「旅の坊主」の道中記:常葉大学社会環境学部・小村隆史の防災・危機管理ブログ

日本唯一の防災学部はなくなっても、DIGと防災・危機管理を伝える旅は今日も続いています。

図上訓練指導員の意見交換会に参加して

2015-03-04 23:54:08 | 防災訓練
10時から17時まで、東京・竹橋にて、
消防科学総合センターが育成・派遣している図上訓練指導員の意見交換会。
午前中の活動報告や来年度の活動予定の報告・検討から同席させてもらい、
午後の4時間、DIGのデモをさせてもらった。

図上訓練指導員の制度は平成17年度に生まれた、とのこと。
その立ち上げの時期に多少携わったことはあるものの、
それから10年近くの間、そんなに密接な関係があった訳ではなかった。

昨年来、DIGの来し方の見直しをする中で、
図上訓練指導員が行っているDIGのプログラムはどのようなものか、
正確に言えば、彼らがどのような思いでDIGにまた地域防災に取り組んでいるのか、
その部分が気になるようになっていた。

レベル0のDIGと呼ぶようになったが、
地図を囲みつつ「ああでもない、こうでもない」と議論すること、
そのようなDIGにどのような意味があるのか、自問自答の日々が続いている。

防災意識が高まっても、被害を減らすことは出来ない。
「ああでもない、こうでもない」という議論で、「やった感」だけはあるかもしれないが、
立地と構造の見直しに繋がらなければ、地域の改善とは言えない。
それでも、地図を囲むことに意味がある、と言うべきなのか。
このところ、ずっと考えている。

4時間の間、地域防災指導員の皆さんに、ずっと球を投げ続けていたのだが、
「なぜその点にこだわるのか(≒レベル0のDIGでも十分効果的)」
「小村さんが思っているほど、地域は進んでいない」
「小村さんのプログラムをやると地域がもめる」等々、
こちらが考えていたのとは、かなり趣の異なる反応があった。

こちらの球(≒問題意識)を受け止めてもらえなかった、という訳ではない。
地域防災の物語の必要性やファシリテーターに求められるもの、
立地や構造の重要性等々について、理解してくれたと思っている。
その辺りは、彼ら彼女らが活動していることと、大きく異なるものではないだろうから。

ただ、どこかに、釈然としないものが残った。
それは何だろうか……。

ともあれ、全国に30数名という少人数ではあるが、図上訓練指導員として、
一定以上のパフォーマンスを果たしている人たちがいる。

現場で一緒に仕事をする機会が与えられるのかどうか、それはわからないが、
年1回でも、これから、問題意識を共有する時間を共に過ごすことが出来れば、
そのように思っている。

長大トンネルにおける多重衝突事故対応の図上訓練に向けて

2015-02-09 14:43:15 | 防災訓練
午前中、NEXCO中日本の富士保全・サービスセンターからお二方が来校。

管内にある4kmを越える長大トンネルで多重衝突事故があった場合の関係機関の対応について、
DIGのノウハウで検討するワークショップを行いたいのだが、ご協力願えないだろうか、
というのが来意の主旨。

もちろん、当方に否はない。具体的な訓練内容等について2時間ほどブレスト。

一口に多重衝突事故といっても、訓練参加者の習熟度もあり、
また、複数の機関が参加しての訓練企画は実質的に初めての機会、となれば、
まずは人間関係づくりを、ということになる。
という訳で、「終了後の懇親会のセットは必ずお願いしますね」ということとして、
レベル感についても、少し議論することが出来た。

仮のレベル分け&ネーミングではあるが、

レベル0:通常の態勢の延長上で対応できるもの
 (⇒負傷者数1桁・路肩まで塞がれることはないレベル)
レベル1:大規模事故としてモードを切り替える必要なのあるもの
(⇒負傷者数10名以上・路肩まで塞がれ通り抜け不能・増援要請必須等のレベル)
レベル2:それ以上の段階
(⇒負傷者数50名以上・要毒劇物対応・構造物破損等のレベル)
 (注:ひょっとしたらレベル3やレベル4を作る必要もあるかもしれないが)

