<石宮神社 いしのみやじんじゃ>
ここ数日の記事を書いていて思うのは、
各地の伝承で描かれる「大国主神」や
「大地主神」という存在が、どことなく
「弥生系」のニュアンスを纏っているということです。
「大国主神」が「大歳神(御年神)」に、
「牛の供犠」をいさめられる一節などは、
「牛」の伝来とともに弥生時代に来日した
「渡来民」を彷彿させる話ですし、
また『出雲国風土記』での「猪を狩る大国主神」の姿も、
少々視点を変えれれば「猪」が象徴する縄文人を、
大国主神が追い払ったような印象にも受け取れます。
どうも「大国主神」という存在は、
「縄文人」とも「弥生人」とも断定できないような、
一筋縄では行かない立場に置かれていたのかもしれません。
以前の記事内で、「縄文」と「弥生」との
境目が曖昧になってきたと記しましたが、
恐らくは「大国主神」のポジションも、
「縄文」と「弥生」との狭間に
位置すると考えたほうが自然なのでしょう。
特に、出雲の地においての「大国主神」とは、
縄文系だけでなく弥生系の人々にとっても、
偉大なる「王」だったという見方もできそうです。