「旅の坊主」の道中記:常葉大学社会環境学部・小村隆史の防災・危機管理ブログ

日本唯一の防災学部はなくなっても、DIGと防災・危機管理を伝える旅は今日も続いています。

【NHKスペシャルでの仮設住宅を巡る問題提起&災害救助法理解は正しいか(その4、最終回)】

2017-03-15 16:32:10 | 東日本大震災(東北地方太平洋沖地震)
標記について、4回に分けてのコメント?問題提起?をさせていただいたが、
本ブログを読んだ皆さん方にとって、腑に落ちるものだっただろうか?
それとも的外れのものに思われただろうか?

防災・危機管理を考える上で私が常に意識していることが一つある。
それは、自分の論点は「間口の広い防災」に相応しいものか否か、ということ。
言葉を替えれば、部分最適解ではなく、全体最適解を意識した(目指した)立論を行っているか、ということ。

そのことを私は、例えば「避難で問題は解決しない!」という言葉で伝えようとしている。
避難成功、しかし、人生最大の買い物は流され、ふるさとはがれきと化す。
その後の生活は誰が面倒を見る?その後の人生はどうなる?超広域災害で行政にどれだけの力があると思っている?
等々をイメージしてのもの。
もっとも、このような言葉でピンと来てくれる人は、依然として圧倒的な少数派ではある。
避難イコール防災、避難すれば何とかなる、という刷り込みは、かなりの難敵である……。

Nスぺが扱ったテーマ、特に後半で取り扱われた首都直下地震発生後の仮住まい確保の困難さについては、
建物倒壊による犠牲者を少なくする、災害医療の需要を低くする、ガレキの発生量を抑える、等々も含め、
平常時に、どこまで家の質を高めておくことが出来るか、以外に、解決のポイントはないと思う。

私有公有とを問わず、社会資本としての住宅(広くは建築物一般)の質をどうやって高めるか。
それも、建て直しという数十年に一度の話ではなく、可能な限り継続的な形で出来ないか。
多くの専門家が取り組んでいる課題だとは思うが、やはりこの点が勘所ではないか、と思う。

もちろん、それが一朝一夕にできるような代物でないことが、この問題の難しさ。
しかし、少なくても、借り上げ仮設用の基準額を引き上げれば何とかなるような、
そんな単純かつ簡単な問題ではないことは明らかだと思う。

論点の最後に言及しておきたかったことは、このテーマで番組を作ろうというのであれば、
時事通信の中川和之さんや国交省の佐々木晶二さんといった、
このテーマに以前から取り組んでこられた方々としっかり議論をしたのだろうか、ということ。

室崎先生(現在は兵庫県立教育大)へのインタビューは番組でも紹介された。
ではあるが、室崎先生の問題意識・問題提起が、作り手である方々に理解され、番組に活かされたようには思えなかった。

災害救助法についての中川さんの解説は、私の災救法理解の基礎となっているが、
Nスぺでの災救法改正への問題提起は、15年以上前にしっかりとした議論の末まとめられたものを、
研究会の一員でもあった中川さんから何度となく聞かされた論点を見直すだけの説得力を持たなかった。
(『近代消防』誌上に発表された中川論文は、ネットのどこかに残っていないだろうか……。)

佐々木さんは、書籍やブログの読者として当方が一方的に存じ上げているのみだが、
その佐々木さんによる、予防から復旧復興へのシームレスな法制度作りを、という問題意識・問題提起も、
Nスぺの中からは伝わってこなかった。

残念ながら、先日のNスぺは、担当者が、部分最適解を全体最適解と見誤った上で、
そのまま番組を作ってしまったのではないのか、と思われてならない。
あるいは、少しだけ防災をかじった人による「ちょこっと防災」だったのかもしれない。
「間口の広い防災」という感覚を持ち得ていたならば、
もっと大きくもっと深い図式の中にこの問題を位置付けられたのではないだろうか、
と、私は考えている。

異論反論、お待ちしています。

【NHKスペシャルでの仮設住宅を巡る問題提起&災害救助法理解は正しいか(その3)】

2017-03-14 13:36:59 | 東日本大震災(東北地方太平洋沖地震)
番組後半のテーマ、首都直下地震発生時の仮設住宅対策についても疑問の山また山。

6.
仮設住宅が必要になる、イコール、住んでいた家が地震で潰れ住む所を失ってしまったということ。
もちろん時間的には地震で家が潰れるのが先。
機会があれば担当者氏に問うてみたいのは、
「家が潰れた時、そこに(住んで)いた人がどうなるのか」についての言及がない理由。
(議論がぼやける、あるいは過去の議論を繰り返す必要はない、等々と考えたのだろうか……。)

