***** 大嘗祭 No.8 *****
「卯の日」と「冬至の日」とが重なる
持統天皇5年11月辛卯の日。
満を持して執り行われたのが、
持統天皇の即位儀礼の中心となる
「大嘗祭」でした。このときすでに、
天武天皇の崩御から3年以上の年月が経ち、
表向きは皇位継承が定着していた頃にも関わらず、
なぜか持統天皇はこの日まで
大嘗祭を行わなかったと想像されます。
一説に、「卯」が「春」「早朝」
「万物のはじまり」などを示す干支で
あることから、国や自らの繁栄を願って
「卯の日」を選んだという話がありますが、
先日からお話ししている「三輪山の出来事」
を念頭におけば、あの持統天皇が
単に「縁起が良い」という理由だけで、
卯の日を選んだとは思えず……。
恐らくは、「卯の日」の呪術的効果を
見抜いていたからこそ、わざわざこの日を
待って大嘗祭を催行したような気がするのですね。
ちなみに、数年前の記事の中で、
「ウサギ」を神使とする阿波の白人神社と、
「トリ」を象徴とする忌部氏との
関係について触れました。もしかすると、
「大嘗祭」にも深く関与したと思われる忌部氏は、
「卯」に秘められた何らかの力を
知っていたのかもしれません。