「旅の坊主」の道中記:常葉大学社会環境学部・小村隆史の防災・危機管理ブログ

日本唯一の防災学部はなくなっても、DIGと防災・危機管理を伝える旅は今日も続いています。

ある先輩の生き様に

2017-03-17 23:38:23 | 国際防災協力
今回、春休みの数日を利用して、友人との旧交を温め、
普段なかなか手が出ていない本を読むべく、プノンペンとシェムリアップを訪問した。
夜のプノンペン国際空港で、短い旅を振り返っているところ。

幾つも収穫があったが、大きなものの一つは、今年72歳になろうという、
国際防災協力の先輩の生き様を目の当たりに出来たことだった。

JICA中米広域防災協力プロジェクトの前任後任の形でご縁をいただいたHさんは、
今年72歳を迎える(=母と5歳しか違わない!)土木屋さんである。

古タイヤを用いた堤防作りや、同じく法面防護工法、
ソイルセメントをコア材に用い「蛇籠(じゃかご)」で外側を補強するタイプの堤防作り、等々、
土木を専門としない私でも何とか指導できるよう、いろいろと教えていただいた。

これらのノウハウは、それこそ「稲村の火」の後の「広村堤防作り」や、
岩手県宮古市の旧田老町の堤防作りなどにも通じる、
住民参加型「簡易型(でも相応の強度はある)土木技術」として、
もっと広く知られてしかるべき、と思っている。

まぁ、それについては改めて議論させていただくとして。

中米でご一緒させていただいた時、
「2015年4月にプノンペンでカフェを開店する」ということは確かにおっしゃっていた。
だが、Hさんには大変失礼ながら、話半分どころか話1%も真剣には受け止めていなかった。

それが、開店の時期こそ多少ずれ込んだものの、
昨年6月、ご長男と共に、プノンペンのラッフルズホテル裏に、
「ゴメスベーカリー」というパン屋兼カフェを本当に開店してしまった。
開店準備に1年をかけた上での、古希を迎えての海外での挑戦とは!

土木技術者としてのHさんの生き様と、
社会科学が背景の大学人&防災研究者・実践者の生き様はもちろん異なる。
でも、70歳を超えてからも海外で新しいプロジェクトに、
かつ、自分の資金で挑戦しようという生き様には、本当に頭が下がる。

というよりも……。

分野は異なるものの、Hさんのような生き様を見せて下さる方が身近にいること、
本当にありがたいこと、と思う。
「ロールモデル」という言葉になるのだろうが、
出来る出来ない・似合う似合わないは横に置いておくとして、
尊敬できる生き様をしている人生の先輩が身近にいること、
恵まれているということ、なのだと思う。

そして改めて思う。

人生50歳を超えた者として、年少の誰かに対して、
そのような「ロールモデル」としての役割を果たしているだろうか、と。

エクアドルからの津波防災研修のお客さまをお迎えして:津波防災は避難じゃない、土地利用だ!

2015-08-30 23:42:19 | 国際防災協力
日曜日の午後、小雨の中、毎度おなじみの静岡県地震防災センターへ。
JICAの招きで静岡に滞在中のエクアドルの防災&地方自治関係者20名ほどを対象に、
コミュニティ防災の話をさせていただく。
カタコトのスペイン語と英語で何とかなるか、と思っていたが、
ほとんどの研修生が英語は使えない、とのことで、
日本語=スペイン語の通訳さんの「強制介入」となってしまった。
(ここはちょっとお粗末でありました……。)

ともあれ、1時間弱という時間ではあったが、
日本の国際防災協力の一端を、特に住民参加型の小規模土木工事のあり方と、
津波防災について、実体験に基づいて話をさせてもらった。

その後、研修団の皆さんは、地震防災センターの映像資料や地震動の体験施設などを見学、
それなりのものを得て下さったと思っているのだが……。

今ごろになって、ではあるのだが、内閣府が作った津波防災についてのビデオを初めて見せてもらった。
(センターのスタッフが、いわば手持ち資料の紹介としてお見せしたもの。)
(今年3月、仙台での国連防災世界会議で配布されたものなのだそうな。)
なるほど、映像としては大変質の良い、お金をかけて作ったのだろうなぁ、とは思うものだった。
だが、「旅の坊主」のメッセージとは根本的に合わない。そのことを再確認した。

なぜ、世界に向けて津波防災を語るビデオを作る際、避難を中心に当ててしまったのか?
致命的な判断ミス、と思う。

これが、日本人の「下士官根性」というものか……。
あえて言えば、全世界に、日本の恥を晒してしまったのか、とすら思ってしまった……。

与えられた条件下でベストを尽くせば、それでよいのか?
何かあれば避難すればよい、ではなく、そもそも避難しなくてすむようなまちを作ろう、ではなかったか?

