「旅の坊主」の道中記:常葉大学社会環境学部・小村隆史の防災・危機管理ブログ

日本唯一の防災学部はなくなっても、DIGと防災・危機管理を伝える旅は今日も続いています。

段ボールジオラマを使っての土砂災害DIG:そのために知恵を絞ろう!

2015-07-31 23:54:30 | 防災教育
昨年8月20日未明、広島を豪雨が襲った。
広島市安佐南区での土石流で多数の犠牲者が出てしまったことはご存じの通り。

そのこともあったのだろう、土砂災害教育をやってくれないか、と
静岡市教育委員会の担当者から依頼があったのが昨年秋のこと。
「これは必要だ!」というので、それなりに考えた上で対案を出したのだが、
「ご期待のレベルには対応できないので」と依頼取り消しという話になった。
(その辺りの事情については、拙ブログの中でも少し触れたことと思う。)

今日午後、直接的には8月14日に予定されている土砂災害理解教育DIGについて、
その仕込みのためのブレストを行った。アルコール付きブレストも含めて8時間半、
大変充実した時間でありました。

土砂災害理解に限る話ではないが、面白い5カードが出来ると思っている。

1 建設コンサルタント業界最大手「日本工営」が本気モードで手伝ってくれる。
2 泣く子も黙る住宅地図メーカー「ゼンリン」さんも負けてはいない。
3 「段ボールジオラマ」(一般社団法人)が全面協力。
 http://bosai-diorama.or.jp/
4 「段ボールジオラマ」の立役者の一人は、石巻市で被災しつつも、強化段ボールの活用を中心に
様々な社会貢献活動をして下さっている今野英樹さん&今野梱包株式会社。
 http://www.k-konpo.co.jp/products.html
 (「旅の坊主」としても何とか応援したいと思っている!)
5 で、取りまとめは、今宵はシードルに酔っている「旅の坊主」。

ブレストの場には、広島市安佐南区の現場を1/2000縮尺(出来上がり寸法は1m×1m)で再現した
段ボールジオラマが出現。

このジオラマをどのように活用すればよいのか、それは当日までに工夫をしなくては、という話。
今日は、発泡スチロールのボールを流してみたが、今一つの出来、ゆえ要改善。
当日までにホームセンターに行き、幾つかの題材を見繕ってみなくては、と思っている。

短期的には8月の教員免許更新講習のプログラム作りがターゲットだが、
より本質的には、土砂災害教育のノウハウをどうやって世の中に拡げていくか、
これが本質的ということ。

という訳で、一方では90分×4コマのプログラムを考えつつ、
他方では、日本全国どこでも起きそうな土砂災害について、
しっかりとした教育プログラムを作らなくては、という話である。
仕込みに使える時間は半月だが、たたき台としてはそれなりのレベルに出来ると思う。

大きな課題は、これをどうやってPRさせるか、という話。
文書作りが大変だけれど、これは何とかしなくては、である!

Fight or Flight「戦うか、逃げるか」:学生と向き合うにあたって考えておくべきこと

2015-07-30 23:50:21 | 現地調査
今日木曜から前期も試験期間に入った。試験期間は来週水曜日までの一週間。
最終日夜にゼミ生と打ち上げを行った後、夏休みとなる。
学期中と休み中とに関係なく、いろいろな活動が入っている訳で、あまり大きな差は感じないが、
それでも、夏休みが間近になっていることは嬉しい。

それはそれとしても。
今期中、3年生が2人ゼミから去って行ったこと、そのことがどうにも気がかりである。

相当真剣に、学生とその将来に向き合ってきているつもりである。
その分、きついことも言う。だが、言った分だけ学生を伸ばしてきた手応えはある。
それでも、簡単に「折れました」とか言う者がいる。
追加の時間を作って対応しようとしても、そして来ると言っても、来ない者がいる。

それは「旅の坊主」からのメールの文面のせいか?
メールであれば、文意をしっかり示そうとする分、どうしてもきつくなる。
とすれば、電話で声を聞きながら応答しなかったことが問題だったのか?

「来る者拒まず、去る者おわず。」
去る者を追いかけ「首に縄をつけてでも……」、をするほど暇ではない。
去って行った2名に共通なことは、努力の質と量の絶対的な不足。
これは他のゼミ生にも、下級生の目にも明らか。
己を変えたくてこのゼミを選んだのではなかったのか?

