「旅の坊主」の道中記:常葉大学社会環境学部・小村隆史の防災・危機管理ブログ

日本唯一の防災学部はなくなっても、DIGと防災・危機管理を伝える旅は今日も続いています。

愛媛・愛南町へ:南海トラフ巨大地震を織り込んだ「災害に強いまち」への改善計画を考える

2014-11-30 19:33:44 | 駿河トラフ・南海トラフ巨大地震津波対策
駿河&南海トラフの巨大地震が発生すれば、甚大な被害発生が必至な愛南町。
何年前だっただろうか、地域安全学会の学術集会があり、
訪問したことはあるが、じっくりと地域を見て回ることは出来なかった。

今回、国交省四国地方整備局のプロジェクトで、
この愛南町を舞台に、南海トラフ巨大地震を想定した「災害に強いまち」のあり方、
また、それに向けた改善計画をDIGの手法を用いて描き出してみよう、
ということになり、それに向けての調整と現地調査。

この種の議論をする時、いつも疑問に思うのが、
みな、なぜ、避難計画の立案+実働訓練のレベルで納得してしまうのか、ということ。

「避難成功、しかし、人生崩壊、ふるさと消滅」

東日本大震災で私たちが目の当たりにしたのは、こういう話ではなかったか。
であればこそ「避難しないで済むまちを作ろう」という大目標を立て、
それに向かって知恵を絞ろうではないか、というのが、自然の流れだと思うのだが。

幸いにも、プレート境界型(海溝型の巨大地震と呼んでもよい)には、
ある程度の周期性が確認されている。駿河&南海トラフの場合は概ね90年から150年。
1944年12月の昭和東南海地震と46年12月の昭和南海地震、
間を取った1945年から数えて今年2014年は69年目。
安全係数を10年とすれば準備に使える時間はあと10年。5年とすればあと15年。
この時間をどう使うか。毎度のことながら、ここが勝負のポイント、と思う。

今回のプロジェクトでは、今までになかった2つのことを問うてみたい。

一つ目は、「海はどこまでが海か」ということ。
100年に一度の、あるいは1000年に一度の出来事であれ、
その時に海水が来たところまでを海と心得、それに合わせた住まい方をするならば、
大きな間違いはあるまい。
問われるべきは、そのことを意識したまちの作りになっているかどうか。
なっていなければ、そのことを意識したまちの作りへとどう変えていくか。
気仙沼の小泉で活躍されているA先生とそのお仲間の発言に想を得てのこと。
しっかり受け止めなければ、であるな、と。

二つ目は、人口ピラミッドをしっかりと意識しておく、ということ。
愛南町の高齢化がどのように進展しているか、それはこれから調べることだが、
人口ピラミッドを作ることは可能だろう。
現時点で65歳前後の「団塊の世代」が、10年後は75歳前後となり、
15年後は80歳前後となる。
支援者と被支援者の割合がこれから四半世紀程度はどうしようもなく崩れる訳で、
では、そのことを意識した対策には何が必要なのか。

新ネタ2つを含み、「なりわい」をしっかり意識した、そんなDIG、
そんな防災まちづくりワークショップにしたいと思っている。

さて、どうなりますことやら。ともあれ楽しみではある。

静岡の総合大学が防災に取り組むなら

2014-11-29 22:53:51 | 防災教育
学部名に防災を持つ日本唯一の大学・学部、富士常葉大学環境防災学部は2000年4月産声をあげた。
しかし、東日本大震災後の2013年3月、静かにその幕を閉じた。

改組・改称を提起したのはK理事長(当時学長兼務)。賛成したのはI副学長ただ一人。
進学雑誌の編集者等外部の者も含めてそれ以外の全員が反対したが、
オーナー企業の創業者一族の当主なら、一名を除く関係者全員が反対しても強行できる。
私たちは反対の投票をすることすら許されず、業務命令を聞くしかなかった。
2008年の上半期のことだった。

2011年3月11日、環境防災学部から後身の社会環境学部への改組の真っ只中、
K理事長・学長とI副学長には大変皮肉なことながら、東日本大震災が発生する。
日本で唯一、単学部として防災を教え学ぶ唯一の学部を、圧倒的多数の反対を押し切って改組・改称した両名の名は、
しっかりと記録に残されなくてはならないが、それはそれとして。

さらに、何を思ったのかは知らないが、同一法人内の3大学1短大を統廃合し、
10学部19学科を持つ総合大学へと改組、スタートしたのが2013年春のことだった。
では統合の理念は?「旅の坊主」には理解不能な能書きはあるようだが……。

痩せても枯れても、静岡は、日本の防災ではトップランナーだと思っている。
防災、減災、防災教育、防災行政支援、危機管理等々、
静岡の大学が発信してしかるべき内容は幾つもある。
国立の静岡大学も総合防災センターを立ち上げ、様々な活動を展開している。
静大が学術的分野に重きを置くならば、我々は実践的分野を担うのがよろしかろう。

