「旅の坊主」の道中記:常葉大学社会環境学部・小村隆史の防災・危機管理ブログ

日本唯一の防災学部はなくなっても、DIGと防災・危機管理を伝える旅は今日も続いています。

Sweet Memories

2010-12-31 23:15:53 | 中米防災協力(プロジェクトBOSAI)
いろいろなことのあった2010年も、この日まで。

朝方、成田発のチャイナエアで叔父一家4人がホノルル着。
叔父たちのホテルはクヒオ通りをはさんだ反対側。
打ち合わせも兼ねて出迎えにいったところ、
ほぼ予定の時刻にストレッチリムジンが到着。
まさかと思ったが、窓が開いて叔父の顔が現れる。
航空券+宿+送迎のパックツアーとのことだったが、
モノによってはこういうサービスもあるのかと、
妙に納得してしまった。

チェックインにはまだ時間があるので、荷物だけ預かってもらい、
まずは我々のホテルの部屋で一息ついてもらう。
その後、8人そろっての遅い朝食(というかブランチ)を、
アウトリガー・ワイキキ・オン・ザ・ビーチのオーシャンフロントのレストラン&バー、
「デュークス・カヌークラブ・ワイキキ」て。

オープンエアのレストランでの朝食など、日本ではなかなか行く機会はないが、
(実のところ、中米でも高級ホテルには、そういう場所がそこそこあったりするのだが)
こういう場所では、潮風を感じ、潮騒を聞きながら、というのが、
豊かな時間の過ごし方、というものなのだろう。
こういう朝食だけでも、オフの気分を盛り立ててくれる。

夜行便で疲れているであろう叔父一家にホテルのベッドを提供して、
母、妹夫婦に付き合ってもらい、アラモアナ・ショッピング・センター近くの
ドンキホーテへ。

ハワイに向かう数日前、
「当地なら、日本食材が買えるのだ!」ということに気付き、
ネットで調べてみると、そこは日本人客の多い(=情報も多い)ホノルルゆえ、
すぐにかなりのことがわかり、この日の買い物ツアー(?)となる。

日本のドンキさんとは多少趣が異なり、普通の大型スーパーというところ。
それにしても、日本食材のあることあること……。
なければないで過ごせるが(実際過ごしてきたが)、
あればあるで嬉しいし、買いたくもなる。身を持って思い知らされた。
品ぞろえのあまりの良さに、スーツケースを一つしか持ってこなかったことが、
本気で悔やまれた。

ハワイに日本食材買い出しツアーとは、
「お前さん、何を考えているのだか」と言われそうだが……。

15時過ぎ、2010年最後の食事を兼ねて、
オアフ島の南東の海岸を2時間ほどドライブ。
生涯の思い出ということで、リムジンを奮発!
(大晦日という特異日だったが、8で割れば奮発の範疇で収まった。)

ダイヤモンドヘッドを海側から周り、石原裕次郎が住んでいたという別荘を見て、
ハナウマ・ベイ、潮吹き岩、「ライオン島」や「亀島」を遠望するドライブの後、
ハワイカイにある「オリジナル・ロイズ・レストラン・イン・ハワイカイ」へ。
相当な有名店らしいのだが、叔父が2ヶ月前から予約していたこともあり、
2010年最後の日没を、2階の南西の角のテーブルで見ることが出来た。
ワインと料理、おしゃべりで、今年1年を振り返る。
最後は、単なる酔っ払いの集団と化してしまったが……。

メニューの最後、デザートという言葉の代わりに、Sweet Memoriesとあった。

Sweet Memories
良い響きの、まさに年の終わりに相応しい言葉であった。

いろいろなことがあった1年は、かくて幕を閉じていった。


                             (1月5日アップ)

ワイキキでの休日

2010-12-30 23:02:03 | 中米防災協力(プロジェクトBOSAI)
ワイキキ滞在2日目。

前日にハワイ名物ABCストアで買い込んだアンパンとおにぎりで朝食を済ませ
(これはこれで、考えようによっては感涙モノだったりする……)
9時過ぎにホテルを出て、バスでダイヤモンドヘッドへ。

噂に名高いダイヤモンドヘッド。
なるほど、火山とはこういう形をしているものなのか、ということが、
一目でわかるような形をしている。
外輪山の外側にバス停があり、外輪山を登り、外輪山をつらぬくトンネルを抜けて、
火口(クレーター)の中に入り、クレーター側から外輪山の一番高い場所を目指す。

その一番高いところに、監視哨という昔流の表現がやはり相応しいと思うのだが、
監視哨の跡地があって、観光スポットとなっている。

その辺りの情報は、ググれば一発で出てくるのだろうが、
やはりそこは「聞くと見るとは大違い」というところだろう。
正直言えば、意外と小さいものなのだなぁ、というところはあったが。