先輩達は大変な努力を重ねたがゆえに、世間的に評価される企業や組織に就職できた。
その努力を促すためにかなり厳しいことも言ったが、彼らはそれに応えてくれた。

先輩達は、努力なしに、立派な就職先へと旅立てたと思っているのだろうか。
ゼミの雰囲気に飲まれそうになったとしても、その域に少しでも近づこうと、己を高めようとは思わなかったのか。

実社会に出て金を稼ぐということは、毎日毎日、様々なプレッシャーと戦うということを意味する。
ゼミでのプレッシャーなんぞ、実社会でのそれらに比べれば、
御花畑をわたるそよ風のようなもの、と思っているのだが……。

プレッシャーに直面した時、人は2種類の、どちらかの反応を示すのだそうな。
そんな話を、前々から聞いていた。

Fight or Flight「戦うか、逃げるか」

今期、3年生2名がゼミから去って行こうとしている現実を見て、
このfight or flightという言葉が、実感を持って理解できたように思っている。

それとも……。
プレッシャーをかけるとしても、相手を見つつ、flightが起きない範囲にとどめ、
少しずつ耐性をつけさせていくのがプロ、とでも言うのだろうか……。
であれば、教員稼業16年目の「旅の坊主」、相応以上の実績は出しているつもりだが、
それでもプロ失格、ということになるのだろうか……。

Fラン地方私大の本学である。
底辺校の本校にすら耐えられず、学びから去って行ったということは、
いわゆるサラリーマンのB階層にも到達することは出来ず、
遠からずC階層へと堕ちていき、そこから生涯浮かび上がってくることはない、
そのような人生を歩んで行ってしまうことになるのだろう。

質的にも量的にも絶対的に努力が足りない者ゆえ、詰まる所、自業自得、これは明白。

ただ、世の中には、努力をやりやすい環境と、そうでない環境があり、それゆえ、
それらの面への配慮なくして、単純に本人の努力不足を批判することは賢明ではない、
ということは、理解しているつもり。

それゆえ、少なくても小村ゼミは、努力をする者が集まる場でありたいと願い、
そのための雰囲気は作ってきたつもりである。
ただ、それでも……、ということ、なのだろう。

少しほろ苦いものをかみしめつつの、本年度前期の終盤であった。

去って行ったゼミ生は、いつかこのブログを見る時が来るのだろうか。
その時、ゼミ生はこのブログを、ゼミ担任の自己正当化と読むだろうか。

あるいは……。

「教育のパラドックス」なる考え方があると聞く。
学んでいる者にとって、ある程度学びが進むまで、状況によっては学びが終了するまで、
己が学んでいることの意味はわからない、というもの。
その時までに、小村ゼミ以外であろうとも学びを続け、その甲斐あって、
あの時は気付いていなかったのだ、と読んでくれるだろうか。

家族を捨てて病院に行くことを美談にするな:仲間との語らいに酔い、久保田万寿に酔う

2015-07-29 23:49:40 | 災害医療・災害看護
富士宮市立病院に勤める親しい方から依頼があり、
同院の防災研修会で1時間半の講演の機会をいただく。

今日明日ということはないが、90年から150年に一度の巨大災害が巡ってくる時代に、私達は生を受けている。
今年が直近の発生から70年目。残り時間は何年だろう。2038年発災説もある。その時「旅の坊主」は……。

東日本大震災では、石巻市立雄勝病院、公立志津川病院、岩手県立陸前高田病院等々、
多くの医療機関が津波により、物理的に破壊された。

ここ富士宮市立病院の場合は、津波リスクは考えなくてよい。
ただ、医療機関は、停電や断水、配管類の破損で、機能できなくなる場合もある訳で、
そのことにはしっかり手を打っておかなくてはならない。

富士宮市立病院ががんばっていることは、地域の方々も交えて災害時の対応を考えていること。
しかし、その方向性に危惧を抱かざるを得ないのも事実。というのは、地域の方々から、
「搬送用にリアカーを用意しています」
「搬送経路にJR身延線の踏切があり、これが障害にならないかが気になります」
等々の発言がなされているので。

そこには、医療機関に担ぎ込みさえすれば何とかしてくれる、という期待がある。
非医療人である一般人に、災害時であればこそ、医療機関への期待があることは当然とは思う。
しかし、現実の医療機関はそこまで万能ではなく、医療人もスーパーマンではない。

そこで仕事をしている医療人も私人としての生活、家庭人としての人生がある。
医療人としての役割と、私人・家庭人としての役割の衝突を、ゼロにすることは出来ないが、
事前にしかるべき対策をとっておくことで、「股裂きに遭う」可能性を低くすることは十分可能。
講演の主旨は、そういうところだった。

震度6強の揺れはあるものと覚悟しておくべき富士宮市だが、それでも、
現行基準で手抜きなしで建てられたものならば、震度6強の揺れには十分耐えられる。
個々の家々についてはともかく、総じていえば水については心配しなくてよい富士宮市。
(何せ、幸いにも湧水は至る所にありますので。)
家々の広さも都会とは違う訳で、少し行けば当たり前に農地もある。
それらを活かせば、何とでも方法はあるだろう。

