「旅の坊主」の道中記:常葉大学社会環境学部・小村隆史の防災・危機管理ブログ

日本唯一の防災学部はなくなっても、DIGと防災・危機管理を伝える旅は今日も続いています。

「防災教育のあるべき姿と地震津波防災DIG・土砂災害対策DIG」(その2)

2015-09-30 23:47:15 | 防災教育
9月下旬以降更新が滞っていた拙ブログの更新を、体育の日に絡む三連休を使い
(10月10日は終日「ふじのくにDIGセミナー」ゆえ実質的には2日間)、
バックデータは掟破りと百も承知で、「この日何をやっていたっけ?」と思い出しつつPCに向かっていた。
何とか10月に入れそう、ということで、少しだけホッとしている。

上半期最後の日は、数日続いての原稿書きのテンションがピークに達していた日だった。
水曜日は1年ゼミと2年ゼミのある日だが、4年生の力も借りてそのゼミを何とか乗り切り、
残りの全精力をかけ、原稿書きならぬ原稿削りに専念していた記憶がある。

9月29日分の更新に引き続き、拙稿の一部を一足先に読者各位にお示ししたい。
「旅の坊主」側には絶対の自信はあるが、異論はあるかもしれない。
どこがどう違うのかをぶつけ合うことで、より高いレベルでの防災教育の実践が出来ることを願いつつ。

*****

「釜石の奇跡」再考:避難をしなくてもすむまちづくりこそが防災

東日本大震災において釜石市の小中学校に通う児童生徒のほぼ全員が無事避難できたことは、
「釜石の奇跡」として防災関係者には良く知られている。
筆者もまた、「釜石の奇跡」の立役者である群馬大学の片田敏孝先生をはじめ、
釜石市また岩手県の防災教育関係者に敬意を表する者の一人である。
しかし、今後もあのような教育を展開すべきと言う人がいれば、筆者は「ちょっと待ってくれ!」と言いたい。

「与えられた条件下で(避難についての)ベストを尽くせ」との教えは、
対応の防災教育としては100%正しい。しかし、予防にはつながらない。
戦闘レベルの教えとしては正しいが、戦術レベルでももちろん戦略レベルでもない。
「今起こったらどうするか」の現在形の教えではあっても、
「避難しなくても済むまちづくりを担える者になれ」との未来形の教えでもない。

ベストを尽くせと言うならば、避難せざるを得ないような状況に陥らないように、
あるいは避難しなくても済むような状況を作ることにベストを尽くせ、ではないのか?

「戦略の失敗は戦術では取り戻せない」とは、
軍事・戦略の分野では言い古された言葉であるが、防災にも当てはまる。
この場合、戦略を重要施設の立地、広義には「まち・くにのかたち」と、
戦術を避難と読み替えれば良い。
避難で命は守れる「かもしれない」が、避難でふるさとは守れず、人生も守れない、と教えるべきである。
いわんや南海トラフ地震は東日本大震災と比較して震源域波源域が近いので、
(津波高はともかく)津波襲来までの時間ははるかに短い。
避難で命を守れるかどうかも保証の限りではない、と教えるべきだろう。

ましてや教育の「有効期限」は一生涯である。
筆者は、大人になって自宅購入を考える時には津波リスクを考えて安全な高台を選びかつ購える者、
医療機関・社会福祉施設・学校・行政機関が安全な場所になければ「間違っている!」「変えていかなくては!」と
主張できる者を育てたい、と思っている。

*****

改めて読み返してみる時、紙幅がもう少しあったならば、もっと掘り下げることも出来ただろうに、
と思う部分も多いが、それは、己が単著を書く時には十二分に展開しよう、と、
自らに言い聞かせているところ。

(10月12日 記す)

「防災教育のあるべき姿と地震津波防災DIG・土砂災害対策DIG」(その1)

2015-09-29 23:24:26 | 防災教育
ノマド・ワーカーという言葉はもちろん知っていたし、
大学を離れ東京で打ち合わせなどがある時には、実際そのような活動ぶりであることは十分自覚していた。
何せ自称は「旅の坊主」。

