<小野田地区 おのだちく>
志摩の磯部地区と同様に、この名草山周辺も、
海人族の一大居住地だったという話があります。
神武一行が日本にたどり着くはるか以前、
九州より移住してきた海人族の人々は、
名草の地で半農半漁の生活を送っていたそうです。
海人族といいますと、どうしてもその言葉の響きから、
「海外からやってきた渡来人」という印象が勝りますが、
海人族は古来より日本に住んでいた先住民であり、
渡来人と日本人とをつなぐ仲介者的な役目があったと、
個人的には考えております。
この名草の地でも、ニニギや神武天皇に先んじて、
イスラエルから日本に渡ってきていた
ニギハヤヒなどの初期の渡来人と共存しながら、
穏やかな縄文時代を過ごしていたのでしょう。