地域の方々には、現実を見てもらいたい、と思う。
普段のDIGセミナーで使っている資料を抜粋で提供して、地域の被害量を見積もることを勧めた。
もちろん被害量見積もりのポイントは、古い耐震基準時代に建てられた日本家屋、
特に二階建てで瓦屋根のものがどれほどあるか、ということ。
地域の方々が、5分10分で出来るこの作業を一つ行うことで、
「医療機関に担ぎ込めば何とかなる」という思い込みから、脱却してもらえる、と思う。
その時初めて、地域と医療機関との関係について、本気で議論できる環境が整う、というものだろう。

「いざという時、医療機関に助けてもらいたかったら、いざという時は、医療機関を助けなさい」

これが、求められる、地域と医療機関の関係だと「旅の坊主」は思っている。
「がんばります」と言うこと、というよりも自らに言い聞かせることは重要だが、
災害対策においては、往々にして「がんばります」と言うことが、自らの首を絞めることになる。
「助けて下さい」と言うには(いろいろな意味での)力がいるが、でも、それが正しい答えだと思う。
富士宮市全域あるいは富士宮市民全員が被災して、どうにもならなくなる、訳ではない。
自分と家族に深刻な事態が発生すれば話は別だが、
そうでないならば、まず医療機関を助けようではないか。そういう関係性が出来ることを願っているし、
そのために、静岡県東部地域では地侍の「旅の坊主」でもある。お手伝いできることは何かを考えてみたい。

講演では、昨28日、富士市立看護専門学校で教えている「災害看護」の課題レポート添削に行った際、
「これは素晴らしい!」と思った、同校3年Nさんのレポートを、本人の了解を得た上で資料として配布した。
レポートの課題は、講演の演題と基本的に同じで、役割の衝突をどう避けるか、という話。
医療機関の一員として勤めるに当たり、何を考えなくてはならないのか。
Nさんのレポートには、そのことが大変明確に示されている。
富士宮市立病院の職員の方々も、このレポートには、大変感銘を受けていた様子。
紹介してよかった。Nさんにはあとでお礼を言っておかなくては!

終了後、副院長K先生ほか、防災のメンバーと共に、いろいろと議論をすることが出来た。
久しぶりにかの「久保田 万寿」もいただく。さすが、素晴らしい飲み口。
良い議論が出来た、と思うし、良い課題もいただいた。
こういう場こそ、エネルギーの源であると思っている。

富士宮市立病院のみなさま、特にGRMのIさま、また富士看のNさん、ありがとうございました。
多くの課題をいただきましたが、しっかりとお返ししていきたい、と思っています。
引き続き、よろしくお願いします。

この時代に防災に取り組む者が出発点とすべき10のキーワードは何だろうか

2015-07-28 23:48:10 | 防災学
午前中、沼津消防のお二方が研究室を訪問された。
少し先になるが、11月に沼津市で行う講演会について、少し突っ込んだブレストとなる。
基本的には「DIGのワークショップなら受けるが講演はお断り」している「旅の坊主」であるが、
義理のある沼津消防からの依頼ということであれば、そうも言ってはいられない。
全体で1時間30分。つかみに5分かけ、質疑応答に15分を確保すると実質70分。
何を話せばよいのか、お二方の反応も見ながら、いろいろと考えてみた。
で、暫定的な答えとして思い浮かんだのが(実際、これで十分行けるとも思っているのだが)、
キーワードを10並べるというものだった。

間違った防災の常識に毒されていてはならない。そこからの脱却を考えるためにも、
特に静岡の地で、また静岡以西の太平洋沿岸地域で、地震と津波の防災を考えるならば、
その基本線を示すべき10のキーワードくらいは、とっくの昔に考えていてしかるべきテーマだったと、
今さら気づくような体たらくだから、我ながら困ったものであるが……。

ともあれ、思いつくままに、幾つかを並べてみた。
さて、拙ブログに関心を持って下さっているみなさま、ピンときて下さるでしょうか?

○立地と構造:
やはり防災の出発点は立地と構造、これに尽きると思うのだが……。

○周期性と準備期間:
海溝型巨大地震にはある程度の周期性が期待できる。
駿河トラフ・南海トラフの地震は90年~150年(あるいは100年~150年)に一度の発生で、
今年2015年は直近の発生から70年。
余裕をみても15年程度の準備期間は期待できるだろう

○レベル1とレベル2:
「あるもの」として覚悟しておくべきはレベル1。
レベル2という考えは理学者の「間違った責任感」が作ってしまったもの。
災害対策を進める上ではほとんど参考にならず、むしろ現実的な災害対策を妨害するもの。

