「旅の坊主」の道中記:常葉大学社会環境学部・小村隆史の防災・危機管理ブログ

日本唯一の防災学部はなくなっても、DIGと防災・危機管理を伝える旅は今日も続いています。

「本歌取り(あるいはオマージュ)」と「パクリ」の違いについて

2019-04-03 22:47:42 | 日常の一コマ
夕方、羽田空港に到着。

途中でスーツケースがロスト、
本人より先に帰国という頭を抱えてしまう事態は生じたものの、
他には大きなトラブルもなく、無事に帰国することが出来た。

同じ便で帰国した旅仲間とは羽田空港でお別れして、
20年以上の付き合いのある防災仲間と、
有楽町駅近くの馴染みの中華料理屋さんで一献酌み交わす。

新元号やら、大学のゼミの話やら、定年後の過ごし方やら、
防災危機管理やら、アウシュヴィッツやら、と、話題は飛びまくる。

そういう刺激的な議論が出来る仲間に恵まれていること、
本当に有り難い。

酔い覚ましも兼ねて東京駅に向かう道すがら、
「本歌取り(あるいはオマージュ)」と「パクリ」の話になる。

オリジナルへの敬意を込めた人が行うのが「本歌取り(あるいはオマージュ)」
目先のことしか考えていない人がやるのが「パクリ」

そんな感じかな。

旅の終わりに:白バラ運動記念館の「4つの言葉」+「5つの言葉」

2019-04-02 22:20:17 | 日常の一コマ
ポーランドとドイツを巡る旅も今日が最終日。

ゆっくり目の朝、ホット・ジンジャーエール、土産物買い、
ドイツに春を告げる白アスパラガス、と、旅を楽しむことが出来た。

旅の終わりに、白バラ運動記念館を訪ねる。3回目の訪問。
小中高の教室一つ分くらいの空間ではあるが、展示の内容は本当に素晴らしい。

中央に正方形のテーブルがある。
その四辺にはそれぞれ、

「読む(read)」

「考える(think)」

「議論する(discuss)」

「行動する(act)」

と書かれてある。

その奥には、
ナチドイツに抵抗して処刑された「ショル兄妹」「フーバー教授」ら6名の肖像写真と共に、

「良心(conscience)」

「人間としての尊厳(human dignity)」

「自由(freedom)」

「正義(justice)」

「責任(responsibility)」

の文字が掲げられている。

この国には、
これら「4つの言葉」+「5つの言葉」を掲げている記念館は、
幾つあるのだろう。

(4月3日夕刻の帰国後にアップしました)

本歌取り

2019-04-01 22:43:19 | 日常の一コマ
新しい元号が決まったことを旅先のドイツ・ニュルンベルグの朝に知る。

3月24日(日)未明の羽田空港に始まった今回の旅では、
ワルシャワ・クラクフ・オフィシエンチム(以上ポーランド)、ベルリン・ニュルンベルグ・ミュンヘン(以上ドイツ)と巡り、
かつて日本の同盟国であったドイツ第三帝国が行った蛮行の数々を記憶する場を訪ねてきた。

知識や情報のないところでは意識も生まれない訳で、
現代史に関する己の知識レベルがいかに低いかを痛感させられるものではあったが、
ガイドさんの話を聞き、説明資料を見聞きしているうちに、
「あのとき」何が起きたのか、
「それから」ドイツや周辺諸国がそれらとどのように向き合ってきたのか、
「これから」私たちは何をなすべきか、等々について、
少しは知識も増え、考えることも出来たと思っている。

で、今日のニュルンベルグでのまち歩きの折々に、新しい元号についても旅の仲間と話もした訳だが……。

新元号「令和」の出典は、『万葉集』の「梅花の歌32首」の序、
さらにこの「初春の令月、気淑しく風和らぐ」ですが、『文選』の句を踏まえていることが、
新日本古典文学大系『萬葉集(一)』https://www.iwanami.co.jp/book/b325128.html … の補注に指摘されています。
「「令月」は「仲春令月、時和し気清らかなり」(後漢・張衡「帰田賦・文選巻十五)」とある。」、とのこと。
(この部分、岩波文庫編集部によるツイートより引用)。

