「旅の坊主」の道中記:常葉大学社会環境学部・小村隆史の防災・危機管理ブログ

日本唯一の防災学部はなくなっても、DIGと防災・危機管理を伝える旅は今日も続いています。

家族を捨てて病院に行くことを美談にするな:仲間との語らいに酔い、久保田万寿に酔う

2015-07-29 23:49:40 | 災害医療・災害看護
富士宮市立病院に勤める親しい方から依頼があり、
同院の防災研修会で1時間半の講演の機会をいただく。

今日明日ということはないが、90年から150年に一度の巨大災害が巡ってくる時代に、私達は生を受けている。
今年が直近の発生から70年目。残り時間は何年だろう。2038年発災説もある。その時「旅の坊主」は……。

東日本大震災では、石巻市立雄勝病院、公立志津川病院、岩手県立陸前高田病院等々、
多くの医療機関が津波により、物理的に破壊された。

ここ富士宮市立病院の場合は、津波リスクは考えなくてよい。
ただ、医療機関は、停電や断水、配管類の破損で、機能できなくなる場合もある訳で、
そのことにはしっかり手を打っておかなくてはならない。

富士宮市立病院ががんばっていることは、地域の方々も交えて災害時の対応を考えていること。
しかし、その方向性に危惧を抱かざるを得ないのも事実。というのは、地域の方々から、
「搬送用にリアカーを用意しています」
「搬送経路にJR身延線の踏切があり、これが障害にならないかが気になります」
等々の発言がなされているので。

そこには、医療機関に担ぎ込みさえすれば何とかしてくれる、という期待がある。
非医療人である一般人に、災害時であればこそ、医療機関への期待があることは当然とは思う。
しかし、現実の医療機関はそこまで万能ではなく、医療人もスーパーマンではない。

そこで仕事をしている医療人も私人としての生活、家庭人としての人生がある。
医療人としての役割と、私人・家庭人としての役割の衝突を、ゼロにすることは出来ないが、
事前にしかるべき対策をとっておくことで、「股裂きに遭う」可能性を低くすることは十分可能。
講演の主旨は、そういうところだった。

震度6強の揺れはあるものと覚悟しておくべき富士宮市だが、それでも、
現行基準で手抜きなしで建てられたものならば、震度6強の揺れには十分耐えられる。
個々の家々についてはともかく、総じていえば水については心配しなくてよい富士宮市。
(何せ、幸いにも湧水は至る所にありますので。)
家々の広さも都会とは違う訳で、少し行けば当たり前に農地もある。
それらを活かせば、何とでも方法はあるだろう。

地域の方々には、現実を見てもらいたい、と思う。
普段のDIGセミナーで使っている資料を抜粋で提供して、地域の被害量を見積もることを勧めた。
もちろん被害量見積もりのポイントは、古い耐震基準時代に建てられた日本家屋、
特に二階建てで瓦屋根のものがどれほどあるか、ということ。
地域の方々が、5分10分で出来るこの作業を一つ行うことで、
「医療機関に担ぎ込めば何とかなる」という思い込みから、脱却してもらえる、と思う。
その時初めて、地域と医療機関との関係について、本気で議論できる環境が整う、というものだろう。

「いざという時、医療機関に助けてもらいたかったら、いざという時は、医療機関を助けなさい」

これが、求められる、地域と医療機関の関係だと「旅の坊主」は思っている。
「がんばります」と言うこと、というよりも自らに言い聞かせることは重要だが、
災害対策においては、往々にして「がんばります」と言うことが、自らの首を絞めることになる。
「助けて下さい」と言うには(いろいろな意味での)力がいるが、でも、それが正しい答えだと思う。
富士宮市全域あるいは富士宮市民全員が被災して、どうにもならなくなる、訳ではない。
自分と家族に深刻な事態が発生すれば話は別だが、
そうでないならば、まず医療機関を助けようではないか。そういう関係性が出来ることを願っているし、
そのために、静岡県東部地域では地侍の「旅の坊主」でもある。お手伝いできることは何かを考えてみたい。

講演では、昨28日、富士市立看護専門学校で教えている「災害看護」の課題レポート添削に行った際、
「これは素晴らしい!」と思った、同校3年Nさんのレポートを、本人の了解を得た上で資料として配布した。
レポートの課題は、講演の演題と基本的に同じで、役割の衝突をどう避けるか、という話。
医療機関の一員として勤めるに当たり、何を考えなくてはならないのか。
Nさんのレポートには、そのことが大変明確に示されている。
富士宮市立病院の職員の方々も、このレポートには、大変感銘を受けていた様子。
紹介してよかった。Nさんにはあとでお礼を言っておかなくては!