くらいには分けて考える必要があるのだろう。

高速道路上での事故対応DIGについても、過去、何度となく行ってきたこと。
ただ、今にして思えばの話であるが……。

その回その回のDIGの成果・効果という意味では、お施主さん(依頼者)を失望させたことはないつもり。
しかし、外部講師(この場合「旅の坊主」)を招いての一発モノのDIG、ではなく、
当初から、先方からすればノウハウの学習(=独力でも実施できるようにする(なる)こと)、
当方からすればノウハウの移転(=行かなくても概ね間違いのないDIGを実施できるようにすること)について、
そのことを織り込んだプログラムとして作り上げるまでは、意識していなかったと思う。

ビジネスとして考えるなら、肝心要のノウハウは決して外には出さない、となるのだろうが、
当方はビジネスでやっている訳ではない。
(正確には、ビジネスには出来なかった、というべきかもしれないが……。)

「お免状ビジネス」が良いとは決して思っていないし、はっきり言えば大嫌いである。
訓練企画・指導を売っている人物にも何人か心当たりがあるが、
1名を除き、彼らの行う訓練の質がどの程度のものか、甚だ疑問に思っている。
そのレベルに堕したくない、というプライドもある。

先日の震災対策技術展の場で「ミニ小村を1000人育てることを考えよ!」と言われたように、
防災・危機管理の精神を広げていくためには、初めから横展開を意識しておく必要がある。
実際のDIGは3月下旬以降になると思うのだが、それまでの間、
横展開も意識したプログラム作りを心がけなくては、と思っている。

幸いにも富士保全・サービスセンターは大学から車で10分もかからない場所。
本番までの間、またそこから先も、何回か通うことになりそうである。

匿名希望さんのコメントに

2014-11-07 14:59:35 | 防災訓練
コメント欄に返信すればよかったのだろうが、考え方を整理しているうちに少し長くなってしまった。
というので、ノルマ(?)を果たすという意味ではないが、ここにアップすることにする。

オリジナルのコメントは、志賀原発の総合防災訓練を茶番と批判した11月3日の書き込みへのもの。
「よくわかんない例えが多くて何が問題なのかよくわからんかった。」という、短文ではあるのだが。

*****

お名前がありませんでしたが、コメントありがとうございました。

ことはそんなに難しい話ではないのです。
東日本大震災における福島第一原発の事故を目の当りにした私達日本人は、
原発は事故を起こすものだ、ということを、十分理解したはずです。
であればこそ、「起きてもらっては困ることは考えない」という意味での想定外から卒業して、
「実際に起こったことは再び三度起こり得る」とした上で、
本気で問題点を洗い出す訓練が必要なはず、ということを言いたいだけなのです。

ただ、そのような「あるべき姿」からすれば、今回の志賀原発総合防災訓練は茶番劇であり、
『東京新聞』がとりあげた川内原発の避難計画も「よくぞまぁこんないい加減なものを出せたね」という
レベルの代物ではないか、という話です。

内田樹さんという方が書かれた『下流志向:学ばない子供たち、働かない若者たち』(講談社文庫)の中に、
若い世代には、意味がわからないことは、世の中に存在しないことにすることで、
心の平安を保とうというメカニズムが働いているのではないか、との主張があります。

都合の悪いことはないことにする、と言い換えてもよいかもしれません。
そして、弱い生き物の生き方としては、それもありなのだろう、とも言っています。
原典にあたっていないので、正確な引用ではありませんが。

若い世代に限らないことでしょう。
世の中の誰もが、わからないもの、都合の悪いものは存在しないものとして、
頭の外に追い出すようなことをしていくと、その先に待っているものは何か。

プロの端くれとして、そういう情けないことをする訳にはいかない訳で、
少しでも問題点を明らかにし、かつ、しかるべき対案も付けた上で、
主張すべきは主張しなくてはなるまい、と思っているところです。

原発事故に限らず、防災・危機管理について、
モノを考えるきっかけになってくれれば嬉しく思います。

志賀原発総合防災訓練の茶番劇に思う(とりあえずのラストとして)

2014-11-06 23:37:03 | 防災訓練
facebook仲間のタイムラインにあった今朝の『東京新聞』。
http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2014110602000137.html

茶番劇は何度も見たくはないが、そして、
どこの世界にも本気でモノを考えている者が一人くらいはいるだろうと期待して日々を送っている身であるが、
世の中は「旅の坊主」が思っている以上に情けないものらしい。

