「旅の坊主」の道中記:常葉大学社会環境学部・小村隆史の防災・危機管理ブログ

日本唯一の防災学部はなくなっても、DIGと防災・危機管理を伝える旅は今日も続いています。

新幹線での焼身自殺事件をどのように受け止めるべきか

2015-07-01 23:52:07 | 危機管理
周知のように、昨日昼前、新幹線の車中で71歳の男性が焼身自殺を図り、
その巻き添えで、お伊勢参りの52歳の女性がお亡くなりになった。

神奈川県警察本部は殺人と放火の容疑で捜索を始めたという。
(この2つの容疑については、現象面としてはそうなのかもしれないが、
心のどこかが「それは違う」「それでは悲劇の本質に迫れない&再発防止の一助とならない」
との思いが渦巻いている。)

メディアでは、どのようにしたら再発を防げるのか、危機管理の専門家の発言も取り上げつつ、
いろいろな議論が始まっている。
「旅の坊主」も防災・危機管理を学び教える者の端くれ。
背景情報も不十分な中でモノを言うのは不謹慎と思いつつ、
どのように受け止めればよいのか、暫定的とは思いつつ、少し考えを整理してみたい。

新幹線は高速鉄道ではあるが、同時に大量輸送機関であり、かつ、
最短3分間隔という、極めて高密度なダイヤであるにもかかわらず、滞りなく運行している訳で、
他国では真似できない、一つの奇跡である、とも言えるだろう。

今回のような事故、というよりも故意による危険物持ち込み&放火だが、
意図ある者が危険物を持ち込もうと思ったら「お手上げ」「何も出来ない」というのが現実だと思う。
ダッシュで改札を抜けて階段を駆け上っても飛び乗れるという、この圧倒的な利便性を犠牲にしない限り、
これだけの大量輸送機関で実効性あるセキュリティーチェックが実施可能とはとうてい思えない。

空港同様、麻薬や爆発物、可燃物の取り締まりを行うべく、警備犬による巡回を行えるようにすること、
ランダムで危険物等のチェックを行う、というのは、まだ可能だろうが、
それでも、時間に追われるビジネスマンにまで強制力ある形でセキュリティーチェックに協力させるとなると、
(1列車ないし数列車到着が遅くなる訳で)世間的な理解が得られるとは思えない。

原始的、という声はあろうが、利用者のモラルに訴えかける以外に、
この高速&大量輸送手段の安全性を確保する手段はない、と思う。

焼身自殺を図った方にとって、新幹線というのは、何かの象徴だったのではないだろうか。

生まれ年から思えば、太平洋戦争も敗色濃くなった時期に生まれ、
多感な高校生の時期に60年安保を体験、高度の教育を受けた、という訳でもなく、
高度成長を底辺層で支えていた一人ではないか、と推察される。
晩年が、他人付き合いのある、たまにはお酒も飲めるような、そのようなものであっただろうか。

焼身自殺を図った本人も、このような形で誰かを巻き添えにするような、そのような気はなかったと思う。
悪意があれば、もっと多くの方を道連れにすることも出来ただろう。
本人が思っていたよりも、ガソリンが燃え広がる速度がはるかに速かった、ということではないか。
巻き添えとなった女性の死因は気道熱傷とのこと。
炎をもろに吸い込んでしまったということ、なのだろう。

ご遺族の方には、お悔やみの申し上げ様もない。
ただただ、ご冥福をお祈りするのみである。

「死ぬなら一人で死ね」と言う声は、まことにもってごもっとも。
ただ、人生最後の場所に新幹線を選んだ、というのは、何か、その人なりの思いがあったのだろう。
だからと言って正当化されるものではないが、もっとも影響の小さい場所で決行したところに、
その人なりの配慮があったのではないか、と思われてならない。
もちろん、(すでに名前も明らかになっているが)、この人の行為を正当化するつもりはさらさらないが、
単純にバッサリと切れない、どこかにやるせないものを感じているところ、である。

