「旅の坊主」の道中記:常葉大学社会環境学部・小村隆史の防災・危機管理ブログ

日本唯一の防災学部はなくなっても、DIGと防災・危機管理を伝える旅は今日も続いています。

門前町総持寺前 手仕事屋のご主人の独白から

2007-04-30 23:37:47 | Weblog
 「手仕事屋」のご主人の独白、人柄を想像させるような味のある文章だった。
 以下、デジカメで撮った一節を起こしたものを載せておく。

*****

 退屈な方へ

 人が生まれ、そして死ぬ。能登に人が住みついてから、一体どのくらいの
年数を経ただろう。何千年と人の生き死にが積重ねられ、人々の記憶の中に
何が残り、何が消え去ったのだろうか。地球という星の、針の先の1点よりも
小さい場所での、人生の積重ねと繰り返し。

 地域が消え去ろうとしている。経済という人の暮し向きの為に生まれた行為が、
人々を支配し大きな魔物になって針の先のような地域を消し去ろうとしている。
自然の豊かさも、積重ねられた人の知恵も「経済」という魔物の前では価値観を
無くしてしまっている。経済行為で大金を手にした若者が「金で買えない物は
無い」と豪語して世の中の話題になっていた。元来、人々の暮し向きを豊かに
するために発達したはずの科学が、経済行為の価値観のみで見られ騒動を起こして
いる。実態と虚の線引きの判断がしにくく、紙幣の有る無しを豊かさの価値観と
する心貧しい人々が増えてしまった社会なのだ。

 「良い生活より良い人生」と言う言葉がある。世の中の少数派となってしまったが、
良い人生をまっとう出来る人は美しい。

 都心の一等地に何億円も出してマンションを買う生活。電気と水とガスが止まれば、
あんな厄介なものは無いだろう。隙間風の入る小さな木造の能登の家で暮す生活が
どれだけ安全と安心か。山の中で幾つもの湧き水を見つけてありそのまま飲めるし、
薪になる林や竹やぶに囲まれ、ちょっと工夫すれば炭が焼けるし、山漆の実が
たわわに実っているからローソクも造れるだろう。ヤスリを買っておけばガンドや
ノコギリの切れ味は保てるし、砥石を用意しておけば鉈や鎌は随分長時間の使用に
足りる。何より老人が多いから知恵が至る所にごろごろしている。

 鄙びた田舎、雅な都会。
 幾つになっても、目の前の現象に振り廻されて暮すのも人生。
 貧乏だけど、自然に生かされ、穏やかに暮すのも人生。
 生き方を選ぶのは貴方自身。

 合掌

 手仕事屋 店主 拝

*****

 経済という魔物の力をどう考えればよいのだろう……。

                           (5月20日、遅ればせながらアップ)

2回目の能登半島「観光」(その2)

2007-04-29 23:54:53 | Weblog
 4月28日(土)、朝方は雷雨だったが昼前には晴れ渡った。
 地震から再び立ち上がろうとしている、能登半島・輪島への訪問記、その
続きである。

***************

 朝市は、売り手と買い手がコミュニケーションを楽しむ場でもあるの
だろうが、「お兄ちゃん、買ってぇな」の声に、どうにも「単なる観光客」に
なりきれず、ただ漫然と歩くのみであった。
 何と返事をすればよかったのか……。

 朝市を後に、市内をぶらつく。総じて普通の生活が戻っているが、ところ
どころに更地があり、一部ではガレキを搬出中でもあった。「虫に食われた
ように」とは良く使われる表現だが、まさにぴったりである。地形的な要素も
あろうが、やはり建物の作りや築年次で運命が決まってしまったのだろうと
思う。正確には悉皆調査を待たなければならないだろうが。

 「復興記念 輪島塗総ざらえ市」
 「お見舞い感謝価格 3~6割引」

 こんな看板に誘われ、塚田海岸の稲忠漆芸会館まで歩く。やはり、「今日は
観光バスが何台来た」というのが最大の関心事の様子。本当なら、小皿の1枚
でも土産に、というところなのだろうが、同じお金を使うならば、もっと必要と
している人もいるだろう、ということで、ここはパスさせてもらう。

 朝市通りの東側に、「わいち界隈」と呼ばれる一角がある。工房長屋を
はじめ、曰く「新旧の輪風の家が並ぶ町並み」なのだそうな。その中にある
「輪島やぶ本店」で能登の蕎麦をいただく。しっかりとした、良い味を出して
いる「構え」の店。調度品の被害は相当あっただろうが、何はともあれ、この
「構え」は地震にも何とかなったようである。

