「旅の坊主」の道中記:常葉大学社会環境学部・小村隆史の防災・危機管理ブログ

日本唯一の防災学部はなくなっても、DIGと防災・危機管理を伝える旅は今日も続いています。

1年ゼミ&2年ゼミに思う

2015-10-14 23:52:30 | 小村ゼミ
内田樹先生の本を読むようになったのは、そんなに昔の話ではない。
ただ、1年生や2年生相手に少人数で議論をする時には、
内田先生曰くの「学びからの逃走」というフレーズを思い出さない訳にはいかない。

仮に2038年という尾池説通りに駿河トラフ・南海トラフ地震が発生するとして、
今年の大学1年生は単純計算41才。

社会の格差は増大。高齢化は行くところまで行く。人々からたくましさは失われて久しい。
インフラ老朽化は相当に進み、新規案件はほとんど無理という状況。……。
そんな時の巨大災害である。

そのような「お先真っ暗」な現実は見たくない。理解したくもない。
薄々は気付いていると思うのだが、そのような現実を直視することを避けるべく、
学びから逃げているのではないか、と、そんな気もする。

もちろん、本来ならば、
「それでもなおかつ!」ということを若者が言わずして誰が言う?!と問いたいところだが、
正面切ってその種の議論をすると、またぞろ、逃げられそうで……。
(それでも、教育とは未来に希望を託すことである、と、言いたいのだが……。)

1年ゼミでは、本格始動なったゼミブログと活動カレンダーを示しつつ、
「こういうことをやりたい」「学生にはこういう経験をしつつ自らを鍛えてもらいたい」と、
まぁ、いつもの説教モードになってしまっていたのだろうが、挑発しまくった訳であった。
それが、未来を託すことであると、「旅の坊主」としては思っているが、
意図に反して、結果としては「学びからの逃走」を生んでしまっているのだろうか……。

2年ゼミでは、先週に引き続き、一般企業の採用試験を意識しての、
20分のグループディスカッションに取り組んでもらった。
自己紹介と自己PRの違いについては、「旅の坊主」は(未だに)ピンときていないが、
ディスカッションとなれば、「オンステージ」をやってはダメな訳で、
場を同じくした仲間から、どれだけ引き出せるかの勝負、と思っている。
2年後期から、毎週1回でも、その種の感覚を養う時間を作っていたならば、
就活本番までに、多少なりとも使い物になるレベルへと引き上げることも可能と思う。

地方私大の准教授が何を言ったところで「ごまめの歯ぎしり」か、と思うことがない訳ではない。
それでも、直接触れ得る範囲についてくらいは、メッセージを発し続けたい、と思うのだが……。

ただまぁ、説教臭くない方法については、「旅の坊主」はまだまだ学ばなくてはならないようである。

(10月20日未明 記す)

今年も静岡県地震防災ポスターコンクールの審査をお手伝いしました

2015-10-13 23:48:31 | 地域防災
静岡県では毎年、静岡県地震防災センターが事務局となり、
毎年、地震防災のポスターコンクールを行っている。
(「旅の坊主」としては、ここ数年来、審査のお手伝いをしている訳だ。)

夏休みの宿題として取り組んでもらえるよう、夏休み前に要綱を決めてPRし、
夏休み明けに締め切った後、この時期に審査を行って受賞者を決定、
毎年11月に行われる地域防災推進大会で表彰、というタイムスケジュール。

で、10月中旬のこの日、今年の審査が行われた。

静岡の地震防災ポスターコンクールは、小学校低学年の部、小学校高学年の部、
そして中学校の部に分かれている。
ということは……。

防災教育に関する拙稿を紹介する形で、少し前の拙ブログで連続して(改めて)述べたことでもあるが、
防災の本質は予防にある、と考えている「旅の坊主」である。
(また、まともに防災に取り組んでいる者であれば、「予防に勝る防災なし」に異論を唱える者はいまい。)
(もちろん、防ぎ切れずに出てしまう被害への対応も、二義的には必要であるが。)