終了後、副院長K先生ほか、防災のメンバーと共に、いろいろと議論をすることが出来た。
久しぶりにかの「久保田 万寿」もいただく。さすが、素晴らしい飲み口。
良い議論が出来た、と思うし、良い課題もいただいた。
こういう場こそ、エネルギーの源であると思っている。

富士宮市立病院のみなさま、特にGRMのIさま、また富士看のNさん、ありがとうございました。
多くの課題をいただきましたが、しっかりとお返ししていきたい、と思っています。
引き続き、よろしくお願いします。

家族を捨てて病院に行くことを美談にしてはならない:静岡の看護師が覚悟しておくべき役割の衝突

2015-07-22 23:47:57 | 災害医療・災害看護
前期水曜は3コマ。「組織の災害対応」で企業の災害初動対応のあり方を語った後、1年ゼミと2年ゼミ。
今日は2年ゼミを終えた後、富士市立看護専門学校へ。

同校では、先週まで「災害看護」を非常勤で教えていた。
3コマだけの分担ゆえ、十分なことも言えなかったことを申し訳なくも思う。
3コマだけだが、終講時の試験はしっかりやらなくてはならず、で、
100点満点中の20点分ではあるのだが、レポートの添削と採点に出向いた次第。
2時間半を費やすも、39名の学生の半分しか終わらず、残りは来週に持越しとなってしまった……。

今年度も3つの看護専門学校で災害看護を教えているが、そのいずれも終講時のレポート課題は同じ、
つまり、医療職・看護職としての自分と、私人・家庭人としての自分との役割の衝突について。

以前にもこのテーマでブログ更新をしたような記憶もあるが、
やはりこのテーマ、静岡でこれから看護師になろうという学生には、
卒業前に一度は真剣に考えてもらわなくてはならないテーマ、と思っている。

私が直接教えることが出来るのは、毎年3校の3クラス、合計でも160名というところ。
もっと多くの人に伝えるためには、やはり本を書かなくてはダメ、か……。

今年の富士市立看護専門学校3年生は優秀な学生が多いようで、
どのレポートも、「おぉ、しっかりと問いかけを受け止めてくれているではないか!」というようなもの。
その分、読んでいて楽しかったし、レポートを介してのキャッチボールも多少は出来たと思っている。

この「家族を捨てて病院に行くことを美談にしてはならない」というテーマで、
来週水曜日、富士宮市立病院でも講演をさせていただくことになっている。
富士宮市立病院の皆さんに語りたいメッセージもまったく同じ。

20年くらい先、私達は南海トラフの巨大地震に見舞われる訳で(レベル1だとは思っているが)、
その時には、程度の差こそあれ、役割の衝突に追い込まれるのは明々白々なこと。
であれば、そのことを意識して、まともな立地にあるまともな家を購えるようしっかり稼いだ上で、
かつ、自分の災害時の役割を家族と地域に理解してもらえるよう、説得を続けること、
これしか手はあるまい。

1年に160名であっても、何年も同じことを伝えていけば、それなりに広がっていくだろう。
そのことを期待しつつ、でも、より多くの人に伝えるには、やはり本を書かなくてはだめ、か……。
東日本大震災から来春で5年。このタイミングを失うことなかれ、である。

『近代消防』の連載も今日明日の勝負。
原稿書きには慣れているはずだが、それでも、きつい……。

富士市立看護専門学校での「災害看護」開講

2015-06-30 19:35:16 | 災害医療・災害看護
今年度も3つの看護専門学校で「災害看護」を担当する予定になっている。
「静岡県立東部看護専門学校」と「富士市立看護専門学校」そしてJA静岡厚生連による「するが看護専門学校」の3つ。
今日午前、富士市立看護専門学校での「災害看護」のコマが開講となった。

「旅の坊主」は資格を持つ医療人ではないが、学会デビューが災害医療関係の学会だったこともあり、
災害医療・災害看護の分野に携わるようになって20年以上が経過している。

門前の小僧も23年生となれば、相応の経験と人脈も出来る。伝えるべきメッセージも明確になる。
彼女らを待ち受ける「時代の宿命」が明白かつ深刻なだけに、その分しっかりと教えなくてはならない、
という訳で、災害看護は最重要テーマの一つ、と思っている。

富士市立看護専門学校では、災害看護は3年生向きの科目。(他の2校は2年生に教えている。)
残念ながら、担当させてもらう回数は15回中わずか3回。圧倒的に話足りない、というところ。
それでも、やるしかない。