2時間弱ほどの「エクササイズ」を終えると昼食の時間となり、
クレーター内の公園入口からタクシーで、
ワイキキの「チーズバーガーパラダイス」へ。

雰囲気はなるほどリゾート。
店内からでも浜辺を見渡せるテーブル席は「マル」であった。
パイナップル型の入れ物に入れて供されるジュース、
それをおでこに乗せて運ぶ(時には二段重ねも!)店員、
フラ姿の女性が大きなハンバーガーを持った店のデザイン、など、
いかにもワイキキのハンバーガー・レストラン、という感じ。
オフなればこそ、こういう場での昼食があってこそ、かもしれない。

午後、ホテルの部屋で少し昼寝。
夕方、母と妹はフラダンスの無料講習に参加。
終わったころに会場に着いた男二人は、ブーブーの苦情を受ける。
写真の一つくらい撮っておくように、とのことだった。

その後、夕食のためのレストランを探すも、なかなか手頃なものが見つからず。
しっかりと調べて予約をしておくべき、というのが教訓と言えよう。
結局のところ、ロイヤルハワイアンセンター2階のフードコートで、
家族4人、それぞれが好きなものを注文、という形で落ち着く。

「旅の坊主」が選んだ「塩ラーメン+餃子+チャーハン」というのは、
「それはないだろう……」か「まぁ、それもありか……」、
どちらの評価となるだろうか。

                            (1月4日アップ)

何もしない時間の豊かさ

2010-12-29 23:49:59 | 中米防災協力(プロジェクトBOSAI)
少し夜更かしをしてしまい、
その分、朝が多少遅くなってしまった。

ホテルのサービスで空港への無料シャトルバスはあったものの、
気が急くこともあり、小雨の中、タクシーでヒューストン国際空港へ。

中米への赴任の時にもお世話になった、
コンチネンタル航空のラウンジで少しだけのんびりした後、
CO1便にてホノルルまで、8時間余の空の旅。
昼間のフライトだったが、適当にうとうとしつつ、
雨上がりのホノルルへ。

急ぐ旅でなし、タクシーを使うまでもこともあるまい、というので、
シャトルバスを利用して、ワイキキはクヒオ通りもかなり東に行った、
「アクアバンブー&スパ」へ投宿。

母と妹夫婦は羽田発のハワイアン航空で2時間ほど前に到着済み。
今回、大阪に住む弟夫婦が来られなかったのが残念であるが、
母とはメキシコ以来、妹とは成田空港以来、義弟とは夏休み以来の再会となる。
みな、息災で何より、というところ、か。

ハワイの楽しみ方は、詳しい人が山ほどいるだろうからその人に譲るとしても、
数日を過ごすとなると、キッチン・食器・調理器具付きの部屋はありがたい。

荷物を置き、一休みの後、散歩に出る。
リゾート地やショッピングとは縁のない生活をしてきた身としては、
ワイキキのような場所には、違和感とまでは言わないものの、
何というか、違うなぁ、という感覚は否めなかった。

間違いなく楽である。安全でもある。清潔でもある。
でも、こういう場所は例外中の例外。そのことを見ている身ゆえ……。

まぁ、リゾート地を語るのに難しい話は無粋というものか。

飛び込みであったが、シーフード&ステーキレストランで少し早目の夕食をとり、
(世の中にコロナビールの大瓶なるものが存在しているのを初めて知る)、
食後のコーヒーを、モアナ・サーフライダー・ウェスティン・リゾート・アンド・スパの
(長い名前だ!)ザ・ビーチ・バーにて。
タイミング良く、波打ち際に近いテーブルを確保できた。

何もしない時間、何も考えない時間、その豊かさ。
リゾート地の豊かさというのは、そういうものなのかも。


                            (1月4日アップ)

年越しはハワイで?!(初日)

2010-12-28 23:26:46 | 中米防災協力(プロジェクトBOSAI)
生まれてこの方、我が家では、
1月2日午後に親戚一同が集まって年始の会を持つのが恒例だった。

それが、2010年~2011年にかけての年末年始は、
「旅の坊主」が中米に来ていることもあり、
「太平洋の真ん中で会おうか」という、
壮大な?話がなぜか具体化してしまった。

芸能人じゃあるまいし、我が家がワイキキ海岸で年越しなど、
数年前であれば一笑に付したところだが、
ものには時機というのがあるようで、
母、妹夫婦、叔父一家、そして「旅の坊主」自身にも、
それぞれ「この機会に」「一生に一度だから」との思いがあったようだ。
残念ながら、全員揃うと26名となる親戚のうち、
8名のみの参加という、ささやかなものとはなったが。