小中学生が受けた防災教育の中身を考える時、
「まちづくり」「地盤」「構造」といった、防災の本質に絡む話がポスターになっていてほしい、と期待しても、
実態としては、そのような内容についてはポスターにならないことはわかっている。
どうがんばっても、耐震診断や家具の転倒防止のレベルまでが精一杯、ではあると思う。

先に述べた拙稿での主張に絡める形で述べるならば、
高校生には、巨大災害を織り込んだ人生設計を描くことの必要性について、
大学生には、巨大災害に遭っても致命傷なしのまちへと変えていくことの重要性について、
ポスターで描いてもらえるならば本当に嬉しい、とは思う。
ただ、それは、静岡県の地震防災ポスターコンクールでは、残念ながら無い物ねだりというもの。
このことは、十分わかっている。とすれば……。

いつの日か機会を得たならば、災害を織り込んだまちづくりについてのポスターコンクールを仕掛けよ、
そういうこと、なのかもしれない。

大学に戻り5限に「時事問題討論ゼミ」。
(といっても、この日も残念ながらマンツーマンではあったが。)

人口動態調査が示す通り、これから先、毎年毎年概ね50万人ずつ、
労働力が減っていくことになる日本社会である。
とすれば、それに見合って産業規模を小さくするか、あるいはそれに見合う外国人労働者を受け入れるか、
原理的にはどちらかの選択を迫られることになる。
でも、そういう話は、残念ながら本学レベルでは、大学生の常識にはなっていない。
むしろ「そんなに努力しなくても就職先は見つかる!」と、自分に都合よく思ってしまうのだろうか……。

非正規労働者の増加が防災に極めて悪影響を及ぼすであろうことについて、
防災ポスターコンクールのK審査委員長と、二人して強くうなずいたところだったのだが……。

(10月19日 記す)

【ゼミのブログを見て大学を決める中高生がいることを期待しつつ】

2015-10-12 23:54:23 | 小村ゼミ
この日、三連休の最終日なれど大学は授業のある日。
後期は月曜日が学外研修日の「旅の坊主」ゆえ、研究室に出なくてもよかったのだが、
ゼミ生とブログや情報発信について仕込むべく、10時過ぎから議論&作業。

防災学というのは、日本の中ではまだまだ存在が確定していない学問である。
例えば、災害学は自然科学だが、防災学は本質的に社会科学であるということが、
どれほど認知されているだろうか。
(ちなみに、防災学の一部は人文科学であり、一部は工学でもある。ただ大部分は社会科学。)
まぁ、そのような「学問と言えるだけの体系性を持っているか」どうかもあやしい防災学ゆえ、
「○○大学○○学部/○○研究室で防災学を学ぼう!」と言っても、
中高生にはピンと来てもらえないだろうなぁ、とは思ってしまう。

学内的にも、浮きまくっている小村ゼミではある。
正しくは、真面目に将来を考えている少数の学生には大変高く評価されているが、
そうでない(残念ながら多数派の)学生からは毛嫌いされているのが「旅の坊主」のゼミ。
ただ、声のかけ方によっては何かを考えてくれる学生がまだいるかもしれない、
情報発信の方法によっては、何かが変わる学生もいるかもしれない、ということで、
この日、IT系SNS系に詳しい4年生に手伝ってもらい、ゼミブログを本格始動させることにした。

併せてゼミ生&関心ある学生向けに、出前講座など「旅の坊主」の学内外の活動のうち、
学生が参加可能なものについてカレンダーに入力、予定を入れてもらう際の参考になるようにした。

「一味違う」ゼミとゼミ生の活動でありたい、と思っているが、
ゼミ担が前面に出てばかりでは、学生が乗ってくるとは思えない。
というので、このゼミブログについては、ゼミ生に交代で書き込みをしてもらい、
当方はコメントをするのみにとどめたい、と思っている。

