たびたび神社

ライターあかりの神社ブログ

弁財天

2016-02-14 11:26:24 | 西日本の神社

<宗像大社 むなかたたいしゃ>

 

弁財天は、宗像三女神の一柱である

市杵嶋姫(いちきしまひめ)や、

ヒンドゥー教の女神サラスヴァティー

とも同一神とされる神仏習合の神様です。

海や湖や川など水に関連する場所に祀られることが多く、

琵琶を抱えバチを握った姿から「芸能の神」として、

また弁才天の才が財に通じることから

「財宝の神」 としても知られています。

 

その優美なお姿とご神徳により、

木花咲耶姫(このはなさくやひめ)とともに、

女性からの人気が高い神様ですが、

本来は非常に激しく荒々しい性質で、

八臂弁財天 (はっぴべんざいてん)が

手にした8つの品はすべて武器。

二臂弁財天(にひべんざいてん)が

抱える琵琶やバチも、寿命をも左右する

呪術的な楽器だという説があります。


宗像三女神

2016-02-13 11:18:46 | 西日本の神社

<宗像大社 むなかたたいしゃ>

 

宗像大社のご祭神・宗像大神は、

宗像三女神(むなかたさんじょじん)

と呼ばれる三柱の女神です。

田心姫神(たごりひめ)は沖津宮、

湍津姫神(たぎつひめ)は中津宮、

市杵島姫神(いちきしまひめ)は辺津宮

にそれぞれお祀りされており、

名前は違いますが、厳島神社のご祭神や、

ヒンドゥー教の弁財天などとも関連します。

 

宗像三女神はまたの名を、

「最高の道の神」という意味を持つ、

名道主貴(みちぬしのむち)とも呼ぶそう。

「貴」というのは、尊い存在を敬う称号で、

その語源は古代イスラエル(ヘブライ語)の

「モチ」から来ているという説があります。

日本から外海に出る船に対してだけでなく、

海外から日本に向けて航海する船を導く神

としても敬われていたのでしょう。

【参考文献】

日本とユダヤのハーモニー


宗像大社

2016-02-12 14:16:15 | 西日本の神社

<宗像大社 むなかたたいしゃ>

 

海人族との関連が深い九州北部の神社といえば、

宗像大社があげられるでしょう。

聞いたところによりますと、

宗像大社に伝わる伝承の中には、

「宗像の子が住吉で、住吉の子が宇佐」

という話があるそうで、これを前提にすると、

宗像・住吉・宇佐は同系統ということになります。

 

宗像大社に神主としてご奉仕した宗像氏は、

西日本を拠点とする代表的な海人族の豪族で、

宗像地方と響灘西部から

玄界灘全域に至る膨大な海域を支配しました。

宗像の大神を手厚く祀り、 また神功皇后との縁も深く、

三韓征伐の直前に立ち寄った際には、

宗像氏自らが大神にご守護を願ったそうです。


建国記念日

2016-02-11 14:14:22 | 皇室・海人族・ユダヤ

<明治神宮 めいじじんぐう>

 

本日は2月11日(建国記念日)です。

国家や愛国心などと聞くと、

堅苦しいイメージを抱いたり、

反発を覚えたりする人たちもいるとは思いますが、

せめて今日くらいは、日本に思いを馳せ、

天皇という存在に意識を向けるのも、

日本人として大切なことです。

 

日本という特殊な国が、

天皇という特別な存在によって

維持されているのは事実です。

大震災をはじめとする自然災害が立て続けに発生し、

社会の荒廃がエスカレートしているのも、

国土や天皇に敬意を払えない日本人が、

あまりにも増えすぎたのが原因なのでしょう。

 

天皇や国土に対して、

「ありがたい」という気持ちがなくなれば、

日本人が生きる上で大切な物が、

次々に取り上げられてしまうのは当たり前。

日本に生まれたこと自体が、

「誰もが手に入れられる恩恵ではなかった」ということを、

これから多くの日本人が実感するはずです。


黒男神

2016-02-10 11:40:50 | 西日本の神社

<相撲資料>

 

住吉大神とも所縁の深い

武内宿禰(たけのうちのすくね)は、

噂によりますと、300歳まで生きたとされる、

人間離れした伝説の持ち主です。

そのおとぎ話めいた伝承内容から、

「架空の人物ではないか」などと

様々な憶測を呼んでいますが、

実は、野見宿禰(のみのすくね)、

当麻蹴速(たいまのけはや) などとともに、

相撲の神様としても知られる人物でもあります。

 

宇佐神宮のお祭りで相撲を取る住吉大神は、

九州では黒男神(くろどんしん)と呼ばれ、

武内宿禰とも同一視されてる神様。

黒男というネーミングからもわかるように、

その風貌は色黒の大男だったと想像されます。

一説によりますと、古代イスラエルの人々は、

体格がよく非常に相撲が強かったのだとか。

武内宿禰が海人族だけでなく、

イスラエルとも関係する人物だとすれば、

神社の古代史はさらに興味深くなりますね。


相撲の起源

2016-02-09 11:38:09 | 西日本の神社

<相撲資料>

 

