「旅の坊主」の道中記:常葉大学社会環境学部・小村隆史の防災・危機管理ブログ

日本唯一の防災学部はなくなっても、DIGと防災・危機管理を伝える旅は今日も続いています。

富士市立看護専門学校での「災害看護」開講

2015-06-30 19:35:16 | 災害医療・災害看護
今年度も3つの看護専門学校で「災害看護」を担当する予定になっている。
「静岡県立東部看護専門学校」と「富士市立看護専門学校」そしてJA静岡厚生連による「するが看護専門学校」の3つ。
今日午前、富士市立看護専門学校での「災害看護」のコマが開講となった。

「旅の坊主」は資格を持つ医療人ではないが、学会デビューが災害医療関係の学会だったこともあり、
災害医療・災害看護の分野に携わるようになって20年以上が経過している。

門前の小僧も23年生となれば、相応の経験と人脈も出来る。伝えるべきメッセージも明確になる。
彼女らを待ち受ける「時代の宿命」が明白かつ深刻なだけに、その分しっかりと教えなくてはならない、
という訳で、災害看護は最重要テーマの一つ、と思っている。

富士市立看護専門学校では、災害看護は3年生向きの科目。(他の2校は2年生に教えている。)
残念ながら、担当させてもらう回数は15回中わずか3回。圧倒的に話足りない、というところ。
それでも、やるしかない。

開講日の今日は、やはり、時代の宿命の話から入った。
海溝型地震の周期性からして、看護学校3年生の彼女らが現役である間に、
100%、巨大災害に見舞われることになる。
そのことを織り込んで、自宅の立地と自宅の構造(耐震性)、そして職場の立地を選ぶ必要がある。
そうでなければ、役割の衝突で辛い目に遭うのはあなたよ、という話。

役割の衝突とは、私人(家庭人)つまり親・妻・夫・子としての自分と、医療人(看護職)というプロとしての自分、
この両者のまた裂きとなり、状況によっては、「大規模地震の時、家族を捨ててまで病院に行き、
患者さんに献身的に尽くしてくれました」という美談の主人公に祭り上げられる、ということ。
このような目に遭ってもらいたくないからこそ、静岡で看護職として人生を送るならば、
一般人以上にしっかりと防災についてモノを考えてくれ、という話となる。
何といっても、看護師は食いっぱぐれの無い職業。平均以上の収入は期待できる。
この点は、看護師という職の最大のアドバンテージ。

普通に住居費を負担する気さえあえれば、まともな立地、まともな耐震性の家を購うことも出来る。
だからこそ、その分しっかりと、地盤や津波危険度、建物の耐震性をイメージしてほしい。
そのための基礎的な知識、情報、何を調べればよいのか、等々について述べた90分であった。

授業中も授業終了後も質問が多く、「旅の坊主」としては大変満足でありました。
教える側としては、やはり反応のある講義をやってナンボ、だと思っている訳で、
国家試験突破のための学びの先にも、この時代であっても巨大災害に人生を狂わされない知恵を
伝えられれば、また、学び取ってもらえれば、と思っている。

消防系月刊誌の連載、冷汗をかきつつ何とか落とさずに済みました(^^;;;

2015-06-29 23:47:17 | DIG
締め切りをとっくに過ぎた原稿をかかえた週末に、13時間のセミナー講師の頼まれ仕事。
「旅の坊主」の段取りの悪さが原因=自業自得ということは良く分かっているが、
さすがに日曜夜の帰宅後はパンクでした。

とはいえ、消防防災系の月刊誌『近代消防』での連載を落とす訳にはいかず、
「災害図上訓練DIGを用いた災害対策あれこれ(第11回)」
週明け月曜日の講義の合間に、何とか4千字弱、ギリギリで押し込むことが出来ました。

本来であれば掟破りなのでしょうが、拙ブログ読者限定&禁転載で、抜粋で載せることとします。
(要するに、DIGセミナーに顔を出して下さい&一緒に楽しいお酒を飲みましょう、ということなのです。)

*****

〔連載11回〕DIG考案者によるDIGセミナー、毎月2回、静岡県内で開催中(その2)

前回に引き続き、毎月2回、静岡県内で行っているDIGセミナーの内容を述べたいと思います。
今回の物語の焦点は「着眼大局」です。DIGセミナーにおいてこの言葉で何を伝えようとしているのか。
実はこの言葉、今までの防災観・災害対策観とは「一味違う」何かへ、一歩進めたい、という思いの表れでもあるのです。

