「旅の坊主」の道中記:常葉大学社会環境学部・小村隆史の防災・危機管理ブログ

日本唯一の防災学部はなくなっても、DIGと防災・危機管理を伝える旅は今日も続いています。

防災の常識を高めなくては!

2015-05-31 23:54:10 | 災害
一昨日、昨日と、幸いにも人的被害は軽微だったものの、全国ニュースとなるような災害が発生した。
冷っとさせられたのは、口永良部島の、島の中心的な地区からもっとも離れた場所にある区長が、
住民が全員無事だという情報を伝えるべく、火砕流の危険のある場所を駆け抜けていったというもの。
(NHK総合TVでの放送を、「旅の坊主」もチェックしていた次第。)
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20150531/k10010098611000.html

気持ちはわからないではないが、議論の余地なく無謀の一言。
幸いにも、この方の移動のタイミングを外して噴火活動がなされたからよかったようなものの、
下手をすれば、文字通り「死なずに済んだはずだったのに……」、となってしまった。

「人数チェックの報告なんぞ、後でも出来る!」

しかもこの場合、全員揃っていた。良い情報は後回しに出来る。
島外に避難が完了した後の報告でもまったく問題ないものだった。
たとえ人数が揃っていなかったとしても、危険を冒してまで報告する必要があったかどうか、
大いに疑問とするところ。

使命感や責任感を否定するものではないが、今後の火山防災を考える上で、
「決して繰り返してはならない教訓」として、伝えていくべきだろう、と思った。

昨日の小笠原列島周辺での地震について、地震の規模と震源の深さが訂正された。
この種の訂正は当然ある訳で、驚くには値しない。
ただ、この訂正も含めて、防災の常識のレベルを高めることの必要性を改めて感じている。

最初に出る震源情報は、100%正しいとは限らないのです。でも目安には十分。
ついでに言えば、この震源の深さであれば津波は起こるか起きないか、は、ピンと来てほしい。

東京の超高層ビルで、エレベーターが停止した、という話がニュースネタとなっているが、
これは、いわゆるニュースバリューのあるものなのだろうか?
震度3や震度4でエレベーターが止まってもらっては困る、という気持ちはわからないではないが、
たとえ十分な制震装置が装備されていたとしても、揺れるものは揺れる。
それゆえ「念のための安全を考えて、点検するまでは動かしません」というのは、
施設管理者側の配慮として当然のことと思う。
もちろん、利用者側としても「当然の配慮がなされたのだな」と思えばよいだけの話。
よしんば、他のエレベーターも含めて運転を一旦停止し、階段を下ることになったとしても、
「運動不足解消だ」くらいのつもりでいれば、イラつくこともあるまい。

震度5強や震度5弱のレベルでは、鉄道の線路に物理的な被害が出るとも考えにくい。
もっとも、最大震度6弱で東名高速の盛土を持って行かれた事例もあった訳で、
物理的被害は完全にゼロだ、との保証は出来ないが、それでもまぁ、深刻な事態が起こるとは思えない。
(2009年8月11日に発生した駿河湾沖での地震。最寄ICでの計測震度は5強~6弱。
当該場所は盛土であり、例外的なものだとは思う。)

ということは、安全確認のために数時間を要することはあろうが、
物理的な破壊とその修復が必要な事態はまず起きない訳であり、
そのことをピンと来たならば、腹のくくり方はいくらでもある、と思う。

いずれ、地域安全学会等で、昨日の対応についての報告などもなされるだろうが、
メディアからの個別具体的な被害情報がなかったとしても、震源情報だけでもかなりのことがわかる。
ここで述べているレベル程度まで、日本の防災の常識を高めていくためにはどうすればよいのか。
改めてそんなことを考えている。

小笠原でのマグニチュード8.5、最大震度5強の地震発生に

2015-05-30 23:39:46 | 災害
久しぶりに土曜日夜、NHK総合TVで「超絶 凄技!」を見ていた時のことだった。
(この時間帯で見るのは初めてだったのだが……。)
小笠原で震度5強の揺れがあったとのことで、全国中継に切り替わった。
震源の規模を示すマグニチュードは8.5、震源の深さは590km(いずれも速報値)、とのこと。