私達は「醒めない悪夢」の中にいるのだろうか。

何に一番恐怖を感じたかと言えば、こんないい加減なものであっても、
「合理的かつ具体的」と政治的指導者が言っていること。

この国はいつから、
政治指導者はうそを言ってもよいという国に、成り下がってしまったのだろうか……。

2年ほど前のこと。
中部圏のとある超優良企業の防災訓練を、かなり本気で知恵を出して支援したことがある。
役員を対象とする初動対応プロセスの確認訓練であり、読み上げ原稿のある訓練ではあった。
だが、その読み上げ原稿は、その社の防災室のスタッフと外部アドバイザーM氏、そして
M氏からの依頼を受けて「旅の坊主」が作り込んでいった。

トップをはじめとする経営陣に「自分の果たすべき役割は何なのか」に気付いてもらえるよう、
果たすべき役割の明文化すなわちそのまま本番でも使えるよう、作り込んだつもりである。

空虚な言葉をもてあそぶ時間的余裕はないはず。

社員の腑に落ちる言葉でビジョンを示すこと。

それがトップや経営陣の役割のはず。そのような訓練に携わることが出来て、本当に勉強になった。

志賀原発の総合防災訓練は、本当に「突っ込みどころ満載」の茶番劇であり、
突っ込みどころは手元に幾つも残っているが、この辺りで一度ピリオドをうつこととしたい。
なぜって?他にも取り上げるべき防災・危機管理ネタもあるので。

ただ、ブログやfacebookの中で要望があれば、さらに個別具体的な項目について、
対案を含める形で述べてみたい、とは思っている。

また、発表するかどうかはともかく、防災・危機管理のプロの端くれとして、
この茶番劇から何を学ぶべきか、しっかりメモは作っていくつもりではある。

5回+1回お付き合いいただき、ありがとうございました<(_ _)>

志賀原発総合防災訓練の茶番劇に思う(その5)

2014-11-06 18:20:12 | 防災訓練
茶番劇という評価を変える必要性はないとは思うものの、
拙facebookへの友人のコメントに納得する部分もあった。
というので、そのことについて述べておきたい。

なお、以下の論点整理は、その方の整理ではなく
「旅の坊主」による論点整理であること、念のためお断りしておく。

○ 防災訓練をやるということ⇒事故が起きる可能性があるということ。
(注:どんなに頑丈に作ったものであっても絶対はない訳で、
事故が起こる可能性は当然考慮しておかなくてはならないのだが。)

○ 原発は安全(という神話は守られなくてはならない)⇒事故は起こらない⇒訓練は必要ない。
(注:訓練の必要性を認めると、安全神話を自ら覆すことになる、と、どこかで思い込んでしまったのか?)

○ (推進・反対に関係なく一般論として)訓練は必要⇒「訓練が必要だと主張するということは、
推進派も原発は危険だということを認めるのだね」と反対派が主張し得ることになる⇒
(賛成派としてはこのロジックに乗る訳にはいかないので)訓練はできない

いささか単純化し過ぎた整理とは思いつつ、
防災危機管理の観点からすれば、双方とも何と馬鹿なことを言っているやら、というレベルの不毛な論議であるが、
3.11までは、いずれにしてもまともな訓練が出来なかった、というのは、納得できる話。

ちなみに、某業界では、地に足のついた議論ではないという意味で、この種の議論を「空中戦」と呼ぶことがある。
神学論争でも空中戦でも、その呼び名はどうでもよいが、防災・危機管理に徹底して求められる
「現地・現物・現実」という具体性からすれば、不毛な時代であったと言わなくてはならないのだろう。

東日本大震災において原発の安全神話は文字通り吹き飛んだ訳だが、同様に、
推進派・反対派を問わず「行ってしまった人たちの議論」も吹き飛んだと言うことができるだろう。
ようやく地に足のついた(避難)論議を始めることの環境が整った、と考えるならば、
あの事故にもプラスの意味があったということで、多少の慰みになるかもしれない。

「これからですよ。やっただけで大進歩だと思います。」

拙facebookへの友人のコメントから、前後の文脈を考えずに切り取ったものである。
というので、友人の主旨をしっかりと受け止めたことになるのか、そこはいささか心もとないところではあるが……。

防災・危機管理を一歩でも前に進めるためには、茶番劇と言わずに「やっただけで大進歩」と言うことが、
プロの端くれとして心がけるべき「背中の押し方」なのかもしれない、とは思った。

先方もプロなら、己がやったことが茶番劇であることは、「旅の坊主」に言われるまでもなく分かっている。
茶番とわかっていながらやらざるを得なかったプロにかけるべき声は、
「これからが勝負だね」であるべき、か。