***** 大嘗祭 No.27 *****
大陸から百済を経由して
日本に仏教が伝来したのは、
敏達天皇および用明天皇の父であり、
聖徳太子の祖父にあたる「欽明天皇」
が皇位に就いていた時代です。
ちょうどこの頃から、国内でも疫病(天然痘)が
流行り始めたことなどを踏まえると、
恐らくは来日した僧侶などと共に、
ウイルスが持ち込まれた可能性も高いのでしょう。
ちなみに、疫病に苦しめられた当時の人々は、
欽明天皇の子・敏達天皇の「仏像の破棄」が
災厄の原因なのではないかと噂したそうですが、
よくよく考えてみますと、
そのときすでに敏達天皇が物部氏の進言に従い、
「疫病封じ」のため仏教禁止令を出していましたし、
それ以降もパンデミックが続いたという
事実を合わせて推測すれば、
「仏への崇拝」や「仏像の破棄」が
疫病蔓延の原因ではなかった
という仮説も成り立ちますね。
そこで思い出されるのが、
崇神天皇の時代に起きた
「三輪山の一件」かもしれません。
当初、祟りの元凶とされた
「天照太御神」や「倭大国魂神」を
宮中外へと遠ざけても、
なお状況が収まる気配がなかったことから、
最後の手段として強化したのが、
「三輪明神」つまり大物主神への祭祀でした。