牛深病院官舎からの移動は、階段は、手すりを利用して階段をのぼりきり、その先は、事務長が、車椅子を手配してくれたので、外来診察室に。診療終了後は、車で熊本駅に。車椅子、管轄内の連絡でスムーズに。九州新幹線、久留米を過ぎたふきんで、ANAからのメッセージで、仙台行きは、欠航を知る。思考フル回転で、東京まで、新幹線で向かう。当日の仙台に、向かう最終便は、とうに出ているので、車内から東京駅周辺ホテルの予約を試みるが、満室。雪でもあり!
東京駅についてから、車椅子は、改札までで、構内の待合室の待機は、駅構内がシャットダウンする最終便まで。私の記憶にあった、終日開放されている待合室はありませんでした。
午前1時半過ぎには、次々と閉錠。私の歩くのがつらそうなので、近くのドアを開いて、外に出されたのが、せめてもでしょうか。
雪で、もくてきに向かえないかなり多い人達は、寒さに晒されながら、朝の開場を待つことに。
四時前に、ドアが開くと、どっと中に。警務員だったので、車椅子の手配は、管轄外と断られました。
結局七時間ほど、たちっぱなし。死ぬんじゃないかと思うほど辛かったが、死にたいとは思わなかった。
一夜を屋外で過ごした、プロテスタントの牧師の久留生さん、秋田県在住の方が、心配で気遣ってくれ、JR職員が、出勤して、やっと車椅子、始発の東北新幹線の手配、下車後の車椅子手配まで。
仙台駅では、タクシー乗り場まで。
自宅到着、運転手さんは、荷物まで家に、運んでくださり、感謝。
管轄外があるので、障害者のひとり旅は、用意周到な、事前準備が出来なくては、断念。