「旅の坊主」の道中記:常葉大学社会環境学部・小村隆史の防災・危機管理ブログ

日本唯一の防災学部はなくなっても、DIGと防災・危機管理を伝える旅は今日も続いています。

津波田老の防潮堤に上り考える:「なりわい」「にぎわい」「子どもたちの遊び声」

2015-04-30 23:48:03 | 東日本大震災(東北地方太平洋沖地震)
東日本大震災から4年目の現地踏破、6日目なるも未だ岩手県内を見てまわっている。
今日は宮古のルートインを出て、一旦北上して、昨日も寄った田老地区を改めて見て回る。
えーと、日本語が正しくないな。見て回る、ではなく、田老の防潮堤に上り考える、
というのが正しいな。

防潮堤より海側に、仮設構造物なれど、海産物の加工場がしっかりと出来上がっている。
(余談だが「道の駅たろう」では、田老漁協産の「くきわかめ」のおつまみを売っている。)
田老町の中心部からすれば北側に拡がる乙部地区の高台造成も進んでいる。
国道45号は、従来よりも2mほどかさ上げされて、内陸側につけかえとなった。
現在ある防潮堤の海側に天板部は15m近い第1線堤を新たに作り、
現在の防潮堤は50~80cm程度上乗せした上で第2線堤として活用、
これらによりさらに、それでも防ぎ切れない浸水も、水かさはかなり減っているだろうから、
第3線堤としての国道の盛り土で何とか防ごう、で、安全性は確保できるだろう。
こういう考え方はもちろん理解できるし、ぱっと見る限りでは、これで問題はないように見える。
思えるのだが……。

すでに震災から4年2ヶ月近く。
ということは、この地に再び、あるいは乙部の高台に新たに人びとの暮らしが戻ってくるまで、
さらに1年くらい、つまり発災から5年かかってようやく住まいが定まる、という話となる。

住まいは定まるとしても……。
そこに「なりわい」はあるか、「にぎわい」はあるか、「子どもの遊び声」は聞こてきそうか。
そのことをどうしても考えてしまう。
事情は容易に想像できるところではあるが、それでも5年という時間はかかりすぎだろう。

田老を訪問する際はなるべく寄るようにしている、
グリーンピア田老にある仮設商店街「たろちゃんハウス」の中華料理屋「善助屋食堂」は、今日は臨時休業だった。
本年内の本設を目指してもろもろの活動を展開中とのこと。
「善助屋食堂」さんがなりわいを取り戻してくれることを願うものではあるが、
その前途が多難なことは容易に想像できる……。

だからといって、具体的にどうこうできるものではないのだが、
どこをどうすれば、この復興過程を短くすることが出来るのか、それは本当に大きなテーマ。
少なくても「平成の太閤検地」と後世から言われるような、そのような、
土地所有の権利の総確認は、ここ10年のうちに終わらせておかなくてはならないもの、
と思うのだが、はてさて、その種の動きはどうなっていることやら……。

高台移転が答えだとは思っているが、また、
過日の拙ブログで言及した「高台に住む漁業」という考え方が、目指すべき姿だと思っている。
それらはある意味では当然のことなのだが、それに加えて、
「なりわい」「にぎわい」「子どもの遊び声が聞こえてくるまち」
この3つをしっかり意識しておかないと、次はもっと大変なことになる。
4年+αの田老で、乙部の高台開発は順当に進んでいると思われるものの、
それでも、この3つをしっかり考えておかないと、文字通りの
「ぴかぴかのゴーストタウン」を作ってしまうではないか、との批判に耐えられまい。

この田老ネタ一つとっても、書くべきことは山のようにあるが、
1日1千字そこらの拙ブログではどうにもならない。
明日から5月。秋に向けて本気モードで文字を書きためなくては!