1.駿河トラフ・南海トラフ地震の被災範囲の広さを受け止めよう

DIGセミナーに限らず、私が頼まれて出前講座を行う場合、時間の許す限り、首都圏から九州東岸までを含む1/20万の地勢図を展開しています。
もちろん、駿河トラフ・南海トラフ地震(注:東海地震・東南海地震・南海地震と呼んだほうがわかりやすいでしょうか?いわゆるレベル1の話です)の
被害が及ぶ範囲のイメージを持ってもらうためです。

なお、私は、発生確率が実質的に無視し得る低さであることに鑑みて、いわゆる南海トラフ巨大地震(レベル2)は、
「念のため」として語ることはあっても、具体的な検討を要するものとは思っていません。一言申し添えておきます。

さて、この縮尺では、阪神淡路大震災の被災範囲は手のひら2つ分。
これに対して、駿河トラフ・南海トラフ地震の被害範囲は大人2人が両手を広げたくらいです。
東日本大震災の被災3県(の南北の広がり)は大人一人が両手を広げた範囲+α、と言えば、
その違いをイメージしてもらえると思います。

「量の違いが質の違いを生む」という言葉があります。被災範囲が広くなれば広くなるだけ、災害対応も難しくなります。
それも恐らく、広さが2倍になれば2の二乗の4倍に、3倍になれば困難さは9倍に、という感じではないでしょうか。
加えて、人口の多さ、社会経済活動の活発さを考慮する必要があります。
これらの要素は、災害対応のみならず復旧・復興を考える上で決定的に重要です。
つまりは、この災害における災害対応の負荷また復旧・復興の難しさは、東日本大震災の10倍あるいは20倍と覚悟すべきでしょう。
で、それらのことをイメージ出来て初めて、幾つかのことがリアルに見えてくると私は思っているのです。

例えば。
これだけの範囲が同時に被災地になった場合、被災地域外からの支援にどれほどの「手厚さ」が期待できるのか。
静岡、愛知、三重、和歌山、徳島、高知、愛媛、さらに大分と宮崎、状況によっては大阪を含むその周辺の府県においても
死者が発生しかねない超広域の災害です。実働4省庁が絞り出すだけ絞り出したとしても20万人には遠く及ばず、しかも、
発災直後から救助活動を開始出来るはずもありません。

「外部からの支援はないものと覚悟しておくべき」ということは、直観的に理解してもらえると思います。
また、「外部支援抜きにこの超広域の巨大災害とどう立ち向かうか」が議論されていないようでは、
この超広域巨大災害の本質をまったく理解していない、と言うことも出来るでしょう。

皆さんのプログラムの中には、この、20万図を用いるなどによる駿河トラフ・南海トラフ地震の被災範囲の広さを
視覚に訴えかけるものはあったでしょうか?そして、上記の自治体においては、外部からの支援は期待できないこと、
上記以外の自治体においては、全体状況を理解した上で、「自らの被災はさほど深刻ではない⇒
考えるべきは被害が甚大な自治体へ支援の手を差し伸べるべきこと」という意識を持つべき、ということを伝えているでしょうか。

「着眼大局」という言葉で伝えたい新しい防災観・災害対策観、その主要ポイントの一つは、
およそ20年後に私達が直面する超広域巨大災害の被災範囲の広さを踏まえた上で「腹をくくれ!」
「覚悟を決めよ!」ということなのです。

2.現在形の防災と未来形の防災と

さて、20万図地勢図等によって被災範囲の広さをイメージさせ、さらに、外部支援の「薄さ」、災害対応や復旧・復興の
困難さをイメージさせたならば、参加者に起こる反応は「腹をくくる」「覚悟を決める」ではなく、絶望感かもしれません。
何をしても無駄ではないか、と。

そのような感覚に襲われるのは当然のこと。それほどまでに覚悟しておくべき事態は深刻です。
私はむしろ、(瞬間的なものであってほしいと思いますが)参加者に絶望感を持たせるくらいのインパクトがなければ、
その防災講話なり防災教育は甘い!とも思っています。

物理的な被害は言うに及ばず、私が特に恐れているのは社会経済的な打撃です。
太平洋ベルト地帯という言葉は死語かもしれませんが、かつてそのように言われた地域が、軒並み被害を受けるのですから、
日本経済へのマイナスのインパクトは絶望的なものになりかねない訳です。

この「被災範囲が極めて広く」「社会経済的インパクトも計り知れない」絶望的な巨大災害ですが、一つだけ救いがあります。
もっとも、その救いに気付くには、今までの防災観・災害対策観から抜け出す必要があります。
求められているのは「今災害に見舞われたらどうしますか?」という「現在形の防災」一本槍からの卒業なのです。

