<荒神谷博物館>
荒神谷遺跡から見つかった青銅器は、
弥生中期末から後期初頭(紀元1世紀)にかけて、
この地に埋められたと推定され、
出土した6個のうち5個は
畿内製であることが判明しています。
また、同時に発掘された銅矛16本は北部九州製、
358本の銅剣に関しては、
ほぼ出雲国で製造されたもので、
銅鐸と銅矛が同時に見つかるという現象はもちろん、
一か所の遺跡から三種類の青銅器が発掘されたのも、
ここ荒神谷遺跡だけなのだとか……。
さらには、荒神谷遺跡発見の12年後、
近隣の加茂岩倉遺跡から39個の銅鐸が見つかり、
古代のこの一帯を「大きな勢力」が
治めていた可能性が高まったのだそうです。
ちなみに、加茂岩倉遺跡で見つかった
39個の銅鐸に関しても、
出雲製とみられる3個を除き、
ほとんどが弥生中期に近畿地方で
造られたものであることから、
当時の出雲国が近隣国と頻繁に
交流していたことは間違いないのでしょう。
そうなりますと、これほどまでに多くの青銅器が、
西日本の各地からこの地に集まった理由とは、
いったい何だったのかが気になりますね。