「旅の坊主」の道中記:常葉大学社会環境学部・小村隆史の防災・危機管理ブログ

日本唯一の防災学部はなくなっても、DIGと防災・危機管理を伝える旅は今日も続いています。

沼津市社会福祉協議会にてボランティア・コーディネーターのフォローアップ研修

2015-01-31 21:26:09 | 防災ボランティア
10時から16時半まで、沼津市社会福祉協議会(社協)からの依頼による、
災害ボランティア・コーディネーター(VC)のフォローアップ研修。

今までVC養成研修を受講した人が対象なのだが、
「旅の坊主」が携わる前の養成研修の中身がいささか???のものだったので、
申し訳ないながら、ゼロからはじめさせてもらった。

災害ボランティアセンターに来た一般ボランティアさんと、
ボランティアによる支援を希望する方々の要望(ニーズ)をいかにマッチングさせるか。

下手なVC養成研修になると、そこが中心課題になってしまうが、
それだけがボラセン&スタッフの役割、であるはずもない。

ボラセンの対応能力を上げよ、というテーマ設定は当然のこと。
ではあるが、本質的には「予防に勝る防災なし」。

災害につよいまちを作るというより本質的な課題を理解して、
その大目標のために共に努力していく同志を増やすことのほうが、
長い目で見れば、より重要な課題となる。

特に、伊豆半島以西の太平洋沿岸にある市町村にとっては、
90年から150年という海溝型巨大地震(この場合駿河トラフ・南海トラフの地震)の周期性に鑑みて、
20年程度の準備期間をどう活かすかが勝負、となる。

という訳で、VC養成講座に出席しようという、災害に比較的関心を持つ人には、
この、より本質的な課題を理解してもらいたい、という思いから
いつものように20万図の地勢図を示した上で「時代の宿命」を説明することから始める。

「引いた目」で全体を見ることがいかに重要か。
現地・現物・現実の防災ゆえ、時に「寄った目」で地域を見ることも必要だが、
「おらが村」のことばかり声高に主張したところで、本質的な課題は見えてこない。

伊豆半島の孤立集落への支援拠点としての沼津&周辺市町の役割と、
関東圏の潜在的マンパワーを独り占めすることなく西へと流すことの必要性、
そんな大きなテーマについて、20万図を示しながら説明したつもりだが、
さて、どこまでピンと来てくれたことか……。

さらに、これもいつもの研修メニューながら、
大規模災害時に己が果たすべき役割がしっかりイメージ出来ているか、
その背景となる「揺れがもたらす破壊」を理解しているか、イメージ作りのワークも行う。

さらにさらに。
岩手日報社が出した東日本大震災の記録集に基づき、被災者が求めるものを、
避難所で暮らす者と自宅で暮らす者に分け、さらに2週間後と2ヶ月後という2つの段階毎に、
ポストイットに書き出すことでイメージしてもらう。

もちろん、描き出されたすべてを、ボランティアがカバーできるはずもない。
しかし、ニーズとして上がってきたものをこなすだけでなく
(それはそれで重要なことであり、大変なことでもあるのだが)
もう一歩、もう二歩踏み込んで、被災者の生活はどうなるのだろう、という、
防災学の世界では「災害エスノグラフィー」と呼ばれるものの初歩くらいには、
踏み込みたい・踏み込ませたいという思いもあった。

最後は、模造紙大(ないしそれ以上)の地域の地図を用意して、
沼津市災害ボランティアセンター(仮称)のサテライトセンターを作るとして、
そのサテライトセンター周辺はどのような事態になっているか、
その地域で支援活動を展開する上で、プラスであれマイナスであれ、
どのような留意点があるか、短時間ながら考えてもらった。

5時間半という時間はかなりの長時間であるはずなのだが、終わってしまえばあっという間。
すべてを納得してくれた方ばかりではないと思うが、それでも、それなりの手応えはあった。

何より重要なことは、2月下旬に「アルコール燃料付き」の意見交換会を設定出来たこと。
これをやらないと、本音の議論は出来ないし、人間関係も深まっていかない。
沼津市の防災ボランティアの面々も、少しずつ、顔と名前が一致してきた。
静岡県東部の拠点として、沼津にはがんばってもらわなくてはならない。
いざ発災となれば支援出来ることはわずかだが、事前の、予防策や対応策の検討にあたっては、
可能な限りのお手伝いをしなくては、と思っている。

「旅の坊主」も、住民票こそ千葉ではあるが、静岡では「地侍」の端くれのつもり。
まだまだがんばれることはある。しっかり取り組もう!