幸いにも、と言ってよいと思いますが、海溝型地震にはある程度の周期性があります。期待出来ると言ってもよいでしょう。
駿河トラフ・南海トラフの地震についても、90年から150年、あるいは100年から150年という周期性が期待出来ます。
直近の発生は、1944年12月の昭和東南海地震と1946年12月の昭和南海地震です。
間をとった1945年から数えて今年でちょうど70年。自然のなすことゆえ100%の保証はありませんが、
まぁ15年程度の準備期間は期待してよいでしょう。うまくするともう少しあるかもしれません。
ちなみに地震学者として著名な京都大学元総長の尾池先生は、2038年発生説を唱えておられます。

いつ発生するかに本質はありません。発生までの間、海溝型地震の周期性に鑑みて、
20年+α(15年+αとすべきかな?)程度の準備期間がある、ということが本質的なのです。
つまり、しかるべき準備をするのに、十分ではないかもしれないが、「まったく足りない」ではない程度の時間的余裕はある、
ということなのです。

問題はその時間を活かせるか(あるいは活かせずに終わってしまうか)、なのです。

このことを私は「未来形の防災」と呼んでいます。
圧倒的に多数の防災論議は、現在形の防災、つまり、今あるいはごく近い将来に起きたらどうするか、の議論にとどまっています。
でも、本質的な防災はそこにはないのです。

避難所はどこで避難所にどう行くかに本質はありません。避難所に行かないことが防災なのです。
準備という言葉から「備える≒備蓄」という印象を持つかもしれませんが、○日分の飲食料の備蓄に本質ではないのです。
(なお、念のため言っておきますが、本質がないからと言って、それらのことが重要ではない、やってはいけない、
と言っている訳ではありませんので、誤解をなさらぬよう。)

世の中に、震度7の地震で潰れない家、駿河トラフ・南海トラフ地震(レベル1)の津波でも被害を受けない場所はいくらもあります。
しかも、リーゾナブルな価格でそれらの獲得が可能です。
余程の金持ちでなければ安全安心な暮らしは無理、という時代ではないのです。

ただ、世の大多数の人は、防災がそういう方向への努力だ、と思っている訳ではない。
そもそも防災とはそういうものなのだ、ということを知らない、このことが極めて大きな問題なのです。

「津波避難を考えなくても良い場所に住むということ。」
「津波避難を教えなくても良い学校を建てること。」
「避難所に行かずとも、被災後も自宅で生活できるような家づくりを目指すこと」
「可能な限りのエネルギーの自活」等々。

「理想主義に過ぎる」と言われるのは百も承知。「棒ほど願って針ほど叶う」のが世の中であるというのも二百も合点。
でも、今の世の中、求められているのは「ビジョン」「グランドデザイン」というものではないでしょうか?
残された時間、あるいは準備時間を活かして、避けられない超広域の巨大災害を織り込み、
可能な限り被害を受けないまちへと変えていくこと。
これが、未来形の防災であり、「着眼大局」の言葉で示したい新しい防災観・災害対策観の2つ目のポイントなのです。

3.約20年の準備期間を活かす活動を一緒に始めませんか?

静岡県内で月2回開催しているDIGセミナーでは、このような話をしています。
ただ、このような防災観・災害対策観は広く知られたものではなく、
そのため、依然として孤軍奮闘が続いている、という状況なのです。

という訳で、求む同志!
静岡でのDIGセミナーは毎月第2土曜日と第3土曜日です。毎回来ていただくという訳には行かないと思いますが、
まずは静岡まで足を運んでもらい、雰囲気なりメッセージのポイントなりを感じ取ってもらえれば、と思っています。
申し訳ありませんが、交通費をこちらで持つことは出来ません。でも、セミナー参加は無料です。
終了後に「アルコール燃料付き」ブレストも開催しています。受講&意見交換会の中で、要点を理解し納得してもらえたならば、
その後はそれぞれの地元で、この考えを広めていってもらいたい、と思っています。

*****

沼津市災害ボランティア・コーディネーター養成講座研修、無事終了

2015-06-28 23:43:39 | 防災ボランティア
昨年度に引き続いての沼津市&沼津市社協からの頼まれ仕事、13時間のプログラムが無事終わる。

宮城県南三陸町に襲いかかってきた津波の映像を見せることから始まった今回のセミナー。
津波映像に圧倒されてしまった感があったが、この映像には表れていない2つの事柄こそが、
静岡・沼津で地震防災・津波防災を語る際の最重要ポイント。
つまり、「震度6強の揺れはあるものと覚悟しておけ!」と「目の前で起こる津波ゆえ時間がない!」ということ。