あまり練られた案ではないが、以下に示すような連続講演会(あるいはワークショップ)を
仕掛けられたらいいだろうなぁ、と資料を提出したことはある。
反応は……。

○キックオフシンポジウム
「防災先進県静岡発、災害に強い静岡を作るため、大学には何ができるか」(大学本部・社会環境学部)
○「今求められる児童・生徒向け防災教育」(教育学部)
○「静岡で活躍する看護師に求められる防災の知識」(健康科学部)
○「災害と食」(健康プロデュース学部)
○「避難所で廃用症候群を起こさないためにはどうすればよいか」(保健医療学部)
○「災害に強い企業になるために」(経営学部)
○「被災者にはどのような公的支援があるか」(法学部)
○「静岡にいる外国人と防災」(外国語学部)
○「防災をデザインする」(造形学部)
○「大規模災害時、どうすれば保育士は子供を守れるか」(保育学部)
○ラップアップシンポジウム
「再び考える 災害に強い静岡を作るため、大学には何ができるか」(大学本部・社会環境学部)

ここで示したものは一つの例に過ぎない。
これらの題材を深堀りし、また縦横に組み合わせていくことで、
静岡にある総合大学にふさわしい社会貢献をすることができると思っているのだが……。

なぜここに示したかって?内部に示して賛同者を得られなかったプロジェクトでも、
外に理解者を得られるかもしれないから。

まずは「旅の坊主」なりに、これらのテーマについて一文をなすことから始めたい。
そうすれば、どこかで関心ある人が読んでくれるかもしれないのだから。

共同通信Iさんとのブレストを終えて

2014-11-28 23:33:30 | DIG
午前中は「災害医療システム」の講義。
高嶋哲夫氏による「未来のノンフィクション」『首都感染』を題材に、
今、ここにある課題としての、感染症対策について議論。

(この本&今日の講義の内容については、改めてどこかで整理して提示したいと思っています。
もう少しお待ち下さい。)

昼休み、昨日のブログでも予告(?)しておいたことだが、
神戸から、共同通信神戸支局のI記者が来校、
3限、4限の「防災実習」のコマを使って、履修学生+ゼミ生と一緒に、
DIGの来し方、DIGの実際、さらに地域防災への思い、「旅の坊主」が「防災の物語」と呼ぶもの、等々について、
講義し、また意見交換する。学生諸君からの発言も多かった。嬉しい話。

当初はIさんの取材の意図がわからず、ちょっと戸惑ったところがあったが、
DIGとはどういうものかという、その来し方から話をしていくことで、
Iさんなりに思うところがあったようで、そこから先は大変刺激的な議論となった。

改めて考えることであるが……。
地域を知るということ、あるいは地域愛、また「顔の見える関係づくり」というのは、
どこまでが防災の範疇でなく、どこからが防災の範疇になるのだろうか。
「災害を知る、まちを知る、人を知る」という一セットの言葉は、
最近はあまり使っていないが、初期DIGの目指すところを述べたもの。
この流れでいえば、地域のグルメマップづくりも、まちを知るにつながる訳で、
間接的とはいえ防災に役に立つ、ということ、なのだろうが……。

だが、同時に、阪神淡路大震災最大の教訓が、
お亡くなりになった方のほとんどは旧耐震時代の家にお住まいだったこと、
地震で人は死なず、耐震性の低い家に潰されて死んだ、ということを考えるならば、
グルメマップ作りのレベルでは、防災とは言えない、ということにもなる。

何が防災で何が防災でないのか、などという定義の論議をするつもりはさらさらないが、
大きな心で受け入れて、
「何であれ、地域の地図を囲んでくれるならば、それは直接間接に防災の役に立つのですから」と、
言うべきなのだろうか……。

少なくても、防災を語る際に地図を使うことで議論が客観的になることは間違いない。
防災を語ろうと言うならば、地図のない防災論議は(具体的でないので)ありえない、
ということは、しっかり言うべきだろう。

でも、たとえ地図を使っていたとしても、例えば避難先の検討に使っているようであれば、
「阪神淡路大震災の、東日本大震災の、教訓を学んでいない人たちのDIG」
そう言い切ってもよいのだろうか。(実際はその通り!と思うのだが……。)

地震で潰れるような家に住んでいれば、避難の前に話は終わっている。
津波からの避難に成功しても、それでも津波は襲いかかってくる訳で、
それにより人生崩壊&ふるさと消滅、(注:職と住を同時に失っての再起はなかなか難しかろう)
これが防災の目標の値するのか、と。

Iさんが記事にするのは少し先の話と聞く。
彼の中でどのような「DIGと防災の物語」が醸し出されていくのか、楽しみに待ちたい。

最後まで付き合ってくれた学生2名も含め、少しご無沙汰の丸天で夕食。
刺身の大皿とまぐろのテールシチュー、それにノンアルといういつものメニューながら、
Iさんには喜んでもらえたようで何より。

