「旅の坊主」の道中記:常葉大学社会環境学部・小村隆史の防災・危機管理ブログ

日本唯一の防災学部はなくなっても、DIGと防災・危機管理を伝える旅は今日も続いています。

サンサルバドルよりも9月半ばの日本が暑いなんて……

2011-09-17 23:08:12 | 中米防災協力(プロジェクトBOSAI)
2011年9月17日(土) 

帰国便の機中、極めて珍しいことながら一度もパソコンを開かず。
といって、せっかくのフルフラットのユナイテッド・ビジネスなるも、
爆睡することもなく、食事の他は映画を3本ハシゴ。

見た映画。
Mr. and Mrs. Smith(日本名「Mr. & Mrs. スミス」)
The Dirty Dozen(日本名「特攻大作戦」)
The Chronicle of Narnia: The Voyage of the Dawn Treader
(日本名「ナルニア国物語/第3章:アスラン王と魔法の島」

予定より少し早い16時過ぎに成田着、諸手続きもスムーズに進む。
到着口では、妹が紙のボードをわざわざ作って待っていてくれた。
聞けば、急な用事が入ってしまった義弟に代わり、
「ニヤッとしてくれるかな」というので作ってくれたとのこと。
楽しませていただきました。

稲毛まで総武線快速。
荷ほどきもほどほどに、
眼鏡修理とスペア眼鏡作りと散髪に出る。
(1年も海外に行くというのに、よくぞまぁスペア眼鏡を持って行くことを
忘れていた&一時帰国の際になぜ気付かなかったのだろう……。)

その後、母と妹の3人で、
ちらし寿司とサンマ塩焼きで帰国後最初の夕食。

赴任時もそうだったが、この日も長い1日であった。
21時過ぎには、さすがに爆睡モード……。


(9月22日未明 遡ってアップ)

帰国の途に就く(その2)

2011-09-16 23:46:21 | 中米防災協力(プロジェクトBOSAI)
2011年9月16日(金)。

西半球にいるのもこの日が最後。

昨晩の残りのラム酒をひっかけ、シャワーを浴びて出発準備。

有り難いことに、Star AllianceのGold Statusを確保できたので、
成田へのUA便には3つ目のスーツケースも無料持ち込みがOK。
ではあるが、1つ当たりの重量制限は72ポンドではなく70ポンドの模様。
こちらもギリギリで荷作りをしていたので、この1、2ポンドの差が大きく、
ドタバタと詰め直し。

UAのラウンジであるRed Carpet Clubで何かつまめるだろう、と、
朝食はパスして少し早目に入ったものではあるが、
やはり「サクララウンジ」などとはちょっと違うよう。
クッキー、チーズ、ニンジン・スティック、コーヒーでメールなど。

もうじき搭乗時間となる訳だが、
それにしても感慨がないものだなぁ……。

成田に着いたら何か感じるのだろうか。


帰国の途に就く

2011-09-15 23:29:38 | 中米防災協力(プロジェクトBOSAI)
(久しぶりのブログ更新になります。筆不精、お許し下さい。)

あっという間の1年であった。

中米時間の9月15日(木)、奇しくもこの日は中米各国の独立記念日であるが、
この午後、エルサルバドルを発って帰国の途につく。

スーツケース3つに何とか荷物を詰め込めたまではよかったが、
(体重計で量った訳ではないが)32kgの制限を大幅オーバーの手応えゆえ、
印刷物の類を捨てまくったのが前の晩。結局4時近くまでかかってしまった。

少し朝寝をして(例によって朝食はパス)、シャワー&身支度。
追加で捨てられるものは捨て、誰かにあげるものは別にまとめ、
ビジネスセンターでプレチェックインの手続きをした後
12時少し前にチェックアウト。

プロジェクト秘書のTさんは彼と一緒に見送りに来てくれた。
プロジェクトのSリーダーと後任I専門家は空港まで見送って下さる。
スーツケース3つは、30kg、30kg、32kgで、ギリギリセーフ。
無料分は2つまでなので追加料金170ドル弱を払う。

通い慣れた空港への道ゆえか、見知った空港ゆえか、
自分でも不思議なくらい感慨がない。
日本についたら、実感が湧いてくるのだろうか……。

ターミナルビルでは、この日から家族とマイアミでオフを過ごす
事務所のプロジェクト担当Kさんご一家とお別れの挨拶が出来た。
本当にお世話になりました。ありがとうございました。