ともあれ、この日の午後、サンサルバドルを発ち、
まずは経由地のヒューストンへ、ということになる。

10時過ぎにタクシーを頼み、コマラパ国際空港へ。
この空港も、ずいぶんと馴染みとなった。
いつもなら、毎度おなじみのポジョ・カンペーロのお世話になるのだが、
この日はチェックインの後、そのままイミグレを通り、
免税店でラム酒やコーヒーなどの土産物の買い物で時間をつぶす。

予定よりも多少遅れたものの、CO827便は無事ヒューストンへ。
日本のサイトで予約していたハイアットプレースに投宿。

5マイル圏内ならばホテルの車で無料送迎するよ、とのことで、
夕食に、フロントで紹介された中華料理屋を希望するも、
すでに店で食べる時間は終わったとかで、
デリバリーでのワンタンスープ、焼き餃子、チャーハンを頼む。

多少は期待したのだが……。やはりダメだった。
ワンタンスープの中身と焼き餃子の中身が同じとは……。
(それならそれと、しっかり書いておいてくれ!)

総じて中華料理には、そう外れはないのだが、
「日本一」の餃子が食べられなくなって久しく、
ちょっと期待してしまったのが間違いだったのかも。
量だけは多かったが、こればかりは……。

                         (1月3日アップ)

静岡図上訓練プロジェクトにスカイプ参加&『ワイルドソウル(下)』一気読み

2010-12-27 23:08:48 | 中米防災協力(プロジェクトBOSAI)
暮れも押し迫った、日本時間での12月27日(月)15時~17時。
エルサルバドル時間では、イロパンゴ湖を一回りして、
中華風の鍋を楽しんだ後の、日曜深夜の話である。

地元静岡の静岡県ボランティア協会とスカイプでつなぎ、
3月5日(土)、6日(日)の両日に予定されている、
「第6回静岡県内外の災害ボランティアによる救援活動のための図上訓練」
(長い名前だ!)
に向けた、検討委員会に参加する。

「東海地震等に備えた災害ボランティアネットワーク委員会」というのが正式名称で、
最近はN委員会と略されるこの委員会が、静岡図上訓練の企画運営を行っている。
今では内閣府防災担当も一目置くようになった、300名規模でのこの図上訓練であるが、
初回と第2回は、見るも無残な出来であった。

図上訓練の企画運営をやらせるなら、日本のトップクラスを自任する「旅の坊主」、
余りの状況に、静岡ボラ協のOさんに「押しかけ助っ人」を申し入れ、
それ以降の図上訓練では、訓練全体の監修とファシリテーターを担ってきた。

10年2月末に行われた第5回訓練からは、次世代育成を意識して、
ある部分は静岡県内のキーパーソンに、
またある部分は30代の将来が楽しみなボランティア関係者に、
ファシリテーションの一部を委ねてきた。

第6回は、「旅の坊主」が中米滞在中ということもあり、
前回以上に、N委員会のコアメンバーにお願いする部分が増えるが、
その分、こちらが新しい部分に挑戦が出来る訳であり、
そのあり方をいろいろと考える。

新書本の1冊でも書けるだけのノウハウは蓄積されているのだろうが、
何せ遅筆ゆえ、形にならない。
せめてもということで、年明け1月下旬をメドに、
参加者の1/3くらいを占める初回参加者向けの説明資料の作成を買って出る。
自分で自分の首を絞めている、との思いがない訳ではないが……。

それにしても、便利な時代になったもの。
地球の裏側の議論が、ネットへの接続料だけで、リアルタイムで共有できるのだから。
年明けから、こちらの原稿書きも本格化する。
さてさて、スケジュール管理はどうなることやら……。

2時間余の議論に付き合った後、
つまりは26時を過ぎてからという話になるのだが、
未読のままになっていた、板垣涼介の『ワイルドソウル(下)』を、
文字通り一気読み。

気がついたら朝になっていたなんて、久しぶりの経験だが、
本好きの端くれとしても、この作品が持つパワーには圧倒される。
作者ご本人に会ってみたくなる、そんな本でもあった。
書評等では大きく取り扱われている本ゆえ、ちょっとググってみれば、
あらすじ等はいくらも出てくるだろう。
ご関心ある方、だまされたと思ってご一読あれ。一気に引っ張られますよ。

もっとも……。それらのおかげもあって、
エルサルバドル時間での12月27日(月)は、
午後も遅くなってから始まり、
翌日からのオフに向けた荷造りだけで終わってしまったが。


                              (1月3日アップ)