのタイミング、避難に向けての情報提供のあり方が問われることはあっても、
そもそもその場所がどういう場所かという議論は聞きません。

地震についても「非常用持ち出し袋を持って避難所に行く」と刷り込まれている人が圧倒的多数で、
地震防災の本質は潰れない家に住むこと、と理解している人がどれだけいることやら……。

これでは、東日本大震災という巨大な被害を受けても、
防災・危機管理の本質を理解していない、と非難されても、仕方がないと思います。

「ベストの危機管理は危機に陥らないこと」すなわち「予防に勝る防災なし」。

では予防のポイントは?これは次の機会に。