「旅の坊主」の道中記:常葉大学社会環境学部・小村隆史の防災・危機管理ブログ

日本唯一の防災学部はなくなっても、DIGと防災・危機管理を伝える旅は今日も続いています。

3月9日付『朝日新聞』、大熊英二さんの寄稿に思う

2016-03-09 23:37:39 | 東日本大震災(東北地方太平洋沖地震)
東日本大震災から5周年を迎えるにあたり、「旅の坊主」も何かを期したい、ということで、
昨晩盛岡に入り、今日は朝から公共交通機関で現地を巡っている。
その旅の途中で読んだ『朝日新聞』の記事には、なかなか考えさせられた。

一面トップの見出しは「集団移転跡 4割活用未定」
率直に言って、何が言いたいのか、このどこが問題なのか、「旅の坊主」には理解できなかった。

元の場所に災害リスクがあるからこその、防災集団移転事業である。
当然のことながら、その跡地の利用の用途は限られる。

「会社・工場 立地進まず」との、サブの見出しはあまりに情けない。
本文の「経済活動を取り戻せるような使い道にはほど遠いのが実情だ。」とは、
かの、大朝日の取材力はここまで落ちてしまったのか?と言わざるを得ない。

まともな判断力のある企業・組織であれば、災害リスクのある場所にわざわざ進出する訳がない。
自然に返して、グリーン・ツーリズムやブルー・ツーリズム、バード・ウォッチングの地にすれば、
税金の使い方としては、コスト・パフォーマンスに見合うものだ、と思う。

それに比して、オピニオン欄「東日本大震災5年 私たちは変わったのか② 社会の再生」に掲載された、
歴史社会学者・小熊英二先生による「身の丈に合った街 再設計を」は、
本当に悔しいくらい、「旅の坊主」が考えていたことを文章化している。
(このような文章を己が書けなかったことに、「旅の坊主」の5年間の使い方が表れているだろう……。)

「復興計画が大規模で時間がかかりすぎ、その間に人口流出も高齢化も進んでしまった。
高台に造成した住宅地、かさ上げした商業地区、沿岸に並ぶ魚の新加工場。
はたしてどれほどが埋まり、稼働するのか。」

「復興政策が過去の延長で動いていて、時代錯誤の巨大インフラ整備に偏り過ぎてもいます。」

「復興とは本来、被災地に持続可能な社会を再建することだと思います。
たとえ人口が半減したとしても、そこである程度、回していけるような産業なり社会構造なりを目指す必要がある。
身の丈に合わない大きい街を目指すのは、かえって失敗のもとです。

「体力の落ちた地域では災害の被害が大きくなります。
対処するには、日ごろから地域の実情をよく把握し、
被災した地域社会を再設計するための、社会科学的な知見が必要なのです。」

本当に悔しいくらい、「旅の坊主」が語るべきことを語られてしまった。
我ながら、本当に情けない。

ただ、このような記事に巡り合えたことは、
「旅の坊主」の今後22年(±α)にとって大きな指針となる。
そのことだけは間違いないところである。

(3月10日 記す)

震災報道の「ぬるさ」について

2016-03-08 22:04:12 | 東日本大震災(東北地方太平洋沖地震)
気づいたら、2月は一度もブログの更新ができないまま、1カ月が過ぎていた。
1月も初旬に1回更新したっきりゆえ、2か月ぶりの更新となる。
情報発信の重要性は十二分に理解しているはず。
かつ、今週金曜日には東日本大震災から5年の節目の日を迎えるというのに、
この体たらくはかなり情けないなぁ、と我ながら思いつつ。

普段の生活では、日曜朝7時のニュースを見ることはまず間違いなくない。
ただ、一昨日の日曜は、知る人ぞ知る「山崎絆塾」で勉強するため7時前に起床。
朝食をとりつつNHK総合での女川からの中継を見ていた。

で、考えた。「いくら何でもこれは情けない」、と。

なぜ、女川の「復興」を「早い」「フロントランナー」と言うのか。否、言えるのか。
震災から5年も経ってようやく(ハードという意味での)形が見えつつあるものを、
どこをどうつつくと「早い」と形容できるのだろうか。
「旅の坊主」にはまったく理解できない。

国民から放送料を徴収している放送局が、
そのことを理解できず、恥ずかしげもなく全国に向けて発信しているとは……。
(「現地は頑張っています」ストーリーでお茶を濁すべきではなかろうに……。)

5年という時間は長い。
中学1年生が終わろうという時に被災した者がこの4月からは大学生になる。
それくらいの時間経過である。

「故郷を捨てたくて捨てる者はいない」は、「旅の坊主」の愛読書(?)の一つ、
(漫画版の)『鬼平犯科帳』のどこかにあったセリフ。
しかし、5年かかっても形が出来ただけのものを「早い」と表現するような状況であれば、
生活力がある者はそんなに待てない訳で、力がある者から外に出ていく。

というよりも、自分と家族の生活、息子・娘の可能性を考えれば、出ていかざるを得ない、
と言うべきだろう。そしてその結果、人口は減り(特に先のある若い世代が!)、
当然のことながらそれに反比例して高齢者率は増える。

そうなることは初めからわかっていた。
今起こっていることは、それが「やはり」起こっただけのこと。
それを、今さらのように言って、恥ずかしくないのだろうか。
日本のジャーナリズムはそこまで質が落ちてしまったのか?
(もっとも、すでにNHKはジャーナリズムの看板を下ろした、との声も聞こえてきそうだが……。)

これから先、「オーガスト・ジャーナリズム」ならぬ「マーチ・ジャーナリズム」なる言葉が定着していくのかもしれない。
防災を学び教える者としては、ある意味では歓迎すべきことなのかもしれない。
それでも、初めからわかっていることを、殊更言い立てることに、どれほどの意味があるのか。
やはり「ぬるい!」と言わざるを得ない。
(それとも、今の地上波ってそんなもの?)

ただ……。

「では、お前は何をしたのか?」と、当然のことながら問われるだろう。
プレ阪神淡路大震災世代の防災研究者として、何ほどのことをしたのか、と。
その突っ込みは当然のものであり、正当なもの。
そして、それに応えるだけの成果を出していないことも認めざるを得ない。

震災報道の「ぬるさ」を糾弾することは簡単。否定しようもないだろう。
しかし、「まずこれを読め!」「読んでから震災報道に取り組め!」というものが書けていない以上、
その「ぬるさ」は、部分的ではあれ、己の努力不足に起因するものでもある。

そんな、苦々しい思いも感じつつ、今宵から3泊3日の予定で、
震災から五年目を迎えようという現地を訪問する。