昨日に引き続き、実災害の発生について、ブログで書くことになるとは思わなかった。
それはそれとして、素人さんとは一味違うものを書けるだろうか……。

で、考えてみた。
過去の経験(の蓄積)から、特に考えずともこれらの数字から読み取っているもの、
イメージしているものは何か。
そして、一般の人であれ、その数字を読み解けるようになれば、何がイメージできるようになるのか。

地震のメカニズムについては、地震学者による解説を待つこととしたい。
ただ、耳学問のレベルではあるが、あの場所(小笠原海溝周辺)でのマグニチュード8.5であれば、
太平洋プレートがフィリピン海プレートに潜り込んでいる場所(の延長上)であろう。
プレート境界での発生か、プレート内部での発生か、あるいはそれ以外かは、「旅の坊主」の知識ではわからない。
また、それらがどのような影響をもたらすのかも、わからない。

ただ、マグニチュード8.5は極めて大きな地震ではあるが、深さ500km近い場所で発生した地震ゆえ、
実害は少ないであろう、との見立ては成り立つ。

発災直後に、内閣危機管理監と防衛省出身の内閣官房副長官補が、官邸情報センターに入ったとの報道もあった。
大きな実害が出ているとは思っていないだろうし、つまりは、判断を求められる事態は起きないだろう、と思っていることと思うが、
で、多分、そのような見込みで問題ないと思うが、
それも、中央省庁の責任者が果たすべき一つの役割(機能)と言うことも出来るだろう。

個人的には、5強で情報センター入りは、しきい値が低すぎるとは思っている。
ファースト・レスポンダーでも地元市町村でもない、中央省庁も含めてが動かなくてはならないのは、
震度6強以上でよいのでは、と思っているが、まぁ、それはそれとして。

一部に例外(この場合は脆弱な場所と言うべきか?)はあるだろうが、
幸いにも、震度5強ないしそれ以下の揺れであれば、実害はほとんど出さずに済むレベルまで、
日本社会の耐震性は上がってきている

ただ、これを一つの「自己を振り返る」良き機会として、
今回はこのレベルで済んだが、これが震度6強だったら、震度7だったらどうなるのか、と、
自分の周囲を見直す機会としてもらえれば、ということ、なのだろう。

本当にたまたまの偶然なのだが、
今日午後、本学社会環境学部の1年生は、静岡県地震防災センターを訪問していた。
施設見学と地震防災啓発ビデオの視聴、
そして「旅の坊主」にとっても古くからの仲間である、地震防災アドバイザーGさんの講話、というプログラム。

1年生諸君は、Gさんの講話を聴いて、そして、今日のM8.5、震度5強の地震に、
何を思ったことだろう……。

口永良部島の噴火に

2015-05-29 23:56:24 | 災害
口永良部島が噴火した、とのこと。

メディアからの情報のみで、状況を十分把握している訳ではないが、
平素からの島外避難の準備が奏功したというのは、何よりであった。
(もちろん、奏功した要因に、避難を要する人数が少なかったということを忘れてはならないが。)

今回は仕事で出席することが出来ないが、今日・明日と、伊豆大島で地域安全学会が開催中。
伊豆大島も全島避難を体験した火山島。学会の懇親会は、全島避難論議で盛り上がっていることと思う。

火山学者でも地球物理学者でも、理学者ですらない「旅の坊主」としては、発言を慎むべきかもしれないが、
マクロな理解で言えば、東日本大震災でのエネルギー開放による間接的な影響はあったのだろう。

地震大国であるのみならず、火山大国でもある日本・日本列島である。
普段は恵みをもたらすが、時たま荒れ狂う自然とどのように付き合っていくのか。
これは、いわばこの島国の上に住む者にとって、永遠のテーマとも言うべきもの。
ただ、そのことをあまりに忘れていたのでは?

相手が自然ゆえ、帰島の見込みなど、今後のことは神のみぞ知る、となる。
そう長くないうちに帰島できることを祈るのみ、である。

うーん……。何も言っていないのに等しい。
これでは、防災・危機管理のプロのブログには値しないなぁ……。

学生を大化けさせるために必要な3つのポイント

2015-05-28 23:57:37 | 小村ゼミ
木曜日はゼミの日。
同僚の教員には、3年生向けに1コマ、4年生向けに1コマ、と横割りで行っている者もいるが、
小村ゼミは2学年一体運営で2コマ連続、かつ、他学年生and/or他ゼミ生の出席も認めているので、
入学から2ヶ月弱の1年生も含め、学年入り混じっての議論が展開されている。

