東日本大震災についての写真には、何枚もの印象深いものがありますが、
「石巻赤十字病院と思われる病院の前で撮影されたあの写真」と言って
ピンとくる人、読者のみなさんにいるでしょうか。
ジャンパーを着込んでサージカルマスクをした看護師さんと思われる女性が、
ボール紙に「ボランティア募集!」と書いて、胸の前に掲げている写真です。
医療人たるもの、病んだ者また傷ついた者の求めに応じないことはあり得ません。
法律でも規定されていますが、その前に、プロとして絶対に譲れない一線があるはず。
しかし、どんなに熱きハートの持ち主であっても、責任感旺盛の医療人であっても、
物理的に出来ないことは出来ない、それが災害時の現実です。
先月、被災から10年を迎えた新潟県中越地震ですが、
その発災翌朝、小千谷市にある小千谷総合病院の中を撮影した映像が残っています。
嵐のような一晩が過ぎてようやく一段落がつき、
病院内の被災状況を確認に回る横森院長の姿を、
たまたま被災地に入った建築系の小グループが撮影したものです。
それを見ると、医療人がどんなにがんばりたくても「物理的に出来ないこと」、
その様子を見てとることが出来ると思います。
ビデオでは、横森院長は以下のように物語っていますが、
参考までに、それらの発言を「旅の坊主」がどう受け止めたか、
それについてのコメントも、矢印以下で示したいと思っています。
「水の元を止めた。水が復活したらまたここは水浸しになる。」
⇒配管類は震度6強の揺れに耐えられるか否か、確認しておくべき。だが……。
「(臨床)検査はもうダメだね」
⇒ME類の固定状況は?技術的に(あるいは日常運用を考えた時に)固定が難しいものは
機能喪失を覚悟&代替手段の検討をしておくべき。だが……。
「建物は崩壊しなかったからね。」
⇒耐震構造ならば震度6強では致命傷なし、のはず。ただし、水回りは……。
「人工呼吸器をつけていた患者は、みんな長岡へ送ったんだ。」
⇒局所災害ならそれはできる。だが、広域災害、いわんや「スーパー広域災害」の場合は?
中でも注目してもらいたいのが次の発言です。
「すぐ自家発電に切り替わった。でも燃料が40分しか持たなくて、補充が間に合わなくて……。
補充したんだが、冷却水がなくてはダメで。で、信濃川からバケツリレーで水を運んだんだ。
男の職員が……。」
⇒病院の機能維持のためとはいえ、なぜ、専門職である病院職員が、
(バケツリレーのような)単純作業に従事しなくてはならなかったのでしょうか?
一般人の感覚であれば、病院であれ診療所・クリニックであれ、
担ぎ込みさえすれば、お医者様が何とかしてくれる、という期待があります。
災害時であってもその期待は同じ。否、平常時以上の過剰な期待があると思います。
しかし、物理的に破壊されてしまえば、どんなに医療人ががんばっても、
やれることには限りがある、否、やれることはほとんどないのかもしれません……。
「ボランティア募集!」
この写真を見るたびに、病院は、地域住民との間に、どのような関係を持っていたのだろうか、
また、どのような関係性を築くべきなのか、と、考えずにはいられません。
まかりまちがって、「災害時であれ何であれ、皆さんを必ず受け入れます」などという
空手形を乱発していなければよいのですが……。
災害時に院内で覚悟しておくべき被害を、先に示した小千谷総合病院のビデオを見せつつ、
「災害時であれ我々はベストを尽くしますが、どうしても限界があります。」と、
率直に言っているのでしょうか。
「皆さんにお願いがあります。何かあったら病院を助けて下さい。
水汲み、炊き出し、傷病者の整理、倒れたロッカーを立て直して、落ちたカルテを番号順に並べ直すこと等々、
仕事は山ほどあるのです。ぜひ、ボランティアで来てくれませんか?」
「災害時、医者&病院に助けてもらいたかったら、
災害時には病院を助けに行かなくてはならない。」
今まで、そういう医療機関との地域との関係性樹立に向けた動き、