住吉大神をお祀りする住吉大社には、

今でも数多くの年中行事がありますが、

古来執り行われていた行事の中で、

最も壮麗で盛大だったのだのが、

相撲会(すもうえ)と呼ばれる行事だそうです。

実は相撲というのは、神道が発端とされ、

四股を踏む動作や塩をまく動作など、

力士の一連の所作はすべて神事が元。

境内に土俵が置かれている神社も、

全国各地にたくさん存在しております。

 

また、相撲の起源をさらに遡ると、

「イスラエル民族の始祖である

アブラハムの孫ヤコブが、

川のほとりで天使と組み打ちをした」

という旧約聖書の記述にたどりつきます。

「ハッケヨイ、ノコッタ、ノコッタ」は、

ヘブル語では「投げつけよ、やっつけろ。

なげたぞ、やったぞ」の意味になり、

「すもう」という言葉についても、

「彼の名SheMoをヤコブと名づけた」

というヘブライ語からきているそうです。


武内宿禰

2016-02-08 11:34:09 | 西日本の神社

<住吉大社 すみよしたいしゃ>

 

住吉大社の伝承によりますと、

神功皇后の夫である仲哀天皇が、

「朝鮮半島に出兵せよ」という、

神のお告げに逆らい亡くなった晩、

「神功皇后と住吉大神が夫婦の秘め事をした」

という記述が残されているのだそうです。

そしてさらには、住吉大神とされた相手が、

天皇の側近である武内宿禰(たけのうちのすくね) だったと聞けば、

何やら歴史は謎めいてまいりますね。

 

住吉大神・塩土老翁・浦島太郎そして武内宿禰…。

これらの人物?が登場する背景には必ず「海」があり、

土地の女人と契りを結びながら、

活躍の場を広げていくのが常です。

その姿は、広大な海を縦横無尽に航海しながら、

様々な文化や技術を日本にもたらした

海人族の姿とも重なります。

縄文人、とりわけ海の民が有する豊穣のパワーは、

広大な海原によって育まれたものなのかもしれません。


浦島太郎

2016-02-07 11:32:11 | 西日本の神社

<住吉大社 すみよしたいしゃ>

 

住吉大神は、底筒男命(そこつつのおのみこと)、

中筒男命(なかつつのおのみこと)、

表筒男命(うわつつのおのみこと)の総称であり、

別名・塩土老翁(しおつちのおじ) とも呼ばれる海の神様です。

 

塩土老翁は、神話の海幸山幸の件の中で、

山幸彦を海神の宮へと導いたり、

神武東征の件で天皇の道案内をしたりと、

歴史の要所要所で登場する水先案内人のような存在。

その印象的な登場の仕方や仙人のような風貌から、

浦島太郎のモデルではないかとも噂されています。

 

日本書記の中で、浦島太郎は実在の人物とされており、

その故郷はなんと墨吉(住之江)なのだとか。

浦島伝説を伝える籠神社と住吉大社、

そして住吉大神の神事が残る宇佐神宮が、

浦島太郎(塩土老翁)を通して一本の線で結ばれるのですね。


住吉大社

2016-02-06 11:29:33 | 西日本の神社

<住吉大社 すみよしたいしゃ>

 

住吉大社のご祭神である住吉大神は、

三韓征伐(さんかんせいばつ)の際に、

朝鮮に出兵した神功皇后をお守りし、

無事ご帰還を果たされたあと、

大阪・住吉の地に祀られたと聞きます。

 

今でこそ住吉大社の付近は、

多くの住宅やビルが立ち並ぶ繁華街ですが、

その昔は神社の近くまで海岸が迫っており、

瀬戸内海を通じて九州地方とも、

頻繁に交流をしていた土地柄でした。

 

住吉大社の神官を代々務めたのは、

尾張氏と同族の津守氏(つもりうじ)で、

天火明命を祖とする海人族の一派。

大都会のど真ん中にありながら、

住吉大社は濃厚な海の気配が漂う場所です。


傀儡子舞

2016-02-05 11:26:58 | 西日本の神社

<宇佐神宮 うさじんぐう>

 

宇佐神宮をはじめとする全国の八幡神社には、

放生会(ほうじょうえ)というお祭りがあります。

放生会というのは、捕獲した魚や鳥獣を野に放し、

殺生を戒める宗教儀式のことで、

宇佐神宮の放生会は、放生会の起源ともされ、

宇佐神宮を代表する重要な祭礼です。

 

由緒によりますと、戦乱で亡くなった

隼人の霊を慰めるために始められたそうですが、

注目すべきは、この放生会のクライマックスで行われる、

傀儡子舞(くぐつのまい)という一風変わったお祭りのこと。

 