防災教育の体系性を考える

2015-04-29 23:56:40 | 防災教育
東日本大震災現地調査も今日で5日目。終日「やませ」の中の行動となる。

名前は知っていたが、実際にやませの中を動くのは初めての経験。
昨日は30度近く今日は10度そこそこ。自然のなす業ゆえ、文句も言えない。
「多分必要ないだろう」と思いつつも車に積んできたダウンジャケットが役立つとは……。

岩手県田野畑村の海沿い、羅賀にあるホテル羅賀荘を発って、まずは一つ南の平井賀へ。
海岸の状況を写真とビデオにおさめた後、三陸鉄道のカンパネルラ田野畑駅にてコーヒー。
コーヒーのお供は、昨日久慈の書店で買ったばかりの
源明輝『さんてつに乗ろう!三陸鉄道乗り鉄・撮り鉄・旅鉄ガイド』。

もちろん防災の本ではないが、

三陸へ行こう/乗る、撮る、観る、食べる/ローカル鉄道の旅がおもしろい
復活の「奇跡の鉄道」/さんてつ!

こういうフレーズが泣かせる。

まだ三鉄ファンクラブに入会しておらず、陰ながら応援しているだけの「旅の坊主」であるが、
さんてつを応援する方法として、こういう本もあるのか、と、
「眉間にしわを寄せて難しいことを言っている」「旅の坊主」には出来ないこと、と、
この『さんてつに乗ろう!』を斜め読みしつつ感じている。

コーヒーを飲みつつ方針を固め、昨日素通りした久慈=田野畑間を改めて確認することとして、
まず久慈に直行し、その後、小袖、久喜、野田村中心部、普代大水門、普代太田名部防潮堤、
島越、田老・小堀内、宮古・鍬ケ崎と南下、最終的には宮古のルートインへ投宿となる。

半ばは気ままな一人旅でもあるのだが、現場には「モノを考えよ!」とのプレッシャーがある。
ICレコーダー片手に、アイディアの断片を吹き込みつつ、車を走らせる。

「あまちゃん」で一躍有名になった小袖は、高台に、
漁村センター(公民館のようなもの)と保育園が隣り合って建っている。
こういう「高台に暮らす漁業」こそ、あるべき姿、と思う。
そう思うならば……。

一昨日夕方、昨年夏にお手伝いした「防災まちづくり・くにづくり教育」のプロジェクトについて、
次のステップに向けた具体的な話が飛び込んできた。
その件で、昨日は担当者と電話で話したのだが(プラドにはハンズフリーのセットをつけてある)
やはり、防災教育の体系性について、議論となった。

現時点では「多分、こういうことなのだろう」という段階だが
(これでほぼ間違いあるまい、という手応えはあるのだが、まだまだこなれていない)、

○小学生段階:自分を守れるようになること
(災害対応=戦闘レベル/今のための防災教育/個人レベル/例:避難)

○中学生段階:小学生段階+他人も守れるようになることand/or助けられるようになること
(災害対応=戦闘レベル/今のための防災教育/互助レベル/例:初期消火)

○高校生段階:小学生段階+中学生段階+将来の自分が被災者にならないこと
(予防=戦略レベル/将来のための防災教育/個人レベル/例:リスクの有無大小を見抜く目とそれを購い得る経済力を着けること)

○大学生レベル:その以前の全段階+将来の地域を被災地にしないこと
(予防=戦略レベル/将来のための防災教育/集団への働きかけ/例:立地と構造・都市計画・土地利用の見直しを担える者になる)

「釜石の奇跡」の舞台となった鵜住居は明後日訪問するつもりだが、これは避難が奏功した事例。
これは、小学生対象の防災教育としては○だろうが、中学生以上を対象とするレベルではなかろう。
京大におられた尾池先生は2038年という数字を出しておられたが、
避難を教えて事足れりは小学生までではないか。
将来の大人には、避難しなくて済む地域を一緒に作っていこうではないか、
そのために必要なことを教えられるような、防災教育こそ、取り組みたいと思う。