これって「本歌取り」ということ、だよね?とすれば……。

日本最古の歌集である万葉集から取った(中国の古典に出典を求めてきた今までとは違う!)と
言い張りたい人には言わせておけばよい。
深くモノを考えない人、知識や情報を大切にしない人にはそれで良い。

でも、先達の残したものに触発され、それに敬意を払えばこそ、人間社会は進んでいくもの。
新元号の出典も「本歌取り」、つまりは先達に敬意を表してのもの。
ということは……。

**********

「あなた(あなた方)に言っても理解できないだろうし、
真の姿はあなた(あなた方)の思惑とは正反対のものゆえ、
気付いたところで認めようとはしないだろうし、
認めることもできないだろう、とは思うのだが……。

あなた(あなた方)は、過去からの積み上げなしに
自分達が独力で達成したと誇らしげに謳いたいのかもしれない。
しかし、人間の社会的営みという現実の中には、
過去からの積み上げなしに出来上がったものなどありはしない。
先人の努力に思いを馳せることをせず、他者に敬意を払うこともせず、
ただひたすらに己の力を信じているとしたら、
一時的に支持を得ることは出来るかもしれないが、永続するものにはなり得ない。

「歴史を記憶しないものは、再び同じ味を味合わざるをえない。」
(アウシュヴィッツ・ビルケナウ強制収容所博物館に掲示されている詩人・哲学者、ジョージ・サンタヤナのメッセージ。)

あなた(あなた方)の目には映らないかもしれないが、
あなた(あなた方)の部下は、あなたが考えているよりも深く広くモノを考えているのです。
あなた(あなた方)は表層が良ければ満足するのでしょうが、
そして、多数派はそれを見てあなた(あなた方)をほめそやすでしょうが、
物事を平和的に進めていくには、多数性が前提となっている社会では、
もっと広く深い配慮が必要なのです。
この機会に、わずかでいいからそのことに気付いてくれれば、
そして、気づいてくれたなら、少しはまともな仕事をして下さい。」

こんな思いを込めた上で仕掛けた人がいたとしたなら、
日本という国にも、まだ可能性が残っているのかもしれない。

今回の旅、ポーランドとドイツにある、いわゆるダークツーリズム施設を見てきた訳だが、
「世界が再び強制収容所を作ることがあるとしても、それはドイツではない」と言い聞かせた
ダッハウ強制収容所のドイツ人ガイドを思い出す。

日本という国は、己が過去に何をやったのかに向かい合うこと自体を否定しようとすらしている。
そのことを確認した上で、「しなやかな少数派」を自認する身としてはどう動くべきか。

そんな思いを抱えつつ、ミュンヘンでの夜が更けて行っている。

広島原爆の日に思う

2018-08-06 21:31:56 | 日常の一コマ
初めて、広島原爆の日、8月6日の午前8時15分を、平和公園で迎える。

メディア的には「祈りと鎮魂の1日」なのだろうが、現実にはヘイトスピーチあり、シュプレヒコールありと、
祈り一色ではないところに、リアルポリティークが現れていた。

前年以前の例を知らないが、警備に当たる警察官の数の多さは異様に思われた。
ではあるが、それもまた、核軍縮(あるいは核軍拡)という問題が持つ特徴の一つなのかもしれない。

心情倫理で国際政治の問題が解決することはない。
少なくても、心情倫理を十二分にカバーし得るリアルポリティーク上の知恵あるいは方法論
(時にしたたかさ・あるいはずるさ)を持たない限り、思いが具体化されることはない。
ある意味で、その現実を、奇妙な形ではあるが、再確認させられた、そんな広島原爆の日、だったのかもしれない。

ただ……。現実を変え得る方法論を持つことの重要性は当然のこととして、
己の原点が何だったのかを抱き続けることも、また重要なことだろうと思っている。

その意味で、以下に、合唱組曲「男声合唱とピアノのための《祈りの虹》」
(作詞:峠三吉、金子光晴、津田定雄/作曲:新実徳英)全4曲より、
終曲〈ヒロシマにかける虹〉の歌詞を記す。