災害ボランティア・コーディネーターというと、
ボランティアセンターにおいて、ボランティア希望者をさばくことが主な活動と思われがち。
養成プログラムにしても、その種のボラセン運営のノウハウ伝達に留まっている講座が多数であろう、と思いつつ、
でも「それでは全く足りないんだよなぁ」「そうじゃないプログラムをやりたいんだよなぁ」というのが、
沼津市&沼津市社協から依頼を受けた時に最初に思ったこと。

家が倒れるかもしれない揺れの直後の津波、という「ダブルパンチ」をいかにイメージさせるか、
そして、そのイメージを持たせた上での、ボランティアとしての支援活動を展開させるか。
沼津市危機管理課と沼津市社協、それに「旅の坊主」の三者で、まぁ、
いろいろと議論しつつ積み上げてきたものを、今回、ぶつけてみたという訳である。

養成講座では、現場を知っている災害ボランティア経験者にアドバイザーとして参加してもらっているが、
今回は、ADRAジャパンのW氏がお手伝いして下さった。
W氏には「何もしなくてもいい。突っ込んでくれればよい」という話をしていた訳で、
ある意味自業自得だが、まぁ、情け容赦ない突っ込みにえらい目に遭った。
でもその分、受講された方々、下は高校生から上は70歳超までの約40名は、
長時間ではあったが、刺激的な時間を過ごしてくれたもの、と思っている。

昨年同様、『岩手日報』に掲載された、発災2週間後、2ヶ月後、6ヶ月後の被災者インタビューを元に、
避難所生活者と在宅避難者に分け、被災者が求めるものがどのように変化していくか、
それについてもイメージしてもらった。
インタビューによって洗い出されたもの、記録されているものは、「困りごと」の1割にも満たないだろう。
表に出た「困りごと」の水面下にどれほどのものがあるのか、それを察した上で手を打つのがコーディネーター。
そんなことを言ってはいるものの、言うは易く行うは難しは百も承知。
でも、やはり、そのことにこだわりたい、と思っている。

2日目になったが、この「困りごと」について一つだけ、今回は「子ども」を取り上げたのだが、
「困りごと」を深掘りして、どのような対応が求められるのか、考えてみようというワークも行った。
やってみると、時間が足りなくなるのが常。
もっと段取り良く取り組んでもらえれば、とは思っているが、ここは「旅の坊主」の大きな課題。

ボランティア・センターの運営者としてのボランティア・コーディネーターについては
ボランティア本部の機能&レイアウト、安全衛生面での配慮、避難所支援に入る際の留意点、
といった点について、議論をしてもらった。
沼津市で活躍中の災害ボランティア・コーディネーター協会「はまゆう」のメンバーには、
活動の概要紹介、また、勧誘もしてもらった。

初日プログラムの終了後、1時間ほど、軽食をつまみつつの意見交換会が出来た。
さらに有志10名余が参加しての「アルコール燃料」付きの意見交換会も出来た。
そういう場の演出も、この手のセミナーを企画する側の仕事だろう、と思っている。
名刺交換は、それなりに行ってもらえたのだろうなぁ。
沼津市危機管理課は初日は2名、2日目は3名が付き合ってくれた。
ただ、沼津市社協は、担当Yさんを除けば顔を出さずだったのは残念。
(顔を出したくでも仕事仕事で顔を出せず、だったのだろう、とは思っているが……。)

とまぁ、駆け足で説明すれば、このような2日でありました。
後期には、フォローアップの機会ももらえるのでは、との話。
静岡県東部においては地侍である「旅の坊主」、その辺りまでは面倒を見なくては、と思っている。

ご参加いただいたみなさま、特に遠路おいでいただいたWさんと三重県伊勢市からのTさん、
ありがとうございました&またお会いしましょう。



敵前逃亡は銃殺刑である!

2015-06-27 23:59:13 | 安全保障・安保法制・外交軍事
久しぶりにチャンネルを合わせた「朝生」。
周知の通りではあるが、まさか、まさかの出来事があった。

若手国会議員(1期目、2期目)が安保法制について激論を交わすであろう、と思っていたのだが、
何と何と、与党議員の出席がない。これは何?