今後、事件の背景がわかってくるに連れて、別の考え方が出てくるかもしれないが、
今のところは、こんな感じでとらえている。

大学人の社会的責任:安保法制論議に思う

2015-05-27 23:30:56 | 危機管理
昨日夕方のこと。「旅の坊主」の携帯に、登録していない番号からの着信が続いた。

誰だろう?どうやってこの番号を知ったのだろう?と思ってコールバックしたところ、
もう何年もお会いしていないが、在京の某テレビ局に勤める古い友人だった。

前職の防衛庁(当時)防衛研究所時代、友人知人のネットワークを使って声をかけ、
安全保障・防衛に関する若手の勉強会を何回か企画したことがあった。
古い友人は、その勉強会に参加していた一人。

彼からの依頼の主旨はこんなところ。
「現在、硬派の報道番組のスタッフとして働いている。
本格的に始まった安保法制論議だが、これについて特集を組みたい、と思っている。
ついては、現職の自衛官からコメントを取りたいのだが、心当たりの人物はいないか。
また、その仲介を頼めないか。」

「この人であれば」という自衛官に心当たりもなく、断らざるを得なかったのだが、
また仮に「彼(ないし彼女)であれば!」という心当たりがあったとしても、断ったと思う。
発言者が特定されないよう処置されるとしても、彼ないし彼女の将来に深刻な悪影響を与えかねないものに、
携わらせることは出来ない、と思った。

「自衛隊員の服務の宣誓」という筋もある。「政治的活動に関与せず」の一節は重い。

「私は、わが国の平和と独立を守る自衛隊の使命を自覚し、日本国憲法及び法令を遵守し、
一致団結、厳正な規律を保持し、常に徳操を養い、人格を尊重し、心身をきたえ、技能をみがき、
政治的活動に関与せず、強い責任感をもつて専心職務の遂行にあたり、
事に臨んでは危険を顧みず、身をもつて責務の完遂に務め、
もつて国民の負託にこたえることを誓います。」

自分がこの制約に反して政治的な発言を行い、自分が処分されるならば、自業自得というもの。
しかし、他人に対して、処分のリスクがあることに携わらせることはやはりできなかった。

まぁ、それはそれとして。

そもそも社会的に極めて発言しにくい立場にある現職自衛官をどうこう言う・言わせるのではなく、
一応は大学人の端くれ、ということは(我ながら多いに気恥ずかしいところなのだが)知識人の端くれ、
己が果たすべき社会的な役割を果たしているのか、そのことを考えずにはいられなかった。

多少なりとも特異な経歴を積んで今に至っている身。
自意識過剰と言われるだろうが、「旅の坊主」にしか出来ないこともあるのではないか、
そう思うところもあった。

与野党の議席数を考える時、この安保法制の行く先は、
「賛成多数、よって本案は可決しました。」となることは明らか。

NHK総合テレビで日々中継されているものも、所詮は答えの出ている「出来レース」。
「セレモニー」あるいは「アリバイ作り」が行われているのを、黙って見ているしかないのか。
そう問われるならば、やはりNO!と言っておきたい。

若かりし時分に大変お世話になり、その後、内閣官房副長官補まで勤められた柳沢協二さんが、
己の存在を賭して発言をしている。
決めるのは政治家としても、お仕えする官僚として言うべきことを言ったのか。
ここで言うべきことを言わなくては生涯に悔いを残す、というその思いの強さ深さ、いわば男気。

それに比べて己は、学生相手にぬるい講義をしていて、大学人としての役割を果たしているのか、
知識人の端くれとして、言うべきことを言い、書くべきことを書いているのか。

古い仲間からの電話は、そのことに気付かせてくれた。Sさんに感謝したい。

ただ……。

「返す刀で……」とまでは言わないが、「メディアの社会的責任」についても考えさせられた。
硬派の報道番組と言っても、基本は外部の有識者なり当事者のコメントが中心となるであろうこと、
容易に想像できる。
「主戦場」は異なろうとも、柳沢協二さんのように己の存在をかけて「おかしいものはおかしい」というマスコミ人、
そういう「土性骨を据えた」「専門性を持つ」ジャーナリストは、在京某テレビ局にはいないのか?

