連・断・続の部屋  

捨てる過去など何もなく、日々の社会との繫がり、自己の活性化、整理のためにつぶやく。

入院生活で思い出す患者達2

2024-02-14 14:15:19 | 健康・病気
多発性骨髄腫で完治させられないまま、十年以上経過したTSさん。
皮膚にも腫瘍が目立つが痛くはないよう。ただ、骨の打ち抜き像が、全身に認められ、右手をついて右前腕骨折、立ったら脚を骨折、左腕も骨折。
私は、たかが、右大腿骨頭骨折で、動く度に、のたうちまわるほどの痛みだけれど、左半身で、いざって移動は出来る。望まないのに、達磨のように、動かない、動けない、彼女を思い出す。
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街移動、車椅子、管轄外2

2024-02-14 12:31:40 | まち歩き
牛深病院官舎からの移動は、階段は、手すりを利用して階段をのぼりきり、その先は、事務長が、車椅子を手配してくれたので、外来診察室に。診療終了後は、車で熊本駅に。車椅子、管轄内の連絡でスムーズに。九州新幹線、久留米を過ぎたふきんで、ANAからのメッセージで、仙台行きは、欠航を知る。思考フル回転で、東京まで、新幹線で向かう。当日の仙台に、向かう最終便は、とうに出ているので、車内から東京駅周辺ホテルの予約を試みるが、満室。雪でもあり!
東京駅についてから、車椅子は、改札までで、構内の待合室の待機は、駅構内がシャットダウンする最終便まで。私の記憶にあった、終日開放されている待合室はありませんでした。
午前1時半過ぎには、次々と閉錠。私の歩くのがつらそうなので、近くのドアを開いて、外に出されたのが、せめてもでしょうか。
雪で、もくてきに向かえないかなり多い人達は、寒さに晒されながら、朝の開場を待つことに。
四時前に、ドアが開くと、どっと中に。警務員だったので、車椅子の手配は、管轄外と断られました。
結局七時間ほど、たちっぱなし。死ぬんじゃないかと思うほど辛かったが、死にたいとは思わなかった。
一夜を屋外で過ごした、プロテスタントの牧師の久留生さん、秋田県在住の方が、心配で気遣ってくれ、JR職員が、出勤して、やっと車椅子、始発の東北新幹線の手配、下車後の車椅子手配まで。
仙台駅では、タクシー乗り場まで。
自宅到着、運転手さんは、荷物まで家に、運んでくださり、感謝。
管轄外があるので、障害者のひとり旅は、用意周到な、事前準備が出来なくては、断念。

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入院生活で思い出す患者達1

2024-02-14 06:18:21 | 東日本大震災
転倒後、日常作業がみままなりません。動くと激痛を伴います。
シチュエーションに応じて、出会った患者が飛び出してきます。
骨髄穿刺は、皮膚、皮下、骨膜まではキシロカイン麻酔が有効。麻酔液が侵入する膨張に伴う痛みがあるので、私自身の経験から必要最小領域に留めるよう、効果発現まで次を待機しました。しかし、目的の、骨髄血吸引は、笑気ガス麻酔でなければ消し去ることが出来ない、えもいわれぬ、地獄に引きずり込まれる感じです(自分のけいけん)。なので、素早く。
佐川急便勤務の彼は、治療のため繰り返し骨膜穿刺が必要な急性白血病。何回か経験後、“キシロカインは、いらない。針刺しなんか!麻酔が効く前の痛みのほうがやだ。それに、血抜く時、無限の苦痛。時間は一瞬だけど”
私、検査時にある姿勢を強要されるのですが、激痛を伴う。自分では出来ず補助者が抑えて行うのです。自分でも痛みを伴う検査を強要してきたからと耐えるのですが、長い!しかも、フィルムに入りきらない、とかで、数度も繰り返さないで。