研究室に戻り、もう少し仕事。

阪神淡路大震災20周年とDIG

2014-11-27 23:49:11 | DIG
夕方、共同通信神戸支局のI記者から連絡あり。
明日午後、本学を訪問してDIGについて話を聞きたい、とのこと。
それも、阪神淡路大震災20周年との絡みで、とのこと。

防災を学ぶ者にとっては言うまでもないことであるが、
来年1月17日であの阪神淡路大震災から20年になる。
日本の防災がどう変わったのか。あるいは変わり損ねたのか。
しっかりと見つめ直してみたい、というのも、当然のこと。

DIGが生まれたのは阪神淡路大震災の2年後の1997年のこと。
阪神淡路大震災をきっかけとして生まれたと言っても、大きな間違いではあるまい。
とすれば、あの震災から20年経ち、東日本大震災を経て得られたさまざまな教訓を、
DIGはしっかりと受け止め、発信し続けているだろうか。
メディアが関心を示してくれたことは大変嬉しいし、
そのことをしっかり受け止め、良き方向への情報発信として活かしたい。

ニセモノとは言わないまでも、ホンモノとは言い難いDIGが世に溢れてしまった。
そんな中で、メディアを通じて何を発信していけばよいのか、
いろいろと考えている。

嬉しいことに、パッと来てパッと帰るという取材ではないとのこと。
数時間をかけ、しっかりとデモを見てもらいたいし、議論も交わしたいと思う。
DIGの幾つかのパターンも見てもらいたい、と思っている。

詰まるところ、被害が出るかどうかのほとんどの部分は、立地と構造で決まる。
15年くらいはあると「旅の坊主」は期待しているが、
その準備期間を活かした駿河トラフ・南海トラフ巨大地震の対策を考えるためには
大局観が不可欠。
「人生最大の買い物をする際に770円を惜しむな」は、毎度おなじみの決め台詞。
模造紙大に拡げられた地図を見ることで、私達はいろいろな「想を得る」ことが出来る。

DIGというのは、そんな、地図との対話を通じて、
地域防災についての想を得ることなのだろう、と思っているが、
ただ、阪神淡路大震災20年を期して、と問われるならば、
一体何を発信していけばよいのだろう……。

「構え」「仕込み」「仕切り」のテーゼは、
震災10年の復興検証の中で得た、地域防災の基本的な理念。
「旅の坊主」と「地侍」のテーゼも、ほぼ同じ時期に得るに至っている。
何だかんだいっても、阪神淡路大震災によって人生が変わった者の一人であるからには、
その来し方を語ればよいのかも……。

下手に色気を見せるよりも、DIGを介した地域防災のあるべき姿を述べる、
それだけのほうがよいのかもしれない、と、
ブログ更新用のこの原稿を書いていながら思ったりもしている。

まぁ、例によって、話がどう展開していくかは、相手とのキャッチボール次第。
もちろん、それが楽しみでもあるのだが。

まだ見ぬIさんとの議論、実りあるものとしたいものである

中学生向け土砂災害理解教育のプログラム作り、次の段階へ

2014-11-26 23:14:04 | 防災教育
10月16日付と10月29日付の拙ブログで、
小中学生向け土砂災害理解教育のプログラムのあり方について触れさせてもらった。
(ご関心ある方、両日の拙ブログをご確認下さいませ。)

その延長上で、今日11月26日午後、
日本工営静岡営業所のTさんと、静岡市教育委員会のお二方を交えたブレストを持つ、
はずだったのだが……。

私のチェックミスだったのだが、
静岡市教委のお二方からは、プロジェクトの予算が確保出来ず
協力依頼の申し入れを撤回したい、とのメールが入っていた。
予定の時間を過ぎてもおいでにならないお二方に電話して、
ようやくそのことに気付いた己もアホだったが……。
(そりゃぁ、お断りが入っていれば、現れる訳はないわなぁ……。)

午後イチから研究室に来て下さり、2年ゼミにはゲストスピーカーとしてご参加いただいたTさんには、
大変申し訳ないことをしてしまいました。
改めてお詫びする次第です。

さて、本論の中学生向け土砂災害理解教育のプログラム作りだが、
予算が確保できないからやらない、あるいは、
確保できた予算の範囲でやる、というのでは、質の高い教育は出来るはずもない、
そのことは、基本的なところとして間違いはないとして。

しかし、プロが本気になれば、限られた予算の中でも、質の良いものが出来るかもしれない。
少なくても、教科書作りや指導書作りはさておき、プログラム作りならば可能。
土砂災害の専門家のTさんと、防災ワークショップを専門とする「旅の坊主」
さらに現場の教育者の力をうまくコラボさせることが出来れば、
少なくてもモデルプランは出来るかもしれない。

予算の確保が出来なかったということからして、
静岡市教育委員会は土砂災害理解教育に本気で取り組む気はない、
単なる言い訳のレベルだった、ということは、残念ながら明らか。
ではあるが、個人としては、別の思いがあるかもしれない。

ということで、毎度のことながら(?)、表のブレスト、ではなく、
アフター5でのブレストにご招待することに。
さて、どんな話になることか。大変楽しみである。