まぁ、そこは問うまい。

このままでは、100%間違いなく、自衛官が殺し殺される場面に立たされる。
決まっていないのは、それがいつか、ということだけ。

大学人・知識人の端くれとして、
「己に出来る限りのことはやった。しかし、力及ばずであなたを死なせてしまった。本当に申し訳ない。」
いずれ起こる戦死者の御霊に対して、そう言って頭を垂れる、それだけのことを己はしているだろうか。

北陸電力・志賀原発を巡る議論に一言:一流企業としての「矜持」を取り戻してほしい!

2015-05-16 22:25:59 | 危機管理
数日前に書きかけだったことだが、そのまま「お蔵入り」させるには不本意ゆえ、
いささか気が抜けた感もない訳ではないが、アップさせてもらうことにした。

防災・危機管理に携わる者として、去る5月13日の報道には幾つもの気になることがらがあった。
(ついでに言えば、翌5月14日分の報道にも、一言言いたくなる事が幾つもあったのだが……)、
その中から一つ、石川県の志賀原発の施設内にある「もの」が断層か否かの議論について、
一流企業としての「格」「徳」「誇り」「矜持」といった観点から少し考えてみたい。

メディアに流れたものを見る限りだが、今回の専門家グループと北陸電力側との議論を聞いていて、
理学を専門としない「旅の坊主」には、その「もの」が何物なのかを判断する力はないが、
「予防に勝る防災なし」「問われるべきは立地と構造」の世界に生きている者として、
北陸電力の偉いさんの発言に、一流会社として「情けない」「みっともない」という印象を
受けざるを得なかった。

つまりは、「もの」が何なのか、の検討よりも低いレベルで、
「勘弁してくれ」(そのスタンスは一流企業としてないでしょ?)ということ。

一流企業には「格」「徳」「誇り」「矜持」と言った言葉で表現されるようなものがある。
(多少の願望なり希望も入ってのことではあるが、それくらいの期待に応えてナンボでもあろう。)
企業たるもの、利益を上げなくてはならないことを否定するつもりはもちろんない。
しかし、横綱が横綱相撲をせず、ひたすら勝ちにこだわるような相撲をしては、世間は納得すまい。
志賀原発の敷地内にある「もの」が何なのかについての「主張が受け入れられず云々」のコメントには、
横綱相撲にも似た、一流企業に求められる風格の片鱗も見ることが出来なかった。
さみしい限り。

防災・危機管理を語る上で、まず問われるべきは立地と構造、を伝えている身。
構造についても言わなくてはならないことは幾つもあるが、まずは立地について。
普段であれば、「医療機関」「社会福祉施設」「学校」「行政の拠点」の4つを列挙しているが、
もちろん、原発のような施設についても、否、原発のような超重要施設についてはなおさら、
本気で立地を考えなくてはならないはず。

何せ、何かあった場合の社会的影響の甚大さ、
有り体に言えば、原発事故発生時の被害の及ぶ範囲&時間的長さは半端ではない。

であればこそ、施設内の「もの」が断層か否かは、立地検討の段階で議論すべきのもの。
かつ、「君子危うきに近づかず」ではないが、今回のような評価が分かれるような場所はそもそも避けるべき。
超重要施設ゆえの、「そもそも疑わしきは避ける」が、防災・危機管理の観点からしても、
大原則ではないか、と思う。

建ててしまってから「断層だ」と言われ、それに対して、
「否、断層ではない」と反論することを「みっともない」と言っているのではない。

「どうのこうの」言われるような場所に建てたこと自体、一流企業としてそもそも「みっともない」、
そういうレベルではないのか、ということ。

少なくても、「安全性を十分考慮しています」となんぞ、恥ずかしくて言えないレベル、であろう。
そう思わざるを得なかった。

もちろん、
「そんな『甘っちょろいもの』で原発の立地なんぞ決まっていないぞ」
「そんなことも知らんのか、このボケ!」
等々の声が聞こえてくるだろうことは百も覚悟の上。