開講日の今日は、やはり、時代の宿命の話から入った。
海溝型地震の周期性からして、看護学校3年生の彼女らが現役である間に、
100%、巨大災害に見舞われることになる。
そのことを織り込んで、自宅の立地と自宅の構造(耐震性)、そして職場の立地を選ぶ必要がある。
そうでなければ、役割の衝突で辛い目に遭うのはあなたよ、という話。

役割の衝突とは、私人(家庭人)つまり親・妻・夫・子としての自分と、医療人(看護職)というプロとしての自分、
この両者のまた裂きとなり、状況によっては、「大規模地震の時、家族を捨ててまで病院に行き、
患者さんに献身的に尽くしてくれました」という美談の主人公に祭り上げられる、ということ。
このような目に遭ってもらいたくないからこそ、静岡で看護職として人生を送るならば、
一般人以上にしっかりと防災についてモノを考えてくれ、という話となる。
何といっても、看護師は食いっぱぐれの無い職業。平均以上の収入は期待できる。
この点は、看護師という職の最大のアドバンテージ。

普通に住居費を負担する気さえあえれば、まともな立地、まともな耐震性の家を購うことも出来る。
だからこそ、その分しっかりと、地盤や津波危険度、建物の耐震性をイメージしてほしい。
そのための基礎的な知識、情報、何を調べればよいのか、等々について述べた90分であった。

授業中も授業終了後も質問が多く、「旅の坊主」としては大変満足でありました。
教える側としては、やはり反応のある講義をやってナンボ、だと思っている訳で、
国家試験突破のための学びの先にも、この時代であっても巨大災害に人生を狂わされない知恵を
伝えられれば、また、学び取ってもらえれば、と思っている。

「さぬきメディカルラリー」を終えて:災害情報システムの使い勝手を考える

2015-05-24 18:17:17 | 災害医療・災害看護
5月下旬の恒例行事、「さぬきメディカルラリー」を終えて帰路に就く。

昨晩は例年に比べると比較的おとなしく、午前1時を回ったころから撤収モードとなった。
それでも、19時から飲み始めたのだから6時間余。
医療人、なかでも救急・災害医療に携わる医師・看護師、そして救急救命士のタフさと付き合うのは、
文字通り体力勝負。アルコールにも弱くなったなぁ、というのが偽らざるところ。
ともあれ、こういう場で大いに飲み、大いに語ることが、次のステップにつながる訳で、
その意味で、良い充電となった。参加して下さった皆さんに感謝を!

プログラムは今日の午前中まで。
デジタルペンを用いたトリアージタグのシステム紹介と、無人航空機を用いた情報収集の仕組み、
また衛星経由での通信機能を持ちスポット的にLANや携帯・スマホ環境を作れる仕組みや、
ウェアラブルな情報通信ツールなど、幾つかのデモが行われた。

で、改めて考えさせられたのが、「要件定義」の必要性と重要性。

理学的工学的なセンスの持ち主で研究開発に携わる者が、「何か」を作り、
「これが災害時や救急医療の現場で使えないだろうか?」と考えるのは、当然のこと。
しかし、それが現場で使えるかとどうか、使いやすいものかどうか、システムとして使えるかどうかは、
別の目でしっかりチェックする必要がある。

極端な話に聞こえるかもしれないが、本気でモノを考えたならば、
優秀な人材+「紙とエンピツ」に勝る情報システムは、よほど知恵を絞らないと出てこない。
あるいはアナログのアマチュア無線を超えるものも、なかなか出てこない。
「旅の坊主」の経験が、そのように教えてくれている。
逆に言えば、そのことを理解しない、あるいは理解できない人が多いのはなぜだろう……。
(作ることに関心があり、使われる場面は考えないということ、なのだろうか。)

我々が活動するのは救急現場であり災害現場である。
我々が使う情報システムは、そのような場(環境:有り体に言えば寒暑・荒天・ほこり等)を想定した上で、
かつ、南海トラフ沿いの超広域の災害であっても、特に発電所の被害による長期かつ広域の停電をも織り込んだ上で、
その時に役立ち得るシステムなのかどうか、そこが勝負の分かれ目。

さらに言えば、(情報系のデバイスやシステムは防災の一義的な目標である予防には直接役立たないだろうから)
その分、正しく効果的な災害対応をイメージした上でのものであるかどうかも、評価の基本。