震度6弱の揺れなら、よほど酷い作りの家であっても死者が出ることは稀であろう。
新築物件であれば木造・非木造問わず震度7でも倒壊には至るまい。
議論されるべきは旧基準木造に震度6強の揺れが襲いかかる時の話。
もちろんこれらは地震防災の「イロハのイ」。

熊本地震での対応のように建ててしまった仮設住宅に空きが出たので半壊でも入居を認める、
というようなことは、首都直下の場合は考えられない。そんな余裕があるとはとても思えない。
(ちなみに、熊本地震でのこのような処置は大変大きな間違いであったと私は考えているが、それは別の話。)

仮設住宅必要戸数のすべてが自宅全壊による、とするならば、
それだけの仮設住宅の確保が本当に可能なの?を検討することはもちろんあってしかるべきだが、
ただ、モノの順序として、家が全壊するような揺れが起きたら「何が」「どのくらい」生じるか、について、
先に議論されるべきであろうし、そしてこの論点についての議論がされ尽くしたとはまったく思っていない。

家に潰されることで生じる絶望的な数の死者をどう減らすか。

かの「宮本フォーマット」に当てはめて考えるならば、こんな感じになる。

(1)震度6強なら、概ね「全壊家屋10戸に対して倒壊家屋が1戸」発生する。
首都直下地震で全壊家屋を61万戸と見積もるならば、単純計算で倒壊家屋は6万1千戸。
倒壊となれば、人の生き死にに直結する被害となる。
家屋倒壊の瞬間1階に何人いるかは発生時間によって大きく異なるが、
単純に1戸に1人として6万1千人の生き埋め・閉じ込めが発生する。

(2)生き埋め・閉じ込めの半数が重傷者になると考えれば約3万人の重傷者が発生する。

(3)重傷者数のうち1/3が死亡すると考えれば約1万人の死者が発生する。

家が潰れるような揺れでも無事(無傷)で済むだろうから、という前提でもない限り、
仮住まいの確保の前に議論すべき課題をすっ飛ばして構わない、という話にはならないと思う。

(付け加えるならば、町中に溢れるガレキをどうするかについても語ってほしかった。
都内の空き地という空き地は、当然仮設住宅適地ではあるが、ガレキの中間保管場所適地でもある。
今回のNスぺ、首都直下地震における「空き地の奪い合い(=限られたオープンスペースの時間別機能別マネジメント)」
のテーマとして掘り下げたならば、Nスぺに相応しいものになったと思うのだが……。)

7:
で、このように考える時、首都直下地震での仮設住宅対策の本質は一つしかない。
というか、それ以外はあり得ない。

そしてそのことは、この地震による死者をどう減らすかのテーマとそっくりそのまま重なるものでもある。
しかし、そのような図式での番組構成になっていた、とは私には思われなかった。

【NHKスペシャルでの仮設住宅を巡る問題提起&災害救助法理解は正しいか(その2)】

2017-03-13 19:42:25 | 東日本大震災(東北地方太平洋沖地震)
昨日に引き続き、
東日本大震災7回忌当日の午後8時という絶好のタイミングで放送されたにもかかわらず、
頭を抱えるほど疑問の数々が湧いてしまったNHKスペシャルへの疑問群の提起。
若干表題を変えましたがご容赦を。

4.政治による積極的介入の無さを突っ込むべきであった、と思う。
あるいは、政治力が最も必要とされる場面でサボった、という批判(非難)でもよいかもしれない。
さらに言えば、政治家にとって防災は「(表向きはさておき)実態はどうでもよい話扱い」ということの証左として、
論じることも出来たと思う。

昨日も述べたように、災害救助法は、運用の解釈を相当柔軟にすることで、
制度設計時点では予想し得ない将来の事態への対処も可能発生し得るようなものにしよう、
という精神(「思い」と呼ぶべきかな?)で作られた制度。

実務の世界でそれを担うのは、一方は自治体(基礎自治体と都道府県の双方)、
もう一方は国(昔々は厚生省。東日本大震災当時は厚労省で今は内閣府防災)。
もちろんそこには財務省(旧大蔵省)も絡む訳だが、
現実政治の中で最も影響力を行使し得るのは、当然のことながら与野党議員になる。
というか、そうならなければおかしい。
(つい先日、忖度の議論があったはずだが、こういう時には都合良くわすれてくれているようで……。)

