連・断・続の部屋  

捨てる過去など何もなく、日々の社会との繫がり、自己の活性化、整理のためにつぶやく。

認知症患者リハビリテーション病棟主治医になって思うこと

2018-08-21 14:15:14 | 日記・エッセイ・コラム

血液疾患を専門分野としていますが、

年齢を重ね、否応なく第一線からの排除感は否めません。

変わって、高齢者医療に携わらずを得なくなってきています。

認知症リハビリテーション料が、保健医療として算定されるようになっています。

もちろん、算定には算定基準があるようで、

認知症リハビリテーションに関して、十分な経験を有する医師の指導監督の下】という項目があり、

十分な経験に至ると認定される基準は?

ア認知症患者の診療の経験を5年以上有する者; 市井で認知症の診療経験がなく過ごせることはないのではないでしょうか!

      判定はどうするのか?

イ 認知症患者のリハビリテーションに関し、適切な研修を修了した者なお、適切な研修とは、次の事項に該当する研修である。

      内容については、6時間以上の講習を受ければよさそう。

認知症リハビリ患者検討会での、リハビリ後の患者の変化に対する内容が、高齢者の身体変化に対応した基準で判定したらよいのにと感じています。高齢、認知症者の、身体、心理、行動に対する理解、認知度が、医療側に不足しているからではないかと思い始めました。

論語の中に、孔子自身の人生を振り返った、人生観ともいえる有名な一説があります。 「吾、…… 四十にして惑わず。五十にして天命を知る。 六十にして耳順う。七十にして心の欲する所に従えども、のりをこえず。」

新70、古希を迎えたのですが、身体反射は暦日に従っているようでも、論語のようではないと自覚しつつ、行動面では、吾十有五にして学に志す、三十にして立つ、にならい、分野外の学問、老年医学の専門家レベルを目指そうかな。

 

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