「旅の坊主」の道中記:常葉大学社会環境学部・小村隆史の防災・危機管理ブログ

日本唯一の防災学部はなくなっても、DIGと防災・危機管理を伝える旅は今日も続いています。

コスタリカへ 5回目の旅

2011-01-31 22:57:26 | 中米防災協力(プロジェクトBOSAI)
わかってはいるが、3時間睡眠の後の5時起きは辛い。

ギリギリまでベッドにいて、シャワーだけ浴びてさっと着替えて、というパターンから、
いつかは脱したいと思いつつも、今日もまた……。

荷物のチェックをして、ギリギリ2分前にモンテアルト玄関へ。
すでにドライバーMさんはスタンバイ。
いつものポロシャツにフィッシングベストではちょっと肌寒いかというので、
ごめんをして、プロジェクトのジャンパーを取りに戻り、その後空港へ。

7時前とはいえ、月曜朝の空港はこんなにガラガラだったか、と思うほど、
まったく並ぶこともなく、TACAのカウンターでチェックイン。
その後、いつものように?ターミナルビル3階のポジョ・カンペーロで朝食。

イミグレを抜けて、免税店を見ることもなく、そのまま搭乗口へ。
パソコンを取り出してメール原稿など書いているうちに搭乗時間に。

A321は、ゆったり感があって好きな機体。
座ったら、ラウンドイヤータイプのNCヘッドフォンを取り出し、
電源は入れずにつけて爆睡状態。離陸もうとうとのうち。

入国手続きもスムーズに行き、顔なじみのドライバーRさんの出迎えを受ける。
そのまま、カタコトのスペイン語で話をしつつ、JICAオフィスへ。

オフィスでは、プロジェクトのローカル・コーディネーター、Dさんが待っていてくれる。
簡単な打ち合わせの後、LANケーブルを拝借して、メール等チェック。
昼食休憩をはさみ、13時半から、まずは事務所のYさんSさんと、
残り2ヶ月を切った今年度の活動計画を、予算の残額をにらみつつ検討し、
さらに、来年度の活動計画作成に向けた基本方針を確認する。
その後、Dさんにも加わってもらい、
水曜日に予定している、プロジェクト対象5地域の
コーディネーターを招集しての会議について、方針を確認。

状況を示し、大きな方向性を示し、関係者の意見を引き出す。
一般的な意味での会議の方法は理解しているつもり。
問題は、言葉が違い、文化が違う人びとと共に、
同じような形で、意見集約ができるかどうか、ということ。
まぁ、これは、習うより慣れろ、しかない訳ではあるな、と。

参加してもらいたいと思っていた関係者は、ほぼ集まってくれそうなので、
あとはこちらの仕事、か……。

何だかんだで、打ち合わせが終わったのは17時半というところか。
プロジェクトの車でホテルまで送ってもらい、それから食事をして一仕事と思ったのだが、
3時間睡眠の影響か、どうにも眠気には耐えられず、
食事も取らずにベッドへ。30分の仮眠のつもりが……。

とろろ蕎麦

2011-01-30 23:26:44 | 中米防災協力(プロジェクトBOSAI)
金曜日、
プロジェクトのローカルスタッフであり、
スペイン語の先生でもあるYさんから、
別荘で採れた芋をいただいていた。
「とろろにして食べられる」とのこと。

以前、JOCVのN隊員から、
「月見とろろ蕎麦なんていいですねぇ」という
リクエストがあったことを思い出し、
この機会にとろろ蕎麦を作ってふるまうことにする。

モンテアルト組の一人、シャーガスプロジェクトのS専門家が
買い出しの足を出してくれ、野菜などを購入。
リクエストしたNさん本人は都合がつかなかったが、
専門家3名と協力隊の防災隊員2名が顔を出してくれる。
12時過ぎから15時過ぎまで、何だかんだと飲み、食べ、語る。

とろろ芋は、さすがに日本のものとは違って、
すりおろしただけでとろり、とはいかないが、
だし汁を混ぜてのばせば、そこそこ楽しめるものになることはわかった。

みなみな、この世界での経験は「旅の坊主」よりも長い。
全員が日常会話には苦労しないレベルのスペイン語力を持っている。
専門家3人は、それに加えて大学教員級の専門知識は持っている。
滞在4ヶ月ちょっとで、スペイン語のカタコト会話にも事欠く「旅の坊主」なんぞ、
中米では、国際協力の土俵に乗ったというにはまだ早い、という話であった。

ともあれ、飲み、食べ、語りの中で、いろいろな話題が出て、
良き耳学問をさせてもらった。
土曜日のようにメール書きの一日も有意義だと思っているが、
飲み、食べ、語りの数時間も、有意義なものであった。

