「旅の坊主」の道中記:常葉大学社会環境学部・小村隆史の防災・危機管理ブログ

日本唯一の防災学部はなくなっても、DIGと防災・危機管理を伝える旅は今日も続いています。

日曜日の午後、スタバでコーヒーを飲みつつ、特別支援学校の災害対策について議論する

2019-04-07 22:08:09 | 地域防災
前期講義開始日を翌日に控えた日曜日午後の話。

県立特別支援学校に勤める知人から頼まれ、
富士市内に住む者同士ということもあり、中央病院近くのスタバで2時間ほどコーヒー。
県の防災教育指定校になって2年目になるに当たり、お手伝いいただけないか、とのこと。
説明を受けつつ、こちらも思うところを述べさせてもらう。

その日の夜、FBに顛末をアップし、
その延長で「特別支援学校の災害対策を考えるFBグループ」を立ち上げることになり、
しばらくそれに忙殺されることになるが、それは後の話とする。

その時の議論を整理するなら、こんな感じ、か。

1.
何かあったら児童生徒自宅に帰宅させる、というのは当然の行動。
だが、それだけではなく、一週間程度のいわば「ショートステイ」を覚悟し、またイメージして、
必要備品・什器・医療器具等々の備蓄が求められるのではないか。
公共交通機関と道路交通網に甚大な被害が必至の大規模災害の場合、
無理に帰宅させることが身体的精神的な負担となり、最悪の場合致命的な結果をもたらしかねない。
これは帰宅経路に津波浸水危険区域がなくても、の話。
避難所の「体育館での雑魚寝」のような論外はともかく、
各特別支援学校で、緊急宿泊を念頭に置いた準備の状況について、しっかり調べる必要性がある。

2.
典型的には保育所やデイサービス等々に表れているが、
大規模災害時も平常時と同じく、預かってくれる施設や人がいればこそ、
保護者が社会的活動に携わることが出来るという現実がある。
大規模災害時の特別支援学校にも同じ社会的役割が求められているのではないか。

3.
地域の避難所としても指定されているとのこと。
であれば、地域の方々に平常時から積極的に働きかけ、支援者になってもらえるようにすること。
キーセンテンスはこんな感じ。
「特別支援学校の児童生徒の生命と健康を守るお手伝いをお願いします。」
「一部例外個所は除き、原則的には学校の施設等は(善管義務の範囲内であれば)自由に使っていただいて構いません。
その際、自主運営組織を立ち上げていただけるなら私たちとしても大変助かります。」
「私たち教職員は、一義的には児童生徒の支援に当たらねばならず、皆さんのお世話は出来ません。
そのことは理解しておいて下さい。」

4.
教職員とその両親の自宅の耐震性と立地を確認しておくこと。
(この場合の立地とは、津波と山がけ崩れ、堤防崩壊による浸水の危険性把握のこと。)
家族を見捨てて職務に専念することを美談にしてはならない。
(この場合、例えば臨時ショートステイ施設となる学校に一週間程度とどまらざるを得ないこと。)
なお、安否確認システムに安の情報がない場合であっても、安否確認チームを派遣する余裕はないことは、
予めしっかり伝えておくこと。

5.
避難訓練ではなく、施設内のKYT(危険予知訓練)を。施設内DIGと呼んでも構わない。
ロッカー等の固定状況は「三角定規のイメージ」で!
床が30度、45度、60度になったとして、「すべりませんか?」「倒れませんか」。
施設内DIGのキーワードは「漏れる、燃える、倒れる、崩れる、落ちる、
こぼれる、止まる、外れる、飛び出す、ぶつかる、動きまくる」、辺りか、と。

(4月9日、さかのぼってアップ)


ポーランドとドイツへの旅(その2):ニュルンベルグ裁判記念館

2019-04-06 23:17:57 | 旅の徒然に
3月31日(日)のお昼時、ニュルンベルグ裁判記念館を訪問した。

ドイツへの旅は4回目になるが、ニュルンベルグを訪問するのは今回が初めて。
ミュンヘンからドイツ国鉄版新幹線のICEに乗り1時間余で古都ニュルンベルグ駅に到着。
駅近のホテルに荷物を置き、市内交通の1日乗車券(一行3人分が1枚で済むグループ乗車券)を買い、
まずは地下鉄(Uバーン)経由で現地へ。