それでも、一日のうちにスタバ3店に4回行くというのは、人生初めての経験。
そんなことをやりつつ何とか原稿を書いていた、というのがこの日だった。

前日の土砂災害対策DIGの振り返り会と鈴木光さんの誕生会の後、東日本橋のホテルに投宿。
その後、例によっての「自主的カンヅメ」での原稿書きで取り組んだのが標記の原稿。

9月上旬のカンボジア滞在中、何とか書き上げた防災教育についての原稿だったが、
この拙稿12000文字は総論に相当する部分だけだった。
で、この総論部分だけでも収録してもらえればよいだろう、と思っていたのだが、
編集委員会の要望は、むしろ各論にあった。
(本の構成を見る限りだが、総論部分の薄さは否めないだろうに、と、思っていたのだが……。)
で、各論部分も盛り込んだ上で10000字程度にしてくれ、というのが編集者からの指示。
締切を伸ばしに伸ばしてもらっている身ゆえ、強いことも言えず、で、
歯科治療と夕方のブレストの時間を除いて、ひたすら原稿書き&原稿削除という1日だった。

この日の夜までに出来たことは、各論を付け加える方向で15000字ほどの原稿をまとめたこと。
で、メールの送受信記録を見ると、翌水曜日の午後イチに11000文字まで減らしたものを送っている。
この日と翌30日はさぞや血圧が高かったことだろうと思う。
(実際、頭の左側がガンガンいっていたことを思い出す。よくぞまぁ、血管が切れずに済んだなぁ、とも。)

多少の無理をしたが(本当に無理をしたのは、「旅の坊主」の無理を聞いた編集者側だったのだろうが)、
おかげで、久しぶりに読むに値する論考をまとめることが出来た、という手応えはあった。

実際に出版されるのはもう少し先のことになるが、
問題提起の意味もあり、その内容の一部なりとも一足先に紹介したい、と思う。
(禁転載でお願いします。)

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問題の所在

防災教育と子どもたちに聞けば、
多くは「揺れたら机の下にもぐること」「避難所や避難経路の確認」「お・は・し・も」「非常用持ち出し袋の準備」と答えるだろう。
大人に聞いても答えは大差あるまい。
では、被災者が次のように語ったなら、教育者は何と続けるだろう。
子どもたちは何を考えるだろう。

避難には成功しました。しかし、私は「人生最大の買い物」である家を失い、職場も失い、
人生を完全に狂わされてしまいました。そして私のふるさとは災害で破壊されました。
防災教育といっても、学校では年1回の避難訓練しか思い出せません……。

教育とは、未来を担う者たちにメッセージを託すことである。
今から概ね20年以降(2038年という説もある)のある日、伊豆半島から九州東岸までの太平洋沿岸を襲う巨大災害がある。
90年から150年の周期でこの地域を襲ってきた巨大災害の、直近の発生から今年(2015年)で70年。
被災範囲の広さと社会経済的影響の大きさから「先進国日本の最後の日」「日本が三流国家に落ち込む」とすら言われる災害である。
今日学びの過程にある子どもたちは、この巨大災害が起こる日には社会の中核世代である。
では、彼ら彼女らに避難を教えておけばこの巨大災害の被害は防げるのか。

防災は「予防」「対応」「復旧・復興」の三本柱からなるが、
最も重要なのは「予防に勝る防災なし」という考えである。
「避難をするのが防災」との間違った刷り込みにはぬぐい難いものがあるが、
本来は「避難をしなくて済むようにするのが防災」である。
つまりは「多少時間はかかっても、避難をしなくても済む家に住もう。避難しなくて済むまちを作ろう」でなければならない。
「避難成功(しかし人生崩壊・故郷消滅)」のレベルで満足してもらっては困るのである。