「先輩から学び後輩を育てる」を重要なポイントとして考えており、その意味で、
今、何をやっているのか、近況報告に重きを置いているのだが
(後輩からすれば、○年後の自分が何をするのかのイメージ作りであり、
先輩からすれば、○年前に××をやっておけばよかった、との「轍を踏まないように」のメッセージ発信)
先輩や同期、後輩の活動報告があっても、ピンとこない者もいるのが実態。

今日、実際にあった悲しい話。

昨晩、沼津市の危機管理課や沼津消防、沼津市社会福祉協議会、
沼津市在住の防災ボランティア・コーディネーターらとの飲み会があった。
ゼミ生のうち2名に危機管理の仕事をイメージさせるべく、危機管理課にインターン受け入れをお願いしているのだが、
その危機管理課長以下が顔を出して下さるせっかくの機会なので、両名も連れて行き、関係者にご挨拶をさせた。
飲み会に引き続き、〆のラーメンまで、沼津消防や危機管理課の方々とご一緒させてもらったらしい。

で、そのような状況が、出席した両名から近況として報告されたのだが、
「沼津消防を受験したいと言っている公務員志望の3年生クン」は、顔色一つ変わらない。

ゼミ終了後、その学生と1時間ほど話をした。

多分そうだろう、とは思っていたが、
自分が勤めたいと思っている職場の雰囲気を事前に知る、ということの意味も、
その職場で活躍しているゼミの先輩とお酒を共にしながら、いろいろな話を聞かせてもらうことの意味も、
ひょっとして面接官になるかもしれない組織の幹部の方に顔と名前を覚えてもらうことの意味も、
何一つ、理解していなかった。

これが現実なのだ、ということは、わかっているつもりだが、
がんばっている者とがんばっていない者の差がここまで大きいのかと思うと、さすがに悲しくなる。
格差社会の現実を直視させるべく開講している「現代社会と安全」という科目も履修していない。
履修していない学生にも、配布資料を多めに刷って配り読ませているのだが、それも読まない。
で、「物は試し」と音読させてみたが、もちろん、まともに読める訳もない。
……。

Fラン地方私大の現実は嫌というほど理解しているつもりだが、さすがに悲しいものがあった。

その後、かわいそうと思わないでもなかったが、彼にはお引き取りいただいた上で
(鍛え甲斐のある学生は応援するが、一定レベルに達しなければ応援しない。)
4年生2名、3年生2名、2年生1名、1年生4名、にゼミ担任である「旅の坊主」も加えて10名で、
(いつもの「丸天」木曜定休なので)「ステーキのあさくま」にて学生ハンバーグ。

学生の成長ぶり、今日の場合はコミュニケーション能力がぐんぐん上がっているのを目の当りに出来ること、
これが、教員をやっている「ご褒美」なのだろう、と思っている。
2年生Nの大化けぶりは、1年次に毎週顔を合わせていた身からしても、見事であった。
で、考えた。学生を大化けさせるためには、何が必要なのだろうか。

当たり前過ぎることなのだろう、とは思うものの、3点に整理できるのではないだろうか。

一 しっかりと時間と使うこと。時間を使って学生と向き合うこと。
二 教員である自分が教える、ではなく、先輩・同期・後輩・他の社会人といった
 さまざまな関係性の中に当該学生を置き(引っ張り出し)、その中で鍛えること(鍛えてもらうこと)。
三 前二者を具体化するために、しっかりした場所・場面を作ること。そのためにお金を使うことを厭わないこと。

中米での1年の生活と、その折り返し点で発生した東日本大震災を経て、2012年春から本格始動した新生小村ゼミ。
1期生、2期生を送り出し、現4年が3期生、1年生が6期生になる。

有り難いことに、学生が良く育ってきてくれている。
学生と学生の間の、いじり・いじられ、ボケ・突っ込みを見ていて、本当に幸せな気持ちになるが、
自分の力で作れたものではない、ということを、しっかり自分に言い聞かせておかなくては、である。