エクアドルの方々へのメッセージとしてこだわったのは、「危険な場所には住まない・住まわせない」ということ。
まず考えるべきは「土地利用」、Land Use Managementでなくてはならないはず。
人工構造物で守るというセカンドベストもある。避難を教えることで命を守るというサードベストもある。
でも、追求すべきは、やはり、土地利用だ、と思う。
そのことは、理解するのにそんなに難しいことなのか?それほどまでに理解してもらえないものなのか?

研修団のアテンド担当者が友人だったので、彼にも話を聞いてみたが、
来日時に彼らが行ったプレゼンの中では、土地利用についての議論はそれなりにあった、とのこと。

しかし、そのセンス(ポテンシャル)を持っていながら、
静岡の者が(内閣府の資料を使ってとはいえ)わざわざ津波避難を教えることで、
間違ったメッセージを持ち帰らせてしまうのではないか?そのことが大変気になった。

内閣府が作るものに影響力を行使し得ない現状は甘んじて受け止めるとしても、
これは違う、と思った。

そして、それを、防災先進県静岡の地震防災センターが、
海外から津波防災を学ぶために来た研修員向けのプログラムとして示すべきではない、

そのことは、今回、トータル2時間半ほどという短い時間ではあったが研修団にお付き合いして、
はっきりわかったように思う。

静岡で国際防災協力に恒常的に携わっているほぼ唯一の身として、
ここはしっかりしなくては、と思ったような次第。がんばれ自分!

日本は「公共財としての地図を廉価で入手できる環境を作ろう!」と国連世界防災会議で提唱しよう!

2015-03-01 23:57:42 | 国際防災協力
昨日夕方のこと。

10年後には、日本の国際防災協力を背負って立つであろう御夫妻に、
新宿駅南口のベルギービールをご馳走になっていた時の話。

なぜか地図の話になり、かの寺田寅彦の「地図を眺めて」というエッセイが、
青空文庫で(=タダで!)読めるという話になった。

「旅の坊主」の書架には、岩波新書旧赤版『天災と国防』の旧仮名旧漢字版があり、
それを必死になって読んでいたのだが、もちろん今は新字新仮名で読める!

寺田寅彦曰く、

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「当世物は尽くし」で「安いもの」を列挙するとしたら、
その筆頭にあげられるべきものの一つは陸地測量部の地図、中でも五万分一地形図などであろう。


一枚の代価十三銭であるが、その一枚からわれわれが学べば学び得らるる有用な知識は
到底金銭に換算することのできないほど貴重なものである。


 この一枚の地形図を作るための実地作業におよそどれだけの手数がかかるかと聞いてみると、……(中略)……、
一枚分約一万円ぐらいを使わなければならない、……。
(小村注:当時の1万円は、ドル換算すれば幾らになる???)


それだけの手数のかかったものがわずかにコーヒー一杯の代価で買えるのである。


もっとも物の価値は使う人次第でどうにもなる。
地図を読む事を知らない人にはせっかくのこの地形図も反古ほご同様でなければ何かの包み紙になるくらいである。


しかし「地図の言葉」に習熟した人にとっては、一枚の図葉は実にありとあらゆる有用な知識の宝庫であり、
もっとも忠実な助言者であり相談相手である。

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で、「旅の坊主」は考えた。

昭和13年当時の1万円が現代のいくらになるのかはさておき、
地図を作る作業は(ゼンリンさんはともかく)税金で賄われているであろうから、
出来上がった地図は、間違いなく公共財である!

