たびたび神社

ライターあかりの神社ブログ

奈良時代の疫病

2020-04-30 09:11:17 | 大嘗祭

 

***** 大嘗祭 No.28 *****

「蘇我氏(崇仏派)」と「物部氏(排仏派)」

との争いを決定づけたのは、

敏達天皇の時代に出された

「仏教禁止令」だったと言われております。

 

仏教に対して中立的な立場を取っていた敏達天皇が、

なぜ「仏教禁止令」なるものを発令したかと言えば、

蘇我氏の「仏教崇拝」を認めた敏達天皇の振る舞いが、

「疫病の流行を引き起こしたのではないか」

という物部氏の批判を考慮したからでして、

結果として蘇我氏の寺や祀っていた仏像が

焼き払われる事態にまで発展しました。

 

しかしながら、その後も疫病が収まる気配は見えず、

人々の間では逆に「仏像を燃やしたことが原因」

という噂で持ちきりになったのだとか……。

つまり、このときの状況を整理してみますと、

疫病流行の原因が「仏教」ではなかった

可能性も浮かび上がるわけですね。

 

ちなみに、この後の奈良時代も含めた

約100年の間には、およそ40回以上も

疫病のパンデミックが発生したと聞きます。

特に、735年に始まった天然痘の流行時には、

藤原不比等の4人の息子などが相次いで死亡するなど、

政治の中枢部をも巻き込む大惨事を招いたのでした。