たびたび神社

ライターあかりの神社ブログ

銅鐸と塞ノ神

2020-08-20 09:07:34 | 古代の出雲

<荒神谷遺跡>

 

一説に銅鐸とは、集落の境目に埋納することで、

「サイノカミ」的な役目を果たして

いたのではないかという話があります。

その主な理由としては、

銅鐸が主に集落外(山の斜面やその麓)

で見つかるケースが多いことや、

銅鐸出土地が等間隔に並ぶ地域

(鳥取や兵庫の一部)が存在すること

……などがあげられるそうですが、

もしそれが事実だとすれば、

三宝荒神の神庭だった「荒神谷」で、

大量の銅鐸が見つかった理由にも

思い当たる節が出てきますね。

 

ちなみに、荒神谷遺跡の一帯に、

約5,000年前(縄文海進が起きた頃)

の出雲の地形図を重ね合わせますと、

大量の青銅器が埋められた場所や

三宝荒神の鎮座地は、

当時の海岸線(もしくは湿地帯の端)

のギリギリのところでした。

つまり、荒神谷遺跡のある場所は、

縄文時代より「海と陸との境」に位置する、

「特殊なポイント」だったことが見て取れるのです。

 

「サイノカミ」の祠や石はもちろん、

古くは「甕(みか・かめ)」などの製品が、

村や国の境界に置かれたり埋められたりしました。

もしかすると青銅器、

特に甕と同じく空洞のある銅鐸は、

ある種の「サイノカミ」と同等の

働きを持つ埋納品だったのかもしれません。