先に触れた『さんてつに乗ろう!』のあとがきで、源明さんは、
田野畑村や吉浜集落を例に出して「高台に暮らす農業」の考え方を紹介しているが、
そこには「避難しなくても済む環境を作ろうとした」先人の知恵と努力があり、
それを担える者を育てることが、高等教育レベルの防災教育だろう。

このテーマ、もっとしっかり書き込まなくてはならないが、それは改めて。
(はてさて、一体幾つ宿題が残っていることやら……。)

被害想定調査を考える

2015-04-28 23:57:48 | 防災学
ネパール・カトマンズでは地震から4日目の夜となっている。
カトマンズは標高1500mの、上高地とほぼ同じ高さの盆地ゆえ、冷え込みも厳しかろう。

現時点は、初動期のいわゆる「切った・貼った・縫った」の段階の、それも後半だが、
残念ながら生存救出の可能性はほとんどない、という現実も、しっかり直視すべき。
その現実に立ち、万に一の奇跡を信じての引き続いての捜索救助活動もあるが、
生き残った者への「今日明日を生きるための支援」、そして、彼らの「人生を立て直すための中長期的支援」、
これら中長期的な、つまりは息の長い活動についても、今のうちから本気で考え仕込んでおくべき。

発災翌日、神戸にあるアジア防災センターの初代所長をされていたO先生に電話した際、
お話しさせていただいたのもその辺りのこと。
もちろん、何が出来るのかについては、単純な話ではないが、
そういう活動を考えることこそ、多少なりともこの分野で長く活動している者、
多少なりとも人間関係を持っている者の役割、そう考えている。
この旅が終わったら、改めてO先生の元を訪ねたいと思う。

それはそれとして、現地踏破4日目は、盛岡から八戸へ、さらにそこから久慈へと南下。
時間の配分を誤って久慈で日没となってしまった。
今宵の宿は、一度は泊まってみたいと思っていた、田野畑・羅賀のホテル羅賀荘。

という訳で、野田村や普代村で確認しておくべき何ヵ所かが夜の間の素通りとなってしまった。
さて、これらをどうするか、ということはあるとして……。

忘れないうちに述べておきたいことが一つある。

東日本大震災の現地踏破に出発する前日の先週金曜日(4月24日)午後、
千葉県の地震被害想定調査検討会議に出席した。
過去にもお手伝いをしたことのある千葉県の地震被害想定調査。
最終のメンバーを見て驚いたのが笑ってしまったのが、
委員長以下15名の委員の中に、静岡・富士の本学から2名委員に選ばれていること。
(まぁ、それはどうでも良い話でした。)

被害想定を考える上では、
一方に、理学的な意味での自然理解(≒自然現象としての災害のメカニズム理解)と
工学的な知見に基づく被害量の見積もりを基本とする部分と、
他方に、具体的な予防行動へと誘うため、またしかるべき準備を行う(行わせる)ため、
特に住民に覚悟を決めさせる&腹をくくらせるための材料という、
大きく分けると2つの側面がある。

先週金曜日での議論では、この被害想定の2つの側面について、改めて考えさせられた。

いつの間にか年を食ってしまったようで、私より若手の委員の方が何人もおられた。
世代交代は基本的には歓迎すべきことなのだが、その過程で、正しい理念の断絶があってはなるまい。
メンバーの中で、正しい意味で防災に取り組んでいると「旅の坊主」が見たのは、
静岡県防災局(当時)でナンバー2を勤めた経験を持つKさんと、
人と防災未来センターにおられたIさんくらいではないだろうか。
他の方々は、災害や防災に関連するある分野の、例えば建築物や構造物の専門家であり、
自分の専門分野と防災・災害対策とが重複する部分については、イメージをお持ちだろう。
しかしそれは、防災と防災学に求められているもののある部分であって防災学全体ではない。

