20年以上前の外科手術に際しての同意書内容について、
”予想外の患者の状態で、不測の生命に危険が及んでも了承せよ”という内容の同意書を患者側から取得していても、不測の患者に不利な状態が起きたときの責任回避のための同意書?”責任回避など出来るはずもない!”何の役にも立たないのではないかという議論が起きた。
20~30年前は、文書としての説明書を残すという風潮は皆無に近く、
患者、患者家族と医師は信頼の絆で、最善を尽くす、尽くしてもらえる時代だったのだ!と思い知る当今。
非常勤医師として、週1回、外来勤務をしている病院で、
骨髄穿刺が診断確定、生命予後のために必須の患者であった。
骨髄穿刺については、紹介元の先生からも説明を受けていたようで、同意は容易であった。
その患者は21歳と何か月で、成人。
大学生で親の扶養をうけている人だと思った外来担当看護師が親の同意が必要であると主張し、”親は外来に同伴していないので、遠方の親に電話で説明し、同意を得ろ!”と命令された。患者本人は、”親には、受診を説明してあるので、どちらでもよいですよ”というのであるが、担当看護士の、強要度合いは並ひとかたならず、電話での説明には、同調したくもないので、拒否すると、病院の立場がある、言って頑として引き下がらず、電話をかけ、父親にはつながらなかったが、母親にはつながり、電話口に出ているから説明しろという。
「骨髄穿刺をしますが、よろしいですか?」だけでは、済むはずもなく
確診に近い、疑っている病名を明らかにするためには骨髄穿刺検査は必要と説明した。
昨年末は、のどがはれ、耳鼻咽喉科を受診していたが、年明けは、元気で陸上競技の選手として練習に励んでいるわが子が、”白血病”を疑われていると告げられた母親は、電話口でも明らかな涙声となった。
患者側は、電話による、顔の見えない説明に、二の足を踏んだ通りの、波及心理状態に陥り、予想した事態に陥ってしまった。
不本意ながら、意に反した電話口での強要説明での事態で、釈然としないままに、
患者への説明責任の範囲を考えた。
特に今回は、病院側の保身が主なのだという説明の看護士の強要。そして、この看護士は、検査には、立ち会いません。検査時の注意点は、この病院では、骨髄穿刺に立ち会うのが初めてという訓練を受けていない看護士がほとんどなので、検査時、検査後、帰宅後の注意は、40年間で、数千例の検査施行実績がある私がすることになります。検査前に、不慣れですので教えてくださいと看護士側から聞かれたことはありません。
同意書 同意書 同意書
同意書取得に関する嫌悪感は、
同意書を取る側には、≪同意による身の保身、問題が生じた際の発言力の低下≫を意図しているからだろう。
説明責任を果たした証とするには、同意書は簡潔すぎるだろう。説明時間の長さの記入も必要ではないか?
電話での説明を、当日担当の看護士による強要を拒否しきれなかった、説を通しきれなかった自分の力量に落胆したのが大きいかもしれない。
病院の立場、見解を羅列してある同意書の場所を常備させ、その文責は院長にあるという点を明記、同意していただいた上での、2段階にしようかと思う。
医療は、患者の信頼に応えなければならないが、未知の部分も多い病気に対しては不本意ながらということもあるが、それでも、応える責任を果たすために、古今の文献を渉猟し日々新しい知識を得、全身であらわさねばならぬ。日々の努力を怠ってはならぬと:教えを実践された宇塚先生の下なので、同意書取得風潮にはなじめない!
”予想外の患者の状態で、不測の生命に危険が及んでも了承せよ”という内容の同意書を患者側から取得していても、不測の患者に不利な状態が起きたときの責任回避のための同意書?”責任回避など出来るはずもない!”何の役にも立たないのではないかという議論が起きた。
20~30年前は、文書としての説明書を残すという風潮は皆無に近く、
患者、患者家族と医師は信頼の絆で、最善を尽くす、尽くしてもらえる時代だったのだ!と思い知る当今。
非常勤医師として、週1回、外来勤務をしている病院で、
骨髄穿刺が診断確定、生命予後のために必須の患者であった。
骨髄穿刺については、紹介元の先生からも説明を受けていたようで、同意は容易であった。
その患者は21歳と何か月で、成人。
大学生で親の扶養をうけている人だと思った外来担当看護師が親の同意が必要であると主張し、”親は外来に同伴していないので、遠方の親に電話で説明し、同意を得ろ!”と命令された。患者本人は、”親には、受診を説明してあるので、どちらでもよいですよ”というのであるが、担当看護士の、強要度合いは並ひとかたならず、電話での説明には、同調したくもないので、拒否すると、病院の立場がある、言って頑として引き下がらず、電話をかけ、父親にはつながらなかったが、母親にはつながり、電話口に出ているから説明しろという。
「骨髄穿刺をしますが、よろしいですか?」だけでは、済むはずもなく
確診に近い、疑っている病名を明らかにするためには骨髄穿刺検査は必要と説明した。
昨年末は、のどがはれ、耳鼻咽喉科を受診していたが、年明けは、元気で陸上競技の選手として練習に励んでいるわが子が、”白血病”を疑われていると告げられた母親は、電話口でも明らかな涙声となった。
患者側は、電話による、顔の見えない説明に、二の足を踏んだ通りの、波及心理状態に陥り、予想した事態に陥ってしまった。
不本意ながら、意に反した電話口での強要説明での事態で、釈然としないままに、
患者への説明責任の範囲を考えた。
特に今回は、病院側の保身が主なのだという説明の看護士の強要。そして、この看護士は、検査には、立ち会いません。検査時の注意点は、この病院では、骨髄穿刺に立ち会うのが初めてという訓練を受けていない看護士がほとんどなので、検査時、検査後、帰宅後の注意は、40年間で、数千例の検査施行実績がある私がすることになります。検査前に、不慣れですので教えてくださいと看護士側から聞かれたことはありません。
同意書 同意書 同意書
同意書取得に関する嫌悪感は、
同意書を取る側には、≪同意による身の保身、問題が生じた際の発言力の低下≫を意図しているからだろう。
説明責任を果たした証とするには、同意書は簡潔すぎるだろう。説明時間の長さの記入も必要ではないか?
電話での説明を、当日担当の看護士による強要を拒否しきれなかった、説を通しきれなかった自分の力量に落胆したのが大きいかもしれない。
病院の立場、見解を羅列してある同意書の場所を常備させ、その文責は院長にあるという点を明記、同意していただいた上での、2段階にしようかと思う。
医療は、患者の信頼に応えなければならないが、未知の部分も多い病気に対しては不本意ながらということもあるが、それでも、応える責任を果たすために、古今の文献を渉猟し日々新しい知識を得、全身であらわさねばならぬ。日々の努力を怠ってはならぬと:教えを実践された宇塚先生の下なので、同意書取得風潮にはなじめない!