連・断・続の部屋  

捨てる過去など何もなく、日々の社会との繫がり、自己の活性化、整理のためにつぶやく。

生き延びている

2019-07-05 09:46:57 | 日記・エッセイ・コラム

7月7日、仙台は旧暦の七夕まつりが8月が盛大ですが、保育所、病院は新暦から飾り続けています。

短冊に願い事。

技芸の上達は、古希ともなれば望外に近いなと思いもすれど………。

逢瀬を望む人は、同じ世からは逝ってしまった。かといって、早くその世に行きたいわけでもなく、生き延びていることに、不思議な感慨が拡がります。

大学の学生時代半ばで発病したころ、同じテニス部に属していた二人も、発病。

三人も!お祓いでもしなければと気づかわれた、私以外の二人は、すでにこの世から去ってしまった。

結婚式に参加しては、病も癒えず一人でいる私をきづかってくれた二人は、家族を残し早世してしまった。

社会的つながりンおある知人の訃報を聞くことも増えてきた。

学生時代は、疾病関連悪の身体障碍などで、足でまといという感じの若者の持つ残酷な冷たさをヒシヒシと感じもしたが、

治療関連の副作用で、冥界寸前で連れ戻された経験もしたし、

病状の進行時には、死なないからと慰めてくれた、主治医も天国に逝ってしまわれた。

最近は、良性疾患は、悪性疾患と異なることを実感し始めている私。

自己免疫異常に伴う、全身にある関節、結合組織の変化は残っているものの、

正常残存の関節部位はわずかで、新病変発症の疼痛は軽微(くずぶり続けるのか!)。

外来診療で、生死の境を切り抜けてきた、高齢患者に接すると、その年齢に達するまでいかほどの年月を過ごさなければ達しないかと愕然とします。目下最高齢の方の年齢に達するまでは、誕生から大学までの年月があります。

今の体力、知力の減衰を想像だにできません。

105歳で死亡した伯父は、逝去の半年前までは、独居、食事を含め自分でしていました。

病を得て医療介入は受けた80台で亡くなった両親、105歳の伯父ともに記憶にぶれは無く、あやかりたいの願いを込め短冊を。

裏千家の月釜、7月7日で、席中の一人のみへのミニ七夕飾りがあたりました。

願いはかなうかもしれません。

 

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