あったんですけれど、日本標準には遠く及ばず、なのでしょうかねぇ……。
「石巻赤十字病院と思われる病院の前で撮影されたあの写真」と言って
ピンとくる人、読者のみなさんにいるでしょうか。
ジャンパーを着込んでサージカルマスクをした看護師さんと思われる女性が、
ボール紙に「ボランティア募集!」と書いて、胸の前に掲げている写真です。
医療人たるもの、病んだ者また傷ついた者の求めに応じないことはあり得ません。
法律でも規定されていますが、その前に、プロとして絶対に譲れない一線があるはず。
しかし、どんなに熱きハートの持ち主であっても、責任感旺盛の医療人であっても、
物理的に出来ないことは出来ない、それが災害時の現実です。
先月、被災から10年を迎えた新潟県中越地震ですが、
その発災翌朝、小千谷市にある小千谷総合病院の中を撮影した映像が残っています。
嵐のような一晩が過ぎてようやく一段落がつき、
病院内の被災状況を確認に回る横森院長の姿を、
たまたま被災地に入った建築系の小グループが撮影したものです。
それを見ると、医療人がどんなにがんばりたくても「物理的に出来ないこと」、
その様子を見てとることが出来ると思います。
ビデオでは、横森院長は以下のように物語っていますが、
参考までに、それらの発言を「旅の坊主」がどう受け止めたか、
それについてのコメントも、矢印以下で示したいと思っています。
「水の元を止めた。水が復活したらまたここは水浸しになる。」
⇒配管類は震度6強の揺れに耐えられるか否か、確認しておくべき。だが……。
「(臨床)検査はもうダメだね」
⇒ME類の固定状況は?技術的に(あるいは日常運用を考えた時に)固定が難しいものは
機能喪失を覚悟&代替手段の検討をしておくべき。だが……。
「建物は崩壊しなかったからね。」
⇒耐震構造ならば震度6強では致命傷なし、のはず。ただし、水回りは……。
「人工呼吸器をつけていた患者は、みんな長岡へ送ったんだ。」
⇒局所災害ならそれはできる。だが、広域災害、いわんや「スーパー広域災害」の場合は?
中でも注目してもらいたいのが次の発言です。
「すぐ自家発電に切り替わった。でも燃料が40分しか持たなくて、補充が間に合わなくて……。
補充したんだが、冷却水がなくてはダメで。で、信濃川からバケツリレーで水を運んだんだ。
男の職員が……。」
⇒病院の機能維持のためとはいえ、なぜ、専門職である病院職員が、
(バケツリレーのような)単純作業に従事しなくてはならなかったのでしょうか?
一般人の感覚であれば、病院であれ診療所・クリニックであれ、
担ぎ込みさえすれば、お医者様が何とかしてくれる、という期待があります。
災害時であってもその期待は同じ。否、平常時以上の過剰な期待があると思います。
しかし、物理的に破壊されてしまえば、どんなに医療人ががんばっても、
やれることには限りがある、否、やれることはほとんどないのかもしれません……。
「ボランティア募集!」
この写真を見るたびに、病院は、地域住民との間に、どのような関係を持っていたのだろうか、
また、どのような関係性を築くべきなのか、と、考えずにはいられません。
まかりまちがって、「災害時であれ何であれ、皆さんを必ず受け入れます」などという
空手形を乱発していなければよいのですが……。
災害時に院内で覚悟しておくべき被害を、先に示した小千谷総合病院のビデオを見せつつ、
「災害時であれ我々はベストを尽くしますが、どうしても限界があります。」と、
率直に言っているのでしょうか。
「皆さんにお願いがあります。何かあったら病院を助けて下さい。
水汲み、炊き出し、傷病者の整理、倒れたロッカーを立て直して、落ちたカルテを番号順に並べ直すこと等々、
仕事は山ほどあるのです。ぜひ、ボランティアで来てくれませんか?」
「災害時、医者&病院に助けてもらいたかったら、
災害時には病院を助けに行かなくてはならない。」
今まで、そういう医療機関との地域との関係性樹立に向けた動き、
あったんですけれど、日本標準には遠く及ばず、なのでしょうかねぇ……。