連・断・続の部屋  

捨てる過去など何もなく、日々の社会との繫がり、自己の活性化、整理のためにつぶやく。

まだまた生きなければ到達しない!

2019-06-27 22:23:29 | 日記・エッセイ・コラム

96歳になる患者の受診日。

挨拶をして、

診察とはいえ、30年来の付き合いですから、世間話が多くなり、

”長生きしすぎ”という言葉を、何回か発しますが、死にたいとは言いません。

お盆、そしてお彼岸までは生きられるかしらと言って、車いすを押されながら出てゆきます。

患者の年齢に達するまで、私は、大学卒業までの時間を生きて、生き続けてと想像することしばし。

外皮的属性なく、心を寄せて時間を過ごせる人はすでにこの世を去って、

はてさて、明日につなげるものは、

亡き人の法事、

同居している猫の寿命が尽きるまで

昨日、あと6年半は、生きていないと、望む形での法人解散に至らないことを知ったので。

体力、知力の減衰を伴いながら、でも、まだ、感情鈍麻には至っていない生存。

社会の一員として、最も研鑽を積んできた医療の分野で、父から贈られた言葉、慈療済世を心に抱いて。

 

 

 

 

 

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