「旅の坊主」の道中記:常葉大学社会環境学部・小村隆史の防災・危機管理ブログ

日本唯一の防災学部はなくなっても、DIGと防災・危機管理を伝える旅は今日も続いています。

拙ブログ(6月23日分)、遡って追加・更新しました

2011-06-26 13:21:47 | 中米防災協力(プロジェクトBOSAI)
エルサルバドル時間 2011年6月25日(土)22時20分過ぎ
日本時間 26日(日)13時20分過ぎ

6月23日分として、

「沖縄戦 慰霊の日に」
http://blog.goo.ne.jp/tabino_bozu/d/20110623

遡って追加・更新しました。

スタッフ2名を誘ってリベルタでオフ

2011-06-25 23:11:21 | 東日本大震災(東北地方太平洋沖地震)
中米時間 2011年6月25日(土)

ゆっくりと朝寝。オフの日最大の楽しみ。
管理人さんに7月分の家賃を払った後
(月額1500ドル=20ドル札で75枚!うーん……)
当地での愛車である97年型カローラで内務省ビルへ。

ローカルスタッフ2名に声をかけ、
サンサルバドルから南に下ったリベルタの町で、
少し遅めの昼食をとることにする。

スタッフの一人は、土曜日は学校に通っている努力家。
車を職場の駐車場に置いておくので、そこまでお迎えという話。
もう一人の家はリベルタに向かう道沿いゆえ途中でピックアップ。
当然のことながら、車中はスペイン語と英語、チャンポンの会話。

すでに雨期に入っており、またハリケーンシーズンでもあり、
残念ながら天候はあまりすぐれず。それでも往路は雨にはやられなかった。
乾季なら、本当に海がきれいなBETOのレストラン。
雨期でそんなに天気が良い訳でもないのだが、すごい人手。
(ピークは外したのだけれど……。)

いつものように?
赤貝ならぬ黒貝のカクテルと今日は鯛の類の素揚げ。
スタッフ二人は海産物のスープと「旅の坊主」と同じ鯛の類の素揚げ。
楽しく美味しい時間を過ごすことが出来たのが何より。

当地での滞在も9ヶ月を過ぎると、
多少なりともスペイン語に耳が慣れてくる。
このタイミングで1週間、集中講義を受講出来れば、
「旅の坊主」のスペイン語力もかなりあがるだろうなぁ、
とは思いつつも……。

追い込みの3ヶ月弱ゆえ、その時間を作ることが難しい。
次にこんな時間を作れるのはいつのことか、とも思いつつ、
次回はもう少し、スペイン語会話を楽しみたいもの、と思う。

エルサルバドルにもソフトクリームの店があり、
その店で何ヶ月ぶりかのソフトクリームを食べた後、
行きとは逆の順番で二人を送り、自宅まで戻る。

ありあわせの夕食の後はいつものようにメールやら原稿やら。
久しぶりに、当地で売っている日本酒(カリフォルニア産)「八重垣」。


沖縄戦 慰霊の日に

2011-06-23 23:51:31 | 中米防災協力(プロジェクトBOSAI)
中米時間 2011年6月23日(木) 

日本時間では昨日の話になるが、
この日6月23日は、
亡き昭和天皇が「忘れてはならない日」と言っていたという、
3つの日付の一つ、沖縄戦の慰霊の日。

「沖縄県民斯ク戦ヘリ
県民ニ対シ後世特別ノ御高配ヲ賜ランコトヲ」

大田實海軍中将の決別電といって、ピンとくる者は、
本学の学生クンの中には、残念ながら一人もいるまい。

(そう思ってしまう自分が悲しく、そして多分事実であろうことは、
もっと悲しむべきであろうが……。)

『沖縄県民斯ク戦ヘリ:大田實海軍中将一家の昭和史』を
光人社NF文庫版で読んだのは、何年前のことだったか。

長男は広島で平和教育の第一人者となり、
三男は自衛隊による国際貢献のさきがけとなる。
一家の歴史がそのまま昭和史の一コマとなるような一家も、
そうはあるまい。

大田中将が長柄町、旧制千葉中学出身ということもあり、
千葉県民の一人としては、その生き様を覚えておきたい、
いつかは、摩文仁の丘に行き、平和の礎(いしじ)に行ってみたい、
そんなことを思っているが……。

それはさておき。

今回の2泊3日のコスタリカ行きも最終日。
8時半にホテルをチェックアウト、まずは国内に4つある国立大学の一つ、
UNED(国立通信教育大学)の付属施設、
直訳すれば「地域開発と地方自治体振興・能力開発のための研究所」へ。
(実のところ、UNEDのどこに連れて行かれるかまでは聞かされていなかった。
結果的にはベストの場所に連れて行ってくれたようで、本当に何よりであったが。)

コスタリカでBOSAI活動を展開させるにあたり、
CNE(国家災害緊急事態委員会)にがんばってもらうのは当然として、
これから先、力を入れるべきは、やはり国内に81+αある市の存在。
彼らがDIGのノウハウを身に着けてくれるならば、
土地利用について、また、住民向け教育について、
何かを変えることも期待できるだろう。