ただ、文章力なり本を読む習慣なりアカデミックな意味での議論の力なりをつけさせるのは、教員の仕事。
そこは改めて仕掛けを考えなくては、でもあった。

大学人の社会的責任:安保法制論議に思う

2015-05-27 23:30:56 | 危機管理
昨日夕方のこと。「旅の坊主」の携帯に、登録していない番号からの着信が続いた。

誰だろう?どうやってこの番号を知ったのだろう?と思ってコールバックしたところ、
もう何年もお会いしていないが、在京の某テレビ局に勤める古い友人だった。

前職の防衛庁(当時)防衛研究所時代、友人知人のネットワークを使って声をかけ、
安全保障・防衛に関する若手の勉強会を何回か企画したことがあった。
古い友人は、その勉強会に参加していた一人。

彼からの依頼の主旨はこんなところ。
「現在、硬派の報道番組のスタッフとして働いている。
本格的に始まった安保法制論議だが、これについて特集を組みたい、と思っている。
ついては、現職の自衛官からコメントを取りたいのだが、心当たりの人物はいないか。
また、その仲介を頼めないか。」

「この人であれば」という自衛官に心当たりもなく、断らざるを得なかったのだが、
また仮に「彼(ないし彼女)であれば!」という心当たりがあったとしても、断ったと思う。
発言者が特定されないよう処置されるとしても、彼ないし彼女の将来に深刻な悪影響を与えかねないものに、
携わらせることは出来ない、と思った。

「自衛隊員の服務の宣誓」という筋もある。「政治的活動に関与せず」の一節は重い。

「私は、わが国の平和と独立を守る自衛隊の使命を自覚し、日本国憲法及び法令を遵守し、
一致団結、厳正な規律を保持し、常に徳操を養い、人格を尊重し、心身をきたえ、技能をみがき、
政治的活動に関与せず、強い責任感をもつて専心職務の遂行にあたり、
事に臨んでは危険を顧みず、身をもつて責務の完遂に務め、
もつて国民の負託にこたえることを誓います。」

自分がこの制約に反して政治的な発言を行い、自分が処分されるならば、自業自得というもの。
しかし、他人に対して、処分のリスクがあることに携わらせることはやはりできなかった。

まぁ、それはそれとして。

そもそも社会的に極めて発言しにくい立場にある現職自衛官をどうこう言う・言わせるのではなく、
一応は大学人の端くれ、ということは(我ながら多いに気恥ずかしいところなのだが)知識人の端くれ、
己が果たすべき社会的な役割を果たしているのか、そのことを考えずにはいられなかった。

多少なりとも特異な経歴を積んで今に至っている身。
自意識過剰と言われるだろうが、「旅の坊主」にしか出来ないこともあるのではないか、
そう思うところもあった。

与野党の議席数を考える時、この安保法制の行く先は、
「賛成多数、よって本案は可決しました。」となることは明らか。

NHK総合テレビで日々中継されているものも、所詮は答えの出ている「出来レース」。
「セレモニー」あるいは「アリバイ作り」が行われているのを、黙って見ているしかないのか。
そう問われるならば、やはりNO!と言っておきたい。

若かりし時分に大変お世話になり、その後、内閣官房副長官補まで勤められた柳沢協二さんが、
己の存在を賭して発言をしている。
決めるのは政治家としても、お仕えする官僚として言うべきことを言ったのか。
ここで言うべきことを言わなくては生涯に悔いを残す、というその思いの強さ深さ、いわば男気。

それに比べて己は、学生相手にぬるい講義をしていて、大学人としての役割を果たしているのか、
知識人の端くれとして、言うべきことを言い、書くべきことを書いているのか。

古い仲間からの電話は、そのことに気付かせてくれた。Sさんに感謝したい。

ただ……。

「返す刀で……」とまでは言わないが、「メディアの社会的責任」についても考えさせられた。
硬派の報道番組と言っても、基本は外部の有識者なり当事者のコメントが中心となるであろうこと、
容易に想像できる。
「主戦場」は異なろうとも、柳沢協二さんのように己の存在をかけて「おかしいものはおかしい」というマスコミ人、
そういう「土性骨を据えた」「専門性を持つ」ジャーナリストは、在京某テレビ局にはいないのか?

まぁ、そこは問うまい。

このままでは、100%間違いなく、自衛官が殺し殺される場面に立たされる。
決まっていないのは、それがいつか、ということだけ。

大学人・知識人の端くれとして、
「己に出来る限りのことはやった。しかし、力及ばずであなたを死なせてしまった。本当に申し訳ない。」
いずれ起こる戦死者の御霊に対して、そう言って頭を垂れる、それだけのことを己はしているだろうか。