ベーレンシャンツシュトラーセ駅から記念館まではものの1、2分。
駅にある周辺地図もわかりやすいし、行先表示の看板もしっかりあるので迷うことはない。
現在も現役の裁判所なのだが、裁判のない時(もちろん週末も)は
ニュルンベルグ裁判が行われた600号法廷の見学も出来る。
残念ながら日本語のものはないが、英語のオーディオガイドは大変充実している。
そして、記念館の展示は、大変考え抜かれたものに思われた。

展示は、あの「ゲティスバーグの戦い」の犠牲者の写真から始まる。
(※リンカーンの「人民の、人民による、人民のための政治」との一節、
つまりは民主主義の理念についても、どこかでイメージさせようとしているのだろう。)

赤十字の創設者、『ソルフェリーノの思い出』のアンリ・デュナンの肖像写真もある。
戦勝国による敗戦国の責任追及、いわゆる「勝者の法廷」とは全く違うレベルで、
つまりは世界史的文脈から、戦争と平和の問題、あるいは戦争と文明の問題を語ろうというのだから、
東京裁判史観批判とか言って悦に入っているどこかの国は、足元にも及ばないスケール感。
(そもそも、東京裁判について、日本また東京には、まともな記念館一つないんだよね。)

被告、判事団、検事団、弁護団、さらには証拠集めや証人喚問、等々についての説明は当然のこと、
翻訳に通訳という国際裁判には不可欠な膨大な事務作業についても、
相当の分量で説明をしている。良く練られた展示だなぁ、と思うのみ。

東京裁判についても触れられているが、それは当然のこととして。

ニュルンベルグ裁判で形づくられたいわゆるニュルンベルグ原則が、
その後の、ルワンダや旧ユーゴでの虐殺の責任を問う国際司法裁判所へと引き継がれたこと、
というよりも、このニュルンベルグ裁判が国際の正義に向けた一つの過程であったことと整理し、
加害者としての自国と自国民を否定することなく、
歴史の流れの中で、前向きな貢献につながる一つの大きな節目であったとであったとして、
一つの前向きな意味があったのだ、と整理していることに、大きな感銘を受けた。

3時間くらいはいたと思うが、どうにも時間は足らない。
しっかりと事前勉強をした上で、オーディオガイドを何度も聞き返しつつ、
ニュルンベルグ裁判って何だったのかをしっかり見つめるような、
そんな旅をもう一度したい、と、強く思った次第であった。

もちろん、このように、冷静な議論が可能になるのは、相当の時間を要している。
それでも、あったことをなかったことにするような、そんな情けないことは全くしていない。
同じ敗戦国でありながら、ここまでの差がついてしまったこと、
どう考えても追いつきようのないほどの差がついてしまった理由は、一体何なのだろう。

(4月8日、さかのぼってアップ)

ゼミのスタンスを再確認

2019-04-05 23:49:37 | 小村ゼミ
10日余のポーランドとドイツへの旅を終え
1日の休息の後、年度が代わって初めて大学に出る。

私の研究室には「ぬらりひょん」がいて、
不在がちな家主に代わり、研究室を守っていてくれる。
今日も研究室に顔を出したら、しっかりくつろいでお茶をしていた。
こういう関係性があるのが嬉しい。

遅れて4年生が2人、顔を出してくれ、
この3人を相手に、新年度のゼミの進め方について、改めて考えを整理する。

新年度のシラバスについてはすでに提出済であり、
読み直してみたが、特に卒論執筆に向けた指導については、
改めるべきものは見つからなかった。
ただ……。

昨年度のゼミ活動を振り返ってみる時、
大変残念なことではあるが、ゼミの良き伝統が途絶えようとしている感は否めなかった。
そのことについて、何とかしなくては、という問題意識は共通だった。

文字にしなくては、また、口に出さなくては伝わらないようであれば、
伝統という言葉には相応しくないのかもしれない。
そこまでしなくては分からないのか、伝わらないのか、という議論はあった。
それでも、新年度初回のゼミの場で、このゼミでの学び方、
ゼミ担任とOB・OGの活かし方について、しっかり話をしておくべきであろう、
ということで、意見はまとまった。

