「旅の坊主」の道中記:常葉大学社会環境学部・小村隆史の防災・危機管理ブログ

日本唯一の防災学部はなくなっても、DIGと防災・危機管理を伝える旅は今日も続いています。

地域防災のホームドクターはどこに?

2014-10-31 19:58:02 | 地域防災
昨30日夜、嬉しい報告があった。
ゼミの4年生S君が下田市役所の職員採用試験に合格した、とのこと。

親元を離れ寮生活を続けていた鈴木君であったが、来春からは故郷下田に戻り、
学んだ防災を現場で活かす生活に入ることになる。
下田のためにがんばってもらいたい、と心から思う。

さて、S君の就職先が決まったことを受けてちょっと考えてみた。
駿河トラフ・南海トラフ巨大地震が発生すれば甚大な被害発生が必至の下田において、
あるいは別の地域において、地域防災のホームドクターは一体誰なのだろうか。
その人物にはどのような素養が必要で、どのような関わり方が求められているのだろうか。
少し考えてみたい。

1ヶ月ほど前、御嶽山が噴火した。
素人コメンテーターがわかったようなことを言いまくっていて不愉快に思っていたが、それはさておき、
その時、日本の火山学者は40人学級と言われていたことを思い出した。
そしてその延長で、本学開学直前の2000年3月に噴火した有珠山の場合、
ホームドクターと呼ばれる方がおられたなぁ、ということも思い出した。
雲仙・普賢岳の噴火の時もそうだった。

限られた人材の中で、ではあろうが、ホームドクター役を立派に果たしてきた、
何人かの火山学者がいた訳である。

来春からゼミ生S君が下田市役所で勤務を始めることになるが、では、
平成の大合併で数は少なくなったとはいえ、未だ1000を超える市町村で、
いわば「防災のホームドクター」をかかえている者が、一体いくつあるのだろうか。

そもそも論を言えば、災害研究は一義的には自然科学系の研究分野だが、
防災研究となると(自然科学や工学の素養は不可欠だが)社会科学の色彩の強い研究分野となる。
ホームドクターの名を冠するからには、いわゆる大学病院の先生とはちょっと毛色が違う訳で、
市町村職員との同志的付き合いも求められるだろうし、
一般市民が相手のことゆえ、かみ砕いて説明し相手の腑に落とさせることのできる話術も求められよう。

(災害に関する)自分の専門領域のことを、専門領域の言葉を使って話せる人間はそこそこいる。
特に今は(まだ)東日本大震災後の防災バブル。自分の研究分野に無理やりにでも防災を絡ませて
お金を取ってきた者も相当数いるだろう。
だが、彼らにホームドクターが勤まるとは全く思えない。

「中佐一人育てるのに20年かかる」と言われている。
大学や研究機関に籍を置きつつ、職員と一緒に現場に出て、
一般市民からの「くせ球」を逃げることなく受け止めて膝詰で語れる、
そのような任に耐えられる防災研究者が日本に何人いることか……。

防災研究者の側のキャパにも自ずと限度がある。
ある程度以上の質を保つためには、付き合える自治体の数にも限りがある。
土地勘を養うのにそれなりの時間も要することを考えれば、はてさて……。

我が身を振り返ってみるに……。
自称「旅の坊主」=根無し草的な存在ではあるが、富士市、沼津市、四日市市の3つ、
(自治体職員+防災に熱い市民)とであれば、かなり密な関係は築いてきたつもり。
続いて、高知市と福岡市の職員とは親しくお付き合いさせてもらっているが、
そこから先となると……。

今後はS君を介して、下田ともそのような関係性が出来れば、とは思うが、
せいぜいその程度で、10も20も抱えられるはずもない。

地域活動にまったく関心のないが如き防災研究者も少なからずいることを考えれば、
「なんたらアドバイザー(なんちゃってアドバイザー)」ではない、
ホンモノのホームドクターを各自治体に、などというのは、
夢のまた夢、ということ、なのだろうか……。

震災対策展(横浜)に向けての仕込みを始める

2014-10-30 22:36:22 | 地域防災
来年2月5日(木)と6日(金)の2日間、
みなとみらい地区の「パシフィコ横浜」にて、第19回震災対策技術展が開催される。

