「旅の坊主」の道中記:常葉大学社会環境学部・小村隆史の防災・危機管理ブログ

日本唯一の防災学部はなくなっても、DIGと防災・危機管理を伝える旅は今日も続いています。

大阪府北部の地震から何を学ぶか(その5、最終回)

2018-08-05 23:05:28 | 大阪府北部の地震
昨日(8月4日)、私は、静岡県富士市で、
富士市防災危機管理課と富士建築士会主催のDIGセミナーのお手伝いをしていました。
もちろん、南海トラフ巨大地震を念頭に置いた地震防災DIGです。

例によって、「震度7や震度6強では致命傷なし」「震度6弱では実質無被害」という
災害対策の目標を掲げました。その上で、
震度6弱の「ザコキャラ」でブロック塀が倒れ、お二人がお亡くなりになってしまったことから何を学ぶべきか、
私たちに何ができるのか、問題提起をさせてもらいました。

70名ほどの参加者との議論の中で、ハッとさせられる指摘がありました。
なるほど、「総論賛成・各論反対」とはこういうことなのか、を、考えさせられるものでした。

富士市には、中学校の全生徒(+教職員+PTA)を挙げて、防災まち歩きをしてくれている学校があります
(ちなみに今年は11月21日(水)に実施予定です。)。
このプロジェクトの素晴らしいところは、防災まち歩き&DIGの成果を、
地域の方々に向けて中学生自身が発表するところまで、
パッケージ化されている、ということなのです。

そこで、このような防災まち歩きの機会を活かし、中学生諸君に「鉄筋感知器」を持たせ、
ブロック塀の点検をさせ、その結果を地域の方々に報告する機会を作れば、
何か動き出すのではないか、そんな提案をさせてもらいました。

でも……。

ブロック塀をかかえている方々の全員が、いかに災害予防のためとは言え、
そのような防災まち歩きに協力してくれるのか、そこがネックになりました。

自分の家のブロック塀が危険なことは百も承知。
でも、その現状を中学生にチェックされ、地域の方々を前に、あからさまに、
「この家のブロック塀の鉄筋の入り方は問題があります!」などと言われた日には……。

自覚がある分、面白くはありませんよね。
とすれば、どうすればよいのか……。

中学校の活動ゆえ、地域住民の方々のメンツをつぶすようなことは避けたいと思うのは当然のこと。
でも、このチャンスを逸しては、本気モードでのブロック塀の倒壊防止対策ができるのか、
かなり厳しいところだと思います。
実施予定日まで3か月半。さて、どうしたものか……。

「ザコキャラ」であった大阪府北部の地震でお亡くなりになられた
三宅璃奈さんと安井実さんの死を無駄にしないためにはどうすればよいのか。

知恵を絞ります!

【大阪府北部の地震から何を学ぶか(その4)】

2018-08-04 21:00:05 | 大阪府北部の地震
私は、1989年(平成元年)、自衛隊の災害派遣をテーマとする公務員研究者として、
防災の世界に足を踏み入れました。
つまり私は「予防・対応・復旧」という防災の三本柱で言えば、
最初は、災害対応のあり方を考えるという観点で、防災の世界に取り組んでいた訳です。

2000年、現在の常葉大学社会環境学部の前身である富士常葉大学環境防災学部に着任、
片手間防災人から、フルタイムで防災を教え学ぶ大学人となった訳ですが、
直接的には2001年3月と8月のネパール・カトマンズ滞在時、災害対応の限界を思い知らされました。
それを契機に、災害対応から災害予防へと関心が移り、
「予防に勝る防災なし」「予防の基本は立地と構造」という主張をするようになり、今に至っています。
この予防、あるいは立地や構造へのこだわり、まちづくり、人づくりが、
私の主戦場である、と思い定めていますが、それはそれとして。

では、三本柱の残りの一つ、災害からの復旧は?また復興は?
自らの責によらず被災した者への「寄り添い」は、どうなるのでしょう?

