***** 大嘗祭 No.11 *****
昨日、天皇の即位儀礼である
「大嘗祭」誕生のきっかけが、
「三輪山の一件」にあったのではないか
という内容を記しました。
ただし、大嘗祭の大元となるような儀式は、
さらに古い「三輪山」以前の時代には、
すでに存在していたとも感じております。
よって、今回は「三輪山以前の古いしきたり」
などをひも解きつつ、「大嘗祭」の成り立ちを
想像してみることにしましょう。
以前の記事内で、「大嘗祭は即位後に初めて
催行される新嘗祭(にいなめさい)である」
と書いたように、大嘗祭の核となるのが
「五穀豊穣」の概念です。
中でも、「米(稲)」という作物は、
天照太御神が皇祖であるニニギに授けられた
「食いて活くべきもの」であり、
私たちの祖先は収穫した稲を
「神の賜り物」として大切に食してきました。
ちなみに、ニニギという名称は「丹ニギ」
であり、太古の日本の米とは「赤米」
だった可能性が高いのだとか……。
現在も、わずかながらではあるものの、
いくつかの神社の神事において
赤米が使用されているそうです。