したがって、イニシアルコストはすでに支払われた訳であるからして、
その地図を活用したいという人には、ランニングコスト分だけを負担してもらえばよいはず。
つまりは、印刷代・コピー代の実費でで提供してしかるべき!

コンビニでコピーしても、コーヒー一杯の額で10枚はA3版のコピーができる!
(A版と地図の版は異なるのだが、そこは目をつぶってもらおう。)

人口44億余のアジアだが、10人に1枚地図があれば事足りるだろうから4億枚で済む。

ということは、たかだか!40億円あれば、全アジアの住民10人に1枚、
モノクロだろうが、地図を配布することができる!

地図を読むには多少の教育は必要だが、日本では小5の子供が習う中身!
で、10才の子供でも地図を読めるようになるのだから、
「谷筋に家を建てる!」ようなことを、多分、なくなっていくと思う。

教育は将来への投資。

アジア地域の人々に「自然の摂理と共に生きる(=災害リスクの少ない場所に住む)」という、
防災教育のそもそも論を伝えるのに、日本政府は40億円を投資で済む!

日本は「公共財としての地図を廉価で入手できる環境を作ろう!」と国連世界防災会議で提唱すればよい!

ホスト国として「隗より始めよ」を言うのにたかだか40億円!

さて、このような「旅の坊主」のアイディア、誰か受け止めてくれるかな???

江ノ島近くで中米防災の仲間と防災タウン・ウォッチング

2015-02-02 23:54:15 | 国際防災協力
先日の神戸・JICA関西でのセミナーに引き続き、
中米6ヵ国+キューバの防災関係者を対象とする防災タウン・ウォッチングに
サポーターとしてお手伝いさせていただく。

メイン講師は、アジア防災研究所初代所長であり本学の学部長も経験したO先生。
盟友Aさんと、わざわざ宮城県山元町から自腹を切ってでも参加してくれたKさん、
事務局である神戸の国際協力系コンサルタントC社からはSさんとMさんが参加。

言わずと知れた観光地江ノ島。
小田急片瀬江ノ島駅の裏側、片瀬川(境川)の右岸の地域は、
藤沢市の中でも津波防災に熱心に取り組んでいる地域であり、
表現としては不適切なのだろうが、モノを考えるにはなかなか良い場所。
時間としては1時間半ほどゆえ、そんなに長い時間ではなかったが、
研修員の皆さんと、英語+カタコトのスペイン語+日本語でおしゃべりしながら、
地域を見て回る。

私立の幼稚園や小学校に公費補助をして避難階段や屋上に柵を作らせるのも
有意義なお金の使い方だと思うし、
カーブミラー(注:今日初めて知ったのだが市有財産なのだそうな。藤沢市が特別?)に、
市の建設業協会の青年部が、しっかりと測量をした上で(プロゆえお手の物)、
海岸部からの距離と標高を書いたシールを貼っている事例も初めて見た。
「えのすい」で名を売っているという江ノ島水族館の屋上も、
津波避難施設として使えるように柵があり、階段も近ごろ追加されたのだそうな。

夏のピーク時には周辺に10万人がいるという。
その人数を考えると、周辺のマンションやホテルを津波避難ビルとして指定しても、
また実際に指定しているのだが、どうにも数が足らないとの思いは否めない。
それでも、「何でもいいからやれることはやろう」という態度が求められるのだろう。

タウン・ウォッチングの成果を地図に落とす作業について、
さらに、その成果を発表させるにあたっては、いろいろな思いがあった。
うまく表現できないのだが、O先生はさすがだった。
良い意味での割り切りと言えばよいのか、ぶれない軸と言えばよいのか、
ファンを増やしてナンボと言うのか、裾野は広くと言うのか、……。

やりたいことの全体像からすれば、ごくごく一部しか伝わっていないであろうことをわかった上で、
それでもニコニコと活動を続けている。
「よかったね。何か得るところがあったね。」と言い続けている。

ファシリテーターとしての人柄の問題、ということになるのかもしれないが、
ともあれ、そのような場に携わることが出来て、幸いであった。

終了後、いつもの(!)辻堂海岸のおでん屋さんにて、
O先生、Aさん、KさんにO先生の奥様も加わっての「アルコール燃料付き」ブレスト。
刺激に飢えている「旅の坊主」としては、やはり、こういう場は他の何にも代え難い。