被災者への「寄り添い」と言えば、今は亡き黒田裕子さんを思い出します。
その黒田さんと親しく議論する関係であったにもかかわらず、未だに私は、
この「寄り添い」に一義的な重みを置くことが出来ずにいます。
防災の受益者はつまるところ普通の市民である。そのことは十二分にわかっているはず、なのですが……。

そんな私ですが、大阪府北部の地震では、被災者支援に熱心に取り組む防災仲間の活躍を見て、
やはり、被災者支援and/or「寄り添い」の枠組みについて、考えざるを得ませんでした。
キーワードは「グレーゾーン」です。

今回の地震では全壊家屋は極めて少なく(当初数日はゼロで後に4棟に修正)、
建物被害の圧倒的多数は一部損壊でした。

一部損壊にも幅があるとはいえ、
基本的には被災者自身の財力で(=公的支援がなくても)補修可能な程度の被害、というのが、
一部損壊の「裏の定義」となる訳です。
災害救助法に定める住宅の応急修理も、その対象は原則として半壊または大規模半壊の被害を受けた住宅です。
一部損壊では、被災者生活再建支援法の対象にもなりません。
(ただし自治体が独自の考えと独自の財源により支援策を行うことは可。)。

ですから、被災直後から、屋根瓦が落ちた家々への支援をどうするか、
具体的には、ブルーシート貼りで当座はしのぐとして、その先、
独力では屋根瓦の葺き直しが厳しい生活水準の方々への支援をどうするか。
関係者の間では大いに議論になっていました。

日本家屋には、揺れることで屋根土とその上に置かれた瓦が落ち、
そのことでトップヘビー状態を脱して建物の倒壊を防ぐ、という耐震性確保のメカニズムがあります。
(余談ですが、2007年の新潟県中越沖地震の被災地では、
強風で瓦屋根が飛ばないようにと瓦をしっかり固定してしまったがゆえに、
屋根の三角形をそのまま維持した状態で倒壊した日本家屋を数多く見ました。)

今回の地震で屋根瓦が落ちた家屋が相当数発生したことは、
日本家屋の耐震性確保のメカニズムが設計図通りにしっかり機能したことを意味します。
ですので、それはそれで歓迎すべきことではあるのですが、もちろん、
屋根瓦を葺き直さなくてはそこから家屋の痛みが生じてしまいます。
しかし、葺き直し費用の数十万円を出す経済力に欠ける社会層に対して、
少なくても全国一律の資金提供の仕組みは存在しません。
(生活資金貸付等の貸与の仕組みはあります)。

「被災者に寄り添う」という観点からすれば、
これらの方々の苦境を、「自助努力の範疇だろうに」と切って捨てる訳にもいかないでしょう。
ただ、これらの方々、つまりグレーゾーンの方々への支援の仕組み作りは防災・災害対策の範疇なのか、
そこは社会福祉地域福祉の範疇ではないのか。そう思ってしまった訳です。

「災害は貧しい者によりつらく」。

この格言通り、地震での被害は一部損壊レベルとはいえ、
しかるべき支援の手を差し伸べないとその後の風雨で被害のレベルが深刻化してしまう方々は、相当数おられます。
とはいえ、単純に災害救助法の特別基準を申請すれば良い、というようなものではないでしょう。

仮に、「背中を押すための支援」「専門職ボランティアや建築専攻の大学生高校生の実習機会との合わせ技」含みで、
1棟10万円の税金投入の仕組みを作るとしましょう。
今回の地震はさておき、南海トラフ地震で300万棟が一部損壊になればこれだけで3000億円の財源が新たに必要となります。
このようなアイディアは問題解決につながるのか。あるいは根本的な方向性が間違っているのか。