 「蕎麦前」なる言葉があるそうな。お酒のことなのだそうな。日本海側では
いろいろな場所で見ることができる「ニシンの棒煮」のご当地版をいただき
ながら、「蕎麦前」を手酌。付け合せは昆布の佃煮だった。

 棒煮と佃煮の二つともが美味であったがゆえに、死んだ親父を思い出す。
 親父が生きていたなら、この季節には山椒の若芽で佃煮を作り、親戚一同に
配っていた。ニシンの棒煮は親父も好きだった。

 休日の昼下がりである。被災から復興しようというこの地においても、手酌
酒で思うのは被災者のことではなく、親父のことか……。

 2時前のバスで、道の駅輪島「ふらっと訪夢」から門前へ向かう。
 更地あり。更地に仮設店舗を建てて営業を再開した店あり。被災地でいつも
思うことであるが、本拠地である自宅や店舗を失ってしまった人々に、何と
言えばよいのか……。防災・危機管理の研究者といっても、無力なものである。
「予防に勝る防災ナシ」と言うのは簡単であり、120%正しい。しかし、
目の前にいる人を助けられずに、何が「旅の坊主」であろうか……。

 前回来た時に気になっていた総持寺祖院門前の「手仕事屋」。これまた
蕎麦の店である。格子戸に張り紙が2つ。

 「観光客のみなさま この時期の訪れを心から感謝いたします」
 「一期一会 応援・支援の皆様 ご苦労さんです 心より感謝いたします」

 一観光客として、蕎麦をいただくことくらいは出来る。というので、おぼろ
豆腐をつまみに再び「蕎麦前」をいただく。

                                      (この日の項、つづく)
                                      (5月4日アップ)

和倉温泉から輪島へ

2007-04-28 23:00:36 | Weblog
 6時半過ぎに起床。シャワーを浴び、朝食も取らずにチェックアウト。
タクシーで和倉温泉の街中を急ぎ足で一回り。運転手氏によれば、当地には、
往時は40~50のホテル・旅館があったとのこと。だが、ホテル・ニュー・
ジャパンの火災以降、マル適マーク取得のためのスプリンクラー等設備への
投資の絡みで、幾つかは淘汰・取り壊され、別のホテル・旅館の駐車場になった
ものもあったとか。

 かの加賀屋。新聞報道によれば、宿泊客を断ったことによる損失が20億、
修復費用が10億とのこと。それだけの収入減&経費を覚悟しても、もてなしの
質を低くすることは出来ない、ということなのであろう。最上級の部屋は
1泊30万とか40万とか。玄関・庭・専属の調理師等々。うーん、ちょっと
世界が違う……。

 ともあれ、この加賀屋も28日からは営業を再開とのこと。プロ中のプロの
もてなしが再開されたことを、まずは喜ぼう。

 そのまま和倉温泉駅まで送ってもらい、のと鉄道のワンマン運転・一両編成の
気動車で穴水へ。時刻通りならば輪島行きのバスに接続できるはずだったのだが、
そこは単線区間。待ち合わせの電車が遅れるとこちらも待たざるを得ない。
で15分ほど遅れて穴水着。それに合わせてバスを待たせてくれればよいのに、
さっさと出発してしまった模様。次のバスまで1時間45分。ウーンと考え、
結局6,300円払ってタクシーで輪島市へ。

 まずは道の駅輪島へ。目に付いたのがポスター2種。観光地には観光客が来て
くれることが最大の支援。という訳で、和倉温泉・輪島温泉の両おかみの会の
方々による「もてなしは健在です」と、『釣りバカ日誌』の浜チャンこと西田
敏行さんと、スーさんこと三国連太郎さんをイメージ・キャラクターに活用し、
応援メッセージを寄せてもらったもの。いずれも「元気宣言 能登」とある。
さて、輪島市観光課や輪島市観光協会は、このポスターをどういうところに
送り、貼ってもらっているのだろうか……。

 今宵の宿、ルートイン輪島まで動き、チェックインまでにはまだ時間が
あったので荷物だけ預け、身軽になったところでまずは朝市通りへ。

 前回、3月末に来た時には小雨混じりの土曜日の午後でもあり、道を歩く
人もほとんどなかった。今回は、少しは観光客の出足も戻りつつある、といった
感じ。360mほどの朝市通りを2往復、か。新聞記者と思しき格好の人も
数人見かける。客足はどうか、という質問であろう。答えは聞くまでもなく
「悪い」「もっと観光客に来てほしい」の一言であろうが……。