では、世に溢れる防災教育は、そのような中身を教えているのだろうか?この点について筆者は、極めて否定的である。
「大人になったら、避難しなくても済むまちをつくる担い手となってもらいたい」というメッセージが託されているようには
筆者にはまったく思えないのである。

小論では、このような問題意識から防災教育のあるべき姿を考えてみたい。
前半は総論として防災教育の体系を「2つの軸」「4つの段階」で示してみたい。
また後半は各論・実践論として、地震・津波防災と土砂災害対策を取り上げ、
筆者らが開発した災害図上訓練DIG(Disaster Imagination Game)のノウハウの
防災教育への活かし方について説明することにしたい。

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いささか挑発的とは思うが、言っていることには絶対の自信あり!
さて皆さま、いかが受け止められましたでしょうか?

(10月12日 記す)

土砂災害理解教育DIGを振り返って:素晴らしき仲間達との振り返り&誕生日会に

2015-09-28 23:47:18 | 防災教育
振り返ってみれば、御前崎から戻ってからの数日が怒涛のようなものだった。

「原稿の締め切りは前もってわかっているのだから、シルバーウィーク中に何とかならなかったか?」と、
他人は言うだろうし、
それが正しい突っ込みだということも十分わかっているのだが、
原稿書きの神様が降りてくるまでは、どうもパソコンに向かっても手が動かない……。

いつも思うのだが、逆算して計画を立てそれを実行するためには、
何か特別な学びなり特別なセンスなりが必要、ということ、なのだろうか???

ともあれ、この日(とその前後)の「旅の坊主」の行動を思い出すならば……。

前日から「自主的カンヅメ」になった品川のホテルで、
午前4時くらいまでかかってしまったが『近代消防』誌上で連載している原稿をあらかたまとめ、
さらに仮眠の間「原稿を寝かせた」上で、担当Eさんに送付したのが9時過ぎ。

シャワーを浴びてチェックアウトの後、別の防災教育の原稿について担当Eさんに電話。
この日までに連絡がないと「落とすよ!」と言われていたもので、
とりあえず、翌29日中の概成をということで、ギリギリのところなれど、締切を伸ばしてもらった。

近代消防編集部を訪問して加筆修正&ゲラの確認、昼食の後、近代消防社近くのスタバで防災教育の原稿書き。
その後、タクシーで御茶ノ水・ワテラスタワーへ移動、
ゼンリンの会議室にて、8月14日に行った土砂災害理解教育DIG(教員免許更新講習)の振り返りの会を、
多くの仲間と共に行うことが出来た。

振り返りはしっかりと出来たが、これから先、どのような方向で進めていくべきか、については、
当方の司会進行が悪く、十分深めることが出来なかったように思う。
反省……。

ともあれ、この日の総括の一部は、数日後、
「防災教育のあるべき姿と地震・津波防災DIG・土砂災害対策DIG」という
原稿にまとめられることにもなった。
そう遠くないうちに、この論文についても紹介したい、と思う。

大船渡からのお客さまも交えて、土砂災害理解教育DIGのコアメンバーの一人、
鈴木光さんの誕生日を祝う。

いささかピンボケの感もあるけれど、ますますのご活躍を願っています!

(10月12日 記す)

村野淳子さんの講演を聞く

2015-09-27 23:42:48 | 地域防災
かつて、一人県社協とも言われた、元大分県社会福祉協議会の村野淳子さん。
思うところあって、昨年度末で大分県社協を退職され、今はフリーで活躍されている。

「女性のための防災・減災リーダー養成講座」の講師の一人として招かれ、
この日の午前中、御前崎市民会館で講演をして下さった。

今年4月、退職間もない村野さんに静岡までご足労いただき、お話を伺ったことがあった。
それ以来となるが、やはり、半年に一度くらい村野さんの話を聞かないと感覚が鈍る、
そんなことを思わせるだけの、発言の重さ鋭さ深さがあった。