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障害者街移動

2024-02-13 11:45:04 | 健康・病気
一路、天草、牛深に向けて。
仙台空港に到着。一階空港内まで、杖歩行。案内カウンターに、車椅子の使用をお願いすると、準備してくれたので、乗り移り、押して貰い、ANAチェックインカウンターへ。補助が必要な人申請をする。ここで、車椅子を、ANAの物に変える。座面など、先程より座り心地、安定感がある。
車椅子は、飛行機入口まで。座席は、一B。
福岡空港到着。自力でタラップを降りなければ成らなかったが、歩くよりは楽。地上には、車椅子は、準備されていた。バスにのるまでで、乗車は、自力。バス下車地には、車椅子が、準備されていました。福岡地下鉄まで、職員の方が押してくれました。管轄外とのことで車椅子は、下ろされました。やむなく、杖歩行。エスカレーターは、私の移動速度は、乗降には、不適切、危険と判断して、エレベーターに。見つかりにくい、遠いで、もたもた動いていたら、ある方が、駅務員に、連絡してくださったようで、駆けつけてくれました。要望してくだされば車椅子を手配しますとのことで、お願いしました。
その後は、地下鉄、JR博多駅、下車の出水駅と連絡してくださりスムーズでした。
フェリーは、蔵之元漁港の方は、事情を察して、乗船後、下船後の便宜を図って下さいました。
下船時には、タクシーを船内まで乗り込ませて、最小限の歩行にして下さった心配りは、有り難かったです。
タクシー内に、博多駅で、駅務員に声をかけた方がいた、奇遇に驚きました。
牛深病院、宿舎、室内移動が、またま、大変でした。長いスロープ、階段で、部屋の椅子にたどり着いた時の安堵。
翌朝の移動手助けを、事務長にメール。
食事は、別棟遠方なので、博多駅で調達してきたもので。栄養バランスは、炭水化物に偏りましたがやむを得ないですね。




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骨折判明まで3日

2024-02-13 09:11:06 | 健康・病気
血液外来診療日。
来てくれるタクシーがあり、一安心。運転手さんは、見知った方。事情を話し、年なんだから!と諭された。杖歩行で、診察室へ。定時まで診療。座っているだけだと、痛みは殆どなし。
タクシー利用で帰宅。
明日の天草診療決行を危惧、阻止したい知人から電話があるが、座位は、痛くないし、障害者対応を経験したいから、予定どおりにすると伝える。
夜、ご主人が、仙台空港まで送るとの連絡あり。タクシーで行くつもりだったけれど、ほっとした気持ちが起きる。
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切望しているのは長ーーい手

2024-02-12 19:03:04 | 健康・病気
右足大腿骨骨折で、足指に手が届かなくなった。前屈みができず、膝も曲げられず、物を落とすと拾えない。
腕の延長を切望。
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雪道転倒五日めから

2024-02-12 10:11:19 | 健康・病気
捻挫ならば、痛みは改善してくるはずと、仕事予定がない29日から二月二日までは、自宅安静、
排泄以外は、移動しないように努めたが、痛みは和らがない。
皮膚いろのへんかはない。1日にリハビリよていだったが、キャンセルした。もし、受診していたら、骨折判明したのか?
判明したなら、唯一の後悔。
足の左右差はなく痛いだけ。痛みの部位、今感じる部位、外側はなかったような記憶。単純レントゲンでは、ボキッというよりは裂けた感じで、この時点で、判明しなかった可能性は?

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結婚を望まれはしましたが、言葉の暴力に耐えられず

2024-02-11 15:17:55 | 日記・エッセイ・コラム
恋うこともなく、熱烈、執拗な、求婚に、結納を交わしました。
親友、両親は、先行きに危惧を抱きました。共に学生。父は、すぐの結婚を反対。親の責任として、大学を卒業させ、気持ちが、変わらないならば、卒業後に結婚とさせてください、と端然、断固と父は申し述べ、結納、婚約のみ。
その後の彼は、学友との会話も、禁じ、執拗な攻め立てに晒されることに。
卒業間近に、結婚は?と、私が問うた後、彼が入局する科は、結婚しての入局は、許されない、足手まとい、と言われた記憶迄で、意識を失いました。心配になった彼が、呼んだ友人夫妻がいるのを、意識を取り戻したら居ました。
35年後の同級会で、訪ねましたら、転がっていた以外の覚えはないと。私は、自分のことだけれど、友人にとっては、その場限りのことにすぎず、私は、目撃した友人に、問える程にはなってきたのでした。
元々、外見とかけはなれた、打ち解け難い、人見知り性格に、恐怖を伴うことになり、仕事以外の人付き合いは、敬遠することに。
幼い頃から、傷つきやすく、母は、ひがみっぽい子、親戚からは、打ち解けないので、かわいくないなど言われてきました。
細やかな感情の中で育ち、荒い言葉にも堪えられず、独身で過ごしてきました。
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独りが入院で直面する問題