フリーランクからはようやく脱したとは聞くものの、
地方私大のマイナー学部で何を粋がっていることやら、との冷笑もあろう。
それでも、やはり、この3つが、小村ゼミのあるべき姿なのだろう、と思う。

 「先輩に学び、後輩を鍛える」
 「出前講座に出て、冷や汗をかく」
 「本を読む者が集うゼミでありたい」

来週木曜日、新年度初回のゼミでは、
「口に出しては、せんない、せんない」とどこかで思いつつも、
これらの言葉に込めた思いについて説明するつもりでいる。

(4月6日、さかのぼってアップ)

ポーランドとドイツへの旅(その1):ヴァンゼー会議って何?

2019-04-04 20:56:00 | 旅の徒然に
大学の春休みを利用し、ポーランドとドイツを旅してきた。

主な訪問先は、

*ワルシャワ(ワルシャワ蜂起記念館/ポーランド・ユダヤ人の歴史博物館)、
*オシフィエンチム(いわゆるアウシュヴィッツ、アウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所博物館)、
*ベルリン(ノイエ・ヴァッフェ「戦争と暴力支配の犠牲者に対する記憶と追悼の場:ドイツ連邦共和国中央慰霊館」)
 ※女流彫刻家ケーテ・コルヴィッツの「ピエタ」像がポツンと置かれている。ここは必見!
*ニュルンベルグ(ニュルンベルグ裁判が行われた600号法廷他、ニュルンベルグ裁判記念館/
 ナチドイツの党大会が行われたツェッペリン・フィールド)
*ミュンヘン(ナチドイツに抵抗して処刑されたショル兄妹やフーバー教授らの活動を伝える「白バラ記念館」)

現地に行かなくては何もわからない、という時代ではない。
それでも「現場に勝る学びなし」「百聞は一見にしかず」。

認知心理学の基本テーゼなのだそうだが「知識のないところに意識は生まれない」
その意味で「調べ学習」も必要。詰め込み教育とて意味のある教育方法と思っている。
まぁ、「3現5現」を教わるのは、社会人になってから、とは思うが。

それはそれとして、今回の旅で行くことができなかったのが「ヴァンゼー会議記念館」

ドイツの首都ベルリン郊外には、ヴァンゼー会議の会場となった邸宅が残されており、
今は記念館になっているとのこと。
(ヴァンゼー会議が何だったのかは、それこそ「調べ学習」の最適テーマ!)

「パッと行ってパッと帰る」ような場所ではないので訪問先候補からは外したが
(何せ今回の旅でのベルリン滞在は実質半日)、
次回はじっくり時間を作って行きたい、と思っている。

ちなみに。
この「ヴァンゼー会議記念館」の図録は、
横浜市立大学のグループが日本語訳を作って下さった、とのこと。
こういう地味なテーマを真剣に取り組んで下さっている方々がいる。
学問を生業にしている者として頭が下がるのみ。

次のベルリンへの旅の前に、しっかり読んでおかなくては、
で、ありますな。

(4月6日、さかのぼってアップ)

「本歌取り(あるいはオマージュ)」と「パクリ」の違いについて

2019-04-03 22:47:42 | 日常の一コマ
夕方、羽田空港に到着。

途中でスーツケースがロスト、
本人より先に帰国という頭を抱えてしまう事態は生じたものの、
他には大きなトラブルもなく、無事に帰国することが出来た。

同じ便で帰国した旅仲間とは羽田空港でお別れして、
20年以上の付き合いのある防災仲間と、
有楽町駅近くの馴染みの中華料理屋さんで一献酌み交わす。

新元号やら、大学のゼミの話やら、定年後の過ごし方やら、
防災危機管理やら、アウシュヴィッツやら、と、話題は飛びまくる。

そういう刺激的な議論が出来る仲間に恵まれていること、
本当に有り難い。

酔い覚ましも兼ねて東京駅に向かう道すがら、
「本歌取り(あるいはオマージュ)」と「パクリ」の話になる。

オリジナルへの敬意を込めた人が行うのが「本歌取り(あるいはオマージュ)」
目先のことしか考えていない人がやるのが「パクリ」

そんな感じかな。