ともあれ、こういうゼミの活動を見て、
自分も、「時代の宿命」と戦う術を身に着けるべく、静岡・富士の地で学生生活を送ってもみてもよいかも、
そう思ってくれるような中高生がいてくれるならば、またそういう若い世代が増えてくれるならば、
「時代の宿命」に遭っても何とかなる日本社会へと変えていけるのではないか、と、思うところ、である。

相手がデカすぎるだけに、そう簡単な話ではないが……。

拙ブログ読者のみなさま、よろしければ、学生ブログものぞいてみて下さいませ。
で、学生諸君に応援メッセージなどいただければ、ゼミ担任としては大変嬉しく思います。

小村ゼミ学生BLOG ~komura seminar~
http://blog.livedoor.jp/komura_bosai_seminar/

(10月19日 記す)

「消防職員が理解しておくべき防災の基礎知識」

2015-10-11 23:54:06 | 地域防災
この日は16時過ぎの新幹線で東京へ。

9月から10月上旬までは雪のない、黒っぽい富士山だったが、
車窓から見る富士山がこの日(10月11日)今シーズン初めて、山頂部が白くなっていた。
メディアでも富士山初冠雪が話題になっていた。今年も秋は深まっている。

数日前に誕生日を迎えた母と夕食。この誕生日で後期高齢者の仲間入り。
それでも、今年も10日余の海外旅行をこなしてくれた。(ちなみに来年のスケジュールも決まった。)
いつもの「新宿・つな八」での食事もしっかり食べてくれた。
年齢が年齢ゆえ、生理検査の数字が悪くなったり薬の数が増えたり、ということはあるようだが、
息子としては、まずは年相応であれば、と思っている。

それはそれとして。

標題は、11月27日に沼津消防から頼まれた講演の演題。
本来ならば、こんな大それた演題を選ぶつもりはなかった。
ただ、ある事情を聴いて、重要なポイントを見落としていたことに気付き、
大それた演題ではあるが、この演題にも取り組まなくてはならない、との思いに至った次第。

一言で言えば、消防広域化による消防の管轄と市町村の管轄の不一致により、
市町=消防間の人事交流がやりにくくなるのではないか、という危惧の念であり、
そのことが「防災の物語」を持つ消防職員を少なくしてしまうのではないか、ということ。

今まで沼津市は、市の管轄と消防(沼津市消防本部)の管轄が1対1対応であり
(もちろんそれが今までの、自治体消防の標準だったのだが)
加えて沼津市の防災担当課である危機管理課は、半数が消防からの出講者で占められており、
課長を消防出身者が務めることもある。

しかし、来春、沼津消防を含む広域化がなされ駿東伊豆消防となる時、その管轄は4市3町に及ぶ。
7市町の防災担当部局としっかりとした人事交流ができるのか、そこが危惧される。

消防は基本的には事後対応の組織である。
もちろん、予防についてもしっかりと取り組んではいるが、
市町の防災担当部局のように、まちづくりやひとづくりが一義的な仕事、ではない。
(ちなみに、市町の防災担当部局が災害対応を一義的な職務と謳っているとすれば、それはそれで大問題なのだが、
まともな自治体&防災担当者なら、「予防に勝る防災なし」は理解していることと思う。)

「旅の坊主」としては、消防職員が、自治体の防災担当部局で(一時的にせよ)勤務することで、
消防の物語とは似て非なる、「防災の物語」を物語れるようになってくれることを願っている。
しかし、広域化により、消防と市町防災部局との人事交流が難しくなるなら、
消防職員向けに、「防災の物語」の仕込みの手伝いをしなくては、というのが、
このような大それた演題での講演を引き受けるに至った理由である。
我ながら大風呂敷を広げてしまった、とは思うものの、まぁ、やるしかないわな、と。
もちろん、それなりに語れるつもりではあるが、考えてみれば、かっちりした話に仕込んだことはない。
という訳で、当日に向けて仕込みの日々となる訳だが、これもまた楽し、と思っている。

(10月19日 記す)