番組の尺的には、担当参事官(課長)へのインタビューではなく、
バッチ付きへのインタビュー、それも与野党双方へのインタビューこそが、メインにならなければおかしかった、とすら思う。
「アンタたちがしっかり制度を活かさなかったから、こんなアホな話になってしまったんだよ!」という、
極めて分かりやすいストーリーが展開できたはずなのに……。
担当者氏は何を意図して参事官を取材していたのか、まったくわからん。

5.モラルハザードの議論はどこに?
被災者が無謬の正義とは限らない。
メディア的にはなかなか扱いづらい論点であることは百も承知。
しかし、「仮設住宅にいる限り住居費はタダ!」という制度が、モラルハザードに繋がりかねない点から目を逸らしてはなるまい。

個々人にとって被災体験は一生に一度あるかないかの一大事態ゆえ、茫然自失するのは当然のこと。
それでも、多少時間はかかろうとも再び自立(自律)してもらわなければならない。

再び歩み出すにあたっての大きな方針決定は、日本人の精神性に大きな影響を与えてきた仏教行事のタイミングで言えば、
四十九日から百ヶ日を経て一周忌までの間に、粗々は決まってくるのではないか、と思う。
あるいは三回忌まで引き摺ってしまうこともあるかもしれない。

災救法の立法者はさすがと言うべきで、
「三回忌まで引き摺っても気にしないで下さいね」というのが法制度運営上の原則になっている。
しかし、2年間を3回繰り返したという時間は、問題の先送りにしても長すぎると思う。

(復興公営住宅が建たなかったから?
そこに人と金が回らないような「巨大バカ騒ぎ」を仕掛け、今もやらせ続けているのは、
マリオになった人とその取り巻きではなかったっけ???)

3年目以降は、
「こんな所に長くいるもんじゃない」
「他人様の善意にすがる側から、善意をほどこす側に移っても良い時期じゃないの」等々、
「追い出し」とは言わず「日常生活を取り戻す」と言いたいが、
家賃を取り始めることも含め、制度設計の主旨に反した「甘え得」をさせない方向への導き
(ここには叱咤も含まれると思う)、そしてそれを担ってきた担当者の苦労、
等々について、しっかりと番組にまとめてほしかった、と思っている。

メモにはあと3つ論点が記されている。それらは明日以降に。

【NHKの仮設住宅についての理解&災害救助法の理解は正しい?(その1)】

2017-03-12 20:55:15 | 東日本大震災(東北地方太平洋沖地震)
東日本大震災7回忌を期しての現地踏破も、2日目は気仙沼から石巻までを駆け足で見たのみゆえ、
個別の場所・施設へのコメントはご容赦を。

ただ、7回忌の時点でまだこの段階?というのが総じてのところ。

もちろん、この遅さの要因をしっかり見極め、今からでも修正が間に合うところはお手伝いし、
他方、次にはもう少しうまく出来るよう仕込んでおかないと、である。

少なくても、

「被災地に足を運ぶ度、震災から6年を経て、復興は着実に進展していることを実感します。
インフラの復旧がほぼ終了し、住まいの再建や産業・生業の再生も一歩ずつ進展するとともに、
福島においても順次避難指示の解除が行われるなど、復興は新たな段階に入りつつあることを感じます。」

と、言ってしまえる人と理解し合えるとは思えなかった。

まぁ、かの御仁には何の期待もなく、
これ以上日本をダメにする前にお引き取りいただきたいとただひたすら願っているが、
期待していた分、期待外れだったのが昨日のNHKスペシャル。

せっかくの3月11日、土曜日の20時を使っての番組であれば、別の組み立て方があっただろうに……、と思った。

以下、疑問に思った点を示す。

1.防災の一義的な責務は単位自治体である市町村にあり(災対法)。
当然その費用も(一義的にはand/or一時的には)市町村が負担することになる。
住む場所を失った者への仮設住宅の提供にしてもこの原則は変わらない。
とはいえ、財政基盤の弱い自治体に制度の「筋」を示したところで「無い袖は振れない」のは当然のこと。
それゆえ、制度を発動させるか否かの基準被災規模を定めた上で、
都道府県費で積み立てる基金と国費から、限定列挙&基準額表示の上で、
「かくかくしかじかの用途であれば国費県費から幾ら幾ら支援します」というのが制度の根幹。
この制度を利活用せず「私達は市町村独自の支出で手厚い被災者支援を行います」という選択だって、
首長がその気になりさえすれば(&財政がそれを許せば)実行可能。
もっとも、定食メニューなら市町村負担ゼロという申し入れを断ってアラカルトで独自に手厚い支援を行い、
「でも請求書は(国県が)面倒見てね」という話は通らないと思うが。
ともあれ、被災者の自立(自律)支援についての基礎自治体の主体性についての議論はどこにあったの?という話。