過去に何回か、災害情報システムの要件定義に携わった経験がある。
使えないシステムは山ほど目にしてきた。

という訳で、午前中に目の当りにした幾つかのデバイスなりシステムなりについて、
災害時に使われるイメージを意識した上での使い勝手を提言できるかどうか。
そこに、「旅の坊主」ならではの経験の活かし方があるのだろう、とは思った。

で、そのような目から今回デモされた幾つかのデバイス・システムを評価するならば、こんなところか。

【ウェアラブル・カメラ・ゴーグル】
例えば、「がれきの下の医療」(CSM: Confined Space Medicine)での使用を考えるならば、
記録用として考えるならばともかく、現場で起こっていることを本部に送っても、
恐らくほとんど役に立たない、むしろ、効果的な災害対応の足を引っ張るのみだろうなぁ、と思う。
本部にベテランが居て、現場の隊員へ、経験に裏打ちされたアドバイスが出来るならともかく、
そのようなオペレーションが実行可能な状況にあるとは思えない。
現時点ではゴーグルも大きく重く、装着するだけで疲労感を増すようなもの。
双方向性をカタログ上で謳ったところで、文字通り机上の空論だろうなぁ、と思う。

【現場と本部の情報共有について】
重要なことが見落とされているのではないか、と思った。
というのは、日本の災害対応では、本部が現場の情報を共有することが無条件の善とされているのではないか、ということ。
もちろん、現場に近い本部ではそのような着意着想が必要だ、とは思う。
しかし、国なり都道府県なりの、広域を見なくてはならない本部で、現場本部に近い目線で考えるのは、
戦略的な発想を阻害するという意味において、間違った災害対応と言わざるを得ないのではないか。

現場のことは現場が一番良く知っている。だから、後方から「ああだ、こうだ」と口出しするのではなく、
現場には「何が足りないか?」を察して、可能な限り「言われる前に送り込む」という、
その種の「先を読んだ上での現場支援」こそが本部に求められること。

現場の情報を見てから本部が動くようでは、災害対応は二歩も三歩も遅れてしまう。
現場の情報がなくても、過去の災害対応の教訓と、マクロな被害量の把握に基づいて、
現場の支援に徹せられるような本部運営を。
そういうメッセージの発信を発信し続けなくては、と思った。

災害対応能力の向上には、災害情報システムの研究開発よりも、しっかりした災害対応に従事する職員の能力開発を。

メディカルラリーに参加しなければ得られなかった想か、と問われれば、そうでもないのだろうが、
少しはゆっくりとモノを見ることが出来たがゆえに、言葉になったアイディア、ではあると思う。
ともあれ、1泊2日の非日常が終わり、これから明日以降に向けた仕込みが始まる。

今年も来ました「さぬきメディカルラリー!」

2015-05-23 17:48:06 | 災害医療・災害看護
今週末は、知る人ぞ知る「さぬきメディカルラリー!」、今回で12回目。

坂出消防の救急救命士、現在は坂出市危機管理室にお勤めのKさんと仲間達による年1回のイベント。
香川県の坂出市と高松市の堺にある五色台に、120名を超える災害・救急医療の仲間が集う。
今年で12回目なれどほぼ皆勤!

昨晩(ではない今日未明)、京都での研究会を終えて高松に着いたのは25時半近く。
その後、効率が悪いことは百も承知で原稿書きに取り組むも、1500文字当たりでダウン。
今朝はNEXCO西日本の子会社で高速道路DIGの普及に活躍しているMさんに高松駅でピックアップしてもらい、
会場である五色台の国民休暇村へ。

「チャレンジャー」と呼ばれる3名1組のチームが、4つのブースを巡回しつつ、
救急・災害医療の技量を競うのが、ここ数年のならわし。

「旅の坊主」は、二次トリアージの技量を問うような集団災害のブースで、地味な模擬患者役。
災害医療に携わるようになって23年目にしてはじめて「ムラージュ」か、と思ったが、
(注:ムラージュとは、模擬患者にほどこす化粧のこと。中には骨折や熱傷など凝ったものもある。)

他にも、蜂によるアナフィラキシーショックと脳梗塞を絡ませたブースあり、
精神救急のブースあり、ロープワークで現場に降りていくブースあり。
いずれも、見ているだけでもいろいろと学ぶことが出来る。

ただし、「さぬきメディカルラリー」は、競技よりも親睦に重きがあるのが特長。
というので、ノルマのブログ更新を済ませたので、風呂を浴びて汗をながし、
19時からエンドレスの飲み会となる。それが楽しみ。
(って、『近代消防』の原稿はどうなる???)