特に、注意を要するのは、一般の方に防災を語るのは、多くの場合基礎自治体である市町村の職員の仕事だ、ということ。
理学や工学の正確さを追求したい、というのは、学者・研究者としては当然の話。
しかし、防災の一義的な責任者かつ最終的な受益者は市民であり、その市民に直接接するのは自治体職員。
つまりは、彼らの「腑に落ちる」ものでなければ、予防への誘いにはならない、ということ。
(腑に落ちたところで、先立つものがなければ……、という現実もあるので、念のため。)

研究者の社会的責任というものは、他の分野ならいざ知らず、こと防災については、
市民と行政職員(数年に一度の異動で素人さんに戻るということを忘れるな!)に
納得して使ってもらえるような代物でなければ、なかなか活かせないのです。

幸いにも、作業を担当するJVのうち(あえて実名を出すが)三菱総合研究所の担当者は、
その辺りはしっかり理解してくれていた。
「旅の坊主」は中学2年生という基準を持ち出したのだが、「そうだよねぇ」と。

また、電力被害についても、そのイメージを具体的に持っていたことを心強く思う。
重要なのは発電所の被害。東京湾沿岸に位置する東京電力の火力発電所がどのくらい停止し、
それがどのような社会的インパクトをもたらすのか。
細部は今後しっかり調査するとしても、基本線として甚大な被害が出るということ、
それによって長期の停電(計画配電と呼ぶべきか?)を余儀なくされること、については、
しっかりイメージしていてくれていた。

多少なれど、また、期待よりもはるかにゆっくりなれど、時代が変わりつつあるのかもしれない。
その手応えを感じられたことは嬉しかった。

旅の途中、またいろいろと面白い話もあったのだが、それらは改めて。

拙ブログ「『踏絵』としての福島原発事故」への学生メールに鼓舞され触発されて

2015-04-27 23:44:54 | 東日本大震災(東北地方太平洋沖地震)
拙ブログの今日の更新は盛岡のホテルに投宿後アップしたものだが、
それについて、ゼミ生からメールが届いた。

彼の解釈は、「二酸化炭素低排出、原発至高説にまんまと乗せられてしまっていた
国民自身の恥ずべき歴史教訓としての踏み絵」というもの。

これはこれで素晴らしい見識だと思うが、彼のメールに鼓舞され、また触発されて、
さらなるイメージが膨らんできた。

彼には、そして彼の同期生である4年ゼミ生にも、以下の主旨の返信を出した。

ーーーーー
「踏絵」という言葉を思いつくまで、それなりの時間がかかったのだが、
その言葉が出てきた瞬間、「あぁ、言いたかったのはこういうことだったのだ」と思った。

小村が思ったことは、
「モノを考え続けるか、それとも、モノを考えることを止めるのか」、
その「踏絵」だった。

国道6号は、今は誰でもが通れるようにはなったが、
国内外の被災地をそれなりには見ている「旅の坊主」であっても、
「出来れば通りたくない」「見たくない」と、思うような場所だった。

オルテガ・イ・ガセットの『大衆の反逆』という本を知っているだろうか。
アマゾンで書評を見てもらえばよいのだが、レビューの中に、たとえばこのような一節がある。

「自分より高次の何事か・何者かに奉仕の念を持って判断・行動し、
他人に対してより自分に対して多くを求め、課している生き方」

小村は、このような存在でありたい、と思っている。

そう思い、自分に言い聞かせている小村であるが、
それでも、この国道6号は、「出来れば通りたくない」「見たくない」と思わせる場所だった。

そこで弱気が出てしまった己に対しての「がんばれ」という意味での「踏絵」
そう考えてもらえれば、とも思う。

ーーーーー

こういうゼミ生に恵まれていることに感謝したい。
「踏絵」を迫られた時には、決然と選ぶ自分でありたい。

「踏絵」としての福島原発事故:「見なくていいんだよ」という誘惑とどこまで向き合えるか

2015-04-27 20:28:42 | 東日本大震災(東北地方太平洋沖地震)
本来ならば昨4月26日分拙ブログに書くべき内容だったのだが、
文字にするのに(なるのに)多少の時間を要した、ということで、ご容赦いただきたい。

