<洲本市由良>
出雲の荒神谷遺跡、および加茂岩倉遺跡で
発掘された青銅器には、西日本一帯で
製造された銅鐸や銅矛が含まれていたそうです。
もし仮に、九州や近畿など近隣諸国から、
これらの青銅器が出雲に持ち込まれたとすれば、
その経緯とはどのようなものだったのでしょうか……。
ちなみに、以前の記事内で
「淡路島は渡来系部族の中継地」と書きましたが、
同じ鋳型の銅鐸が発見された「淡路」と「出雲」とが、
何らかの形でつながっていたとするなら、
恐らくそれらを主導していたのは
「渡来系」と呼ばれる人たちだったのかもしれません。
そこで、改めて淡路島について調べてみたところ、
実は南あわじ市の安住寺というお寺でも、
「蛇供養」と呼ばれるワラ製のヘビを
使ったお祭りが行われると聞きました。
何でも、稲ワラで作った長さ約12m、
胴回り約30cmの大蛇が、町内を練り歩きながら
人や車に巻き付くというこの行事は、
最後に主役であるワラヘビを
県道脇のムクノキに巻き付けて奉納するという、
出雲のワラヘビ祭礼を思わせるお祭りだったのです。