○マクロとミクロ:重要なのは「着眼大局」
駿河トラフ・南海トラフ地震の全体像把握の重要性。
外部からの支援は、ほとんど期待できないという現実を理解せよ。

○ダブルパンチ:
家が潰れるような揺れの後の津波。
かつ、東日本大震災に比べて津波襲来までの時間的余裕はごくわずかでしかないことを理解せよ。

○「家族を捨てて職場に行くことを美談とするな」:
職務として災害対応に従事する者も被災者になり得る。であればこそ、
まともな立地にまともな構造の建物(耐震性ある建物)を建てることこそ防災。

○現在形の防災と未来形の防災:
あなたの災害対策は、「今起こったらどうしますか?」にとどまっていませんか?
準備期間を活かして、地震や津波に見舞われても被害の出ないまちをつくることこそ、
取り組むべき最大の課題のはず。

○個人としての防災と社会に対する働きかけとしての防災:
準備期間を活かすにあたって、個人として、その時までに何ができるかと共に、
社会に対して、どれだけのことを働きかけられるか、を、考えるべきではなくて?

○全国どこであれ震度6強の揺れはあると思え!:
建物の構造と築年次(建築基準の厳しさ緩さ)を踏まえた全壊率テーブルの活用を。
まともな構造(耐震性)ある家であれば、立地がまともならば震災後も十分使用に耐えられる。

○避難所に行かないことが防災!
避難所への経路確認が防災、などという、本質を外した、つまらんレベルの防災からは、
一刻も早く脱却すべき、と思うのだが……。

うーん……。もう少し頭を整理する必要がありそう……。
少なくても順番については、要再検討であるな。

四国の大学生を相手に南海トラフ地震に向けたDIGセミナーを仕掛けたい!(その3)

2015-07-27 23:56:02 | 駿河トラフ・南海トラフ巨大地震津波対策
3回に分けて入稿時原稿を提示しようとしている表題の拙稿、これで最後。

「旅の坊主」としては、ここで述べているような考え方に基づき、
地域の大学&大学生が高校生に対して働きかけていくような、
そのようなプログラムを応援したい、と思っている。
(本人としては、本職の中でも仕掛けているつもりだが、どうも上が重くて……。)
ともあれ、ご笑覧いただければ幸いである。

*****

大学生は、高校生相手のDIGができるよう、ファシリテーターとして鍛えたい

 残念ながら、宮崎県下で宮本さんが行う高校生相手のDIGのお手伝いならともかく、
四国地整局とのお仕事で、あるいはその発展系として、
四国の高校生を相手にDIGを行うことは、数年先の目標ということになるでしょう。
今年はまず、大学生を相手に、「問題の本質は何か」「対策の本質は何か」を、
現在形の防災と未来形の防災の違いを意識させつつまとめていくという、
プログラムの実施を仕掛けていきたい、と思っています。

こういう時代ですから、多くの大学では地域連携室のようなものを立ち上げ、
地域に貢献する大学の演出を始めているはずです。
ですから、四国地整局と戦略会議の方々のお知恵を拝借しつつ、
まずは国立4大学の地域連携部局に働きかける、ということになるでしょう。
数年後には、その地域連携室が主体となり、
今度は高校生向けに、大学生が講師役となってのDIGを実施する、
最終的にはそのような絵柄を意識しつつ、ということになります。

若く優秀な彼ら彼女らです。南海トラフ地震対策DIGの本質が何か、ということを理解してくれたならば、
そこから先は、彼らのセンスに任せたい、とも思っています。
一から十まで、教えられたことをその通り伝えることが重要、というものでもないでしょうから。
「避難しないで済むまちを作るのが防災」「避難所に行かないことが防災」等々、
今までとは逆のことを言われる訳ですから、当初は面食らうこととは思います。
でも、そのことが腑に落ちたならば、
「これこそ私達が取り組むべき大きな課題だ!」
そう思ってくれる学生も、それなりの数、出てくれるのではないでしょうか。
そのことを願っているところです。

 少し前、こんな話を言ったことがあります。

「(東日本大震災を直接見聞きした)あの時代の大人は、何をしていたのか?」と
2035年+α年の中学生から言われないようにするために。
(高台移転を含む)長期の計画を作るのは 今の世代の責任。
2035年+α年後のその時、社会の中心を担っている世代に正しい知識とイメージを持たせるのも、今の世代の責任。

この思いは今も全く変わっていません。
今年は、四国の大学生相手に、DIGを介した地域防災の物語を聞かせたい、と思っている訳ですが、
さて、それは、具体化出来るでしょうか。
乞うご期待、ということで、今月はここまでとさせて下さい。

*****

1年生向け「災害と人間社会」が今日で終講。一人一人から感想を聞かせてもらったが、
当方として努力した甲斐はあったな、とは思っている。
その中身についても、いずれ近いうちに。