折々に聞き直すべき曲、と思っている。


汐の香が静かに吹き渡ると
まだ冷たいしじまの砂に黎明はひたひたと寄せてくる

次第に公園の楠は明るく
見え隠れする記念碑たちは赤く映えて
ヒロシマはよみがえって来る

みなぎり昇ってきた
八月の太陽はもう暗い影ばかりをつくりはしない

水晶のような川底の砂は
デルタから昇ってきた魚と光りながら語り合っている

過ちは再び繰り返してはならない

研ぎ澄まされた僕の眼と
和らぎを求める人々の眼がヒロシマに集まり
じりじり時を刻んで 死者の時を待っているのだ

今は物質と精神のけじめも対立もなく
普遍者の中に助け合い 川は流れてゆくのだ

もはやカルマもゴルゴダの夜もない

僕は光り輝く霊となり
青みわたる空の中に昇華してゆく

一陣の風が起これば霊はしたたる水となり
涙となってくぐりぬける
美しい虹を咲かせる

これこそ真の神よりヒロシマにかける救いの虹
そして普遍者に応える祈りの虹

七色に大きくふたつの輪を描き
いつしか象徴の花に溶け合い輝き合ってゆく

アベ・マリア・・・

【アウシュヴィッツ・ビルケナウへの旅で考えたこと(その2)】

2018-01-09 23:39:58 | 日常の一コマ
今回の旅では、読めるかどうかは二の次で、相当数の本やDVDを持って来た。
その中に、アウシュヴィッツの収容所長をしていたルドルフ・ヘスの手記『アウシュヴィッツ収容所』(講談社学術文庫)がある。
少し長いが、その冒頭に置かれた「訳者まえがき」を引用することで、
アウシュヴィッツ&ビルケナウで「旅の坊主」が考えたことの一端をお示ししたい。

(訳者は片岡啓治氏。思想評論家。訳者まえがきの日付は1972年8月!
ということは、45年以上前には、これだけの議論はなされていたことになる。
まったく古さを感じないということは、いったいどういうことだろうか。)

「ヘスの恐ろしさ、そしてナチスの全行為の恐ろしさは、
まさに、それが平凡な人間の行為だった、という点にこそある。
どこにでもいる一人の平凡な人間、律儀で、誠実で、それなりに善良で、
生きることにも生真面目な、そういう一人の平凡人(小村注:ルドルフ・ヘスのこと)が、
こうした大領虐殺をもあえてなしうるということは、
誰でもが、あなたであり、私であり、彼であるような、そういう人物が、
それをなしうるということにほかならない。

命令だったから、職務だったから、仕方なかったのだ、といういい方がある。
事実、ニュルンベルグ、また東京の国際軍事法廷で、戦争犯罪、
残虐行為の罪をとわれた者たちの多くが、そういういい方をした。

たしかに、〈組織と人間〉といった図式からすれば、そういう言い方もなりたつかのようではある。
だが、そのいい方を逆にすれば、命令、職務とあれば、人間はどのような残虐な行為でもなしうる、ということになるだろう。
恐ろしさはまさに、人間が、それもごく当たり前の普通の人間が、職務、命令の名において、
それをなしうる、というそのことにある。
しかも、その責めを問われれば、職務であり、命令だったから、ということで免責されるならば、
その行為の真の責任は誰の者となるのだろうか。

かつて、加害者の側に、命令だからという免責の仕方があったとすれば、
その行為を異常人の仕業といいなした被害者のいい方には、それとみあう免責の働きがあったといえよう。
あれは異常人の行為、ということは、自分たち正常なふつうの人間にはそういうことは起こらない、
という自足につらなったからである。
しかし、平凡なふつうの人間誰にでもこのことは起こりうるとしたならば、
もはやどういう意味でもこうした免責はありえず、一方的な被害者、加害者の区別はなりたたなくなる。

(中略)

ナチス・ドイツは、たんに暴力的強制によってだけではなく、
まさにヘスであるような無名の普通人たちの自発的な参加、行動がなければ、成りたちもせず、
存続することも出来なかった。」

「歴史を記憶しないものは、再び同じ味を味あわざるをえない。」
アウシュヴィッツ4号館の入り口に掲げられていた、ジョージ・サンタヤナ(哲学者・詩人・評論家)の言葉。

自分も、一つ状況が変わっていたら、ヘスやアイヒマンのようになっていたかもしれない、
そういう「自分自身への怖さ」をみながみな、持てるようになれば、
最悪の状況は防ぎ得るのかもしれないが、今の日本で、それは可能なのだろうか……。