2024-02-11 11:30:47 | 日記・エッセイ・コラム
入院時、保証人を求められる。入院料金とりっぱぐれ防止だと理解しているが、未婚、両親は他界。
兄は、遠方に居住し、仲は、悪くないが、頼れる存在ではない。病状説明は、病院側の自己満足、責任逃れではないか❗自立、独りを貫いてきた覚悟はあって、術後失敗で死んだとして、悲しんでくれる人はいるだろうが、責任追及するほど愛着を持つ人はいないはずだから。病状説明、治療説明、手術説明は、孤独患者が納得して、受け入れれば良いでしょう。
誰に見守られない、孤独死も望ましいが、死んだ後の手続きが、滞りなく、連絡する体制を模索中。


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緊急入院四日目

2024-02-11 08:40:46 | 健康・病気
緊急手術は、再来週か?となり、
入院している病院は、7:1。在院期間が長くなると、保険点数が、急速に低下する。というわけで、手術日が、先延ばしされると、術後すぐ、退院を要請される危惧。
リハビリは、在宅通院を切に希望しているが、術後間もなくだと、リハビリ病院転院もあり得る。
入院中の今の状態は、ベッド上安静、鎮痛薬のみ。主治医は、車椅子を使うなど、動いて✨と申し伝えられたのに、また、車椅子移動は、左足を軸に、難なく行えるのに、監視下の移動ではなくては駄目と拒否。トラブル責任問題があるので、やむを得ないとはおもう。自由を奪われている、辛さが、身に染みる。
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雪道転倒、四日目。骨折判明まで9日

2024-02-10 12:50:44 | 健康・病気
転倒四日目。日曜日。知人が、日帰り温泉を誘ってきた。右股関節捻挫で、痛いし、動き悪いんだけと、話したら、秋保から、フラットなサンピアの湯に。車椅子で、“湯舟”近くまで移動、杖、湯舟の手すりを利用して、無事、温泉に浸かりました。
その後、入浴は、痛いので、毎日、日延して、1日に。我が家の風呂場は、障害者仕様になっています。50年前、全身の関節を含む膠原病“リウマチ因子陰性のリウマチ”になり、進行性で、治る見込みはないと判断して、新築時に、手すりを、入口、階段に。廊下は、まだ普通に歩けるから、壁は補強
しておくから、必要になったらつければ、ということで。玄関は、大きなスロープ板を置き、外から車椅子で、出入り出来るようになっているのが、急な今回に対応出来ました。
座位はまあ痛くないのですが、人間大変なのは、排泄移動。左足を軸に、右足には、負荷をかけず、
杖を頼りに、片足けんけん飛び歩き。洋式便座に座るのが、また一工夫。我が身を維持する大変さを痛切に思い知りました。


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骨折日記2

2024-02-10 01:24:58 | 東日本大震災
大腿骨頭転子瓿骨折。
初日、痛いが、両足で歩く。
布団に寝るのに左半身をつけて倒れ混むように、寝返りは、痛みを避ける様に。まどろみながら、明るくなるのを待つ。

翌日、登山用杖を補助に、玄関近くまでタクシーをのりいれてもらい、かかりつけの整形外科受診。
単純レントゲンでは、異常なし。歩行に、痛みはともない、杖ほじょで左右両足で歩く。立ち上がりは、左足で踏ん張って
三日目。外来診療のための、タクシーで出勤。杖補助で両足歩き。座位になると痛みはない。診療終了後、立ち上がりは、左足踏ん張り、つくえに手をついてたち、杖をつきながら、タクシーで自宅に戻る。笛のお稽古は、断念。
前屈ができず、右足を後ろにひき、左足膝を曲げて、かろうじて、猫餌、猫砂を整える。
座位で寝た方が、深い眠り時間はながい。

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2024/02/09

2024-02-09 07:22:18 | 日記
1月26日、自宅周辺は、些細な、踏みしめられていない雪道。人、車が行き交う、駅近くは、固められ、凍っていたようで、自転車ごと転倒。激烈な痛みに耐え、富沢駅駐輪場まで歩き駐車。
その後の、詳細は、追々。
当日は、外来診療だったので、翌日整形外科受診。
骨折、ヒビはみられないが、直後は、わからなくとも、後ではっきりする場合も。痛みがひどすぎるから、また、受診と言われ、2がつ8日受診。骨折と診断され、救急車で、搬送、入院。
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