沼津社協の担当Yさんと沼津市危機管理課の皆さん、「VCはまゆう」のみなさん、
いろいろとお世話になりましたm(_ _)m

大学教員生活15年目にして初めてゼミ生&保護者との懇親会(飲み会)を持つ

2015-01-30 12:50:40 | 小村ゼミ
先週日曜日夜の話、教員生活15年目にして初めてのことに挑戦した。

拙ブログと並行してfacebookも見ていて下さっている方にはすでに紹介したが、
静岡のとある小料理屋を貸し切って、拡大ゼミの学生とその保護者の方、
ゲストも交えて19人で、保護者懇談会という名の飲み会。

率直に言えば、成立するとは思っていなかった。

学生同士の会話自体、少なくなっている時代。
家に戻り、ゼミ生が、大学やゼミ、仲間たちのことを親御さんと話しているのか、
と思うと、うーん……。

「旅の坊主」が大学生だったころを思い出しても、
大学のイベントに親が出てくることは、まずなかった。
そもそも保護者懇談会もなかったし、いわんやアルコール付きでの懇談会など……。

ただ、刺激的な日々を送ることが出来ているゼミ生諸君の親御さんとは会ってみたいし、
(良い意味で、親御さんの顔がみたい、ということ)
友人の親御さんとはいえ、年長者と話をすることで、
学生の対人コミュニケーション能力を鍛えたい、という、いつもながらの思いもある。

昨年9月、大学で保護者懇談会が行なわれた時には、
15分かそこらの(二者面談三者面談を問わず)個別面談をするよりも、
「今のゼミ生とその保護者の方であれば、食事会をしても参加してくれるのではないでしょうか?」
とのゼミ生S君の声に背中を押された形で、弁当持ち寄りでのランチョンミーティングが出来た。

今回は7組の親子(父+娘が1組、母+娘が1組、母+息子が5組)、学生単独2名、
ゲスト2名に「旅の坊主」というメンバー。

企画した側としては大変嬉しいことに、美味しい食事とお酒、楽しいおしゃべりで、
3時間という時間があっという間に過ぎた。

最初で最後かもしれないなぁ、と思っていたが、保護者の方々にも大変好評で、
これは次回も出来るかも、と思ったような次第。

飲み会の場では、学生同士・親同士・親子同士が隣り合わせにならないように、
との着席のルールだけは決めておいた。

初対面の人と雑談が出来てナンボ、というのは、いつもゼミ生に言っていること。
アルコールの力もあったのだろうが(残念ながら未成年の学生は飲めなかったが)
和気あいあいの雰囲気は、見ていて、とても幸せな気持ちにさせてくれた。

こんな関係性は、作ろうとして作れるものでもないと思う。
どうしてああいう時間・空間を作れたのか、
そんなことを不思議に思い返す時がくるのかもしれない。
ともあれ、そんな、不思議な時間と空間でもあった。
こんなことをやれているのは、間違いなく、本学では小村ゼミだけだろう。
そして、そのような学生や親御さん達と共に大学人として活動できていることを、
幸せに思うべきなのだろう、とも思った。

という訳で、暖かな気持ちで帰路につくことが出来たことを、
ご参加いただいた方々に感謝。

防災教育とITC???

2015-01-29 23:53:05 | 防災教育
甲府での刺激的な一晩の後、五時半に起きて富士に戻る。

10時半から、某ITC会社の担当者が来校、
防災教育について、何か思うところがあるらしく、
それを「旅の坊主」にぶつけてみたかったらしいのだが……。

何を教えればよいのかについてのアイディアゼロ!
担当者氏は、某防災士なる資格を取られたそうだが、
防災関係者の間では、「防災士でござい!」と言っている者は「論外の外」の扱いということを
どうも、知らなかったらしい。

カルチャーセンターのレベルで、防災をライフワークと見定めた者に、
何か言いたいというらしいのだから、「旅の坊主」も舐められたものである。

ITCを防災教育に使いたい???
うん、それは良いね。でも、何に、どう、使うの?

