***** 大嘗祭 No.26 *****
物部氏と蘇我氏の対立を決定的にしたのが、
585年に敏達天皇が出した仏教禁止令でした。
何でも敏達天皇は、「疫病の流行は外国の神への
崇拝が原因」という物部氏の訴えを受け入れ、
崇仏派である蘇我氏が所持していた
仏像を破棄させたのだとか……。
その理由としては、敏達天皇と蘇我氏との
つながりが薄かったため、あるいは
敏達天皇が異宗教にも寛容だったため……
などの説が取り沙汰されておりますが、
いずれにせよこのことがきっかけとなり、
俗に言う蘇我氏(仏教)と物部氏(神道)
の争いが表面化し、物部氏は蘇我馬子や
聖徳太子らによって滅ぼされました。
ちなみに、この頃の出来事を記した文献に、
「三輪山には天皇霊が宿る」
との記述が残っていることから、
当時はまだ「天皇祭祀」の中心が
「三輪山」の周辺にあったと推測されます。
恐らく、崇神天皇の時代に始まった
「大物主神への本格的な祭祀」は、
この時代も継続されていたのでしょう。
もしかすると、疫病蔓延の元凶には、
かの「三輪明神」の存在が
少なからず影響していたのでしょうか……。