<琴ノ浦 ことのうら>
名草や名草戸畔(なぐさとべ)については、
以前から調べてみたい気持ちはあったものの、
なかなか気軽には足を踏み入れられない領域でした。
ただ今回、名草山周辺の神社を巡ってみて、
やはりこのあたりは、日本建国の経緯と、
日本と海人族との関わりを考える上で、
どうしても外せない地域であることを確信した次第。
ヤマト入りを目指していた神武天皇は、
ようやくたどり着いた念願の地を目前にして、
各地の先住民の抵抗により行く手を阻まれます。
熊野の山中で山の民・川の民と対峙するにあたり、
名草や那智といった海岸沿いの地域で、
海の民を味方に引き入れなければなりませんでした。