歴史(現実)に倫理性を求めてはならない。
その程度のことは理解しているつもり。

(それにしても、日本の歴史を美化したがる者がなんでこんなに多くなってしまったのだろう……。
それだけ、自信がなくなってしまったのか、歴史・現実と倫理の区別すらつかないくらい、
知的な劣化がひどくなってしまったのか……。)

三流以下の企業・組織体であれば、人間社会の醜い部分が表に出てきて、
そしてそれで物事が決まることもままある話、とは思っている。
(かくいう本学でも、過去には、とてもじゃないが外には伝えられないような、
デタラメ極まりない話が幾つもあった。)

しかし、一流企業であれば、否、一流企業であればこそ、美醜を考えた振る舞いをしてくれ、
と言いたい。

カツカツの企業に「立ち居振る舞いの美しさ」を求めている(期待している)のではない。
北陸地域をリードしていくべき、押しも押されもせぬ大企業が、「筋論」に反することを恥ずかしげもなく主張する姿、
「旅の坊主」にとって、これは醜悪であった。

問われるべきは「立地」と「構造」。
そして、「君子危うきに近づかず」「李下に冠を正さず」。
あり得ないことを望んでいる訳ではないと思うのだが……。

(それとも、そもそも一流企業であろうと、その種のものを求めるのは間違いなのか?)

安保法制閣議決定の首相記者会見に思う

2015-05-14 23:05:28 | 危機管理
18時からの安保法制閣議決定に関する首相記者会見を聞く。

すでに与党協議(=自公合意)が成立しており、アメリカへの報告も済んだ以上は、
国会での多少の議論はあろうともいわばガス抜き、このまま関係法案が成立することになろう。
(「出がらしのお茶」という表現もあるのだそうな。国会論議に中身はない、ということね。)

TPPの協議にも同じ臭いを感じるのだが、声高に議論されている部分ではないところに、
一連の動きの本質がある。

逆にいえば、そのことをカモフラージュするためにこそ、絵や模型が用いられている、と理解すべき。
まぁ、そのことは、イロハのイ、初歩の初歩。

多少なりとも防衛・軍事をかじった者としては、メディアで流されている表向きの説明で納得するほど、
またその種の説明にリアリティーを感じるほど、馬鹿ではないつもり。

安全保障環境が厳しさを増している?北朝鮮の弾道ミサイルが日本を狙っている?

中国はアメリカと事を構えるほど愚かではなく(「金持ち喧嘩せず!」)、
もちろんアメリカも、中国と事を構える気はさらさらない。
北朝鮮最大の政策目標はアメリカに存在を認めてもらうことゆえ、アメリカには決して手を出さない。
(核兵器を持たなければただの最貧国ゆえ、アメリカがまともに相手をするはずもなく、
逆に言えば北朝鮮の核兵器は対米交渉「入場券」&販売用であって使うためのものではない。)
テロの犠牲が語られているが、テロの原因はどこに?若者をしてテロリストに追いやっている者は誰?
明日を信じられるうちは、人はテロには走らない。
「食と職」を作る仕事にこそ本気で力を入れるべき、ではなかったか?

「130億ドルは砂に消えた」は、湾岸戦争時の日本の国際貢献(の失敗)を描いた
手嶋龍一氏による『外交敗戦』のサブタイトル。
では、これから先、今回の選択(とその延長上で起こること)で失われることになる自衛官の生命は、
いったい一人何円に換算されるのだろう……。

70年間、戦争で人を殺しもせず、殺されもせず、の日本だったが、
今後日本社会は、戦死者の存在に耐えられるのだろうか。
また、日本の平和と独立を守るため、ではなく、いかに同盟国とはいえ他国のために人を殺した者を、
どうやって受け入れるのだろうか。
そもそも、受け入れられるのだろうか。

一つだけ、具体例を示しておきたい。
重要影響事態法案第3条(定義等)は、以下のように述べる。

三 捜索救助活動
重要影響事態において行われた戦闘行為によって遭難した戦闘参加者について、
その捜索又は救助を行う活動(救助した者の輸送を含む。)であって、我が国が実施するものをいう。

