「旅の坊主」の道中記:常葉大学社会環境学部・小村隆史の防災・危機管理ブログ

日本唯一の防災学部はなくなっても、DIGと防災・危機管理を伝える旅は今日も続いています。

後期授業開始の朝に……。

2017-09-15 23:57:17 | 安全保障・安保法制・外交軍事
今日9月15日は、本学(常葉大学社会環境学部)の後期講義の開始日。

1、2限「防災実習」という、人前で話す訓練をひたすらさせる科目、
3限は「災害医療システム」という、大規模災害時の医療救護活動を支える
社会のシステムのあり方を考えてもらう、という科目。

かつ、今日の夕方、東京・御茶ノ水で2時間半、
損保協会の主催による全4回の防災セミナーで首都直下の地震を想定したDIG。

日本で地域防災を考える上では極めて重要な課題ではあるのだが、
あまりに難しく、取り組みを避けていたのがこのテーマ。
ではあるが、東京消防庁の関連イベントで、このテーマを2回考える機会をいただき。
今夕のセミナーは滞りなく、というよりも、大変多くの手応えを得て終えることが出来た。

で、本当は、これらのことについてしっかり語りたいし、一両日中には情報発信をしたいと思っているが、
今朝方、北朝鮮が弾道ミサイルを発射してくれたもので、そのことに触れない訳にはいかないだろう。

北朝鮮単独で考えれば、核兵器がなければ
(決して品の良い表現ではないのだが)「ふんどし担ぎ」のレベルの国。
マクロ経済から見ればよくわかる。

ただ、かつてより北朝鮮の後ろ盾となっていたソ連(現ロシア)と中国の事情、
特に「緩衝地域は不可欠と」いう地政学な条件からして、
(表向きはともかく)中露が北朝鮮に核ミサイルの開発中止を求める必然性はない。
何せ、彼らからすれば、アメリカも日本も潜在的な敵国、なのであり、
中露に向けてミサイルを発射する可能性はゼロなのだから。

(その意味では、グアムを含むアメリカに向けて発射する可能性も、
そうは高くないのだろう、と思いたいところではある……。)

20年以上前であれば、「外科的手術(重要施設のピンポイント爆)の可能性もあったかもれないが、
今となっては、時、すでに遅し、である。ということは……。

日本にとっては甚だ考えたくない状況であろうと、目をつぶらず、どう対応すればよいのか。
本気で考える必要がある、ということ、なのだと思う。

残念ながら日本という国が「極めてきつい口調で」何と言おうとも、
相手は核兵器&核ミサイルの開発を取りやめることはないだろう。
(何せ、中露にとっては、北朝鮮の核ミサイルが自国に向けて飛んでくることはないのだから。)

日本に対して敵対的感情を持っている近隣の国が、核兵器搭載可能なミサイルを持つに至る。
そのような国と、どのように付き合えばよいか?

この問題を考える上でのキーワードが一つある。
「ネガティブ・ケイパビリティ―」

考えたくない状況であろうと「◎◎すればそれだけでOK!」などという安直な答えを求めず、
「もやもや感」は山ほどある中途半端な状況に耐えつつ「不都合な真実」と向き合うこと。

今日現在の日本に求められているのは、騒ぐことではない、と思うのだが……。

国連安保理の非常任理事国が取るべき対応がこれか???

2016-01-06 23:03:12 | 安全保障・安保法制・外交軍事
本学では今日1月6日水曜日が仕事始め。

2限に1年ゼミ、3限に2年ゼミ、4限は月イチの学部教授会。
その後、研究仲間との新年会のため、東京にピストン。
(今宵は研究室で夜更かしモードになる見込み……。)

さて……。

NKさん(注:防衛研究所時代から筆者は北朝鮮をNKと表記していた)が、
「自称」水爆実験に成功したらしい。
気象庁で地震波を観測したのだから、何かが爆発したことは間違いないのだろうが、
日本としては大騒ぎをするほどのことではあるまいに、というのが、率直なところ。
(以下に述べるように、正しくは、騒いではいけないだろうに、と思うのだ……。)

マクロ経済的に見ても技術水準的に見ても、
NKさんがLDCレベル(下手をするとLLDCレベル)であることは、
多少なりとも国際関係を学んだ者であれば常識のはず。

軍事アナリストとして著名なある方曰く、
「日本は痩せても枯れても関脇か小結かだが、北朝鮮は『褌(ふんどし)担ぎ』のレベル。」

爆発したのが原爆か水爆かは知らないが、
子供が火遊びをして「かまって下さい!」と言っているのに同じこと。

1945年7月16日、アメリカ・ニューメキシコ州ロス・アラモスのトリニティーサイトで
最初の原爆実験が成功した。
ということで、原爆は70年前の技術。

1952年11月1日、中部太平洋・マーシャル諸島のエニウェトク環礁で最初の水爆実験が成功した。
ということで、水爆も63年前の技術。

ミサイルの弾頭に詰めるくらいに小型化に成功した、というのであればともかく、
地上か浅い地下かは知らないが(地震の震源の深さは0キロと聞く)、
爆発のためのメカニズムはどれほど重くても何ら問題ない、という状況であろう。