当初は3人の議員さんが出席予定だったとのことだが、旗色が悪くなったと思ったのか、断りを入れたとのこと。
朝生への出演であれば、党本部が絡まないようなことが、あろうはずもない。
党広報局が30名以上の議員諸氏に打診した、とのことではあるが、
激論に耐えられないという程度の自覚はあったのか、ひたすら断られた、とのこと。

何とか1人の出演が決まったとのことだが、最終的にはドタキャン。
党本部が何を思ってドタキャンの指示をしたのか知らないが(本人申し出を承認したのかもしれないが)
この種の激論の場で、与党側が誰も出ない、否、出さないというのは、誰がどう考えても敵前逃亡である。

軍の論理では、敵前逃亡は議論の余地なく銃殺刑である。

今回のドタキャン劇の根が深いのは、党中央が、安保法制についての激論から逃げたこと。
朝生という、それなりにインパクトある番組で、正々堂々と思うところを述べればよい。
否、政権与党であれば、万難を排しても論者を送り出さねばならなかったはず。

若手で誰も手を挙げなければ中堅が、中堅でも誰も手を挙げなければ大臣経験者が、
大臣経験者でも誰も手を挙げなければ派閥領袖クラスが、それでも誰もいなければ党総裁が、
論陣を張らなくてはならなかった。

でも、逃げた!

田原総一郎氏が机を叩きながら「出たら損だ、と思っている訳だ!」「逃げた!」と言うのは当然のこと。

本気でモノを考えているならば、損得勘定抜きに、己の思うところを言えばよい。
そして、そのような場が先方から与えられたにも関わらず、誰も出ない。

情けない、の一言。
ここまで、政権与党は堕落してしまったのか……。
そこまで、安保法制についていい加減に取り組んでいたのか……。

このことを、「終わりの始まり」としなければならないはず。
自分に言い聞かせよう。「がんばれ!」、と。



『(改訂保存版)東日本大震災津波詳細地図』

2015-06-26 23:48:37 | 東日本大震災(東北地方太平洋沖地震)
土曜、日曜と、沼津市社会福祉協議会から、
沼津市の災害ボランティア・コーディネーター養成講座の講師を頼まれている。

沼津市は、静岡県東部にある人口約20万人の都市だが、
地震防災&津波防災を考える上では、日本でもっともシビアな場所の一つ。
特に三浦(注:「さんうら」と読む。沼津市の沿岸部のうち静浦・内浦・西浦の総称)地区は、
駿河湾の最も奥まった場所に位置しており、津波のメカニズム上の必然なのだが、
波高の高い津波に襲われることが必至な場所。

昨年に引き続いてのボランティア・コーディネーター養成講座であるが、
今回は、国内の防災ボランティア系の一大イベント「静岡図上訓練」でもお世話になっている、
ADRAジャパンのW氏をゲストに招いての2日続けてのセミナーという訳で、
「旅の坊主」としても大変楽しみにしている。

プログラムの中に、「伊豆半島への支援のあり方を考える」というものを予定している。
沼津市の置かれている地理的条件から、己が被災地になると共に、
伊豆半島の入り口に位置しているということから、三島市や御殿場市等々と連携を取りつつ、
伊豆半島内市町への支援の送り込み機能を果たさねばならない。
そのような役割イメージを持たせるのも、重要なテーマとなる。

そのために、ということで、毎度のことながら準備が直前となってしまっているのだが、
東京駅近くの八重洲ブックセンターで伊豆半島全域の地図を購入。
(ちなみにこれから貼り合わせ作業。)

その際、目にとまったのが、標題の本。
(原口強・岩松暉著、古今書院、初版は2011年刊、改訂保存版は2013年刊)

ソフトカバー版の『東日本大震災津波詳細地図』(上下2分冊)は、現地踏査に入る際の必携書。
ボロボロになるまで書き込みをしなくては、というものであるが、まだまだ活かし方が浅い。
恥ずかしながら、箱入り・ハードカバーの保存版が出ていたことを知らず。
12000円+税と、決して安い買い物ではないが、躊躇することなく購入を決定した。

まえがきに曰く、
「本書は津波による浸水域を詳細かつ正確に把握することを目的とし、
青森県下北半島尻屋崎から千葉県房総半島館山市布良までの海岸線沿いの浸水範囲を示したもの」とある。

この種の、時間もお金も人手もかかる地味で基礎的な作業は、
「旅の坊主」のようないい加減な人間には決して出来るものではない。
ただその分、この種の作業に対して、心からの敬意を示すことは決して忘れてはならない、と、
いつも己に言い聞かせているところ。

明日、明後日のセミナーには、直接的には役に立たないが、
でも、この種のホンモノの学者・研究者がいてこその、地域防災論議なのだ、だという話は、
しっかりと伝えておきたい、と思っている。