 はてさて、どういう記事に仕上げていくのだろうか……。

                                       (5月3日アップ)

富士発、兵庫県教委・災害対応研究会・美々卯のうどんすき経由、和倉温泉へ

2007-04-27 16:26:01 | Weblog
 朝、富士を出発、新幹線で新大阪。在来線に乗り換え、大阪駅のコイン
ロッカーに荷物を預けてまずは三宮・兵庫県庁へ。県教委にM先生を訪ね、
5末~6初の2泊3日の合宿研修・学校安全指導者養成研修について
1時間ほど議論。

 お施主さんである文部科学省サイドに、(学校での)防災教育・防災訓練に
ついてどういうイメージがあるのか、どうにも理解できない中、M先生と
ウンウン言いながらアイディアを練る。

 M先生の発言の中からはっとさせられたことが一つ。恐らく99%の学校に
とっては、防災教育の指定校にでもならない限り、年1回1コマ50分以外に、
防災教育に時間を使うことはないだろう、とのこと。この発言は、けっこう
ショックであった。

 出前講座でお付き合いしている学校の多くは、少なくとも50分×2コマ
ないし4コマ、多くは50分×10コマ程度、所によっては一学期分や通年の
プログラムを求められることすらある。しかし、それらは例外中の例外という
ことなのだろうか。

 では、現役世代として、21世紀の半ばまでにはまず間違いなく襲ってくる
「スーパー広域災害」について、「お・は・し・も」のような避難訓練を防災教育と
呼ぶことで、将来の世代に対する責任を果たしていると言えるのだろうか……。

 考えされられるところ、非常に大。

 午後は大阪・関電会館へ。京都大学防災研究所のH先生主宰による災害対応
研究会の例会。その前身が阪神淡路大震災のあった年の6月にスタートした訳
だから、もう12年の長きになる。今回は、災害時における排泄の問題と、
災害とゴミ(特に水害ゴミの処置)についての2題の報告。災害時における
「静脈系」社会システムについてはまだまだ議論されていない。大いに考えさせ
られる。

 終了後は、いつものように場所を改めての懇親会。今回、はじめて、かの
「美々卯」の「うどんすき」をいただく。なるほど、うどんを高級鍋料理に
アレンジしたものだったのだ、と納得。それにしても、うどんすきをパクつき
ながら、災害時の排泄やトイレの問題を声高に議論しているのだから、ここに
集まっている面々は、相当「いってしまっている」なぁ……。

 国際防災協力の大ベテラン、Wさんから、タイ・プーケット島の土石流災害の
危険性について、いろいろと教えていただく。風化花崗岩で出来た島、災害
リスクを考慮しない開発、舗装道路が土石流の経路になるであろうこと、犠牲者が
出た時の国際的インパクトの大きさ、等々。先日、現地を見てきたつもりだった
が、眼力の無さを痛感する。7月にタイに行けるとして、きちんと見ておける
だろうか……。

 GW前半の土、日を能登で過ごすべく、雷鳥47号で金沢、さらに各駅停車に
乗り換えて七尾、最後はタクシーで今宵の宿のアルファーワン能登和倉へ。

                                       (4月30日アップ)

「大人はわかってくれない」、か……

2007-04-26 23:44:59 | Weblog
 午後イチ、成績不良学生を呼び出しての面談。先輩のN教授と教務課Fさん。
丸2年大学にいて取得した単位が約20。当然のことながら残り2年で卒業できない
ことは現時点で確定。それでいて、気持ちを整理するために半年休学したいと
いう。心機一転してやり直したところで、プラス1年での卒業は難しかろう。
ということは、どう考えてもあと500万円近い金がかかる。本人そのことを
どう考えているのか……。

 過去の類似の事例から「このままでは休学後の退学が目に見えている」と述べるも、
「考え方が根本的に違っているからわかってもらえない」とは本人の弁。所詮は、
「大人はわかってくれない」をやってしまっただけ、か……。

 「予想を裏切ってくれることを切に願う」と言ったものの、虚しさの残る1時間
であった。

 4、5限はゼミ。ゼミ名物?、国土地理院の20万図をつなげて作った縦2.5m
横5mほどの大きさの日本地図を前に、5分ほどのプレゼンをさせようというもの。
慣れた者には何ということはないが、人前で話すことが苦手な者にとっては10名に
満たない仲間の前で話すことさえ大仕事。すべては場数なのだが……。

 がんばれば「化ける」学生もいる。新ゼミ生よ、うまく化けてくれよ!

                                       (4月30日アップ)