傀儡子舞は、傀儡子(くぐつ)という操り人形を使い、

舞や芝居や相撲など順次に披露するもので、

安曇族の祖人である磯良神(いそらのかみ)や、

住吉族の祖神である住吉大神などが登場します。

そして物語の終盤には、東軍と西軍に分かれた相撲の勝負が、

住吉大神の活躍により、西軍勝利で幕を下ろすのだそうです。

 

不思議なことに、宇佐神宮の重要祭礼で活躍するのは、

ご祭神の八幡神ではなく住吉大神なのですね。


比売大神

2016-02-04 11:23:48 | 西日本の神社

<宇佐神宮 うさじんぐう>

 

宇佐神宮という神社は、実にとらえどころのない神社で、

ほんのちょっと切り口を変えるだけで、

まったく印象が変わってしまう不思議な場所です。

そんな「不思議」を示す代表的なもののひとつが、

「二礼、四拍手、一礼」の作法。

一般的に神社では「二礼、二拍手、一礼」が通常ですが、

宇佐神宮では「四拍手」という作法を守っています。

 

全国でこの四拍手を取り入れている神社は、

宇佐神宮と出雲大社、弥彦神社など数社のみだそうで、

一説によりますと、「四拍手」は封印を意味し、

その神社に祀られているご祭神は「祟る神」なのだとか。

ただ、宇佐神宮の主祭神である八幡大神(応神天皇)も、

神功皇后も、表向き祟りとは無関係のように思われます。

 

実は宇佐神宮のように、

「いじられた形跡の強い神社」というのは、

もともと祀られていた神様の痕跡を失くすために、

ご祭神の書き換えを繰り返すケースが多いもの。

カギを握っているのは、 卑弥呼とも宗像三女神とも噂される、

比売大神(比神)なのかもしれません。


豊(とよ)

2016-02-03 11:20:57 | 西日本の神社

<宇佐神宮 うさじんぐう>

 

西日本の海人族の拠点のひとつ宇佐神宮と、

東日本の海人族の拠点のひとつ籠神社には、

海人族というキーワード以外にも、

共通する点がいくつかありますが、

そのひとつが「豊」という文字です。

 

籠神社の奥宮・真名井神社に祀られているのは、

「豊」受大御神で、巡幸で訪れた皇女は、

「豊」鍬入姫命(とよすきいりひめのみこと)。

宇佐神宮のある地は「豊」国と呼ばれ、

神功皇后の別名にも「トヨ」が含まれています。

 

海の女神である豊玉姫神(とよたまひめ)

に代表されるように、「豊」は水や海を指し、

海人族との関わりを暗示する言葉です。

そしてなぜか「トヨ」のつく女神(女人)は、

現世に恨みを抱いていたり、

後に祟りをなしたりするのも意味深ですね。


神がかり体質

2016-02-02 11:18:50 | 西日本の神社

 

<宇佐神宮 うさじんぐう>

 

天皇の命により、八咫鏡と草薙剣を携え、

皇祖神の安住の地を求めて旅をした

二人の皇女(豊鍬入姫命、倭姫命)が、

優れたのシャーマン(巫女)であったように、

海人族の血筋を持つ人々の多くは、

「神がかり体質」の持ち主でした。

 

縄文時代の長い歴史の中で、

海外の神事(古代ユダヤ教、道教など)

に触れた影響もあるかとは思いますが、

もともと「神がかり体質」というのは、

彼らの中に備わっていた資質であり、

私たち日本人の中に流れている遺伝子でもあります。

 

卑弥呼の伝説が残る国東半島付近は、

そういった神がかり体質の人が集まると同時に、

海外からの「実践性のある呪術」が流れ込む場所。

宇佐神宮に比売大神(ひめのおおかみ)、

神功皇后(じんぐうこうごう)という、

偉大な女性神・シャーマンが祀られているのも、

この土地の風土をよくあらわしているのかもしれません。


シャーマニズム

2016-02-01 11:14:56 | 西日本の神社

 

<宇佐神宮 うさじんぐう>

 

宇佐神宮というのは古代より、

「神託」と縁のある場所でした。

有名なところでは、奈良時代の僧で、

皇位継承を画策していた

弓削道鏡(ゆげのどうきょう)と、

それを阻止するために

和気清麻呂(わけのきよまろ)に降りたふたつの神託。

また、東大寺建立の際には、

聖武天皇に下った神託により、

宇佐八幡の神がヤマトに手向山八幡宮の神として

勧請されたという経緯もあります。

 

なぜ、伊勢神宮や出雲大社など、

ヤマト朝廷に「近い」神社を指し置いて、

宇佐神宮といういわば地方の神が託宣し、

朝廷側もそれに従ったかは定かではありませんが、

当時の宇佐神宮のある場所はかなりの大都市で、

有能な「呪術者」が数多く集まっていたそうです。

宇佐神宮が古墳の上に建てられているという事実から考えても、

宇佐神宮周辺は、三輪山に引けをとらないほど大規模な

シャーマニズムの聖地だったのかもしれません。