「どのデバイスを使うの?」と聞いたら、答えは「タブレットです!」
「はっ???」

一人一台だろうが1班に1台だろうが、
「防災教育にパソコンを使います」と言って恥じない姿に愕然!

ITCがなかろうとも、紙とエンピツであろうと、あるいは身振り手振りであろうと、
伝えるべきメッセージがあっての教育でしょ???

思わず言ってしまった「箸にも棒にもかからないね!」

担当者氏が持ってきた資料には、文科省が出した資料が入っていた。
その文科省の「防災教育を中心とした実践的安全教育総合支援事業」の資料を、
酷いもんだと思っている「旅の坊主」に、
「これをやりたいのです……」とか言っているのだから、まぁ、そのレベルなのだろうが……。

「お金を稼ぎたいのです!」と言うのを、端から言えば、考えないでもないが、
「旅の坊主」としては、「先義後利」の人を応援したい。

まぁ、ここまでボコボコ(学生の言葉には「フルボッコ」なる言葉があるそうだが)にされて、
彼らが捲土重来を図るか、それは「旅の坊主」の知ったことではない。

まぁ、せっかくお金を使ってきてもらったのだから、
「せめてこのくらいは考えてよね」という話を、最後にはした。

「今のための防災と将来のための防災」
「災害種別(災害因別):地震・津波・洪水・土砂災害・火山等々」
「教育者の候補者のリクルート」「候補者向けの研修」
「彼ら彼女らに使ってもらいたいプログラム」「教育者の支援スタッフの養成」

せめて、災害学と防災学は違う、くらいは、わかってもらいたいのだが……。

率直に言って、某社には無理だと思う。
ただ、これから日本の防災教育に携わろうとしている者のレベルがこの程度か、
ということがわかったことが、午前中の1時間半の収穫、だったのかも……。

1時間半放電した分、しっかり充電しなければ、体も心も持たない。
というので、16時から静岡県地震防災センターに行き、2時間弱のブレスト。
さらに先週日曜日に顔を出した「やさい亭」に動いて
アルコール燃料付きの3時間半のブレスト。

これで、収支は黒になった!次回も決まった!!
静岡の防災人には、鉄分の多い人や山屋、ウィスキー好きが多いらしい、
ということがわかったのが、今日のもう一つの収穫!

山梨で、災害時要援護者について語る

2015-01-28 22:47:23 | 地域防災
山梨県社会福祉協議会と山梨県民生委員児童委員協議会から依頼を受け、
「改めて考える防災の常識・非常識 ~要援護者・避難・避難所対策~」の演題で、
2時間ほど話をさせていただいた。

内陸県の山梨ゆえ、津波リスクが無いのは言うまでもないが、
災害には意外と見舞われない土地柄なのだそうな。
昨年冬には雪害で大変なことになったが、
県の災害対策本部を立ち上げたのは30年ぶりとのこと。

山の国ゆえ、中小の山崩れ崖崩れは文字通り山とあるだろうが、
それらはいわば織り込み済であって、被害はそんなに出ていなかった、とのこと。

ただ……。

過疎化&高齢化は否定しようがない。
人口は東京・世田谷区以下であり(山梨県が約84万、世田谷区が約87万5千人)
高齢化率を考えれば世田谷の比ではない……。

生業(なりわい)が成り立たなければ、若い世代は外に出てしまう訳で、
老いた両親が住む家(自分にとっては生家)も古くなろう。

今すぐに発生するとは思っていないが、駿河・南海トラフの巨大地震が発生すれば、
山梨県も相当の被害を受ける。特にJR身延線沿線の峡南と言われる地区は厳しい。

昨年の今頃、山梨県最南端の南部町で地震防災DIGをやったのだが、
約9000人で3000世帯・家屋(マンションやアパートは大変少ない)で、
旧耐震基準時代の木造家屋が6割!これは手の出しようがない!!