29年前の1986年4月26日、旧ソ連、現在はウクライナのキエフ近く、
チェルノブイリ原発4号炉がメルトダウンの後爆発、今日に至るも、人類史上最悪の原子力災害となった。
国際原子力事象評価尺度(INES)で最悪のレベル7の出来事だった。

ちなみに、尺度の認定は当事国で決められるとのことだが(日本の場合は原子力安全・保安院)、
福島原発事故は当初レベル3、翌日レベル4、水素爆発後の18日でもレベル5、
1ヶ月が経過した4月12日にようやくレベル7と発表しているのだから、お話しにもならないのだが……。
そこに甘い甘い誘惑の徴候を読み取ることも出来るだろう……。

自分の頭でモノを考えようとする限り、見たくない現実を(見たくない現実も)直視せざるを得なくなる。
見たくない現実の一つの典型が、福島県双葉郡と南相馬市を突っ切る国道6号の両側に広がる風景である。

旅の途中の一昨日4月25日(土)、全線開通なった常磐道を突っ走ることはせず、
広野ICから南相馬ICまで下道(国道6号)を走った。

過去3回は、許可証を持たない者ゆえ(手続きを取ることも考えたのだがそこまでの必要性はないと判断)、
6号を南下して北の際の検問所まで行ってUターン、その後逆コの字を描いて大回りし、
今度は北上して南の際の検問所まで行ってUターン、だったのだが、今回はしっかりと踏破する。

快晴の中、自分の前にいるかバックミラーに映っている、あるいはたまにすれ違う車を除いて、
人気のないゴーストタウンと化した帰宅困難地域を縦断する国道6号を走る。

玄関前にバリケードが作られている。
泥棒が入ってこないように、ということなのだろうが、同時に家人をも締め出しているように思われてならない。
少なくてもそこは、長期に渡って人が住む場所にはならない。

……。

そういう場所が今の日本に厳然と存在しているということ。
この事実を抱え続けるにはエネルギーがいる。
帰宅困難区域を縦断して感じたことは、その必要なエネルギーの大きさだった。

考えたくない。考えずに済めば、少なくても別のことをやっていれば考えずに済む。
そして何より、かつて百も承知でレベルを過少申告したように、あるいは
「アンダーコントロール」と政治指導者が恥も外聞もなく大嘘こいたにも関わらず
あたかも「無粋なことを言うな!」とでも言いたいが如く誘導するメディアと、
もちろんその背後にある、彼らに業務を依頼している国がある。

アンダーコントロールという言葉に「どうせ政治家の言うことだから」と目くじら立てず、
楢葉の、富岡の、大熊の、双葉の、浪江の、南相馬の、国道6号の両側に拡がる光景は見なかったことにして、
現地踏破する時間があれば、その時間は助成金の申請書類を書くことに費やしなさい……。

そういう活動をすれば楽なのだろうなぁ……、と、
つまりは「悪魔に魂を売れば」あるいは「金に心を売れば」、
代理店さんも一生懸命「この話は見なくていいんだからね」とばかり、
同じ防災・危機管理に関連する分野でも薄っぺらく安っぽい話で盛り上げようとしている訳で、
それに乗れば楽なのだろうなぁ、と、かなり真剣に考えてしまった。

考え続けることにはエネルギーが要る。反面「見なくてもいいんだよ」という声は強い。
そこに金もついてくる。

そのことを再確認出来ただけでも、踏破した価値はあったのだと思っている。

表題に掲げた「踏絵」としての福島原発事故。
この「踏絵」という言葉が出てくるのに時間がかかった。
私達は「踏絵」を迫られているのだな、と。

ただ一つ、幸いなことがあった。

そういう「踏絵」の場に立たされた時、何を基準にどう動くべきか。
その己の処し方について、30年近い前のことだが、幸いにも答えを示してくれた人に出会えた。

あなたが何かを知っていて、それでいて行動に移さないならば
あなたは内側から腐敗するのみである。

E・F・シューマッハー