***** 大嘗祭 No.7 *****
『日本書紀』の敏達天皇の巻に、
「三輪山は天皇霊の宿る山だった」
という記述があるそうです。
何でも、敏達十年(581年)、
反乱の罪により三輪山の都へと
連れてこられた蝦夷の首領は、
「天皇霊」への忠誠を誓うために
三輪山を遥拝したとのこと
(この時代にはまだ「天皇」という
概念はなかったとは思われますが……)。
これらの話から、大王家(天皇家)の神が
三輪山に鎮座しているという話は、
人々の間で「周知の事実」だった
可能性が伺えますね。
また、当時の「歌」の中には、
「三輪山を見ることで、天皇霊が付着する」
という意味にも受け取れる作品があることから、
この頃の大王家の信仰が「三輪山」と
深く関わっていたことは確かなのでしょう。
恐らくは、崇神天皇の時代に、
天皇家の祖神である「天照太御神」と、
土着の国津神である「倭大国魂神」
を宮中外へと移動させたのち、
天皇祭祀の中心となったのが
「三輪山」だったのかもしれません。
そして、その発端となったのは、
件の「大物主神の祟り」であり、
「卯の日」に行われた三輪山の神事
ではないかと推測されるのです。