そのような状況下、民生委員さんに、地域の方々に向けた防災を語ってもらうには、
どのようなネタを提供すればよいのか。それが、今回の講演の肝であった。

要援護者のリストを作っても問題は解決しない。安否確認の仕組み作りはまだ楽。
安否確認で否が出た時に捜索&救助する仕組みを作らなければ、本番では役に立たない。

避難で問題は解決しない。
避難しなくて済むような場所&場所に家を構えることが、ベストの避難対策。

避難所は、不幸にして家を失ってしまった方が行く場所。
家を失わないようにするための、立地の見直しなり耐震性の見直しにこそ取り組むべき。
避難所は、支援に行く場所と心得よ!

等々。

特に要援護者には、避難所生活を耐え忍ぶのではなく、
自宅で(電気・ガス・水道に障害のある状況下であっても)過ごせるよう、
諸々の準備をしておくべき、というメッセージを発することは出来た、と思う。

講演する側として何より嬉しいのは、質問があること。
身体障害者の当事者団体の方も含めて、何人もの方から質問があった。
ということは、「一石を投じる」ことが出来たみたい。

アフターは、事務局として携わってくださった県社協のGさんと、
20年来のお付き合いをいただいている陸自OBのYさん、さらにゼミ生B君と。
こういう飲み会が出来るからこそ、明日も何かをやろうという気になるのだろうな。

いろいろとありがとうございました>Gさん。
またお付き合い下さい>Yさん。

高知で、災害時の医療救護活動を考えるための、県&市町村職員向けDIGを行おう!

2015-01-27 23:08:17 | 駿河トラフ・南海トラフ巨大地震津波対策
旅の坊主、今日の昼から午後にかけて、高知県庁にてブレスト。

旧知の県庁危機管理部Sさん、高知市のYさんと高知市保健所のH先生、
さらにプロジェクトの事務局を担ってくださっている日本工営の宮宮コンビ、
四国南海トラフ地震対策戦略会議事務局の国交省四国地整局からお二方。

2月16日(月)、高知県職員&高知県下市町村職員を対象に行う予定の、
南海地震対策DIGについて、大きな方向性が固まる。

災害時の医療救護活動と聞くと、多くの方は医療人の世界、と思ってしまう。
しかし、その実、純然たる医療以外の部分で9割方は決まると言われている。
水の確保、電気の確保、ボランティアも含む人材の確保等々は当然のこととして、
医療資機材を被災地に送り込むアクセス路の啓開には建設業者さんの支援が不可欠だし、
そもそも論としては、怪我をしないことがすべてのはず。
(怪我をしても何とかなるような事態でないことは、十分理解してもらえていると思う……。)

どこまでリアルな被害イメージを持つことが出来るか。
また、どこまで、被害の連鎖をイメージすることが出来るか。
駿河トラフ・南海トラフの巨大地震・津波の場合は、
高知県のみが被災県になることは有り得ない訳で、
他にも取られてしまう分、外部からの支援活動の質も量も限られることは明白。
沿岸部は津波でやられ、四国山地を縦断するJR・高知道等も相当の被害が出るだろう。
そのような状況下、医療救護活動を展開させるために、
行政として、広くは非医療人はどのような活動をすべきか、そこを問いたい。

当然のことながら、結論としては、事後対応で何とかなるような話ではない、
ということになるはず。またならなければニセモノとなる。
とすれば……。

残り時間を使って、まずは医療機関や社会福祉施設、学校等々を安全な高台に動かし、
「安全で便利な高台」を作ることで、人々の住まいを安全で便利な場所に引っ張る、
それが、基本的な方向性であることは間違いない。
ただ、それをどうやって具体化していくのか……。

地盤沈下により、長期浸水することが確実視される高知市。
50を数える病院が、長期浸水リスクのある場所にあるという。
方向性は明白なるも、それをどうやって実現させるか。
課題は極めて大きく難しいものの、まずは、そのような「一般方向」を共有できる、
そのような人材育成を、というのが、次回の大きなテーマとなろう。

医療機関や社会福祉施設、学校や行政の高台移転が、
国交省の仕事の範疇か、と問われるならば、いささか疑問ではある。
だが、そこは、四国南海トラフ地震対策戦略会議の事務局としての四国地方整備局。
四国4県と国の出先機関のとりまとめをするのが彼らの仕事。

彼らと共に「この国のかたち」を考える仕事をする、
それが我々の生きがいでもあり、プロ意識でものだろうなぁ、と、
終了後、「ひろめ市場」で塩たたきと桂月をいただきつつ、
スタッフと語り合ったような次第。