ということは……。

「○○年遅れですが世界水準に達したのですね。」と、冷ややかな目で見るならばともかく、
安保理非常任理事国が大騒ぎするほどの中身ではないはず。

NPT体制の脅威になるようなものであれば、NKさんの領袖による年頭あいさつの数年前に、
五大国が対応を取っていたはず。
(そして残念ながら、そのような場に我が国は立ち入ることを許されていないのだが。)

「子どもは火遊びをしてはいけないよ。」
「花火を扱うのは、もう少し大人になってからにしようね。」

我が国としては、そういうコメントをすべきだったと思うのだ。

騒いではいけないものに騒ぐとどうなるか。
我が国にとってもNKさんにとっても、そして世界にとっても、プラスにはなるまい。

日本の指導者層に戦略眼がないことを、
なんで、わざわざ、公言する必要があるのかなぁ……。

安保政策の大転換に(うまく整理は出来ていないのだが……)

2015-09-20 23:55:43 | 安全保障・安保法制・外交軍事
2週間ほど、更新が滞ってしまっていた。

本来は掟破りと知りつつも、そういえばこの日は何を考えていたのか、と、
講義ノートなどを思い返しつつ、記録をアップデートさせたい、と思っている。

9月20日はシルバーウィークの連休に入って実質的に最初の休日。
幸いにも予定もなく、とはいえ、「旅の坊主」の本来あるべき姿からすれば、
常総市なり鹿沼市なりに飛び込んでいかなくてはならなかったはずだったのだが、
日頃の不摂生がたたってか、あるいは緊張感が切れたのか、
終日ベッドからゴロゴロしていた、という体たらくではあった……。

この時期の原稿メモを見ていると、
やはり、安保法制の大転換について、何かを言わなくては、と、
ない知恵を絞っていたさまが読み取れる。
メモには「政策と方法、方法と手続き」とあり、また、
「政治が手をつけてはいけない領域」の存在についてあった。
残念ながら、一つの考えにまとめるには、至っていなかったのだが……。

今後の安保政策の基本は、アメリカと中国という二大大国の間で、
どのようにバランスをとりつつ、いかにして日本の存在を主張していくか、ということにあったと、
理解している。

しかし、日本は、その選択肢を自ら狭めるような政策を選んでしまった。
否、わざわざ選択肢を狭める行為をしようという者を止められなかった、というべきかもしれない。
しかも、「問題の所在」が十分に明らかになった上で、とも思われず、
そもそも、立憲主義が当然としている手続きはあからさまにふみにじられてしまった。
政治的外交的な利害得失から、過程を問わず、結果のみを評価している国もあろうが、
こういう「筋の通らない」ことをしてしまったことは、これから先、
ボディーブローのように、日本の政治・外交・安全保障のあり方に、
マイナスの影響を与え続けるのだろうなぁ、と、思わずにはいられない。

次の参議院選挙と次の総選挙で、元に戻す「ばね」あるいは「バランス感覚」が
しっかりと機能してくれればよいのだが……。

(10月5日未明に)

SEALDsの奥田愛基さんの意見陳述と、ジャネット・ランキン女史の話

2015-09-17 23:52:42 | 安全保障・安保法制・外交軍事
木曜4、5限は本ゼミの時間。後期も今日から開講となった。

4年生6名中5名、3年生6名中3名と、特に3年生の出席は「おいおい……」というところだが、
その点はここでは述べるまい。

是非、ゼミ生と共に考えてみたかったことがあった。で、後期最初の講義ながら一石を投じた。

一昨日行われた、参議院安保法制特別委員会中央公聴会での、SEALDsの奥田愛基さんの発言について、
テープ起こししたものがネット上にあったのでそれを印刷して配布、併せて
YouTube上にあるものを教えてもらった、奥田さんの映像と共に学生に示す、ということ。

23歳とのことだが、ああいう場で、ああいう発言を出来る学生を生み出すことが出来た、という意味で、
戦後日本の教育は、捨てたものではなかったのだな、と思った。
言うべき時には、時の首相に対しても、公的な場で、議事録に残る形で異論を唱える。
これが、言論のあるべき姿であろう。
彼の思いと対比した時、余りに情けないのは、「選良」とも言われている集団である。

「どうかこれ以上、政治に対して絶望をしてしまうような仕方で議会を運営するのはやめてください。」

そう言われて、「俺たちは情けない」と思わないのだろうか……。
「御身大事」「物言えば唇寒し」「強い者には巻かれろ」「……」、現実を言いたいことはわかる。
しかし、それにしても、あまりに情けない。

奥田さん曰く、

「どうか若者に希望を与える政治家でいてください。」

「政治のことをまともに考えることが馬鹿らしいことだと思わせないでください。」

「どうか、どうか政治家の先生たちも、個人でいてください。
政治家である前に、派閥に属する前に、グループに属する前に、たった一人の「個」であってください。
自分の信じる正しさに向かい、勇気を持って孤独に志向し、判断し、行動してください。」