「ふじのくに静岡・協力隊を育てる会」設立総会・記念講演会&交流会に参加して

2015-01-24 22:29:54 | 国際防災協力
静岡市葵区にある静岡県勤労者総合会館で、
ふじのくに静岡・協力隊を育てる会の設立総会・記念講演会&交流会。

静岡の大学人で、JICA専門家としての派遣経験を持つ者、ということからか、
理事の末席に連なる機会をいただき、一連のイベントに参加させてもらう。

20代の半ば、青年海外協力隊員に憧れた。
四半世紀前、特別職の国家公務員には現職参加の制度がなく(一般職にはあった)、
協力隊に参加するとなると、防衛研究所を辞めての参加ということとなり、
さすがにそこまでは出来ないなぁ、と、断念せざるを得なかった。

それでも、無理をしてでも飛び出していたら、また別の展開があったのだろうなぁ、
そう思う時は、今でもたまにある。

それから約20年後、国際防災協力の専門家として長期派遣の機会をいただき、
中米で1年間を過ごした時には、協力隊員はしっかりサポートしたい、ということで、
自宅に招き、食事や風呂を提供したこともあった。
(サンサルバドルの拙宅には、幸いにもバスタブがあった。)

協力隊員の彼らにどれほどの支援ができたのか、
余計なお節介だったのか、不十分な支援にとどまっていたのか、そこはわからない。
ただ、隊員に比べて恵まれた条件で派遣されている身としては、
彼らの支援をすることは専門家としての職分の延長、との思いはあった。

派遣前の「どんな国・どんな生活になるのだろうか」との不安、
派遣中の「日本に帰って仕事があるのだろうか」との不安、
帰国後の「自分たちの思いを次の世代に伝えられるだろうか」との思いを具体化する場の少なさ、等々、
ちょっと考えただけでも、協力隊員を取り巻く問題点はまだまだ多い。

折しも今年は青年海外協力隊の制度が発足して50年という記念の年なのだそうな。
4万人近い協力隊員とそのOB・OGの中で、静岡からは1362人が参加、
現在も39ヵ国で68人が活躍中とのこと。

47の都道府県の中で、静岡は、協力隊を育てる会のない4つの府県の一つだったのだそうな。
震災前、ということは、「旅の坊主」の中米派遣前でもあるのだが、
静岡県ボランティア協会のOさんらが中心となり、育てる会を作ろうよ、ということで、
集まっての議論に参加したことを覚えている。

しかし、そこに東日本大震災。ボラ協としては、育てる会の優先順位よりも、
はるかに優先度の高い事案が続出した訳で、それどころではなくなったのも当然のこと。

ただ、震災から4年を前に、「ぼつぼつ」という声をかけて下さった方がいたようで、
Oさんを始めとするボランティア協会のスタッフの方々が、
昨年秋からいろいろと調整して下さったのだそうな。

記念講演の講師は、川勝平太静岡県知事が務めて下さった。
知事にお願いするには、Oさんは大変なご苦労をされたという。
頭の下がる思い。

知事が以前から温めていたJICAグローバル大学院大学構想を熱く語って下さった。
記念講演の配布資料は平成14年に書かれたものだが、古臭さがまったくない。
それだけ先進的だったと言うべきか、10年経っても進歩がないと言うべきか、
そこはともかく、静岡に、環境をキーワードとする大学院大学を設立し、
JICAの協力隊員には、フィールドワークをした者として、
MBAならぬMEA(Master of Environment Management、環境学修士)を出せるように、
その思いは、聞くべきものがあった。

他にも、県内のビッグネームが顔を揃えた中で、「旅の坊主」に何ができるのか、
そのことを考えさせられた次第。

まぁ、やるべきことが多いということは、ある意味では、歓迎すべきこと、なのだろう。

教育者の端くれとして、次の世代に託すべきメッセージを持つと共に、
次の世代のための環境整備をすることは、当然の義務と思っている。
立場的にまだまだの「旅の坊主」であるが、がんばらねば、である。

「がんばれ、は、自分への言葉」、とは、さだまさしさんも良いことを言ったものであるな。