この地震以来、ずっと考えています。

【大阪府北部の地震から何を学ぶか(その3)】

2018-08-03 13:14:03 | 大阪府北部の地震
一昨日、昨日の話の続きです。

先日入稿した『近代消防』での連載の中で私は、
高槻市消防本部や大阪市消防局が小村流の地震防災IGをやりたいというなら、
喜んでお手伝いさせていただく、と書きました。
「旅の坊主」生活ではなく、「旅の坊主、庵に籠る」の年に達しているだろうに、とは思いつつ、
大阪府北部の自治体が地域防災に改めて取り組もうというのであれば私としても精一杯の応援をしなくては、
という意味です。
三宅璃奈さんと安井実さんというお二方の死に対する、自分なりの「落とし前のつけ方」のつもりです。

これを含め、私が直接携わることの出来るDIGの場面では、この、
「震度6弱というザコキャラ級の揺れで倒れるようなブロック塀が、なぜ、今まで放置されてしまっていたのか」について、
少なくても再来年の春までは、徹底的にこだわって行きたい、と思っています。

私が行うDIGでは、まず、
「震度6強の揺れは全国どこでも起こり得ると覚悟しておくべき」という、地震大国日本の現実を説明し、
「震度6強の揺れを受けたら地域はどうなるか?」をイメージさせることから話を始めます。
その後、前述のように「震度6弱なら実質無被害」「震度7や震度6強でも致命傷なし」という防災目標を掲げた上で、
「その目標を達成するための課題を明らかにしよう」「可能ならばそれを具体化するための方法論を考えよう」
という議論の導きをしています。

ありがたいことに、さっそく今週日曜日(8月5日)、東京消防庁防災部からの頼まれ仕事で、
東京都下でDIGのファシリテーターをやってくれそうな方々向けに、
2時間半のDIGセミナーを行う機会があります。
璃奈さんと安井さんの犠牲を無にしないための、ブロック塀の安全性確認にこだわったDIG、
展開させていかなくては、と思っています。

大阪府北部の地震から何を学ぶか(その2)

2018-08-02 11:48:19 | 大阪府北部の地震
昨日の続きです。

この地震では4名の方がお亡くなりになりました。
いずれも、まっとうな災害対策がなされていたならばお亡くなりにならずに済んだ方々でした。
特に高槻市立寿栄小学校4年生だった三宅璃奈さんの死は、
「どうしてこんなことすら防げなかったのか」というレベルの、
情けないほど初歩的なミスの積み重ねによるものでした。

業務上過失致死として誰の罪を問うのか、責任の所在は誰(どの組織)にあるのか、
等々の議論は起こるでしょうが、地域防災の観点からすれば、そこに本質はありません。
璃奈さんと、そして朝の見守り活動中にお亡くなりになった大阪市東淀川区の安井実さんの死は、
自主防災組織など地域防災に携わる者の敗北だということ、
己の努力不足を恥じ入るべきである、ということだと思っています。
私自身も、地域防災に携わる者、災害図上訓練DIGの開発者として、
胸に手を当て、頭を垂れ、己の努力不足を猛省すべき、と思っています。

この地震の震度は、最大でも震度6弱でした。
私が常々強調している「防災の目標水準」は、「震度6弱なら実質無被害」
(⇒新耐震なら震度6弱での建物被害は考えられない/家具家電の転倒防止は自助で十分対処できる範疇)
「震度7や震度6強でも致命傷なし」です。
この目標水準に対して、悲しいかな現時点での高槻市は、また東淀川区は、そのレベルに達してはいませんでした。

個人宅すべてをその水準に、というのは、なかなか時間のかかる話です。
それでも、公道に面しているブロック塀についてはまずは優先して処置していこう、
地域防災に携わる者はそのために「ダメ出し」&「改善提案」をしよう、という活動は、
出来ていてしかるべきでした。

「DIGは塗り絵ではない!」と言って久しい訳ですが、A0版大の地域の地図を前に、
一定の高さ以上のブロック塀がある場所を「塗る」程度の作業は、ごくごく簡単なことです。
今週末も2時間半のDIGセミナーを行います。

