昨30日夜、嬉しい報告があった。
ゼミの4年生S君が下田市役所の職員採用試験に合格した、とのこと。
親元を離れ寮生活を続けていた鈴木君であったが、来春からは故郷下田に戻り、
学んだ防災を現場で活かす生活に入ることになる。
下田のためにがんばってもらいたい、と心から思う。
さて、S君の就職先が決まったことを受けてちょっと考えてみた。
駿河トラフ・南海トラフ巨大地震が発生すれば甚大な被害発生が必至の下田において、
あるいは別の地域において、地域防災のホームドクターは一体誰なのだろうか。
その人物にはどのような素養が必要で、どのような関わり方が求められているのだろうか。
少し考えてみたい。
1ヶ月ほど前、御嶽山が噴火した。
素人コメンテーターがわかったようなことを言いまくっていて不愉快に思っていたが、それはさておき、
その時、日本の火山学者は40人学級と言われていたことを思い出した。
そしてその延長で、本学開学直前の2000年3月に噴火した有珠山の場合、
ホームドクターと呼ばれる方がおられたなぁ、ということも思い出した。
雲仙・普賢岳の噴火の時もそうだった。
限られた人材の中で、ではあろうが、ホームドクター役を立派に果たしてきた、
何人かの火山学者がいた訳である。
来春からゼミ生S君が下田市役所で勤務を始めることになるが、では、
平成の大合併で数は少なくなったとはいえ、未だ1000を超える市町村で、
いわば「防災のホームドクター」をかかえている者が、一体いくつあるのだろうか。
そもそも論を言えば、災害研究は一義的には自然科学系の研究分野だが、
防災研究となると(自然科学や工学の素養は不可欠だが)社会科学の色彩の強い研究分野となる。
ホームドクターの名を冠するからには、いわゆる大学病院の先生とはちょっと毛色が違う訳で、
市町村職員との同志的付き合いも求められるだろうし、
一般市民が相手のことゆえ、かみ砕いて説明し相手の腑に落とさせることのできる話術も求められよう。
(災害に関する)自分の専門領域のことを、専門領域の言葉を使って話せる人間はそこそこいる。
特に今は(まだ)東日本大震災後の防災バブル。自分の研究分野に無理やりにでも防災を絡ませて
お金を取ってきた者も相当数いるだろう。
だが、彼らにホームドクターが勤まるとは全く思えない。
「中佐一人育てるのに20年かかる」と言われている。
大学や研究機関に籍を置きつつ、職員と一緒に現場に出て、
一般市民からの「くせ球」を逃げることなく受け止めて膝詰で語れる、
そのような任に耐えられる防災研究者が日本に何人いることか……。
防災研究者の側のキャパにも自ずと限度がある。
ある程度以上の質を保つためには、付き合える自治体の数にも限りがある。
土地勘を養うのにそれなりの時間も要することを考えれば、はてさて……。
我が身を振り返ってみるに……。
自称「旅の坊主」=根無し草的な存在ではあるが、富士市、沼津市、四日市市の3つ、
(自治体職員+防災に熱い市民)とであれば、かなり密な関係は築いてきたつもり。
続いて、高知市と福岡市の職員とは親しくお付き合いさせてもらっているが、
そこから先となると……。
今後はS君を介して、下田ともそのような関係性が出来れば、とは思うが、
せいぜいその程度で、10も20も抱えられるはずもない。
地域活動にまったく関心のないが如き防災研究者も少なからずいることを考えれば、
「なんたらアドバイザー(なんちゃってアドバイザー)」ではない、
ホンモノのホームドクターを各自治体に、などというのは、
夢のまた夢、ということ、なのだろうか……。
ゼミの4年生S君が下田市役所の職員採用試験に合格した、とのこと。
親元を離れ寮生活を続けていた鈴木君であったが、来春からは故郷下田に戻り、
学んだ防災を現場で活かす生活に入ることになる。
下田のためにがんばってもらいたい、と心から思う。
さて、S君の就職先が決まったことを受けてちょっと考えてみた。
駿河トラフ・南海トラフ巨大地震が発生すれば甚大な被害発生が必至の下田において、
あるいは別の地域において、地域防災のホームドクターは一体誰なのだろうか。
その人物にはどのような素養が必要で、どのような関わり方が求められているのだろうか。
少し考えてみたい。
1ヶ月ほど前、御嶽山が噴火した。
素人コメンテーターがわかったようなことを言いまくっていて不愉快に思っていたが、それはさておき、
その時、日本の火山学者は40人学級と言われていたことを思い出した。
そしてその延長で、本学開学直前の2000年3月に噴火した有珠山の場合、
ホームドクターと呼ばれる方がおられたなぁ、ということも思い出した。
雲仙・普賢岳の噴火の時もそうだった。
限られた人材の中で、ではあろうが、ホームドクター役を立派に果たしてきた、
何人かの火山学者がいた訳である。
来春からゼミ生S君が下田市役所で勤務を始めることになるが、では、
平成の大合併で数は少なくなったとはいえ、未だ1000を超える市町村で、
いわば「防災のホームドクター」をかかえている者が、一体いくつあるのだろうか。
そもそも論を言えば、災害研究は一義的には自然科学系の研究分野だが、
防災研究となると(自然科学や工学の素養は不可欠だが)社会科学の色彩の強い研究分野となる。
ホームドクターの名を冠するからには、いわゆる大学病院の先生とはちょっと毛色が違う訳で、
市町村職員との同志的付き合いも求められるだろうし、
一般市民が相手のことゆえ、かみ砕いて説明し相手の腑に落とさせることのできる話術も求められよう。
(災害に関する)自分の専門領域のことを、専門領域の言葉を使って話せる人間はそこそこいる。
特に今は(まだ)東日本大震災後の防災バブル。自分の研究分野に無理やりにでも防災を絡ませて
お金を取ってきた者も相当数いるだろう。
だが、彼らにホームドクターが勤まるとは全く思えない。
「中佐一人育てるのに20年かかる」と言われている。
大学や研究機関に籍を置きつつ、職員と一緒に現場に出て、
一般市民からの「くせ球」を逃げることなく受け止めて膝詰で語れる、
そのような任に耐えられる防災研究者が日本に何人いることか……。
防災研究者の側のキャパにも自ずと限度がある。
ある程度以上の質を保つためには、付き合える自治体の数にも限りがある。
土地勘を養うのにそれなりの時間も要することを考えれば、はてさて……。
我が身を振り返ってみるに……。
自称「旅の坊主」=根無し草的な存在ではあるが、富士市、沼津市、四日市市の3つ、
(自治体職員+防災に熱い市民)とであれば、かなり密な関係は築いてきたつもり。
続いて、高知市と福岡市の職員とは親しくお付き合いさせてもらっているが、
そこから先となると……。
今後はS君を介して、下田ともそのような関係性が出来れば、とは思うが、
せいぜいその程度で、10も20も抱えられるはずもない。
地域活動にまったく関心のないが如き防災研究者も少なからずいることを考えれば、
「なんたらアドバイザー(なんちゃってアドバイザー)」ではない、
ホンモノのホームドクターを各自治体に、などというのは、
夢のまた夢、ということ、なのだろうか……。