2.1にしたところで、杓子定規に「かくかくしかじかは幾ら!」と決まっている訳ではない。
メニュー自体、相当充実しているし
(「災害救助法事務取扱要領」の分厚さを見よ。一般論だが担当者が知らないがゆえに活かされていない制度も相当あるのでと思われる)、
基準額ではどうにもならない場合は「積極的に申し出よ。申し出があればそう悪いようにはしない」という柔軟性が大前提となっているのが災救法の世界。
原則2年の仮設住宅の延長使用が出来たのも、この柔軟性ゆえ。
この災救法の仕組み最大の特長と言える特別基準について、番組内での言及はほぼゼロだったのでは?
(私が目を外した約2分に言及されていたら「ごめんなさい」だけれど……)
                                                       
3.番組でも言及のあった阪神淡路大震災後の災救法見直しの際には、
「将来、現時点では想像も出来ないような事態が生じるかもしれない」
「そのような不測事態への対応を現時点での議論で縛ってしまうことは避けたい」との思いから、
意図的意識的に制度の改正はせず、古い法制度にはままある良い意味でのアバウトさ(「良(い)い加減」)を残し、
将来時点の担当者の知恵(発想の柔軟さ等々)を信じよう(特別基準を活かしてほしい!)、
という話になったと、研究会参加者から直接聞いて理解している。

うーん、こりゃぁ、書き足りない!
続きは稿を改めて。

【東日本大震災7回忌に】

2017-03-11 15:10:28 | 東日本大震災(東北地方太平洋沖地震)
更新が滞ってしまっていた。

区切りの時に何回か「この機会に再開を」と思ってはみたものの実行に至らず。
そうこうしているうちに、東日本大震災から7回忌の日が来てしまった。
防災・危機管理を謳うブログであれば、今日3月11日くらい再開のタイミングに相応しい日はあるまい。

今週の仕事の段取りが悪く、また週明けからは年中行事とし
ているカンボジア・シェムリアップ訪問の予定があるため、
実質1泊2日の短期間なれど、この日を期しての現地踏破のため岩手・宮城を移動中。
限られた時間ゆえ、今回は釜石から石巻の間のみを見ることとして、福島は3月中に再訪することにした。
旅のお供は、いつものように『東日本大震災津波詳細地図(上下)』と『津波被災前・後の記録 宮城・岩手・福島 航空写真集』の必携2冊、
そして現地踏破のたびに読み直している『津波と村』『海の見える病院』『ゴーストタウンから死者は出ない』の3冊。
今回、新たに加わったのは佐々木晶二氏による『政策課題別 都市計画制度徹底活用法』(ぎょうせい、2015年)。

「ピカピカのゴーストタウン」がモンスターになりつつある、と、陸前高田在住の友人が伝えてくれた。
周年行事は五十日(ごとうび)ならぬ五十年(ごとうねん)が区切りだが、
仏教行事での、そして仏事の形で日本人の精神性に影響を与えてきたのは、
四十九日、百ヶ日、一周忌、三回忌、そして七回忌という区切りではないか、と思っている。

2014年春の現地踏破の際、石巻・大川小学校近くのお寺に、
初七日から三十三回忌まで、どの菩薩や如来がその折の導き手かがわかる石板が寄進されていたのを見かけ、
ハッとさせられたことを思い出す。
一周忌までに方向性が固まり、三回忌には新しい暮らしが始まっている、
そんなふうに時が流れていってほしい、と、書いたのは、このブログだっただろうか。
ただ、その時には「七回忌までにはこうなっていてほしい」という、
具体的なイメージは持ててはいなかった。

今考えるなら、新しい生活が安定し、辛いことも乗り越えたがゆえの昔話が出来るようになっている、
そんなところであってほしい、と思う。

だが現実は、岩手・宮城・福島の3県で未だ12万5千人近い方々が避難生活を続けている。

復興が遅いということは簡単。
しかしそれは、防災・危機管理の世界に生きている者にとっては、
己が果たすべき役割を果たしていないと言っているのに等しい。

昨年4月の熊本地震で、大変遅まきながら(=今頃になって恥ずかしい限りであるが)、佐々木晶二という名前を知った。
佐々木さんに比べれば、己の活動なんぞモノの数にも入らない。
せめて、佐々木さんに認めてもらえるレベルの情報発信を続けなければ、と、
大船渡・盛駅でその時を迎えつつ、己に言い聞かせているところ。