「地域で共に生きる活動」の演題で講演をされたのだが、
手元のメモを元に、村野さんの話(の一部)を再構成するならば、こんな感じだろうか。

*****

世の中には、多様なお困りごとに苦しんでいる方々がおられる。
その方々に対して、支援の手を差し伸べる仕組み作りも重要なのだろうが、
より本質的には、それらの方々を、被災者のままにしておかない、という、
そのような(当事者も含めた)行動の場を作っていくということ、
それが重要なのではないのだろうか。

避難所運営訓練にも質が求められている。
重要なのは、避難所運営が出来る人材の育成であり、
さらに一歩進めるならば、避難所運営を教えられる者になってくれ、ということでもある。
そのような、避難所運営を教えるポテンシャルを持つ方々に集まってもらい、
集まってもらったことの意味をしっかり伝えた上で、マニュアル作りを行った。

一緒に学んで育てるということを意識する必要がある。
その際、行政には、テーブル作りという役割が期待されている。

等々。

*****

こういう話を出来る方と、仲間付き合いが出来ているということの有難さ、
改めて感じる次第。

この日は、午後のセミナーのためにおいでになった秋冨慎司先生にご挨拶をした後、
大学に戻り、学生の保護者さんと2時間近く議論。
さらにその後、原稿書きのため自主的に「カンヅメ」になるべく、夜の新幹線で東京へ、
そんな一日だったように覚えている。

(10月12日 記す)

5万図×261枚との格闘(その2):全体と細部・状況把握の両立はどれほど困難な作業となるか

2015-09-26 23:53:10 | 防災学
「御前崎の落合さん」こと、御前崎災害支援ネットワーク代表の落合美恵子さんからの依頼で、
今年も彼の地で開催される「女性のための防災・減災リーダー養成講座」で、
南海トラフ巨大地震の被害イメージについて、話をすることになった。

この日9月26日(土)午後の時間が本番。しかるに準備はまだ終わっていない。
スタッフの皆さんに準備を手伝っていただき何とかギリギリで間に合わせることが出来た。
(落合さん、スタッフの皆さん、ありがとうございました。)

それにしても……。自分で仕掛けておいてこんなことを言うのは何だが、想像以上のサイズだった。
261枚という大きさは、「一望する」という範囲を超えていた。
これを見ても、全体状況はむしろわかりにくくなるだろう。そのことが痛感させられた。

もし、この災害への救援作戦を本気で指揮しようというならば、
この範囲(地図)を一望出来るよう、体育館のようなスペースの床に置き、
透明シートをかぶせた上で、それを二階の観覧席から見下ろすような、そういうものになるのだろう。
実際のオペレーションでは、さらに2×2倍の版面を持つ1/25000図が良いかもしれない。
(出来上がりイメージは40m×20mという感じになる。)

各府県・市町村担当は、地図上に状況を示しつつ、その状況を見ながら、
地図周辺に置かれた机で議論しつつ対応し、その状況は地図上に図示し、
俯瞰してみる役割の者は上から(状況により双眼鏡で眺めつつ)全体を見下ろしながら行う、
そのようなイメージを持つことが出来た。

デジタルの時代ではあるが、アナログでモノを整理しない(できない)限り、
つまりは紙地図を使いこなすことが出来ない者がデジタルの地図上で作戦を語っても、
間抜けなものになってしまうだろう……。

こんな想を得ることが出来たのも、落合さん&お仲間が機会を作って下さり、そして、
地図貼りあわせの汗を流してくれたおかげであり、感謝、感謝の一言に尽きる。

被災範囲の広さは、地図上でも容易に理解できる。
この広さを考える時、外部からの支援に依拠した災害対応には本質的に無理がある。
20年をかけて、被害を出さないまちをどうやって作るのか。
その本質に迫る活動を展開させるためにも、この、巨大地図を使ったワーク、
もっと一般的なものにしていかなくては、であった。

原稿を抱えつつ、この夜は久しぶりにカラオケ。
清水町のKさんと曲の趣味がドンピシャでした。
60年代、70年代には良い歌が多かったよなぁって、「旅の坊主」はその時何歳だったっけ?

(10月12日 記す)