***** 大嘗祭 No.9 *****
十二支に登場する「卯」と「酉」は、
いわゆる「向かい干支(裏干支)」
と呼ばれる間柄でして、自分の干支の
「真向いにある干支(子の場合は午など)」
をあしらったものを身に着けると、
幸福が訪れるという俗信が古くから残っております。
何でも「向かい干支」は、
自分に足りない性質を補う干支とも言われており、
昔は子供の着物の背中に、
「お守り」として向かい干支の柄を刺繍したそうです。
また、酉年生まれの作家・泉鏡花は、
向かい干支にあたるウサギの品々を
好んで収集していたという話もありますし、
これらの風習を元に考えるなら、
「酉」の要素を秘めた忌部氏が、
自らの不足分を補完するために、
「卯」にこだわった理由も見えてまいりますね。
恐らく、「大嘗祭」の日取りを決定したのは、
天皇祭祀を陰から支えていた忌部氏であり、
「三輪山の一件」にも一枚噛んでいたのでしょう。
崇神天皇の守護として「鏡」「剣」
のレプリカを鋳造したり、
大神神社の神官となった大田田根子を補佐して
「卯」の呪術を施したりすることで、
「三輪山の鎮め」を試みたのかもしれません。