大規模災害時における捜索救助活動(SAR)とは根本的に異なる性格のものであることは明白。

「現に戦闘行為(国際的な武力紛争の一環として行われる人を殺傷し又は物を破壊する行為をいう。以下同じ。)が
行われている現場では実施しないものとする」(同法案第2条第3項)とあるものの、
現代戦において前線と後方の差は実質的に意味をなさないことは、多少とも軍事を学んだ者には常識のはず。

軍事的任務としての捜索救助活動で敵味方双方ともに犠牲者が出ないなんぞあり得ん!
(威嚇射撃したら敵はしっぽを巻いて逃げていくとでも言いたいのだろうか……。)

未だに日本がアメリカの軍事的占領下にあることは否定し難いとしても、それにしても、
「シッポを振る」ではなく「シッポは振り切れている」と言われている日本。

「世界の警察官」役を独力で担う力を失いつつあるアメリカにとって、
小なりとはいえ「カモが葱を背負って」、つまり人も金も物も出すというのだから、
アメリカの歓待もリップサービスとしては安い物、か……。

ここまで日本は堕ちてしまったのか、とも思い、もちろん空しさを感じない訳でもないが、
その一方で、「言っても無駄」「何をいきがっていることやら」と言われようとも、
やはり、発言をし続けなくてはならない、とは思った。

「静岡県危機管理専門職連絡会議」で自衛官OBの皆さんに話をさせていただく

2015-03-05 23:47:42 | 危機管理
午後、静岡県地震防災センターで行われた標記会議に出席させていただく。

県下の自治体には、全国最多の17名の自衛官OBが危機管理の専門職として勤めている。
(10市に12名+県に5名)
これらの自衛官OBと県危機管理局(出先を含む)、さらに自衛隊静岡地方協力本部の方々、
合計20名余が会議に出席。

11年間、自衛隊員(階級章のない研究職)として防衛研究所に勤めていた「旅の坊主」にとっては、
いわば古巣の方々を相手に、1時間ほど防災の話をさせていただいた。
(実際、参加者のうち1名は直接お世話になっていた方でした。)

以下、概略を示すならば……。

1 (諸先輩には大変申し訳ないながら)自衛隊の災害派遣は、防災の全体像からすれば、
「端パイ」に過ぎないことを理解してもらいたい。

防災は「予防+応急+復旧・復興」の3本柱からなる。
特に、「予防に勝る防災なし」「災害対応に防災の本質なし」であり、
まずもって追求すべきは「立地と構造」。
防ぎ得なかった被害に対応するのが自衛隊の災害派遣を含む災害対応であるが、
これらはいわば戦闘レベル、多少大きくても戦術レベルの話。
「避難しなくて良い場所に住む」「重要施設は被害を受けないような場所に建てる」等々、
戦略目標を追求してナンボ。
この部分を、間違って解釈して下さるな。

そして、駿河トラフ・南海トラフ沿いの巨大地震を考えた時、
被災地はあまりに広く、その広さに対して自衛官の数はあまりに少ない。
基礎的自治体の一員として、住民に「正しい」防災教育をお願いしたい。

2 静岡の防災人と人的なネットワークを持ってもらいたい。
名刺交換から一歩進んで携帯番号の交換を。さらに一歩進んで一緒に飲み議論することを。
「旅の坊主」も静岡では地侍ゆえ、間を取り持つことはするので、
遠慮なく申し出ていただきたい。

3 自衛官時代に体得した、防災を物語る上での「最強の武器」、すなわち、
「地図を読めること」を活かしてほしい。

釈迦に説法のところがあるのは百も承知。
ただ、防災人26年生、静岡人15年生の身として、皮膚感覚として培ったものもある。
静岡の防災人の飲み仲間は山といる。
こういう方々とつながってもらえれば、お互いに良い刺激を与えあえるのではないか、と。

いささか理想に走ったとは思いつつも、最初から現実に妥協することはない、と思う。
古巣の皆さんと、再び共に仕事が出来ることを喜びつつ、
己の果たすべき役割を果たすのみ、と、改めて思ったところであった。

その後、大変素晴らしい時間を過ごすことが出来たのだが、それは稿を改めて。