連・断・続の部屋  

捨てる過去など何もなく、日々の社会との繫がり、自己の活性化、整理のためにつぶやく。

高齢者の死ぬ日のあり方

2014-01-04 13:44:50 | 健康・病気

3日の日当直は、医療が向かっている方向に暗示的な一日であった。

主治医不在のなかに、高齢者3人が呼吸状態悪化、血圧低下を示し、

家族に連絡し、病院に駆けつけてもらい,病状説明。

入院歴の短い,25日に転院してきた88歳の男性患者の家族は、家で正月を共に迎えられない悲しみの中、付き添いを希望され,見守り,声をかけながら、永久の世界へに旅立地を見送られた。

施設生活も長く、意思疎通もままならない84歳の女性の家族は、年越しもままならないかと思いながら、正月を迎えました。そうですかと納得され、動脈血ガス分析でBEが、ー13.4という数値で、血圧は40/ であり看取り体制となるが、呼吸、血圧も復活。静かな日常的な時間が家族にも戻っています。

その隣の85歳の女性患者の、目下一人暮らしの夫に電話し、駆けつけてくれた。しかし、呼吸状態はとても悪いので、連絡先があればと話すが、では、自宅に戻り電話をかけてこようと言い出しので、かねてから病院で把握してる連絡先に電話をしましょうと行動したが、自宅に戻ってkらという。受け入れがたい高齢者の伴侶の最期をみまもる老人への対応も、医療側の仕事として組み入れていく必要性を強く認識。

まだ40歳のかた。原因不明の脳の変性疾患となり、転院され10ヶ月。胃瘻からの食事開始,30分後の見守りで呼吸停止を発見。心肺蘇生で、なんとか回復されるが、30分程の経過中にさらに脳へのダメージが加わり、瞳孔反射は認めないが、夫は再び大学病院への転院を希望。年末年始の早朝。当方の人手は薄く、連絡先も通り一遍では電話は繋がらず、3時間後に家屋の強い希望を訴え、懇願し転院の許可を得た。悪戦苦闘4時間。主治医ではないので,経過の詳細不明であっても,家族の無念は伝わりなんとか、未来にも遺恨を残さず納得する形での診療へと結びつけた。

超高齢化社会に突入した我が日本国。

家族、社会、施設、病院共に、最期の時のあり方を

また、その最期の日、以後に悔いを残さな最期の迎え方を

臍をかため、覚悟を決めた周知徹底が必要。

私ですか?無事両親より生きながらえたので、目的の大半は成就。

教えを受けた恩師よりは長生きしようと思っているが、生には固執していない。

独り身なので、死んだ後の始末を考えると、

周囲へ迷惑をかけないようにと思うと悩ましい。

若くして病を得、結婚から遠ざかり、

一親等がいないという現実から、

お墓の所在はわかるようにしてあるつもりですが。

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 和食 | トップ | 食がすすむ すすまない 高齢者 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

健康・病気」カテゴリの最新記事