璃奈さんと安井実さんの死を無駄にしないためにも、

「安全性の確保されていないブロック塀の撤去はここ1、2年でメドをつける」
「そのための算段を一緒に考える」、

ここからしばらくの間は、この論点には特にこだわっていきたいと思っています。

大阪府北部の地震から何を学ぶか(その1)

2018-08-01 23:59:41 | 大阪府北部の地震
久しぶりの拙ブログ更新になります。

先週末で前期授業が終わり、多少なりとも周りを見回す精神的余裕が出来ました。
大阪府北部の地震の発生以来、精神的な「又割き」状態になりつつの週9コマの講義は、
我が事ながら、なかなか精神的にハードな日々でありましたので。
でも、おかげさまでその状況から脱した以上は、
この大阪府北部の地震、また、「平成30年7月豪雨災害」について、
何をどう考えているのかを示すことが、私の社会的役割だろうに、というところです。

というので、今日から数回に分けて、大阪府北部の地震から何を学ぶかについて、
私なりの考えを述べさせていただきたい、と思います。

ご存知の方もおられると思いますが、私は、消防・防災系の老舗月刊誌『近代消防』に、
「災害図上訓練DIGを活かした災害対策あれこれ」と題した連載を持っています。
今月10日発売予定の最新号(2018年9月号)には、
この更新タイトルと同じ「大阪府北部の地震から何を学ぶか」の拙稿が載ります。
というので、以下の原稿も、その連載原稿ベースですので、その旨、お含みおきを。

さて。

今回の大阪府北部の地震について、気象庁は、個別の災害名を付けませんでした。
ちなみに、西日本の豪雨災害には、上述の「平成30年7月豪雨」という災害名がついています。
気象庁的には、この地震はその程度の規模だったという意味です。
で、それはそれとして、この地震を直接のきっかけに、私は、
「ラスボス」「中ボス」「ザコキャラ」という比喩を使うようになりました。

私が主宰するDIGセミナーでは毎度おなじみですが、
南海トラフ地震(南海トラフ巨大地震)の被災規模を示す際、
私は国土地理院による1/20万地勢図を用いています。

この縮尺で、大人2人が手を拡げた範囲が「ラスボス」の大きさです。
地震の規模は(後述する比較の便のため)仮にM8.5としておきましょう。

この「ラスボス」に対して、M7前半級の直下型地震を「中ボス」と呼んでいます。
20万図上であれば手のひら2つ分。
「ラスボス」登場の前50年後ろ10年くらいに集中して現れるのが「中ボス」の特徴で、
「中ボスその1」が1995年の阪神淡路大震災、地震の規模はM7.3でした。
というので、「ラスボス」と「中ボス」の力関係は64:1となります。

「地震の規模だけで災害の規模を判断すると間違うのではないか」と、
今回の地震でも仲間に言われました。
それでも、地震の規模は被害の規模や性質を判断する立派な目安です。
で、大阪府北部の地震の規模はM6.1でした。

という訳で、私の教え子達には、この地震の規模は、「ラスボス」はおろか「中ボス」でもない、
単なる「ザコキャラ」レベルである、と説明しています。
ちなみに「中ボス」と「ザコキャラ」の力関係は「ラスボス」と「中ボス」のそれと同じく64:1です。
ということで、南海トラフ地震に比べれば1/4096。これが今回の大阪府北部の地震の規模でした。

「ザコ」という言葉が最適とは思っていません。
でも、この地震は、「ザコ」と表されるレベルの地震であった、という認識は、
議論の出発点になくてはならないはずです。
そして何より、そのレベルの地震であったにもかかわらず4名の犠牲者が出てしまいました。
このことをどう考えればよいのか。

次回の更新では、4名の犠牲者を出してしまった被害発生のメカニズムに触れつつ、
この災害から導き出されるべき「災害の物語」「防災の物語」を述べたい、と思います。

(つづく)