ほろ酔い加減で少しうたたねをしてから、
風呂に入ってアルコールを飛ばし、
夕方から夜にかけては、土曜日同様、メール書き。
といっても、この日は10本くらいしか書けなかったが。

月曜日からのコスタリカ出張に備え
(何せサンホセ便に乗るためには朝6時にモンテアルト発となる)
早目に寝る、であればよかったのだが、
何だかんだと時間は過ぎてしまい、
結局のところ3時間睡眠となってしまった。

久しぶりに、何とかメール20通

2011-01-29 23:33:13 | 中米防災協力(プロジェクトBOSAI)
1日の仕事量をメールを何通出せたかで計るのは、
どこか違うのではないか。

そういう気はずっとしているのだが、それはそれとして、
1日20通メールを出せれば、その日のうちに飛び込んできた仕事メールは
概ね処理出来る、というのが、最近の仕事の飛び込み具合。

もっとも、そのメール量では、飛び込んで来る仕事メールへの対応は出来ても、
MLでの議論に加わることや仕掛けること、
こちらから積極的に動いて何かを形にすること、までは対応出来ず。
その意味では、状況に流れていく一方、ということになってしまう。

ついでに言えば、スペイン語でのメール書きなど先の先の話、
英語でのメールであっても、どうしても時間がかかってしまう。
英語力の無さは、学生クンをどうこう言えないなぁ……。

前日の金曜夜、新たにモンテアルトの住人となったOさんから、
アメリカ大使館でのオークションで車が出るので見に行かないか、
とのお誘いを受けていたのだが、
どうしてもたまったメールが気になり、ごめんなさいをした上で、
朝からメールの処理?にかかりっきりとなる。

「そんなことをしているよりも、エルサルバドル&周辺諸国を回ってこい!」
そんな声が聞こえてきそうではあるが、
ウィークデーはともかくも、週末くらいは家に居させてくれ、
というのが、率直なところ。仕事の振り返りも出来ないので。

あり合わせでテキトーな食事を作りつつ、
久しぶりに1日20通のメールを出す。
これが、30通とか40通とかを出せるようになれば、
もっと効率よく仕事も出来るだろうに、とは思いつつ。

宛先を見るならば、
大学宛あり、親戚宛あり、学生クン宛あり、仕事関係あり。
メール書きイコール仕事ではないということは、十分理解しつつも、
やはり処理し切れないメールが溜まって行くのを見ているのは、
精神衛生上も決してよろしくはないので。

さて、これはこれで、充実した週末の1日、と、言ってよいの、かな???



                              (1月30日アップ)

ホンジュラス出張を振り返りつつ

2011-01-28 23:58:02 | 中米防災協力(プロジェクトBOSAI)
活動の6~7割は現場で。

その「あるべき姿」からすれば、
わずか1泊2日のホンジュラス・チョルテカへの出張であったが、
いろいろなことを考えることの出来た2日間であった。

そして、本拠地に戻り、この2日間の活動を振り返る時、
さらにいろいろなことが見えてきたように思う。

はっきり言えば失敗もあった。

市長に署名をしてもらった文書は、実はまだ調整中の代物。
兄弟プロジェクト「プロジェクトTAISHIN」からの確認がなく、
本来ならば「文案に問題ありませんね」の「仮調印」にとどめておくべき性格のもの。
良い気になって、写真など撮っているのだから、何をかいわんや、ではあった。
その旨、Sリーダーからのメールには明記されていたのだが……。

まぁ、あの場で署名まで持っていかなければ、
また出直しという可能性もあったことを考えるならば、
必要な「フライング」であったと思うことにしよう。
何、後で取り戻すことは可能であろうから。

出張中の業務メモをまとめ、論点を洗い出す。
また、ホンジュラス事務所のKさんとの話し合いを思い出しつつ、
Sリーダーと意見調整。

パナマからは、先日要望した調査項目への答えらしきものが届くが、
いずれも???という代物。

仕掛けの腹案を用意してくれ、というのは、
そもそも無理な期待ではないか、ということらしい。
実行可能な範囲を良く良く見定めよ、ということ、か……。

14時半を過ぎて、Sリーダー共々、
中米大学内に事務所を構えるお隣さんプロジェクト、
「プロジェクトTAISHIN」のコーディネーター、
母校の先輩でもあるBさんを訪ねて、チョルテカ出張の顛末を報告。
その後の対応について議論する。
2月初旬、重機を入れて行う整地工事の監督には、何とか人を出してもらえそう。