政治家と大学教員とはもちろん立場も異なるが、己は、学生達に、そのような存在であり続けているか、
奥田さんの発言には、己の立ち居振る舞いが正しいものなのか、そのことを考えさせる力があった。

ゼミでは、ジャネット・ランキン女史についても触れた。

もう30年以上前のこと。
アメリカ政治外交史の大家、今は亡き斎藤眞先生から、
「私の講義の内容は忘れても、この人の名前は忘れないでいて欲しい。」との言葉と共に教わったのが、
このジャネット・ランキン女史の名前。

真珠湾攻撃の後、開戦・対日宣戦布告を決議しようとしていたアメリカ連邦議会において、
ただ一人、決然として反対の論陣を張り、反対票を投じた、アメリカ史上最初の女性下院議員にして平和運動家。

日本という、同調圧力の極めて強い社会ではあるが、
必要な時には「NO!」と言わなくては、世の中はどんどんおかしくなっていく。
高級官僚の人事権が官邸に握られることにより、官僚が「おかしい」と声を上げにくくなってしまった。
テレビメディアとしてはNHK、新聞としては読売・産経等々が「提灯持ち」をするようになった。
「NO!」と言うべき時に「NO!」と言わず、
それでも後世何かを言われた時のために、見え見えのアリバイ工作をするような、そんな存在に堕落した。

奥田さんやジャネット・ランキン女史は、例外的な存在だ、と言うことは簡単。
それでも学生には、
「言うべき時に言うべきことを言わないと、社会が、組織が、おかしくなる。何より、自分自身が嫌になる。
だからこそ、しっかりと発言できるような者になってくれ」
そのような思いでいる。

斉藤眞先生。
短現として戦地に赴いた経験を持つ先生の思いには到底及ばぬものではありますが、
不肖の弟子も、ジャネット・ランキン女史の存在を、
正しいと思ったらただ一人であっても反対の声を上げることの重要さを、
多少なりとも次の世代に伝えられたのではないか、と、思っています。
時代が、日本が、これ以上悪い方向に行かないよう、見守っていて下さい。

「ピエタ」、あるいは芸術の持つ前向きな可能性と、破壊的な可能性について

2015-08-21 23:47:38 | 安全保障・安保法制・外交軍事
今回のドイツ・ベルリンへの旅で、自分でも意外なほど、美術(広く公的芸術)について考えている。
多分、この地が、多くの芸術家にインスピレーションを与える地だったから、なのだろう……。

ポツダムへの半日旅行の後
(実のところサンスーシー宮殿にもポツダム会談の場所であるツェツィーリエンホーフ宮殿にも入らなかったのだが)
昨日衝撃を受けたケーテ・コルヴィッツの「ピエタ」にまつわる何かを買って帰りたいと思い、
繁華街クーダムにある美術館を訪問した。

ノイエ・ヴァッヘに置かれている「ピエタ」(オリジナルは1937~1938年作)に込められたメッセージについては昨日触れた通りだが、
(ドイツ敗戦の直前に死去したコルヴィッツは、その後、自分の作品がどうなったのかを知るよしもないが)
もう一つ、子どもたちを守ろうとする母親たちが作る人垣を「塔」と表現した、
「母親たちの塔」と題された1938年に制作された作品にも、大変印象深いものがあった。
「ピエタ」のポスターを2種類と本を一冊買ったのだが、このポスターは研究室に飾り、
「お前はしっかりとモノを考えているか?」と自問自答する時の「よすが」にしたい、と思っている。

これとは全く逆の方向にあるものについても、今日、モノを考えさせられた。

かの「チェックポイントチャーリー」から数分、かつて、国家秘密警察(ゲシュタポ)と親衛隊(SS)、
国家保安本部(SD)があった場所に「テロのトポグラフィー」という施設がある。

ナチが政権をとり、そして第二次世界大戦の敗戦によって滅んで行った訳だが、
この時、芸術が果たした負の役割について、いやでも考えさせられる。
「テロのトポグラフィー」の野外展示施設では、もちろん多くの写真が使われているのだが、
ナチが政権を取るまでの間の諸々については、写真や映画がいかに効果的に使われたか、
この視覚に訴える芸術的センスについては、恐怖と共に「抗えない」とすら思わせるものがある。
レニ・リーフェンシュタールだけではない。明らかに力がある。

母と一緒の旅ゆえ、コルヴィッツ美術館はともかく、
「テロのトポグラフィー」をじっくり見ることは出来なかったが、それは当然のこと。
一般受けするテーマではなく、むしろ、誰であれ見ないふりをしたくなるテーマなのだから。
それでも……。

一方でノイエ・ヴァッヘのような芸術の使い方がある。
他方で、ナチを生んだ芸術の使い方もある。
後者の場合、この芸術の破壊的な可能性に、我々はどこまで耐えられる?

柄にもなく、とは思いつつ、そんなことを考えてしまっている。