そのためにも、
自治体職員向けの教育もやっているというUNEDと、
一緒に活動が出来ればナンボ、という話。

先方としては、「旅の坊主」の見極め、という話もあるのだろう、
まずは7月15日(金)に2時間ほどの講義をすることで話がまとまる。
ここから先、どこまで面白くできるかは、こちらの腕次第、しゃべり次第、か。

一旦、JICA事務所に戻り、今後の活動予定の整理、昼食などの後
現地コーディネーターDさん、事務所のSさんと共にCNEへ。

いろいろと欠点もあるが、何だかんだ言ってもモノを考えているD氏との話は、
やはり楽しいし、刺激的でもある。そして話が決まるのも早い。
向こう3ヶ月、帰国までのコスタリカでの活動予定がほぼ固まる。

(比較してはいけないのだろうが、
パナマやホンジュラスでこういかないのはなぜなのだろうと、
考えざるを得ない……。)

予定は15時からだったが、20分ほど押して、
新任のナンバー2に挨拶が出来た。
サンサルバドルに戻る飛行機の時間の関係で、
十分な話は出来なかったが、
事情を知っているメンバーが同席していてくれたから、
あとのフォローはしてもらえるだろう。

駆け足だったものの、多くの手応えを感じることができ、
まずまずの出張であった。
自分へのご褒美に、ネルの袋で入れるコーヒーのセットを買う。
手入れが大変なことは十分理解しているが、
気分転換にはそれも良かろう。

空港には、ドライバーのMさんが待っていてくれた。
特に渋滞もなく、20時前には自宅に戻れた。
外に出ることも考えたが、結局、あり合わせでの夕食、
その後メールなど。

                        (中米時間6月25日夜 遡って記す)

あっという間の9ヶ月。残り3ヶ月をどう活かす?

2011-06-17 23:36:03 | 中米防災協力(プロジェクトBOSAI)
中米時間 2011年6月17日(金)

本当にあっという間だった。

昨年9月17日に日本を発ち、気がついたら丸9ヶ月の区切りの日。
残り3ヶ月、文字通りの秒読みとなってくる。
この残された時間、うまく活かすことが出来るか。
そこが勝負の分かれ目。

午前中はオフィスで。
いつものように各種の調整業務。
来週の出張予定も未定部分があり、そこを確定させるなど。

昼食は、クラウディア食堂金曜定番の「パン・コン・ポヨ」。

(注:コッペパンに焼いた鶏と野菜類をはさみ、
焼き汁をベースとするソースを付けながら食べるもの。
味は大変良いのだが、食べにくいことおびただしい。)

その後、一旦自宅に戻り、着替えをして、
(急ぎの書類等をまとめていて時間に遅れてしまったが)
クラウンプラザホテルの一室で、
年2回の専門家連絡会と、引き続いての安全対策協議会。

相変わらず、治安情勢は悪い。
殺人件数については、今年このままいくと、
史上2番目のレコードを作りそうとか。

君子ではないが、危うきに近寄らず、
臆病に徹することを、改めて自分に言い聞かせる。

終了後は、そのまま専門家仲間の懇親会を
ホテル近くのイタリアンレストランで。
老舗で、家族連れが多い。
飲み物もビールとワインしか置いていないという、
極めて良心的な店で、味もなかなか。
何かあったら行くリストに載せておこう。

情けないながら、ここ数日、右の腰が痛い。
会議の休み時間に健康管理員のKさんに相談したところ、
さっそく、懇親会の場で、NHKテレビ「きょうの健康」の4月号、
「腰痛特集」を渡して下さった。

しっかり読んで考えてね、ということなのだろうが、
それはそのまま、しっかり運動しなさい、ということ、
でもあるのだろう……。

腰痛の直接的な原因は、
ベッドがへたっていたことと判明、少しホッとする。

(中米時間 6月19日深夜 遡ってアップ)

たまってしまった報告書の山を前に

2011-06-09 23:58:06 | 中米防災協力(プロジェクトBOSAI)
中米時間 2011年6月9日(木)

四日市の盟友Yさんから、
「しばらくブログの更新がありませんが……」と、
体調を気にかけて下さるメールが届いたのが数日前。
(Yさん、ありがとうございました。)

あの大震災から日本時間の明日で3ヶ月になろうとしている。
「創造的復興支援のために」と題して、幾つかのアイディアを文章化してはみたものの、
手探り状態の中、書きためるというほどのアイディアを出すことも出来なかった。
そのうち、現時点での本業である中米の活動もこれありで、
中途半端な段階で投げ出してしまった感があることは、
我ながら情けない限り。

7時半から5時半まで、何だかんだの10時間、
メール書きやら報告書きの時間を過ごすも、
たまった仕事には、終わる気配すら見られず。
ここ数ヶ月、一体何をやっていたことやら……。

夜は久しぶりに、
ニカラグア牛レストラン、ロスランチョスへ。
こちらも2ヶ月近く行っていなかったように思う。
だが、ウェイターの顔ぶれは変わっておらず、
顔見知りの何人かとは握手でご挨拶。
スペイン語がもう少し出来れば、
軽口の一つも楽しめるのだろうが……。

震災3ヶ月を前に、改めて、
己が果たすべき役割についてノートと格闘。
さらに、これまた久しぶりに、
何とか1日20通のメールノルマを達成。
(こんなことだから、仕事が溜まってしまうのだ……。)