初日5日(木)になる予定であるが、45分の講演をする機会をいただく。
今夕、タイトルと講演概要をまとめ、事務局に送付。
来年2月に向けた仕込みが始まる。

タイトルは、素直に、「災害図上訓練 (Disaster Imagination Game) DIGの過去・現在・未来」とした。

またHPやパンフレット等に載せてもらう講演内容は以下の通り。

「参加型防災ワークショップの事実上の日本標準となった災害図上訓練DIGではあるが、
その、誰もが企画・実施・参加できる簡単さがかえって仇となり、
ニセモノとは言わないまでも、ホンモノとは言えないDIGが世にあふれてしまっている。
正しいDIG、否、DIGを用いての地域防災についての正しい理解・検討・
導いていくべき方向性はどうあるべきか。
DIGの来し方行く末を考案者自らが語ります。」

どのくらいの人数が来て下さるのかはわからないが、
それなりの人数が集まるようであれば、
大阪や宮城での震災対策技術展においても講演の機会を下さるとのこと。

講演概要にも書いたことであるが、
もともとDIGは、その簡単さを売りにしていた。
誰にでも企画・実施・参加できることは、もちろん長所ではあろうが、
その分、マイナスの効果も大きい。

地図を前にただおしゃべりするだけでも、「関心を高める」「地域理解が深まる」
という効果もある訳で、防災面への意味もゼロではないかもしれない。

しかし、その場での議論が、前提が、結論が、防災の観点から見て正しいかどうかを考えるならば、
素人ファシリテーターは危険である。つまりは、しっかりとしたファシリテーター抜きのDIGは
マイナス効果も大きい、ということになる。

何より、DIGにより防災について何かをやった気になってしまうことが怖い。
避難先や避難経路を決めたところで本質的な問題解決には何一つなっていないということを、
どれだけの人が気づいているだろうか、と。

その先のDIG、のためにも、貴重な機会である。
集客も含めて、しっかり仕込んでいかなくては、であるな、と。

土砂災害理解教育は中山間地の地域課題の文脈で

2014-10-29 23:54:40 | 地域防災
15時から2時間ほど、建設コンサルタント御三家の一角、
日本工営静岡事務所のTさんと、土砂災害理解教育について議論をする。
大変充実した時間であった。

Tさんとの議論まで、土砂災害理解教育については、防災の観点から、
つまり「地形」「雨」「土」「情報」「行動」がどのように絡み合うのかを説明すればよし、と、
どこかで思い込んでしまっていたようであった。

これら5つの要素に加え、Tさんからは、災害史についての言及も必要ではないか、との指摘をいただいたが、
それを含め、「安全な場所」を見抜き、その場所場所に応じたリスク認識と対応イメージの確立をすればよい、
と考えていた。

そのこと自体は間違いだとは思わない。
このテーマ自体、大変難しいことであることは百も承知。
それでも、取り組むべき価値があると思っていた。

だが、今日の2時間余で、より大きな文脈でモノを考えるべきではないか、
との示唆をいただき、「うーん!なるほど!」と。

言われて気付く「旅の坊主」も情けないところではあった。

津波防災については、防災だけではなく、
「なりわい」も含めたまちのあり方を考えてナンボ、という話を私自身がしていた。
土砂災害理解教育については、意図せずして視野が狭くなってしまっていたみたい。

高齢化・人口流出・社会資本の老朽化等々、
現在の中山間地が抱える課題が多いことは百も承知だったはず。
土砂災害のハイリスク地域は市街地ではなく中山間地。
とすれば、それらのより大きく根本的な課題抜きに防災対策だけを語っても意味が小さい、
そのことは十分わかっていたはず。

それこそ『撤退の農村計画』に集うような方々の問題意識も踏まえつつ、
まずは30コマ(1日取り×5日)分くらいの分量で、
教育プログラムのたたき台を作る必要がある、ということで、次の課題も明確となる。