一度はやってもらいたかったマッサージ(30分20ドル)を受け、
ビールとホットサンドで軽く昼食をとった後、
乗り慣れたTACAの528便(A320)でLAXへ。

ロスの宿のFour Points by Sheratonは、残念ながらいま一つの感。
チップ込みとはいえ、ハンバーガーとビールで26ドルはないよね?
それでも部屋にWiFi環境はあったので、諸々のメールなど。

拙ブログ(6月23日分)、遡って追加・更新しました

2011-06-26 13:21:47 | 中米防災協力(プロジェクトBOSAI)
エルサルバドル時間 2011年6月25日(土)22時20分過ぎ
日本時間 26日(日)13時20分過ぎ

6月23日分として、

「沖縄戦 慰霊の日に」
http://blog.goo.ne.jp/tabino_bozu/d/20110623

遡って追加・更新しました。

沖縄戦 慰霊の日に

2011-06-23 23:51:31 | 中米防災協力(プロジェクトBOSAI)
中米時間 2011年6月23日(木) 

日本時間では昨日の話になるが、
この日6月23日は、
亡き昭和天皇が「忘れてはならない日」と言っていたという、
3つの日付の一つ、沖縄戦の慰霊の日。

「沖縄県民斯ク戦ヘリ
県民ニ対シ後世特別ノ御高配ヲ賜ランコトヲ」

大田實海軍中将の決別電といって、ピンとくる者は、
本学の学生クンの中には、残念ながら一人もいるまい。

(そう思ってしまう自分が悲しく、そして多分事実であろうことは、
もっと悲しむべきであろうが……。)

『沖縄県民斯ク戦ヘリ:大田實海軍中将一家の昭和史』を
光人社NF文庫版で読んだのは、何年前のことだったか。

長男は広島で平和教育の第一人者となり、
三男は自衛隊による国際貢献のさきがけとなる。
一家の歴史がそのまま昭和史の一コマとなるような一家も、
そうはあるまい。

大田中将が長柄町、旧制千葉中学出身ということもあり、
千葉県民の一人としては、その生き様を覚えておきたい、
いつかは、摩文仁の丘に行き、平和の礎(いしじ)に行ってみたい、
そんなことを思っているが……。

それはさておき。

今回の2泊3日のコスタリカ行きも最終日。
8時半にホテルをチェックアウト、まずは国内に4つある国立大学の一つ、
UNED(国立通信教育大学)の付属施設、
直訳すれば「地域開発と地方自治体振興・能力開発のための研究所」へ。
(実のところ、UNEDのどこに連れて行かれるかまでは聞かされていなかった。
結果的にはベストの場所に連れて行ってくれたようで、本当に何よりであったが。)

コスタリカでBOSAI活動を展開させるにあたり、
CNE(国家災害緊急事態委員会)にがんばってもらうのは当然として、
これから先、力を入れるべきは、やはり国内に81+αある市の存在。
彼らがDIGのノウハウを身に着けてくれるならば、
土地利用について、また、住民向け教育について、
何かを変えることも期待できるだろう。

そのためにも、
自治体職員向けの教育もやっているというUNEDと、
一緒に活動が出来ればナンボ、という話。

先方としては、「旅の坊主」の見極め、という話もあるのだろう、
まずは7月15日(金)に2時間ほどの講義をすることで話がまとまる。
ここから先、どこまで面白くできるかは、こちらの腕次第、しゃべり次第、か。

一旦、JICA事務所に戻り、今後の活動予定の整理、昼食などの後
現地コーディネーターDさん、事務所のSさんと共にCNEへ。

いろいろと欠点もあるが、何だかんだ言ってもモノを考えているD氏との話は、
やはり楽しいし、刺激的でもある。そして話が決まるのも早い。
向こう3ヶ月、帰国までのコスタリカでの活動予定がほぼ固まる。

(比較してはいけないのだろうが、
パナマやホンジュラスでこういかないのはなぜなのだろうと、
考えざるを得ない……。)

予定は15時からだったが、20分ほど押して、
新任のナンバー2に挨拶が出来た。
サンサルバドルに戻る飛行機の時間の関係で、
十分な話は出来なかったが、
事情を知っているメンバーが同席していてくれたから、
あとのフォローはしてもらえるだろう。

駆け足だったものの、多くの手応えを感じることができ、
まずまずの出張であった。
自分へのご褒美に、ネルの袋で入れるコーヒーのセットを買う。
手入れが大変なことは十分理解しているが、
気分転換にはそれも良かろう。

空港には、ドライバーのMさんが待っていてくれた。
特に渋滞もなく、20時前には自宅に戻れた。
外に出ることも考えたが、結局、あり合わせでの夕食、
その後メールなど。

                        (中米時間6月25日夜 遡って記す)