10月期「ふじのくにDIGセミナー」開催報告

2015-10-10 23:50:13 | 地域防災
毎月第2土曜日は、静岡県地震防災センターでの「ふじのくにDIGセミナー」の日。

今月は「旅の坊主」を含めて13名の方が顔を出して下さった。
PR力・アナウンス力の不足もあり、新規メンバーの開拓が思うように進んで行っていないが、
それでもこの日は、静岡市の中心部で町内会長を務めるSさんが初めて参加して下さった。

前々日、このSさんにお声掛けいただいたKさんとの打ち合わせの中で、
Sさんの町内会を含む静岡市立城内中学校区の地図を用意しよう、ということになった。
というので、久しぶりに前日夜、「4×3印刷」のお世話になり、この地域の地図を用意していた。

「4×3印刷(よんさん印刷)」は、住宅地図を任意の縮尺で、
最大50枚まで分割印刷してくれるという、かつ、それが無償提供可ということゆえ、
DIGの実施に当たっては、大変ありがたいサイト、ではある。
ただ、同時に考えなくてはならないことは、
無償のサービスに依拠していると(防災の)ビジネスが大きくならない、ということ。
「4×3印刷」で分割印刷されたものの貼り合わせにそれなりの時間がかかるということもあり、
最近はなるべく使わないようにしている。
その代わりに、住宅地図メーカー最大手のゼンリンさんがDIG用地図を開発、販売してくれているので、
今はそれを勧めている。質の良いものにはそれなりの対価がかかる。
その真理を無視しては、長い目で見ればよろしくない結果をもたらすことを考えておきたい。

いささか話が脱線してしまった。

毎度のことながら、直前にならないと準備が進まない状況で
(一つの要因は、学生への仕事の振り方が下手、ということなのだが……)
今回は「4×3印刷」のお世話になり、それを当日貼り合わせることで議論の舞台を作った。

その後、毎度のことながら、地震防災のイロハから、つまりは
「地震で人は死なない。耐震性の低い建物に潰されて人は死ぬ」という辺りから、「防災の物語」を説き始めた。
今回特に強調したのは、静岡市の中心街という土地柄を考え、
阪神淡路大震災における鉄筋コンクリート造や鉄骨造の建物が崩れた様や、都市大火の様子を、
「旅の坊主」自身が現場で撮影した写真も見せつつ、そのリスクをイメージしてもらったこと。

この学区は、静岡市役所近くの繁華街と、昔からの住宅街、大別すると2つに分かれる。
繁華街は、夜のネオンは美しいが、その裏側は「勘弁してくれ!」の場合が少なからずある。
雑居ビルの中には、さすがに昭和30年代に建てられたものはそうはないだろうが、
昭和40年代の物件は相当数が残っていると思われる。
住宅街に残る旧耐震基準時代の日本家屋は、概算で3割くらいであろうか。

とすれば、この地域で覚悟しておくべき被害量は?
この、リアルな見積もり抜きに、地震防災を語ったところで、地に足の着いたものとは言えまい。

県庁前を横切る県道27号線、都市公園としての機能も果たしている青葉通り、
江川町通りに県道208号線、昭和通り(国道362号)、平成通り(ときわ通り)と、
防火帯となりそうな片側2車線の道路は、それなりの間隔で存在はしている。
ただ、それらの通りで囲まれた地域で、一旦火が出てしまうとどうなるか。

……。

防災の物語は、「着眼大局」としての視座も必要だが、やはり地域に密着した議論があってナンボのもの。
この日ご参加いただいたSさんには、何かを感じていただいたようで、嬉しかった。
ただ、Sさん一人が理解して下さったところで事足れり、ではない。
町内会なり、繁華街の振興会なりの方々と、「ふじのくにDIGセミナー」の中で、
議論する日がくることを願っている。

学生が3名、勉強に来てくれたが、3人とも予定があったようでアフターには参加せず。
というので、「大人」5名がアフターでも防災談義。

月イチの例会で、こういう議論を継続して出来ていることがありがたい。

(10月15日 記す)