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豊かさを求める 会長日誌

家づくりと言う事業を通じ、多くの人々の人間模様を綴ります。

水滸伝からKWを思考すると…知内町~函館市~北斗市

2014-08-14 16:36:09 | ファース本部
夏休みに入り、家族サービスの合間に、北方謙三著の水滸伝を読み返していました。
この小説で、「賢者は石にも木にも獣にもなれる」との記述に感銘を受けています。

KYとは、空気(K)を読めない(Y)人の事を言うのだそうですが…
周辺を見渡すと、けっこう周りの雰囲気を読めない人間がいるものです。
会合などではまったく方向違いの意見を述べ、質問をする人などもKYなのでしょうか。

静寂な空間で突如として大きな声で話す、くしゃみ、咳払いをする人もKYです。
私達は、時として自分一人だけでこの世を闊歩していると錯覚を起こす場合があります。
KYとは自分自身を俯瞰視(高い鳥の目線)出来なくなっている証しかも知れません。

このようなKYと逆に、その場の空気、雰囲気に自然に溶け込める人も多く存在します。
小説、北方謙三著「水滸伝」には、人は石にも、木にも、獣にもなれるのだと言う記述が。
これこそ賢者の為せる業と思えるのですが、その場の雰囲気、環境、状況、そこの空気に同化出来ると言う事なのでしょう。

石になる…ひたすら耐え忍ぶ忍耐力であり、建物や人様の生活を下から支える事かも。
木になる…地面に根をはり、大風や大雨を遣り過し、四季の季節をつくり、自然環境と一体となれる事なのでしょう。(写真はまさに地球と一体化した森林)
獣になる…刃向うものと果敢に逞しく闘いを挑み、強さを強調する姿の象徴であろう。

石になる、木にもなる、獣にもなると言うのは、まさに完全にその空気の静寂さ、嵐の喧騒、樹木との乱舞などと自然の空気と完全に一体化していると言う事になのでしょうか。
特に会社などは、「石」「木」「獣」の役回りを分担し合っていることなのでしょう。
この小説の中の一文は、時々当方のブログやコラムに登場してきます。

さて、今日は親戚宅の墓参などに出掛けてきましたが、気温25℃、少しためですが空気が乾いて爽やかな夏空が広がっていました。

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