オフィスに戻り、諸々の雑事が続く。

Sリーダーのマツダ車は修理中のため、
18時近く、内務省ビル前で客待ちをしているタクシーにて帰宅。
流しのタクシーを一人で使うには、まだまだ修行が足らないらしい。

帰宅後は、
オイルサーディンなどをつまみつつ、
いつものように、メールや原稿書きなど。



                          (1月30日アップ)

ナマシグエ市のサン・ラファエル村で考える

2011-01-27 23:37:20 | 中米防災協力(プロジェクトBOSAI)
今回のチョルテカ出張には2つの目的があった。

一つはマタパロアリバ村の耐震避難所建設予定地の、市による買い上げ問題の調整。
これは昨日、G氏や事務所Kさんら立ち会いの下、市長が小切手を切ったのでOK。
もう一つが、担当国ホンジュラスの担当サイトで唯一行っていなかった、
ナマシグエ市のサン・ラファエル村へ足を踏み入れること。

という訳で、8時半にホテルを発ち、45分ほど車に揺られてサン・ラファエルの村へ。
(もちろん、道中の大半は未舗装道路)

数字に疑問がない訳ではないが、67世帯365名というこの村。
道に沿って家々が点在している。車が通れる道があるのは有り難い話。

昨年秋の豪雨で橋が流されたため、車で行けるのは橋の手前まで。
その辺りで、村人20名ほどが待っていてくれた。
そこから、上流部にある小学校までは歩いて20分ほど、
ぞろぞろと、という感じで、一緒に行く。

途中、7つの瀬を渡る。雨期に交通が遮断されることは明白。
学校が上流部にあるということは、雨期には通学も厳しくなる訳で、
ともかく、これはなにとかしなくては、ではあった。

最も下にある、昨年9月の豪雨で流されてしまった橋については、
住民参加型ボックスカルバート工法で、何とかなる大きさなのだろうか?
パッと見る限りでは、かなり厳しいかも、という印象を
持たざるを得なかったのだが……。

市に修復の申し入れはしているとのこと。それはそれとして、
プロジェクトBOSAIの範疇で出来ることは、何かないだろうか……。

小学校は、なるほど、比較的安全な場所にあった。
今年は全校児童64人だったが、2月下旬から始まる新学期は、
1年から6年までの6学年90人の子供たちに、先生は一人。
教室も1つだけ。机もイスも、とてもじゃないが90はない。

「先生がぶつから学校には行きたくない」という子供たち。
現状から抜け出すには教育しかないのだが、この環境では……。

「魚を与えるのではない。魚の取り方、漁具の繕い方を教えるのだ」
国際協力の専門家たるもの、かくありたいと信じているが、
そう思いつつも、現場では、絶対的にモノが足りない……。

こんな場所は、ホンジュラス国内にも、中米各国にも、
それこそ山ほどあるだろう。で、何ができるか。

少なくともこのサン・ラファエルの地は、
プロジェクトサイトとして指定された訳であって、
横展開可能な何かを提示することが出来て、
初めて専門家を名乗ることが出来る、というものだろう。
それにしても、難しい……。

住民がその気になっていることはありがたい。
それにどうやって、何で応えるか、であった。
小さな教会があり、そこの牧師さんも
コミュニティの防災委員会に入ってくれている。
本当に、問われているのは、何が出来るか、であった。

「神がこの人たちを遣わして下さった。神の祝福とお導きを」

防災委員会の長がこのように言ってくれたのは本当に嬉しいが、
同時に重い。その言葉に相応しい人間だろうか?
ただ、関わる限りは、何と一つでも残さなくては、である。
その手を考えよう。

チョルテカへの帰路、アポなしではあったが、ナマシグエの市役所を訪問、
都合よく市長も席にいてくれたこともあって、表敬訪問が出来た。

「ポセル」という、当地独特の甘い飲み物のもてなし。
諸々の協力、特に5月に当地に赴任するというJOCVへの配慮にお礼を言う。
盟友G氏とは24年前の同級生という。
その縁で、彼とも良き付き合いが出来れば、である。

チョルテカに戻り、これまたどうかとは思いつつもウェンディーズで昼食。
決して安いとは思わないのだが、こちらも人で一杯。
この国の経済って、一体どうやっていることやら……。

ともあれ、2つの大きな目標は果たせたようで何よりと思う。
Gさん、事務所Kさんとの近いうちの再会を約して帰路に就く。

途中、後部座席で、PCのバッテリーの範囲で原稿書きなどしつつ
夕方、無事、モンテアルトへ到着。



                           (1月29日アップ)