静岡市教委の方々との次の打ち合わせまで約1ヶ月。
彼らへの逆提案ということになるが、
本気モードでの検討に耐えられるようなたたき台をつくらなくては、であった。

併せてTさんとは、2ヶ月ないし3ヶ月に一度、アフターの飲み会含みで、
中山間地のコミュニティの将来を考えるような、そのような集まりを仕掛けられないか、
ということで盛り上がる。

事は静岡に限る話ではない。こちらも全国に発信するに値する議論。
年内に1回くらい、集まって議論できることを目標に、
こちらも仕掛け始めなくては、であった。

Tさん、大変勉強になりました。ありがとうございました。

2つのDIGファシリテーター養成講座に向けて

2014-10-28 23:46:42 | DIG
今夕、2つのDIGファシリテーター養成講座の概略が決まる。

一つは学生ボランティア組織の学生・スタッフを対象に。
もう一つは、四国・高知を中心とする防災まちづくりの担い手を対象に。

いずれも、こちらからの仕掛けが起点になっているという点で、
今までの「頼まれ仕事」ベースのものとはちょっと違う、ということになる。

DIGあるいはDIGを介した地域防災について、
長年、「旅の坊主」として辻説法を展開してきたつもりである。
この行動が間違っていたとは思わないが、戦略的な発想があってのものとは言い難い。

年齢も50を過ぎると、辻説法の日々はどうしても肉体的に辛くなってきた。
その一方で、東日本大震災から3年半が経過するが、ニセモノとまでは言わないまでも、
ホンモノとは思えない地域防災論議が圧倒的多数ではないか、
との思いはますます強くなる。

とすれば、もっと戦略的に、横展開のやりやすさやアフターケアの方法も考えつつ、
DIGと、DIGを介した地域防災論議について、
質にこだわったセミナーを考えなくてはならないのだろう、ということになる。

「切り込み隊長」のセンスは今も失っていないつもりだが、
軍師のセンスがあるかと問われるならば、そこは何とも言えない。
ただ、今夕概略が決まった2つのDIGファシリテーター養成講座をきっかけに、
どうすればうまく質の良い地域防災論議を広めていくことが出来るのか、
今まで以上にその点に知恵を絞るようにしたい。

ポイントは明らかである。

① プログラムの標準化。
② 教科書作りと指導書作り。
③ 指導者養成プログラム(いわゆるTTT)。

単に頑張らなくては、ではない。
頑張り方をしっかりと考えねば、であるな、と。

災害看護の出発点

2014-10-27 23:07:41 | 地域防災
数年前から、看護学校での講義を頼まれるようになっている。今年度は3校。
そのうちの一つ、静岡県立東部看護専門学校への出講が今日から始まる。

東部看護では1時間半×15コマの科目の4回分のみ担当している。
非医療人の「旅の坊主」ゆえ、医療・看護に直接かかわる部分は避けつつも、
「静岡で」「この時代に」「看護職になろうという人たち」へのメッセージを発し続けているつもり。

この時代に看護師になろうということは、しかもこの静岡で活躍しようということは、
現役であるうちに100%巨大災害に見舞われることを意味する。
南海トラフ沿いの巨大地震は、ここ5年10年で起こることはないと思うが、
15年を過ぎればリーチがかかる。

その時、現役の看護職であるということは、確実に「役割の衝突」に直面する。
看護職としての自分と、私人としての生活と、
その衝突をさけるためにはどうすればよいか。

看護職になろうという人たちには、
一般の市民よりも少し高いレベルで防災の知識を持ってもらわないと、
その人が災害現場でまた裂きに遭う。

「私生活を犠牲にしてでも傷病者のためにがんばりました」というのは、
美談調の「お涙頂戴ストーリー」にはなるだろうが、
自分の教え子からは出したくはない。

幸いにも、看護師としてのキャリアを歩み始めることが出来れば、
一般人よりも良い給料がもらえる。
それを原資に、「安全な場所」に「安全な家」を構えることが出来れば、
「役割の衝突」リスクをゼロにすることは出来ないまでも、
相当程度低くすることは出来るだろう。

自分の身は自分で守るための方法論として、
「安全な場所」に「安全な家」を構えるということ。

「旅の坊主」流の災害看護論の出発点でもある。